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バッハやルター、ワグナー
ホテルのインターネットが通じないので、 街で野良電波を拾うしかない。 目に見えないものを大切にする人たちの 間にいて心が洗われる。
作者: kenmogi
更新日:2009年1月7日 21時14分
ワイマール
プロフェッショナル 松井三都男
プロフェッショナル 仕事の流儀
腕一本、それが男の生きる道
~へら絞り職人・松井 三都男~
松井さんは、同じものを何度も繰り返し
作っているのに、そして、世間からは、
当代随一の職人として嘱望されているのに、
未だに自分の満足いくようなものは
できないのだという。
何百回、何千回と同じことをやっても、
完璧などということはない。
だからこそ、いつまでも、どこまでも
繰り返す。
この精神性こそが、習慣というもの、
日常というものに光を当てる
かけがえのない叡智なのだろう。
身が引き締まる思いで、
松井さんの言葉に耳を傾ける。


NHK総合
2009年1月6日(火)22:00〜22:45
http://www.nhk.or.jp/professional/
Nikkei BP online 記事
究極の「結果責任」それが職人の世界
〜 へら絞り職人・松井三都男 〜(produced and written by 渡辺和博(日経BP))
作者: kenmogi
更新日:2009年1月5日 22時43分
凛とした冷たい空気
東京工業大学すずかけ台キャンパスにて、
須藤珠水、柳川透の博士論文の審査。
須藤、柳川が、審査員の先生方を
前にしてそれぞれ30分発表し、
その後30分の質疑応答があった。
博士になるのは本人にとっても
指導教官にとっても大仕事で、
とくに、発表を聞いているのは
自分のことのようにはらはらする。
一緒に研究してきたという
意味では、その出来、不出来は
なかば自分のことであるように思うし、
また、特に質疑応答の時など、
こちらが想定しているような答えが
出てこないと、自分でなりかわる
ことができないだけに、ハラハラドキドキ
する。
その一方で、水際立った返答に接して、
おお、ここまで賢くなったか!
と驚嘆することもある。
須藤珠水が、発表を終えて片付けを
している時に、「茂木さんが写真を
撮ると思って、ネクタイをしてきたのに」
と言った。
「そうか、ごめん。じゃあこれから
撮ろう。」
すると、聞きに来ていた関根崇泰が、
「じゃあ、ぼくが聴衆役になりましょう」
と言った。
審査員の先生方や聴衆は皆お昼に行って
しまっていたのである。
かくして、須藤珠水が発表中の
様子を、関根崇泰の協力によって
再現した。
「オレのブログの読者には、後ろ姿で
関根ってわかちゃうんじゃないか。」

発表する須藤珠水さん
柳川透は、depolarization-dependent potassium channelを入れたことも功を奏して、格段によい
発表になっていた。
ただ、質疑応答の時に、「どの
ジャーナルにrevisionを投稿しているの?」
と聞かれて、柳川は上がって頭が
真っ白になってしまった。
「えーと、Neuroscience lettersではなくって、
NSRです。つまり、そのう、・・・・」
私の心臓の鼓動がもっとも高まった
瞬間であった。
発表の後、新年初のゼミと、それから
軽い新年会をする。
********
小学校5年生、6年生の時、「生活帳」
という日記を付けていた。
担任の小林忠盛先生の指導で、
毎日書いていたことが、時々
見返してみると懐かしい。
__________
小学校6年生(1974年)の茂木健一郎「生活帳」より
十月十四日(月曜)天気 晴れ
もう死にそう
今は、夜中の一時半、やっと、理科の研究が書き終わった。六時から始めたのに、まさか七時間半もかかるとは、思わなかった。一番くるしかったのは、九時ごろだった。上のまぶたと、下のまぶたが、くっつきそうなのだ。コーヒーをガブガブのんでもだめだった。それからは、頭がはっきりしてきて、だんだんピッチが上っていった。しかし、十五枚を書くのだ。かんたんなことではなかった。羽化を書いて終った時は、本当にほっとした。一枚書くのに二十分はかかるから、十五×二十=三00で、5時間くらいだと思っていたのに、もう死にそうだ。
<どうだ体力が必要だろう これからそういうことがあるぞ>
十月十五日(火曜)天気 くもり
うれしい日
今日は、とてもうれしい日だった。僕は、水泳大会の時、選手に選ばれなかったので、とても残念だった。それに、2回も落っこったのだ。あの時はもうがっかりしてしまった。それから、僕は、じ久走にかけた。校庭を回るスピードも、今までよりずっと早くした。僕はじ久走大会で、十一位だった。この分じゃ、とても五にんという、せまいわくに、入らないなと思った。でも僕は、いままでの、ちょこちょことした走り方から、ももを上げ、おもいきり、地面をける走り方に、かえて、この前、たった一度だけど、三位をとった。もしかしたらと思った。選手が僕だと聞いた時、とても、うれしかった。がんばろうと思った。
<理科展が終わったら全力でやること。気力だけではついていけないからね。>
十月十六日(水曜)天気 くもり
久しぶりの陸上練習
今日、理科の研究が終ったので、十日ぶりぐらいの陸上練習をしました。僕は、記録がガタ落ちしてしまって、一周を前は、37秒だったのに、今度は38秒9に、落っこって、何度やっても、38秒9のこう進でした。こりゃ、だめだと思っていた時、先生が、
「さあ、千計っちゃいましょう。」
とおっしゃったので、全然自信がありませんでした。そのとおり、もうつかれて、つかれて、こんなにつかれた千メートルは、ありませんでした。タイムは、10秒8ちぢまって、三分五十六秒でした。でも、十日で10秒8じゃ、ずいぶんスローペスだなと思いました。
十月十八日(金曜)天気 くもり
やった。信じられない現実
今日、まったく予想もしていなかった、二十世紀の奇せきが起こった。今日の千メートルタイムで、たいへんなことが起こったのだ。一周目、僕は、種村君と、三メートルの差をつけられた。ここまでは、いつもと同じだった。いつも、二周目から、どんどん引きはなされて、30メートルぐらいの差で、まけるのだが、ぴったしと、ついていけたのだ。僕は、現実を、うたぐった。ラストに入る時も、四メートルぐらいの差で、最後の一周に入った。いつもは、せり合う、杉うら君に、五十メートルの差をつけていた。そのまま、ゴールイン。いままでの、三分56秒を、16秒もちぢめ、三分40秒を出し、大野君との差が、五、六秒、種村君との差が、三秒というすごいことになってしまった。うれしかった。とにかく、うれしかった。
<君の練習態度のたまものだね。君が一番熱心だもの当然だよ。その力を大会で出せよ。まだまだ縮まるぞ五〜八秒は>
(<・・・>内は、小林先生からのコメント)
______________
小学校の校庭の、冬の凛とした冷たい
空気がよみがえる。
昨日のすずかけ台キャンパスにも、
それはあった。
みんな、がんばろう!

「生活帳」のカバー

小林忠盛先生(右端)と。
2006年5月18日、NHK「スタジオパーク」
にて。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2006/05/post_ea5a.html
作者: kenmogi
更新日:2009年1月6日 0時45分
『モナリザ』を草むらの中に
子どもの頃、暇な時に畳の上に寝転がると、 天井の木目が見えてきた。 一つとして同じ模様はない。 何しろ時間はたっぷりあるのだから、 ゆったりと心の中に染みこませた。 あのような時間が人生の中で 結局一番贅沢だった気がしてならない。 最近の家では、生の木材は減ってきた。 白に塗り込められた天井を 見ていても面白くもなんともない。 現代建築は、子どもたちから 寝転がって天井を見上げる至福の時間を 奪っているのだろう。 あるいは、最初からそんな体験が 世の中にあるということを知らないか。 自然の中にいけば様々な形態が あふれている。 多種多様な植物だけじゃないゾ。 ヘンテコな虫だって、勝手に 視野の中に入ってくるゾ。 それで美術館の「ホワイト・ボックス」 を思いだした。 あれは、つまりは農薬で虫たちを 根絶やしにすることと同じだな。 そうでなければ現代の美術の文脈は 成立しないけれども、作品を 見ているうちにいろいろ奇妙なものが 目の中に飛び込んでくると大いに 迷惑するけれども、美術という 制度の「原罪」もそのあたりにある。 『モナリザ』を草むらの中に置いたら、 どう見えるのだろう。 家庭画報の押鐘さんたちとカラヤンの 話をする。 若々しくて華があって、 ちょっと後ろ暗いところもある。 そんなカラヤンのいた時代に 私は青春を迎えた。 柳川クンの論文が、やっと 終わる。 できあがったpdf fileを見て ほっとする。 あとは柳川クン、がんばれ。 昔塩谷からもらったメールを一つ見つけた。 From: "Ken Shiotani" Subject:ふと感じるものの存在感について Date: Tue, 10 Dec 2002 「クオリアとはなにか」という問いの形で突 き詰めて行くと、どうして も落ちてしまうのは、「ごちゃごちゃいうな! とにかくこれじゃわい」という感じなんですね。 個物性と言葉で言ってしまっては届かない/逸れてしまう感じ。 この感じは「深み」ではなく、「表面・おもて」に漂う、 しかし、条件付けしようとする言葉にとっては、ブラック ホールのような吸収域なのです。 「働き」といってしまうにはあまりにも静かな、 モノといってしまうにはあまりにも儚い、「どこにある」 とはいえず「ここ」としかいえない、それ自身が細い細い 透明な飴細工の組織のような感じ。 それを私は「観て」しまう、それを私は「聴いて」しまう、 それに私は「触って」しまう、 そのときの私はだれ?どのような私なのでしょう? そのときの「観ている」広がり、「聴いている」流れ、 「触れている」界面は、いかなる場であるのか。 くりかえされることが不可能な、でも何度も私に訪れた ように思われる、それらのひとつの感じ。 これは極めて抽象的な概念を「見渡して」考えようとするときにも ついて廻る感じです。 私を構成する物質的・霊的な様々な要素、それらを構成する 更なる要素、それらの限りない階層とその間に自由に結ばれる 関係が、一つにとらわれることに抗って生み出されるひとつの感じ。 そんなものを感じるのです。 塩谷賢
作者: kenmogi
更新日:2009年1月4日 23時11分
ニーチェの言葉
どこで読んだのか、ニーチェの
書いたものの中に、「古代ギリシャの人にとっては、
『専門』という言葉には意味がなかった」
という文章があって、高校生くらいの時に
とても感激したのを覚えている。
「専門」などということは、そもそも
ないのだと思っている。
たまたま、ある分野の活動を長年にわたって
やっていて、その結果精しくなっている
ということはあるかもしれないが、
人間としての存在がそれに限定される
はずもない。
だから、「脳科学者としてどう思いますか」
とか、「脳科学者としての見解を聞きたい」
などと聞かれると、以前は時折
むかっ腹を立てていたものだった。
何だか、ある特定の目的のために
自分が使われているような
気がしたのである。
最近では、割り切っている。
世間というものは、そもそも、ある個人を
判別する時に特定の旗を立て、それで
認識したがるものである。
自分だって、他人に対してそう
しがちである。
そう期待されている文脈では、応える
しかない。
肝心なのは、自身の認識と行動に
おいて、自分がある「専門」だなどと
思わないことだろう。
ニーチェの言葉は、未だに、私の
中に一つの理想としてある。
ところで、そうは言っても、科学
に取り組むことによって精神が得る
「恵み」のようなものはあるように思う。
柳川透君と議論しながら論文をいろいろと
組み立てている時にそう思う。
柳川くんの中には、神経細胞の自発的活動に
ついてシミュレーションしてきた
長い時間がある。これを学会に伝えたい
という熱い思いがある。
問題は、それをいかに客観的に、論理的に
筋道を立ててまとめるかであって、
その際の心の配り方は、とかく自己中心的で
井の中の蛙になりがちな人間にとっての
精神の修養としてかけがえのない価値が
あるように思う。
大学院で科学に取り組んで得られる
もっとも普遍的な能力は、自己の
客観化であろう。世間を見ると、そのような
魂の技術はあまり普及していないように
思われる。
昨日のQualia Journalに塩谷賢のことを
書いたら、Oliverがコメントをくれた。
Oliverはニューヨーク在住の数学専攻の
大学院生。
これまでも何回かコメントをくれている。
Oliverが同意してくれたように、
何の組織にも属さない塩谷の在り方は、
一つの理想というべきものであろう。
組織にかかわると、どうしても自分の
専門が何なのか、旗色を鮮明にせよという
圧力を受ける。
私などは、ある程度適応能力があるから、
組織とかかわっているが、
塩谷のように全く適応能力がない、
というのも、これは立派なことだと思う。
伊達や酔狂で言うのではない。本気で
言っているのである。
このところ、
柳川くんとは一日に十も二十もメールを
やりとりしているけれども、
もらったメールの一つ。
From: "Toru Yanagawa"
To: "Ken Mogi"
Subject: Re: paperのpatch
interpolationは、パッチを抽出するためにおこなっています(Fig1(e))。
周囲8マスのニューロンの平均を計算しています。
なので、速い成分は、平均化によってつぶれてしまいます。
膜電位は、NMDAの時定数が80msecぐらいなので
スパイクをうけとると、それぐらいのtime intervalで上下しています。
そういうコンポーネントが、平均化することによって失われてしまっているので、
raw dataにおける速い周波数のパワースペクトルは減少しています。

柳川透氏
作者: kenmogi
更新日:2009年1月3日 23時32分
Philosopher at large
作者: kenmogi
更新日:2009年1月3日 0時9分
新春TV放談2009
新春TV放談2009
テリー伊藤 、茂木健一郎、箭内道彦 、ケンドーコバヤシ、千原ジュニア、塚原愛
2009年1月3日(土)深夜
(日付が変わって1月4日)0時10分〜1時25分
作者: kenmogi
更新日:2009年1月2日 22時56分
二本目は、3センチ大きいやつでいいんだ
私の親しい友人は知っているように、 服装については奇妙な クセがあって、 冬など、同じ服を着続ける。 別に他に持っていないわけでは なくて、要するに考えるのが 面倒くさいので、毎朝前夜に 脱ぎ捨てた服をそのまま着て 家を出るのである。 むろん、下着やTシャツ、 靴下は毎日替えている。 今シーズンで言えば、黒い ズボン、赤い縁どりのついたセーター、 黒いジャケット、それに黒いマフラー という服装で、もう10月くらいからずっと 通してきた。 セーターは毛玉がたくさんできていて、 打ちあわせをしたり、シンポジウムの 時など手元が暇になると ついつい毛玉とりをしてしまう。 取っても取っても後から出てくる ので、尽きることがない。 ちょっとしたリクリエーションである。 問題はズボンで、実はちょっと丈 が短い。 チャプリンのズボンのように なっている。 別に今年の冬に足が伸びたわけでは ない。 洗濯機にかけて乾燥したら、 短くなってしまったのである。 ファッションセンスのある人ほど、 勘違いして、「素敵ですね」という。 わざと短くしていると思うらしい。 そうではなくて、洗濯機にかけて 乾燥したら短くなってしまったの である。 チャプリンズボンでもう二ヶ月くらい 通してきたが、さずがにそろそろ 寒いなあと思い、買いに出かけた。 たくさんの人が売り場にいて、 店員さんたちが忙しそうだったので、 自分で裾を上げて、適当なところに クリップを当てて留めてしまった。 レジに持っていくと、店員さんが 驚いて「あら、裾上げは?」と聞く。 「自分でやってしまいました。」 「すみませんねえ。」 裾上げの書類のようなものがあって、 そこに股下何センチと書かねばならない らしく、メジャーで測っている。 「あのう、1センチ違いますけど、 よろしいですか?」 と言われて動揺した。確かに、 一つの方はちょっとくるぶしより 上気味だったような気がする。 素人のやっつけ仕事がばれたか。 「いえ、あの、その、適当に やったので、それでいいです!」 と言うと、店員さんはおかしさを こらえるような表情で、もう一度 股下を測ってくれた。 「あら、よかった。測り直したら、 5ミリしか違っていませんでしたよ。」 と店員さん。 ぼくも、それは大いに良かったと思った。 5ミリならば、ギリギリ合格である。 本当は、二つのズボンにはもう一つ問題が あった。 一つめのズボンを履いたとき、本当は ちょっときついなと思ったのだが、 「いや、これから大いに運動して、 体重を減らせばよいのだ!」 と未来の自分へのプレッシャーとして 採用した。 履けないことはないのだから、いいやと 思った。 ところが、二本目のズボンを試着室に 持っていった時、一本目と同じ サイズにしたつもりが、3センチ大きい ものを持ってきてしまった。 カーテンをしめ、ズボンを脱いでしまって から気付いた。 これから売り場に戻って交換して 着てもいいが、もはや面倒くさい。 「いいんだ、二本目は、3センチ大きい やつでいいんだ。」 と思った瞬間、なんだかほっとして、 新年から温かく豊かな気持ちになった。 「いいんだ。二本目は、3センチ大きい やつでいいんだ!」 今年になって自分に言い聞かせた、 「人生のスローガン」一つめだった。 レジに持っていった時、店員さんに 「ウェイストのサイズが二本で違いますが いいんですか?」と指摘されるのでは ないかと思ったが、なぜか見落とされた。 本当は気付いたのに黙っていてくれたのかも しれない。 寒かったが、森の中を走った。 論文の方は、Supplementary Online Materialを こつこつと直す。 頭の中が、チャンネルやカレントで いっぱいになる。 ズボンも買えたし、充実した良い 正月二日目だったように思う。 柳川透クンからメールをもらう。 From: "Toru Yanagawa" To: "Ken Mogi" Subject: 速度の件 レンジを指定する、という方法がいいと思われます。 evoked mapとongoingなフレームの間の相関係数を計算し、その時系列の自己相関関数の時定数が80msであるとき 相関がなくなるまでの時間を推定するとする。 生理学のデータの自己相関関数は、下に凸の関数なので 線形近似したとしても、大きく見積もっていることにはならない。 どちらかというと、下限を厳しく見積もっていることになる。 ゼロになる時間を見積もると、 80/0.63=127msec この時間は、状態が完全に変わるまでの時間であるとし、 その間に、パッチが、1mm(1コラム程度)すすめば、相関はなくなっているであろうと仮定すると 1000/127= 7.875 mm/sec。 柳川クンが言う方向でいいのではないかと思う。
作者: kenmogi
更新日:2009年1月2日 22時45分
Seals and the violin
作者: kenmogi
更新日:2009年1月2日 0時58分
人生の感想戦
将棋の棋士は、対局が終わったあとに
「感想戦」を行い、ここが勝負の
分かれ目だったとか、ここが失着だった
などと振り返る。
過去の自分の経験を振り返って、
「こうすれば良かった」と認識するのは
脳の使い方としてとても興味深い。
「後悔」(regret)するためには、
現実(factual)と反現実(counterfactual)を
比較して認識しなければならない。
「失望」(disappointment)をするためには、
単に事実を認識すれば足りる。
一方「後悔」するためには、実際に起こった
ことだけでなく、「起こったかもしれないこと」を
認識しなければならない。
大変高度な脳の働きである。
人間というものはやっかいなもので、
何かで失敗したりすると、それが起きた
という事実自体を振り返るのがイヤに
なる。うまくいかなかったこと自体を
否認しようとしたり、あるいはなるべく
考えないようにしたりとする心理的機構
が生じる。
その意味で、将棋の棋士は、普通の
人の習慣の外にあることをやっている
ことになる。
とりわけ駆け出しの奨励会の時に、
実戦と同じくらいの時間、時にはそれ以上の
時間をかけて感想戦に臨むのは、
そうすることで実力が上がるという
ことを経験則上知っているからであろう。
時には「人生の感想戦」をやってみたら
どうか。
過去の時期のあれこれを振り返り、
「あの時こうすれば良かった」
「あのようにしていた方が、きっと
こうなっていたに違いない」と
想像して見るのである。
勇気をもって過去を振り返る者に、
medial orbitofrontal cortex(内側前頭眼窩皮質)
のご加護あれ!
引き続き、論文について考える。
ネットの向こうには、柳川透クンが
スタンバイしている。
いろいろとやりとりをしながら、
二人で考えていく。
膨大な作業量で、とても終わりそうもない
と思うことも、向き合っているうちに
八合目くらいまで上がって
来るから不思議だ。
もっと、一山越えても、また
一山、もう一山とあってキリがない。
フジテレビ。『かくし芸大会』
の生放送。
フジテレビの朝倉千代子さん、
渡辺プロダクションの大和田宇一さんと
打ち合わせ。
「この前、東京ドームの近くで
取材があったんですよ。」と私。
「うんうん」と朝倉さん。
「それで、たくさん人が集まっているから、
今日は何があるんでしょう、と聞いたら、
ナントカというグループのコンサートが
あって、それで大変なことになって
いるんだというんですよね。」
「ええ。」
「それで、そのナントカというグループを
私は知らなかったのですが、実は凄く
有名らしくて。ほら、今年のレコード
大賞をとった人たち。」
ここで大和田さんが驚く。
「えっ。EXILEですか!」
「そうそう、それです。」
「EXILEを知らないなんて、かえって
新鮮だなあ!」
大和田さんが、絶滅危惧種を見るような
目を私に向ける。
本当に、ぜんぜん知らなかったのです。
でも、柳川クンの論文を直しながら見ていた
「紅白歌合戦」でEXILEの人たちが出てきて、
その歌や踊りは私の大変好きなタイプの
ものでした。
自分が世間から大きくずれていることを、
こういう機会に知って、大いに反省する。
生まれて初めて羽織袴を着る。
隣りに座ったフェンシングの太田雄貴さんに
聞くと、太田さんも初めて着たとのこと。
今年は難しいことに挑戦して、
大いに反省して、そしてもう一回くらいは
羽織袴を着ることとしよう。

フジテレビの神原孝さんと。(photo by Chiyoko Asakura)

フジテレビの小松純也さんと。(photo by Tomio Takizawa)

スタジオ前の廊下で。(photo by Tomio Takizawa)
______________
前節で述べたように、量子力学が非決定論であるということの意味は、個々の選択機会における結果が予見できないという意味である。このような選択機会のアンサンブルを考えると、その結果の分布は、完全に決定論的な法則によって記述される。
このことから、たとえ、量子力学が、自由意志の起源にはなり得たとしても、その自由意志は、本当の意味では「自由」ではない。何故ならば、量子力学は、個々の選択機会の結果は確かに予想できないが、アンサンブルのレベルでは、完全に決定論的な法則だからだ。
このことについて、第6章で紹介した「中国語の部屋」(Chinese Room)の議論を提出したサール(Searle)はその著書「心、脳、科学」の中で、明確に述べている。
たとえ物理的粒子の振舞いの中に何らかの不確定性の要素があり、その予測は統計的なもののみによって可能であったとしても、粒子の振舞いの予測が統計的にのみ可能であるという事実からは、人間の心がその統計的にのみ決定された粒子に命じてその本来の経路から外れさせることが可能であるという事実が帰結するわけではありません。それゆえに、この統計的不確定性という事実のみから人間の意志の自由の可能性は生じ得ません。要するに、不確定性という事実は、人間的自由が持つ何らかの心的エネルギーが分子を動かし、それがなければ別の方向に行っていたはずであったその分子の運動の方向を変えるというようなことが可能である証拠にはならないのです。
よりあからさまに言えば、量子力学に基づく自由意志は、次の「アンサンブル限定」(ensemble restriction)の下にあることにある。
アンサンブル限定(ensemble restriction)
個々の選択機会において、その結果をあらかじめ予想することはできない。しかし、このような選択機会のアンサンブルを考えると、その全体としての振る舞いは、決定論的な法則で記述される。
アンサンブル限定の付いた自由意志においては、個々の選択機会については、あらかじめその結果を完全には予測できないという意味でそこには「自由意志」が存在するように見える。だが、同じ様な選択機会の集合(アンサンブル)を考えると、そこには決定論的な法則が存在し、選択結果は完全に予測できるのである。
あなたが、ある瞬間に意志決定を行うとしよう。その選択肢は、AかBかという簡単なものでも、あるいはもっと複雑なものでも良い。あなたの意志決定が量子力学的なプロセスに基づくものであるとすると、その瞬間の意志決定の結果が、どのようなものになるかは、あらかじめ予想することはできない。現在のあなたの脳の状態をいくら精密に測定したとしても、予想することは不可能なのだ。これが、量子力学の非決定性である。
さて、そのような意志決定を行うあなたの「コピー」を沢山用意したとする。これが、すなわちあなたのコピーからなるアンサンブルだ。このアンサンブルの中の、ある特定の「あなた」の選択は、上に述べたような理由で予想することはできない。しかし、全く同じような「あなた」のコピーからなるアンサンブル全体としての振る舞いは、完全に決定論的な法則で予測することができるのだ。
必ずしも正確とは言えない比喩だが、一人一人が何歳で結婚するかという問題を考えて見よう。私たち一人一人は、何歳で結婚するかを、自由意志に基づいて決定していると思っている。確かに、ある人が何歳で結婚するかは、完全に予想することは不可能である。だが、社会の中のこのような人々のアンサンブルをとってくると、人々が確率的に何歳で結婚するかということについては、厳密な社会科学的な法則が成立するように思われる。アンサンブル限定のついた自由意志は、たとえて言えばこのようなものだ。つまり、個々の選択機会においては、自由があるように見えるのに、そのような選択機会の集合をとってくると、その振る舞いは決定論的で、自由はないのである。
茂木健一郎 『脳とクオリア』
第9章6節 アンサンブル限定のついた自由意志 より
______________
作者: kenmogi
更新日:2009年1月2日 0時25分
Constraints and freedom
作者: kenmogi
更新日:2009年1月1日 1時7分
新・世界七不思議3
かくし芸大会 2009
かくし芸大会 2009 フジテレビ系列 2009年1月1日(木)18時30分~20時54分 かくし芸大会2009
作者: kenmogi
更新日:2008年12月31日 23時5分
驚異なんて
情熱は大切だけれども、それは情熱自体に あこがれて導かれるわけではない。 なにかこの上なく具体的なものとの出会いによって、 人は情熱を知るのである。 私は子どもの頃自然を愛することを学んだが、 抽象的な概念としての「自然」にあこがれたのではない。 蝶という、具体的な生きものの印が 心の中に刻まれたがゆえである。 「科学者」とう抽象的な存在になろうと 思ったわけではない。 小学校5年生の時に伝記を読んで、 アルベルト・アインシュタインというたった 一人の生涯と事蹟に「感染」したのである。 具体に感染しなければ、情熱など 生まれない。 本当に、たったこれだけという、 きわめて具体的なもの。 情熱的にになりたいなどと、抽象的な 泡を吹いていても仕方がない。 世間がこれがいいと言うから、自分でも それがいいと思うなどという人は情熱の 姿がぼやける。 自分が命がけでそれを追うことのできる、 たった一つの何ものかを見つけよ。 一日中論文をあれこれと考えていた 大晦日。 森の斜面を走る。オレはまだ 道なき雑草の間を駆け抜ける力を持っているか。 空気が冷たい。この感じが いいんだよな。 上はトレーナーを羽織るが、下だけは どうしてもショーツでなければならない。 こればかりは、子どもの頃からの習慣で、 仕方がない。 下もトレーナーを履くと、まどろっこしくて しょうがないんだよ。 虫たちは、枯れ葉の下で、土の中で、 樹皮に隠れて、 厳しく長い冬を堪え忍んでいる。 いずれまた、 満開の桜の花を見上げることができるよナ、 ねえオケラくん、ゴマダラチョウの幼虫、 ユズリカの卵よ。 考えてみると、驚異なんてそこらへんに ありふれて転がっているなあ。 宇宙は神秘の出し惜しみをしないよ。 ____________ 以上の議論をまとめよう。 私たちは、認識の問題を根本的に説明しようとするとき、反応選択性の概念は採用できないことをみた。反応選択性には、幾つかの致命的な欠点があるからである。反応選択性は、せいぜい、過渡的な説明の道具として使うことができるに過ぎない。私たちは、もし認識がニューロンの集団の発火からどのように導かれるかを理解しようとしたら、「認識におけるマッハの原理」にまで遡って考え始めなければならない。 それにもかかわらず、今日、電気生理学では反応選択性の概念を実験データを解析する際の最も有力な枠組みとして採用しており、また、それが実際ある程度の有効性を持つことも事実である。これは、どういうことだろうか? 何故、反応選択性の概念は、感覚野のニューロンの反応特性を理解する上で、ある程度有効な概念なのだろう? 認識の問題の最終的な解決は、「認識におけるマッハの原理」に基づくはずだ。反応選択性の概念がある程度機能するということは、「認識におけるマッハの原理」と「反応選択性」の間に何か深いつながりがあることを示唆するのだろうか? 実は、この点は、認識の問題を考える上で、今日、最も重要な論点の一つである。「認識におけるマッハの原理」は、正しいことは疑いないが、そのままでは役に立たない。一方、反応選択性の概念は、最終的には正しくないが、実験データの解析にはある程度役に立つ。実験データの解析という面においては、「認識におけるマッハの原理」は、全く無力だ。実際、私は、電気生理学者に、 お前の言うことは良くわかった。じゃあ、一体、反応選択性以外に、ニューロンの反応特性のデータを解析する有力な概念があるのか? あるのならば、教えて欲しい。 といわれたら、返事に詰まってしまうだろう。実際、現在のところ、反応選択性以外に、観測可能な量はないのだ。だが、何か道があるはずだ。反応選択性の概念と、「認識におけるマッハの原理」が、握手をしてつながる場所がどこかあるはずだ。この世紀の握手が成立したとき、その時こそ、認識の問題におけるブレイク・スルーが起こる時だろう。 だいぶ複雑な議論をしてきたので、最後にこの章の議論の論理構造を図式化してみる。 反応選択性は、実験上も理論上も重要な概念だ。 ↓ だが、反応選択性には、認識を説明する原理としては、 致命的な欠陥がある。 ↓ 「認識におけるマッハの原理」が健全な出発点だ。 ↓ だが、「認識におけるマッハの原理」は、 現状では観測可能な量を定義できない ↓ 結局、反応選択性を実験データの解析上使い続けるしかない。 誠に遺憾ながら、以上が、認識をニューロンの反応特性から説明しようという努力の現状である。 先に、「マッハの原理」は、きわめて正しいし、深遠なのだが、あまりにもラジカルなので、実際に役に立つ法則を産みだせなかったと述べた。インパクトのある理論をつくるためには、アインシュタインが行ったような、妥協と中庸の道をいくしかなかった。 「認識におけるマッハの原理」についても、同じことがいえる。この原理は、あまりにも正しく、そしてあまりにも深遠だ。だが、そのままでは、あまりにもラジカルで、何の役にも立たない。欠陥だらけと知りながら、「反応選択性」の概念を使い続けざるを得ないのだ。 本当に難しいステップ、それは、アインシュタインがやったように、「認識におけるマッハの原理」から、何らかの妥協を経て、インパクトのある理論を作ることだ。今、認識の理論は、一人のアインシュタインを必要としているのである。 茂木健一郎 『脳とクオリア』 第2章11節 認識におけるマッハの原理と反応選択性との関係 より ____________
作者: kenmogi
更新日:2008年12月31日 23時13分
Itching.
Itching. The qualia journal. 31st December 2008 http://qualiajournal.blogspot.com/
作者: kenmogi
更新日:2008年12月31日 1時37分
バブル賛歌
茂木健一郎 偶有性の自然誌 第5回
「バブル賛歌」
考える人 2009年冬号
2008年12月29日発売
http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/mokuji.html

一部抜粋
真理はしばしば「反時代」的なものである。同時代の文脈において価値がないものと思われているものの中に、私たちの生命を育むかけがえのない作用が含まれていたりもする。
一身限りの私秘的なバブルが多くの場合生命に良き作用を持つことは論を待たない。何も、晩年まで恋と創作における衝動の間を行き来したかのゲーテのようにせよ、というのではない。どんなに小さなことでも良い。いつかはそれが衰え、破綻することを畏れずに、泡沫的感情の中にこそ身を浸すべきなのだ。今日は一体どのようなバブルに遭遇できるか。そのことを楽しみに、その甘美な予感に戦きつつ生きよ!
一方、マクロな経済におけるバブルはできれば避けるべきものと見なされ、その発生は政策上の失敗に帰着させられることが多いが、本当にそうなのか。真理愛好者は疑わなければならない。人間の脳が大小さまざまなバブルによって学習を進めていくように、人類社会もまた、バブルの痛みを通して学んでいくのではないか?
小さなひらめきまで入れれば、人間の生涯にあるバブルの数は何万の単位となるだろう。それに比べて、人類が経験したバブルの発生と破綻の、まだなんと数の少ないことか。チューリップ・バブル、南海泡沫事件、ミシシッピ計画事件。私たちの祖先は、これらの歴史的バブルを通して、必ず何かを学んだはずだ。日本におけるバブル経済の崩壊には、何某かの教訓が無かったか? 私たちは、賢さによってバブルを避けるのではなく、むしろもっと巧みにバブルを経験するように文明を進化させなければならないのかもしれない。チューリップ・バブルによって、当時の人々が花の愛らしさを学んだように、インターネット・バブルによって、私たちが新しいメディアの可能性に目覚めたように、バブルの中に巧みに身を浸して、微笑みつつ進んでいくことが、人類の文明の次なる課題なのかもしれない。
偶有性の海を航行しながら、あえて「バブル賛歌」を口ずさむ。人類の文明は、バブルの一波二波を乗りこえるほどには、まだまだ若いはずだ。
全文は「考える人」でお読みください。
作者: kenmogi
更新日:2008年12月31日 0時56分
『クオリア立国論』
魂のひりひり
大学院の修士課程の時、私はある人に しきりにこぼしていた。 「どうして世界は個別化されているんですかねえ。」 その人は、「さあ」と笑って答えなかった。 「それぞれの人が、独立した心を持っていて、 容易に他人のことは与り知れない。このような 状況は、なんとかならないものなのでしょうか?」 「なんともならないでしょうねえ。」 とその人は言った。 ちょうど、根津の交差点を歩いている 頃だったのではないかと思う。 なぜいまだにそんな会話を覚えているのか というと、自分でも魂がひりひりと するのを感じていたからであろう。 他者問題はきわめてやっかいで、普遍的である。 今でも、自他の間の障壁がなくなった わけではないし、その絶望が解けたわけでも ない。 ただ、人間というものは、親しい人ができたり、 友人があったりするととりあえずはそれで 紛れてしまうものだから、 魂のひりひりが一時的に解消するのでああろう。 それでも、 根源的な問いとしての他者問題が消えて しまうわけではない。 時折、マグマのように吹き出す。 「心の理論」をめぐる議論において、 自閉症の子どもはそれができないが、 (いわゆる)健常者にはそれができる などという通常の論旨がある。 ふだんは大人しくしているが、何か事があると 「そんなもん、健常者にだって他者問題は わかるはずないだろう。わかったことにして、 それ以上の判断を停止しているだけだろう!」 と時折ちゃぶ台返しをしたくなるのは、実に、 青春の根津交差点のせいであろう。 『欲望する脳』の冒頭の方に書いた、 高校の時の宮野勉との会話からの流れは 本当のことである。 __________ ティーンエージャーの頃、私は孔子よりも老子の方が好きだった。高校のクラスメートで、「論語」を愛読している宮野勉という男がいて、老荘思想にかぶれていた私と何時も議論になった。私が、孔子は世俗を説くだけじゃないかと言うと、宮野は、老子は浮世離れしていて役に立たないと言い返す。「世間知」と「無為自然」の間はなかなか埋まらない。妥協の仕方が見つからないままに、時は流れ、宮野は弁護士に、私は科学者になった。やはり三つ子の魂百までか、というと、人間はそんなに単純でもない。 私は、孔子が次第に好きになってきたのである。社会に出て人間(じんかん)に交わるようになって、「論語」の持つ思想的深みが味わえるようになってきた。しかも、単なる処世知として評価するというのではない。「私」という人間の存在の根幹に関わるような根本的なことをこの人は言っている、と孔子を見直すようになった。人間を離れて、世界の成り立ちについて考える上でも、孔子の言っていることを避けて通ることができないと思い定めるようになってきた。逆に宮野は、孔子の知は、時に余りにも実践的過ぎて鼻につくこともあると近頃漏らすようになった。人生というのは面白い。正反対から出発して、いつの間にか近づいて行く。やはり、中庸にこそ真実があるのだろう。 そうは言っても、忙しさに取り紛れて「論語」を真面目に読み返すこともできないでいた。ただ、「論語」のことが、半ば無意識のうちにずっと気になっていた。ある時、私は地下鉄のホームに立って、ぼんやりと現代のことを考えていた。人間が自らの欲望を肯定し、解放することで発展してきたのが現代文明である。自らの欲望を否定し、押さえつけることほど、現代人にとって苦手なことはない。現代人の脳は、欲望する脳である。昨今の世界情勢の混乱も、現代人の野放図な欲望の解放と無縁ではあるまい。そんなことを考えながら電車を待っていた。 突然、何の脈絡もなく、論語の「七十而従心所欲、不踰矩」という有名な言葉が心の中に浮かんだ。私は雷に打たれたような気がした。この「七十従心」と呼ばれる文の中で、孔子は、とてつもなく難しく、そして大切なことを言っていることがその瞬間に確信されたように感じたのである。 茂木健一郎 『欲望する脳』より ___________ 大人にはなったが、それでも、時折 老荘のことを考えるのは、 魂のひりひりが未だに消えてはいないから であろう。 荘子与恵子游於濠梁之上。 荘子曰「魚出游従容、是魚之楽也。」 恵子曰「子非魚、知魚之楽。」 荘子曰「子非我、安知我不知魚之楽。」 恵子曰「我非子、固不知子矣。子固非魚也。子之不知魚之楽全矣。」 荘子曰「請循其本。子曰女安知魚楽云者、既已知吾知之而問我。我知之濠上也。」 (『荘子』秋水篇) 人間に魚の楽しみはわからない。 しかし、わからないと決めつけることもまた、 相手に対して何らかの予断を持っているという ことである。 要するにこの世のことはどうにもならぬ。 ただあるようにあるだけである。 しかし、鋭利な刃のような問いを、 人は時には胸の中に喚起してみねばならぬ。 そうでなければ、この世を生きていくその リズムが単調になってしまう。 時には、「世界はなぜ個別化されているのか」 と問い詰めていた根津交差点に戻って みたいと思う。 魂のひりひりの包み紙をそっとはがしてみる。 そこには変わらぬ自分がいるはずだ。
作者: kenmogi
更新日:2008年12月30日 19時25分
スケルツォの部分の飛躍
激烈なるものを持っている人
の果実は、
時に大胆な行動をとるという
ことだろう。
白洲信哉を見ていると、
乱暴者だなと思うことがある。
乱暴者だが、愛がある。
人間、おとなしくしていれば良いという
ものではない。
用があって、鎌倉で白洲信哉と会った。
いっしょに、小林秀雄さんの
お墓参りをした。

白洲信哉氏
辻堂のうな平で、うなぎを食べた。
信哉を見ていると、やはり乱暴ものだ
なと思う。
しかし、その乱暴さが、たとえば
ベートーベンの第五シンフォニーの
第三楽章、スケルツォの部分の飛躍の
ような、魂の芯に入ってくる心地よさを
持っているのだ。
白洲信哉という男の軌跡と、
私の軌跡が、この広い世界の中で
「衝突」した。
不思議な運命のめぐり合わせである。
________
三四郎の人生の軌跡と、美禰子のそれが「衝突」するこの場面にこそ、『三四郎』という作品を成り立たせているものの全てがある。恐竜たちを絶滅させた小惑星が、地球に衝突しなかった可能性もあるように、三四郎が美禰子とわざわざ出会わなくても、実は良かったはずである。しかし二人は衝突した。それで全てが変わった。感情の海がさざ波立ち、気持の中に埃が舞い、三四郎の人生の軌道は、取り返しのつかない変更を受けたのである。
思うに、人と人とが衝突するとは、何と奇跡的なことだろう。そこには、広大な世界、個別化された体験、異性との結合のうちに次世代を生み出すことを運命付けられている生物の有り様など、人間を巡る様々な状況が合流して行く。私たちは偶然におこる衝突の内に託された福音に、もっと自覚的になった方が良い。それが、時にそれがどれだけ破壊的なものであるとしても。
日本列島の上に固定された仮想の視点から、三四郎と美禰子を表す点の動きを見てみよう。三四郎を表す点は、ずっと熊本で動いている。美禰子のそれは、東京をさまよっている。そのままでは、二つの点はとても接近しようがない。
やがて、三四郎の点が、日本列島を東に向かって移動し始めるのが観察される。移動の途中で、様々な点と衝突する。衝突した相手は、名古屋の旅館で同宿した女や、プラットフォームの「美しい」外国人のカップルや、それと知らずに出会った広田先生などである。これらの衝突も、三四郎の内部にそれなりの波紋を引き起こすが、熊本に置いてきた旧世界を絶滅させるまでには至らない。
やがて、三四郎は大学に着く。午後四時頃、弥生門から理科大学に野々宮君を訪ねる。小使が、「おいででやす。おはいんなさい」と言う。三四郎は、野々宮君に、光線の圧力の実験を見せてもらう。三四郎は、「光線にどんな圧力があって、その圧力がどんな役に立つんだか、まったく要領を得るに苦」しむ。言われるままに、望遠鏡を覗く。度盛りが動くのを見る。「丁寧に礼を述べて穴倉を上がって」外に出ると、まだ日はかんかんとしている。三四郎は、池のはたにしゃがむ。そこで、名古屋で同宿し、「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」と言われた女のことを思い出し、赤面する。ふと目を上げたところで、右に引用したように、美禰子に出会う。
この時、三四郎は、活動の激しい東京の現実にとまどっていたのである。その中で、名古屋で同宿した女もそのサンプルであるところの、女性的なるものを心理的に必要としていたのである。その意味では、美禰子との出会いは、三四郎の心理によって予め準備されていたとも言える。あたかも、三四郎の無意識の願望が美禰子という現象を出現させたかのようである。少なくとも三四郎の内面のドラマトゥルギー、文学のプロットに即して考えれば、そうなのだろう。
しかし、現実の世界は、三四郎の内面のドラマなどを顧慮してくれはしないはずだ。日本列島の上に固定された仮想された神の視点から見れば、上京し、理科大学の辺りをふらついていた三四郎が、美禰子というもう一つの「天体」に出会ったのは、全くの偶然に過ぎない。二人が出会ったのを必然と呼ぶならば、出会わなかった可能世界もまた同じ権利を持って必然であったはずである。現実世界の軌跡と、可能世界の軌跡は、同じくらい神に愛されている。どちらが起きなければならないという理由はどこにもない。野々宮君がもう少し三四郎を引き留めておけば、衝突は起きなかった。美禰子が、病院に見舞いに来なければ、三四郎が見上げた時、そこにあるのは丘と、池と、高い崖の木立で、はでな赤煉瓦のゴシック風の建築だけだったろう。迷い羊(ストレイ・シープ)は生まれなかったかもしれないのである。
しかし、実際には三四郎は美禰子に出会ってしまったのであり、衝突は波紋を拡げてしまったのである。『三四郎』は、全体としてこのファースト・インパクトの余波を追った作品であると言っても良い。三四郎の人生という惑星に落ちた超弩級の小惑星がもたらした波紋を、漱石は丹念に追ったのである。
茂木健一郎 「衝突の中の文学」より。
『脳のなかの文学』
(文春新書)所収
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4167758016.html

____________
作者: kenmogi
更新日:2008年12月29日 21時35分
激烈なるもの
桑原茂一Diaryに、先日の私の愚行に
ついて書かれている。
うーん。思いだしてもヤッチマッタ感が
募る。シャワーを浴びている時など、思わず
うゎつ! と叫んでしまいそうだ。
私の大切な友人たちには、一人として
例外ない特徴があると気付いた。
それは、魂の芯に、激烈なるものを
持っていること。
桑原茂一さんも、そのような人である。
あと、名前をあえて挙げないが、
ぼくの親友のキミタチ、胸に手を
当てればそこにいまにも爆発しそうな
なにものかがあるということを、首肯
するであろう。
田森佳秀にせよ、数学のことしか
考えていないようで見えて社会的なことを
含め頑固一徹者だし。
以前、授業を一度だけ聞いたことが
ある。その時、田森は、あるシステム管理者が
ユーザーの一人がメールを不適切な使い方を
したからといって、全アドレスを使用停止に
したことに対して激怒していた。
「いいですかみなさん、メールアドレスは、
住所のようなものなんですよ。石川県松任市
から、誰かが郵便でヘンな手紙を送ったから
と言って、「石川県松任市」という住所を
使用停止にしますか? こういうことを
やるアドミンはバカなんですからね。そのことを
絶対に忘れないでください!」
激烈なるもの。
先日、ワシントンのSfNで
聞いた話だけれども、
MIT(マサチューセッツ工科大学)では、
今でも、スタッフ全員がIPアドレスを
割り当てられて、それを使って何を
しても全く自由なのだそうだ。
ここにも、激烈なる精神の表れを
感じる。
新報道2001。
食糧問題を扱う。ピラルクの稚魚が
水槽を泳いでいた。
放送終了後、西田恒久さん、渡辺奈都子さん
から、「茂木さん、水槽ばかり見ていましたね」
と言われた。
須田哲夫さんの気配りと、黒岩祐治さんの気合い。
吉田恵さんの可憐。
アスキーの松下幸子さんと、東京ドーム
ホテルへ。
「笑い」についての取材。
和田京子さんが聞き手。
桑嶋維さんが撮影。
スタイリストは山岸恵さん。
タキシードを着る。
「全日本仮装大賞」の収録。
萩本欽一さん、香取慎吾さん。
片岡鶴太郎さん、太田雄貴さん、小倉優子さん、
エド・はるみさん。
太田雄貴さんに銀メダルを見せていただいた。
ずっしりと重い。
そして、美しい。

太田雄貴さんと。
終了後、萩本欽一さんとお話する。
チーフ・プロデューサーの古野千秋
さんが言われるように、ほとんど生放送の
体制で収録を進めるスタッフと参加者の
熱意に頭が下がる。
古野さんはドイツのワグナー協会の会員であり、
二年に一回はバイロイトに行っているとのこと。
うらやましい。
このところ、クオリアと偶有性の
論理的な結びつきについてずっと
考えている。
激烈なるものを抱えたまま、年の瀬を
迎える。
____________
ある時期から、私は、現代の文化はスカばっかりだ、と至るところで公言していた。
ベストセラーにろくなものがないことはもちろん、批評家がほめるような文芸作品だって、後世に残る傑作だと胸を張れるのはごくわずかではないか。
まともな美意識を持った人間にとって、「スカ」ばかりがのさばり、マスコミで喧伝される現代は、ちょうど空気が薄くなって段々呼吸が苦しくなって行くような、そんな生きにくさに満ちていやしないか。
そんな気炎を吐いていた私に、ある日、東京芸術大学の油絵科の学生で、杉原信幸という男から「挑戦状」が来た。横浜で展覧会をやる。パフォーマンスをやる。つきましては、スカではないものをお見せするから是非ご足労願いたい、というのである。
杉原は、「札付き」の男だった。美術家の川俣正さんと私が芸大の食堂でやったトーク・セッションに乱入して、川俣の最近の作品は気に入らない、と暴言を吐いて会場がメチャクチャになったことがある。小石川植物園で行われた展覧会のインスタレーションも、仲間たちと喧嘩をして一日で撤収してしまったと聞く。そのアブナイ男が一体どんなパフォーマンスをやるのか、ひょっとしたら勢いだけの作品なのではないか。あまり期待しないで横浜に出かけた。
会場は、昔の銀行の建物をそのまま利用していて、広々とした吹き抜けの空間に、金庫の分厚い扉と巨大なハンドルが残されていた。
最初の出し物は、いかにも今風の若者が、やぐらの上に、ビニル・シートを張り、ペインティングするというものだった。「皆さんご存じの、生きているということ自体が奇跡のような」アーティストだと紹介された。ビニル・シートの上に、赤、青、黄色、緑、などの様々な色が描き付けられていった。やぐらを囲んだ学生中心の若い観客は、その様子を好意的に見守っている。見る、見られるという関係における、あらかじめそうと決められたような甘い弛緩があった。あらかじめ張り巡らされた文脈があった。
私はその出来試合の雰囲気に何だかうんざりして、精神のバランスを崩しそうになっているのが自分でもわかった。「くだらねえなあ」と叫びそうになったが、何とか自分の中の衝動を抑えつけた。
その次に、杉原の番になった。突然、吹き抜けの二階から、「うぉーっ! うぉーっ!」と叫び声がして、白と黒の檄文がパラパラと舞い降りて来た。観客が走り寄って、一体何だろうと拾い上げた。
一呼吸置いて、あらぬ方向から杉原がかけだしてきた。杉原は全裸で、腰に黒いテープを巻き付けているだけだった。吹き抜けに垂れ下がっていた、白地に黒の斑の巨大な布を引きずり下ろすと、それにくるまれて床の上で悶絶した。立ち上がると、布を腰の周りに黒テープで巻き付けて、スカートのようにした。それから、その10メートルはあろうという巨大なスカートを引きずって、会場の中を走り始めた。
スカートの布が、会場の片隅に置いてあった屏風絵を巻き込んで、引き倒した。屏風絵は、そのままスカートに巻き込まれてずるずると床の上を引きずられていった。観客たちが、どっと逃げまどった。
杉原は、入り口の上の踊り場に上がり、座り込んだ。長いスカートを垂らしたその姿は、草書体のシャチホコのようだった。そのシャチホコ姿で、うぉーっ! うぉーっ!と叫んだ。しばらくそうして坐っていたが、突然くるりと下に降りると、だっと夜の街に出ていってしまった。
がやがやと後を追った観客たちに続いて、私も馬車道に出た。杉原は、交差点の歩道の角に坐り、長いスカートを扇のように歩道に広げ、眩いランプを点けて道を行き交う車に向かって、うぉーっ! うぉーっ! と叫び続けていた。杉原の黒い裸体が流れる光の川に挑むようなシルエットを見せ、通行人が何だろう、と立ち止まった。タクシーが、一台、杉原の近くに停まって、ハザードランプを点滅させた。
このままでは警察が来るかもしれない、と思った頃、杉原は突然スカートを脱ぎ捨てると、全裸の腰に黒テープを巻き付けただけの姿で、馬車道とは直角の方向に振り返る素振りも見せずに疾走していった。
杉原がその中に消えていった闇を見つめながら、私は久しぶりの興奮を味わっていた。檄文をまき散らした発端から、夜の街への疾走という結末まで、流れに淀みがなく、無駄がなかった。視覚的な効果も、よく考えられていた。スカートを引きずって巻き込んだ屏風絵は自分自身の作品であり、他の人の作品には触れていない点も良かった。
疾走原始人のパフォーマンス、良かったぞ!
杉原が戻ってきてからそう声をかけてやろうと思ってしばらく待っていたが、何となく会場にいる人々の様子に違和感を感じて、そのまますたすたと馬車道を歩いて帰ってしまった。
はっと気が付いたのは帰りの電車の中である。確かに、杉原のパフォーマンスは良かった。しかし、いかにも現代的だと感じられたのは、「薄っぺら」に見えた杉原の前のペインティングの方だった。JJの表紙に出てきそうな服を着た女の子が、矢倉の上の絵を見上げて「これ、好き」と言っていた。「○○クンは、アトリエで、これからも今までのように制作を続けるそうです」、と司会者が言い、その○○クンをTVスターのように皆が見た。そのような、いかにも現代風のオーラに包まれていたのは、私が「スカ」だと感じたペインティング・パフォーマンスの方で、杉原のパフォーマンスは、むしろ、古典的なもののように思われた。
別の言い方をすれば、杉原の疾走原始人は、スカのペインティングに比べると、「古くさい」ものにも見えたのである。現代の状況の中で、人気が出るのは杉原ではなくて、スカのペインターの方ではないか。杉原は大学を卒業した後、クリエーターとしてきっと苦労するだろう。一方、ペインティングをやった若者は、案外すいすいと社会を泳いで行くのではないか。これはどういうことだろうかと、私は考え込んでしまった。
表現者は、誰でも同時代的であろうとする。時代精神の先端にいたいと願う。しかし、現代という時代に誠実に寄り添おうとすればするほど、古典的な精神から見れば「スカ」な作風を必然化されるということがあったとしたら、どうだろうか。

茂木健一郎 「スカ」の現代を抱きしめて。
『脳のなかの文学』
(文春新書)所収
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4167758016.html

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作者: kenmogi
更新日:2008年12月29日 2時39分



