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トップ > 野村證券 > 野村證券 - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2009年1月8日 11時)

CHINA13億のお客様(下) 福島香織

■一国の外資系企業がサーっとひくだけで、街の空気が変わるくらい影響がでる。中国経済、北京の経済がいかに外資に依存しているかがこういうところでも実感できる。

■あとびっくりするくらい観光客が少ない。統計局によれば昨年11月の段階で前年同月比22%減だそうだが、見た目も、五輪で街が観光客向けに整備され、立派なホテルもたくさん建てられたが、外国人観光客でにぎわっている様子はなかった。

たまたまソウルから帰ってきた友人とあったが、ソウルはウォン安に乗じてブランドものを買いあさりにいく日本人観光客でごった返していて、不況なのに観光産業だけは盛況にみえた、と聞いたのと対照的。

五輪直後のこの時期、観光客がよびこめない北京の観光サービス産業の未熟さをいまさらながらに実感した。ついでにいうと、せっかく五輪まえには清浄になっていた空気は、周辺の工場の再会でふたたび汚れていた。

■北京の中心部では実感できなかったが、広東省に出張にいったばかりの知人によれば、工場や警察や役所の前で、生活苦と社会不満を訴える群衆が騒ぎを起こすのをしばしばみかけたという。工場のあいつぐ倒産で、すさんだ表情の失業者が町中に増えているとも。
■失業率について、最近公表された中国社会科学院の統計では都市部の失業者は9・4%にまで上昇(統計局発表の登録失業率は昨年第3四半期で4・0%)。今年の大卒者610万人の4人に1人が就職できないとの試算もある。

農民でありながら都市部に出稼ぎに働いている「農民工」は全国で2・3億人いて、うち1・3億人が生まれ故郷を離れて省外にでているが、彼らが都会で職を失って故郷に帰っても、彼らを養えるだけの農地はもはやない。

今年2月から、冷蔵庫や洗濯機など4品目を一挙に買う農民には価格の13%の補助を出すという家電製品消費促進政策も実施されるそうだが、農村が余剰労働力が食うにも困る状況であれば、この政策もどれほど効果があるのか。

■もうひとつの懸念は、4兆元の内需拡大政策が、汚職促進政策になりかねない、という点だ。この4兆元のうち1・18兆元が中央財政から出ることになっており、残りは主に地方、民間企業がまかなうことになるのだが、地方にとっては、足下の財政赤字と幹部個人の中央進出・出世にむけた評価・政績競争の狭間にあって、汚職がきわめて発生しやすい状況となる。

■たとえば、中央が公共事業やれ、と大号令をかけると、出世意欲まんまんの地方トップは、がんがん公共事業をやろうとする。しかし政績はその公共事業の質ではなく数が競われたりする。もともと地方政府は財政に余裕がないのだから、上から出される事業費はケチられるのに、数は多くこなさなきゃならない、ということで手抜き工事が連発する。

少ない金も、その手抜き工事を隠蔽するための賄賂に使われたりして、ますますひどいシロモノが地方にニョキニョキ建造されたりするわけだ。これまでも地方に限らず多々発生してきた中国では当たり前の風景である。これでは瞬間風速的に工事作業員の雇用が増えるなどの効果はあったとしても、不毛の道路や使えない飛行場が乱立して経済効果が見込めないどころか、事故など大惨事を招く場合もある。

■もうひとつが、社会保障や教育、医療環境の整備の遅れから、中国人の消費者マインドが盛り上がりにくいという懸念。統計をとったわけではないが、中国人の友達に片っ端からインタビューしてみよう。食費や住居費など最低限の生活費を支払ったあと、お金があまったら何に使う?と。

おそらく10人にきけば5人は教育とこたえ3人くらいは貯金と答えるだろう。あるいは将来の子供の教育に使うために貯金、とか。この傾向は農村にいくほど強いはずだ。農民という被差別階級から脱するその唯一ともいえる方法が子供を大学に入れることで、このための農村家庭は食費を削ってでも教育費を捻出しようとする。

だから、多少収入がアップしても、家電をかったり車をかったりはせず、子供の将来のための貯蓄にまわす。一昨年、株価が異常に高騰して上海総合指数で6000代までいったが、あれは上場企業の業績がアップしたからではなく、個人投資家(一般庶民)が株というものをわかっておらず、銀行より利子のいい貯金ぐらいの気持ちで全財産をつぎ込んでいたからだ。

そのけっか株バブルははじめて、昨年一年で65.4%下落し、庶民の金は、インサイダー情報でまんまんと株を売り逃げできた汚職役人や党幹部の子弟に吸い取られてしまった。

■株に逃げていた庶民の金は今、銀行預金に回帰してきて、銀行預金総額は46兆6810億元もあるそうだが、いくら金利をさげても、この銀行の金がうまく企業の設備投資にまわったり、消費者がローンを借りて大きな買い物をするというふうにはなかなかならない。

先行投資をしたりローンを組む心理というのは、明日の給料が、あるいは売り上げがきょうよりも1円でも高くなるという、そういう期待があって初めておきる。明日がきょうより悪くなる、そういうとき人は、子供の将来のため、老後のため、あるいは国外脱出のときのために貯金するのである。日本人も一緒だが。

■日本のバブルの経験に習おうとする中国は、赤字国債発行を拡大して資金調達する考えも示している。中国財政省は「コントロール出来る範囲」というし、中国の国債はAポジティブの格付けだから、それもいいのだろう。

日本もそうだけど、どーせすぐにかえせない借金なら、少々借金額がふえても、きょうを豊かにくらせればいいのである、と考えるのが人情。そういって、返せないとしりつつ借金して消費する経済が今、米国で崩壊しつつあるのだけれど。

■結局、CHINA13億は世界経済を救う、お客様になりうるのか。それは来年、あるいは今後数年の中国経済・社会の流れをみないことにはなんともわからない。しかし、中国が米国にかわるお客様になってくれないことには、世界不況からの脱出の絵がかきにくい。
その一方で、もし期待どおり中国を世界最大の消費者に育てあげられたら、そして、今の政治体制、つまり軍事独裁政権の性質を維持したままでのままであれば、それもちょっと、そら恐ろしい。

■なぜなら、お客様は神様、だから。金は使うヤツが偉いのだ。消費者が一番多い国の通過が基軸通貨となり、経済をリードする。世界中の商売人はお客様のご機嫌をうかがい、つねにお客様のご要望にこたえなければならないのが宿命。中国人が世界のお客様になった暁は、米国以上に横暴で旺盛なモンスター・カスタマーとして君臨する、かもというのは想像がすぎるというものだろうか。

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作者:古沢 襄

更新日:2009年1月9日 6時58分

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CHINA13億のお客様(上) 福島香織

■カール・クロウの名著「支那四億のお客様」のもじりで「支那13億のお客様」というタイトルにしようと思ったのだけれど、支那と使えば差別用語だといわれかねないので、CHINAとあてた。これ、ポルトガル風発音だとシナとよめるよね。支那という言葉は、歴史的経緯から差別語的な位置におとしめられたが、もともとは清(チン)とか秦(チン)とか中国の王朝の音がフランスやポルトガル風に読まれた言葉に漢字が当てはめられただけの普通の言葉ではなかったっけ。

■ちなみに、カール・クロウは、1911年に上海にいき、25年間滞在した、西洋式広告代理店の草分け的存在で、中国で石けんから自動車まで宣伝しまくり、ジャーナリストとしても活躍し、第一次大戦中、日本の対華21箇条要求をスクープしたのも彼である。彼の見た当時の中国を描いた名著「支那四億のお客様(400 Million Customers)」は数年前に、連合出版から復刻版(初版は1937年)が出ているのではず。とっても面白いので、良かったら書店で探してみて。

■なんで、こんなタイトルをつけたのかというと、今、世界が不況を脱する方法として一番期待しているのがCHINA13億のお客様であろう、という話を書こうとしているからだ。しかし、今回、3泊4日の短い北京訪問中におもったのは、果たしてCHINAに13億のお客様(消費者)は存在しうるのだろうか、ということだった。

■世界不況脱出の鍵はCHINA13億のお客様
その内訳は、債務者と貪官、そして世界最強のモンスターカスタマー?

■すごく荒っぽい福島流の理解でいえば、いままでの世界経済は、米国3億人のお客様が支えていた。日本のトヨタの高級車レクサスなんて75%が北米で売れていたし、中国甘粛省産の上質のリンゴは大方が米国人がジュースとして飲み干していた。

米国は米国債とかがんがん発行して、海外から金をかき集めて、それを米国人消費者に貸し付けて、米国人消費者は借りた金で世界からがんがん買い物をし、外国は米国人消費者が支払った代金をためて、また米国債を買う。

そういう風にドルがぐるぐるまわって成り立っていた世界経済なのだが、3億人のお客様の借金が日に日にかさばって、気が付けば、もう絶対返せない破産状況に追いつめられていたのである。

■米国経済の破綻は、つまり消費者がもうモノが買えなくなった、ということだ。たとえ米国経済がある程度持ち直しても、これからは米国人も身の丈にあった消費で質素に慎ましく生きていくしかない。

■ならば、世界の商売人たちは新しいお客さま、金払いのいい新規の顧客を開拓せねばならない。いったいお客様はどこにいる、と見回して、あの5年にわたる奇蹟の二ケタ高度成長をとげた13億人人口のCHINAがあるじゃないか、とみな思うわけである。

■で、日本はどうしたか、というと、一応、ドル基軸を維持する
立場を表明し、その証にドル一極経済の象徴たるIMFの基盤を強化するために1000億ドルの融資を約束し、中国にもドル基軸体制に協力するように説得して言質をとる一方で、アジアのトップ3たる日中韓だけで福岡で集まって、通貨スワップ規模の拡大で合意しするなど、欧米に、俺たち結構仲いいんだぜと、ほのめかせるようにアジアの連帯をアピール。

このサミットで本当に日中韓に深い共通認識や信頼が醸成されたのかは知らないが、少なくともパフォーマンスとしては合格点をさしあげたい。かりにオバマ政権が厳しい緊縮財政と保護貿易政策をとったときの対応まで想定した話し合いが行われたとすれば、定額給付金など内政ではいろいろミソを付けられている麻生さんも、外交はなかなかうまくたちまわっていると見直すかもしれない。

■胡錦涛さんや温家宝さんの麻生さんへの応対(たとえばASEMの会談後、胡錦涛さんが麻生さんの話をメモとりながら一生懸命きいたとか、胡錦涛さん麻生さんを玄関まで送ったなどの逸話)をきくにつけ、日中関係は、安倍、福田政権と比べても数段良くなっていると感じている。もっともこれは中国側の事情、計算も手伝ってのことだろう。

■また日本はODAを増額する方針を決めている。ODA対象は中国でも他のアジアや南米でもいいのだが、ようするに新規顧客開拓に使いたい、ということだろう。建前は貧しい人を救うのだ!という人道的な目的でいいのだが、日本のモノを買ってくれる消費者を開拓するための政府開発援助であると思えば、このご時世で、中国が対象であっても文句を言う人も少ないだろう。

少なくとも中国では、日本がODA増額に方針を転換したというニュースがある種の期待をもって報じられている。

■ただし、ここで問題なのは、中国人は本当に真のお客様になれるのか、と言う点である。

■中国が4兆元規模の内需拡大政策を昨年打ち出したことは当ブログでも取り上げた。ふつうこの規模の政策を打てば間違いなく効果がある、はずである。しかし、一部では中国では期待されたほどの効果はない、と懸念する声がある。

■その一つの背景に、内需拡大効果が出る前に、中国が経済失速し、新規雇用の創出に必要な経済成長8%が維持できず、失業者増による社会不安、カントリーリスクが高まって、さらに海外からの投資が撤退し、さらに経済が落ち込むという負のスパイラルに陥る、という懸念がある。

その結果、8000万から1億人は形成されているといわれていた中国の中産階級が消えてしまうかもしれない。年収6万元以上の中産階級は、不動産や株で儲けているか外資系企業に勤めているケースが多いが、不動産と株はすでにバブルがはじけたし、これにくわえて外資が引き上げはじめると、これは冗談ではなくなる。

■今回、年始年末に北京を訪れて驚いたのは、韓国人居住区の望京で閑古鳥が鳴いていたということである。北京・望京といえば有名な韓国人街で、マンションに入居している人も韓国人なら近くのレストラン経営者も韓国人。

スーパーも韓国物産であふれ、普通に韓国語が飛び交っている地域。しかし、ある当地の不動産業者によると12月だけで3割の韓国人がマンションを退去。(5割という話もきいた)。スーパーやレストランを訪れる韓国人客は8割方減ったとも。

理由は韓国経済悪化で、韓国系進出企業が軒並み撤退したため、在留韓国人の多くも帰国したからだ。で、ある友人からこういわれた。「韓国人は来るのも素早いが、ダメとみたら、債務も放り出して素早く逃げる。日本人は来るときはぐずぐずしているが、いったんくると長くのこってくれる」。

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作者:古沢 襄

更新日:2009年1月9日 6時56分

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多神教国のありがたさ 平井修一

散歩をしていたら女性から声をかけられた。とりつかれたような目つきをしているのでエホバの証人(物見の塔)かなと思ったが、冨士大石寺顕正会(ふじたいせきじけんしょうかい)だと言う。

「ああ、創価学会と敵対しているところね」

「そうなんです、創価学会とか天変地災で日本は大変なことになってしまいます、ぜひこれを読んでください」

手渡されたのが淺井昭衞著『日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ』。正月早々ジジイ相手に宗教勧誘とは実にご苦労様である。

一気呵成に読んだが、一種の妄想である。「法華経を唯一の教義とする日蓮正宗を国教化し、邪宗を排除し、日蓮正宗に帰依しなければ日本は滅ぶ」のであり、気候変動、大地震、中国による侵略が迫っていると危機感をあおっている。

サンスクリット語の法華経の日本語訳を読んだことがあるが、そんなことは書いてなくて、「煩悩から解脱することが幸福になる道」と説いていたと記憶する。

ところで冨士大石寺顕正会(宗教法人顕正会)とはなにか。公安調査庁「内外情勢の回顧と展望(平成18年1月)にはこうある。

<特異集団は,社会通念とかけ離れた主義・主張を掲げ,平成17年中も,これに基づいた特異な活動を展開した・・・

10年以内に300万人会員の達成を目標とする集団が,相次ぐ自然災害をとらえて「巨大地震・異常気象は大闘争の前兆」などと恐怖心をあおり,「男子精鋭十万の結集で亡国日本を救わん」と訴えて布教を呼び掛けたほか,大学生などの若年層を対象として,執拗な勧誘を展開し,監禁容疑で逮捕され関連施設などが家宅捜索される事件(7月)を引き起こすなど,社会との軋れきを顕在化させる動きもみられた>

この集団とは顕正会のことだろう。顕正会は日蓮正宗総本山大石寺から破門されているのだが(1974年)、その当時は大石寺と創価学会の蜜月時代であり、創価学会の策謀で自分たちが破門されたとして創価学会を嫌っている。

創価学会も1991年には破門されたが、顕正会を「日蓮正宗原理主義」と嫌っているから創価学会は世俗主義ということか。

原理主義VS世俗主義、日蓮宗VS日蓮正宗、スンニ派VSシーア派・・・きりがない対立の無間地獄。日本は神様が仲良しの八百万の神の国、多神教のありがたさで、多くの日本人は宗教対立と無縁である。世界にほこるべき美質だろう。

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作者:古沢 襄

更新日:2009年1月8日 13時27分

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男の道は、金も名誉も他人のこと 加瀬英明

月刊誌『自由』が創刊五十周年の本年二月号で、廃刊となった。私は三十年も前のことになるが、竹山道雄先生のあとを継いで同誌の編集委員会代表を、その後つとめてきた。一つの闘いが終わって、感無量である。最終号の私のコラムを、次のように認めた。

石原萠記先生がこれまで五十年にわたって本誌『自由』を刊行されることによって、混迷が深かった半世紀を通して、正しい言論の炬(たいまつ)を高く掲げられてきたのは、まさに護国の大業そのものだった。

先生が主宰される『情報化社会を考える会』の忘年会で、河上民雄先生が挨拶されて、「五十年の歴史を持つ雑誌は珍しくないが、一人の編集者が五十年にもわたって、雑誌を発行してきた例は知らない」と称えられたが、あらためて五十年という時間の重さについて考えさせられた。

仮に先の敗戦の昭和二十年から五十年を遡れば、明治二十八年になる。この年に日清戦争が終わって、下関で日清講和条約が結ばれた。

私は新宿歌舞伎町の酒肆に、先生のお供をしばしばした。先生はそういう時に、青春時代の歌を吟じられた。先生は『歌謡の変遷にみる天皇制度の変化――明治維新から昭和の終焉まで』(自由社)という労作を、平成十九年に著さられている。

名著である。ページを捲ってゆくと、慶應三年から昭和と呼ばれたあの時代が幕を閉じるまで、一世紀以上にわたる時代精神(ツアイストガイスト)がこもる多くの歌が載っていて、先生の美声が響いてくる。

先生は少年期を二・二六事件を起した、歩兵一聯隊の営舎のわきの、新竜士町で過された。二・二六事件について、「妙に生々しく、心に刻みこまれてそのなかを反乱軍に加わった顔見しりの兵隊さんが『帰順』して、聯隊にかえるトラック上で、ニッコリ笑った。清々しい、そして素朴な顔だった」と述べていられる。

  風は変るが 男の道は
  意地か生命(いのち)か 唯一筋に
  金も名誉も 金も名誉も
  他人(ひと)のこと 他人のこと

  ゴビやオルドス 俺(おい)らの墓場
  亡骸(むくろ)いだいて 春待つ身には
  花もいらない 花もいらない
  名無し草 名無し草

二・二六事件を首謀した将校たちが、「自刃したり死刑になった。ある者は死一等を減ぜられて満蒙に追放された。この『流罪』になった将校の心境を歌った」ものと書かれているが、いつか先生と浅酌したときに口遊まれたのを、聞いたことがあった。

「あきらめにも似た、わびしさにおそわれたとき、ふと口に出てくるのが、満蒙に流罪された将校の歌ったこの歌である。この歌は私の心境といったら、時代錯誤、古くさいと思われるかも知れないが、私にとっては名利を求めず、貧しさにめげず、精魂こめて一つの仕事に夢中になれる『生き甲斐』を追い続けるための心を支えてきた歌である」と述懐されている。

昔から賢人が大欲――遠大な望み――を持つ者は、小さな欲を持たないというが、先生はその一人であってこられた。明治の近代日本を築いた男たちは、自己犠牲を厭わなかった。

私は慶応の出身なので新宿よりも銀座が多かったが、一九七〇年代までは客を求めて流し歩くギターや、アコーディオン弾きがいて、わびしいところが演歌と似合った。酒は人と心を合わせるために交す御神酒(おみき)だった。

演歌には日本民族の情念がこもっていたから、私たちの胸を打った。音楽的にいえば、ペンタトニック――五音音階が使われている。ピアノの黒い鍵盤だけを叩いてゆくと、五音音階になって哀調が大きな特徴だ。

歌にも時代精神が宿っていた。先生が好まれた歌のように、自己否定とひとり彷徨(さまよ)うことを吟じるものが多かった。家族関係から先輩後輩の関係、同じ勤務先といったようにいくつかの集団に一生涯属して、がんじがらめになった人間関係から解放されたい、という願望が現われていたのだろうか。それは勇気がいることだった。

大正から昭和にかけて歌われた「流れ流れて落ちゆく先は 北はシベリア、南はジャワよ」(『流浪の旅』)とか、「行こか戻ろか、オーロラの下で ロシァは北国(きたぐに)果しなく」(『オーロラの唄』)も、「ゴビやオルドス 俺らの墓場」というように、興亜の見果てぬ夢(ロマン)がこもっていた。

ゴビとオルドスは、南モンゴル(モンゴル側呼称、内モンゴルは中国側呼称)高原にひろがっている。私たちは白人が覇権を握った世界において、万丈の気を吐いた唯一つのアジアの民だった。

あの時代の日本人は、大志をいだいていた。そして、自己を否定することが美しいことだった。日本を盛りたててきたのは、一人ひとりの自己犠牲の精神だった。

先生は老いられても、いっそう若々しい精神をもって、私たちにその時々にふさわしい指針を示されてこられた。そして、先生は国際舞台で、日米、日ロ、日中の絆を強めるために活躍されてきたのにもかかわらず、つねに「古くさい」日本人としての矜持を保たれてきた。

人は祖霊と時代霊が交わるところに生きねばならないと、スイス生まれの神智学創始者であるルドルフ・シュタイナーが説いたが、いつもそこに立っていられた。人も国も時代に遅れをとってはならないが、それとともに祖霊を尊ばねばなるまい。

先生に親炙するようになってから、長い。先生はその生きかたから、私たちに勇気と活力を与えて下さってきた。

私はキリスト教徒ではないが、聖書を愛読してきた。先生の生きかたは新約聖書の共観福音書にあるイエスの言葉を思わせると、考えてきた。「わたしが来たのは、人々がいのちを得、それを豊かに持つためです」という、キリストの言葉が記されている。

聖書のなかで、私が好きな句である。イエスがやってきたことによって、人が生命をえて、人が生き生きと生きることができると訴えている。人は眠っていないで、生命力のかぎりにいっぱいに生きろという、血が滾(たぎ)るような響きがある。

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作者:古沢 襄

更新日:2009年1月8日 13時14分

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オバマ大統領誕生までの歩み 加瀬英明

私はマケイン上院議員が次期大統領として選出されることを願っていたが、いまになってみれば、オバマ政権のほうがよかったのかもしれない。

九月にウォール街から金融恐慌が始まって、アメリカが深刻な不況に陥ったことが、アメリカ国民が共和党から民主党へ政権交替を求めさせる決定的な追い風となって、オバマの当選を確かなものとした。もし、金融恐慌によって襲われなかったとしたら、オバマ大統領が出現することがなかったかもしれない。
 
アメリカにとっても、日本にとっても、アメリカ経済が一日も早く立ち直ることが大切である。経済は多分に気分によって、左右される。

オバマのほうが若くて颯爽としてみえ、国民に未来へ楽観をいだかせることができよう。マケインでは、そうはゆくまい。

アメリカは世界で珍しい国だ。四年か、現職の大統領が二期つとめれば、八年ごとに国が蘇生して、再出発するという幻想にとらわれてきた。

世界の国々では、政治は国民が顔を見馴れた政治家によって行われる。他の国なら、フランスや、ロシア革命か、明治維新のような革命が行われないかぎり、御一新がもたらされるとは思わない。
 
四十七歳の新大統領は、四年前までは、黒人の父と白人の母をもつ無名のイリノイ州議会議員でしかなかった。だから、まさにハリウッドのB級映画を地でゆくものだった。

ワシントンの上院議員として四年前の十一月に選出されたが、上院一期目の四年のうち二年を、大統領選挙へ向けて運動のために全米を飛び回るのに費やしたから、実績がない。
オバマはいくつもの幸運な偶然が重なって、彗星のように表舞台に登場した。

オバマはシカゴ貧民街の左の運動家をふりだしに、イリノイ州議会議員を八年つとめた。

オバマは党内の一部で、若く演説がうまいことで知られていたが、四年前の大統領選挙の民主党全国大会において、黒人票を固めるために基調講演を行う僥幸を手にした。欧米では政治家は演説(オレイトリー)に秀でていることが、評価される。この時の演説がずばぬけて上手(うま)かったために、全米に知られるようになった。

オバマはその勢いを駆って、イリノイ州で有力な上院議員が高齢のために引退するのを受けて、そのあとを狙った。

だが、大きな障害が立ちふさがっていた。銀行家で資金力豊かで、ハンサムなジャック・リャンが、上院議員候補レースに出馬していた。そのうえ、有名な美人女優ジェリ・リンを妻としていた。
 
ところが、奇想天外なことが起った。夫がニューヨークとパリの乱交セックスクラブに通い、自分も無理遣りに連れてゆかれたといって、夫人が離婚訴訟を起して、マスコミが大騒ぎしたので、レースから降りることを強いられた。

ヒラリー・クリントン夫人が二〇〇〇年に、ニューヨーク州選出の上院議員となったことも幸いした。ヒラリーははじめ生まれ故郷のイリノイ州から出馬することを考慮したが、ニューヨーク州を選んだ。もし、イリノイ州から立っていたら、オバマの芽はなかった。

オバマが黒人のミシェル夫人と結婚していたのも、幸運として働いた。白人を妻としていたとしたら、黒人の支持をえられなかった。

オバマはアフリカのケニアの野心的な青年で、アメリカに留学した父と、同じハワイ大学の学生だった白人の母が結ばれて、生まれた。オバマが二歳の時に父が母を捨てて、母がインドネシア人と再婚したために、インドネシアで少年時代を送った。

その後、再び離婚した母に連れられてアメリカ本土へ渡り、女手一つで育てられた。コロンビア大学を卒業して、市民活動家となった。このあいだにハーバード大学法学部に学び、弁護士の資格を取得した。努力家である。

アメリカの二百三十二年にわたる歴史で、オバマほど短時間で、全米の脚光を浴びた大統領候補はいない。

オバマはとくに白人の若い世代を魅了した。アメリカでは若者のあいだで、黒人に対する差別意識が急速に薄れるようになっている。

そして、このところアメリカでは黒人と白人か、黒人とアジア人との混血がセックスアピールがあるといって、若者が憧れている。

タイガー・ウッズは黒人とタイ人の母の混血であって、マスターズを含むメジャー大会の連続優勝者だが、ゴルフだけによって人気が高いのではない。F1レーサーで黒人と白人の混血のルイス・ハミルトンはイギリス国籍だが、やはり若者のあいだで高い人気を博している。日本におけるおばさまがたのあいだの〃ヨン様熱〃と、同列のものだ。

もし、オバマが黒人でなく、白人の一年生上院議員であったとすれば、〃オバマ旋風〃を引き起して、民主党の大統領候補選びでベテランのヒラリー・クリントン上院議員に勝つことはなかっただろう。

といって、アメリカの人口の十二パーセントを占める黒人は、いまだにアメリカ社会に融け込んでいるわけではない。オバマがアメリカの奴隷時代から血を受け継いだ黒人だったとしたら、刺激が強すぎた。白人たちが罪悪意識に責むことになるから、もし、その一人だったとしたら、憧れの対象になりえなかった。

共和党の対立候補だったマケイン上院議員は七十二歳で、老練な政治家だった。だが、オバマに全国総投票数の五十四パーセントを投じた人々の大多数にとっては、マケインがいくら自らの豊かな経験を訴えても、経験はワシントンに永年にわたって溜まった澱(おり)のようにしか、映らなかった。

オバマは未知だから、何でも自由に願望をかき込むことができる、真(ま)っ新(さら)なカンバスのようなものだ。

オバマ政権は大不況と、イラクとアフガニスタンの二つの戦争を背負って船出する。オバマは「希望(ホープ)」と「変革(チェンジ)」を合言葉として訴えたが、この曖昧な言葉を具体的な政策に変えるのは、至難な業となる。

対外政策がどのようなものになろうか? オバマ政権は大不況がもたらした国内問題によって、手一杯となろう。そこで対外的には、ブッシュ政権の外交政策を引き継いでゆくこととなろう。

アメリカの軍事力の強化は、これからも続いてゆく。アメリカが最強の国家であり続けることには、変わりがない。兵器産業は民主党の支持母体の労働組合を、支えている。

新大統領は国政については、ずぶの素人(しろうと)だから、不安はある。

しかし、民主党大統領候補指名の金的を射止めるまで、二年にわたって全米を駆け巡るあいだ、感情に駆られて取り乱すことが一度としてなかった。自分を抑えることに長け、冷静な計算ができる人である。

辻本清美のような市民運動家を演じたが、イデオローグではない。信念の人であるより、ひたすら成功を摑みたいオポチェニストだ。

周囲の意見をよく聞いて、行動する野心家である。マケイン議員はしばしば、癇癪を爆発させた。マケインが犬だったら、オバマは猫だ。

オバマは新鮮に映った。だが、オバマが新政権を準備して、中枢に集めた人々をみると、クリントン政権の手垢がついたベテランたちだ。やはり政治には、経験がものをいう。

オバマは見映えする包装紙だ。選挙戦でオバマの外交政策を罵ったヒラリーを、国務長官にしてよいのか。
日本でも、アメリカでも、政治がいっそう気分的で、娯楽になっている。

文明は秩序をもって始まり、自由になって混乱して崩壊すると言うが、この警告が当たっているような予感がする。

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作者:古沢 襄

更新日:2009年1月8日 13時7分

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国際資本の大脱走 宮崎正弘

中国から国際資本の「大脱走」がはじまっている。バンカメも中国工商銀行の筆頭株主から大半の保有を売却。

既に小誌でも報じたように中国の外貨準備に異変が起きている。公式発表が遅効系列なので、2008年10月末の段階での数字しか分からないが、すでにこの時点で外貨準備が実質500億ドルのマイナスを記録した模様。

同時期の中国の米国債保有は6529億ドル。ちなみに日本は第二位となって5855億ドル。

しかも、オバマ次期大統領は「今後数年、財政は毎年1兆ドルの赤字が続くだろう」(1月7日記者会見)。つまり米国は日本と中国に米国債購入を促さざるを得ず、中国が逃げの姿勢なら、金利を短期的に上げざるを得なくなるだろう。

大手格付け機関のフィッチは、「2008年度の中国の外貨準備は4150億ドルの増加だったが、09年度は激減して1770億ドルになるだろう」(ヘラルドトリビューン、1月8日付け)と減少を予告している。

固定資産税の急増により2007年の中国の税収は、じつに32%もジャンプしたが、08年度の税収は前年比3%のマイナス。とすれば09年の税収はもっと悲惨になるだろう。

推定される数字。
中国の外貨準備は1兆9000億ドル(08年10月末時点)。その70%が米国債ほか、ファニーメー、フレディマックなどの債権と優良企業の株式など、米ドル建て。

つまり宮崎流の独断推定で中国の米ドル建て債権保有は1兆3300億ドル。

他方で中国は国内経済活性化のため道路鉄道建設など中国版ニューディールに57兆円を投じる。CIC(中国投資公司)はブラックストーン、モルガンスタンレイに合計80億ドル投資(そのご80%が損失)を最後に「海外物件に、新しい投資をしない」と言明。
▲アメリカの金融帝国の衰退を中国は待っているのかも?
単純に図式化すると、中国は日本と同様に米国債権を買い続けざるを得ない。

そうしなければ米ドルの為替レートが落下し、一ドル=80円、70円とすすむ。日本の輸出産業が死滅に近い打撃を受けるだろうが、中国の輸出産業は自らを殲滅させてしまう恐れがある。

にもかかわらず中国は「経済的理由」の合理性よりも、中華思想の政治判断が先に立つ。
対米投資を続行しない姿勢を鮮明にしたのだ。

他方、国際資本は中国からの脱出を始めた。

遅効系列の統計が出る頃には、もっと劇的な数字が並ぶだろうが、香港経由でカネが米国に環流している。

同時に米国債権もロンドン、フランクフルトなど欧州での取引がカウントされていないので、複雑な背景を把握できない。

実態はもっと激しい国際資本の脱走がおきていると見られる。

メリルリンチを吸収したばかりのバンク・オブ・アメリカ(BoA)は、これまで中国工商銀行の筆頭株主だった(19%)。が、これまでに6%にあたる保有株を市場で売却し、28億ドル強をNYに環流された(ロイター、香港発。1月7日)。
 
UBS、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド、シティグループなどは中国銀行の大株主だが、これも保有株売却の圧力がかかっている。一方では欧米金融機関が自分の資金として環流させる目的があるが、他方では北京政府の圧力で、中国四大国有銀行から外国人の株式保有比率を減らず政治的思惑があると推定される。金融の大混乱、まだまだ続きそう。

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作者:古沢 襄

更新日:2009年1月8日 11時52分

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ロシア経済を直撃した原油暴落 古沢襄

<【ニューヨーク7日共同】7日のニューヨーク・マーカンタイル取引所の原油先物相場は米原油在庫が急増したことを材料に大幅続落し、指標となる米国産標準油種(WTI)2月渡しが前日比5・95ドル安の1バレル=42・63ドルで取引を終えた。

同日発表の週間原油統計で、原油とガソリンの在庫が市場予想を上回って増加。需要の減退が目立つ結果となり、売りが広がった。

雇用関連の統計や、企業業績の見通しが悪化したことも米経済の先行き懸念につながり、売りを誘った。市場関係者は「原油統計で弱い需要を確認できた」(米アナリスト)としている。(共同)>

昨年春の原油高が嘘のような下落である。1バレル・42ドル台では産油国の経済は深刻な打撃を受ける。とくに資源外交でノシ上がってきたプーチン・ロシアは大変なことになっていると想像できる。

産油国の立場に乗じて、高値の石油や天然ガスを近隣国家に供給し、エリツイン大統領時代には破綻寸前だったロシア経済がみるみる中に立ち直った。エリツイン末期にロシアを旅行した私は、アムール川やウスリー川の河岸にある工場群がすべて休業状態、ハバロフスクの街にも貧しさが覆っていた。ハバロフスク駅前にはジプシーと思われる乞食が屯していた。

その数年後、プーチン大統領時代になって再度、ロシア旅行をした時にはアムール川やウスリー川の河岸にある工場群から稼働中の煙が立ち上り、ハバロフスクの街には活気が甦っていた。

九月だったので小学校の入学シーズンに当たり、母親に連れられた男子や女子児童が花束を抱えて登校する風景をみることが出来た。いずれも東京の私立学校のような制服を着ている。プーチン資源外交によって庶民が潤ってきたという実感を持った。

しかし産油国の有利な事情は変わってきている。この数年、モスクワの物価高は庶民生活を直撃している。インフレが猛烈な勢いでロシア経済を襲っていた。そこに原油の暴落である。中東の産油国もロシアと似た状態にあるのではないか。

石油消費国にとっては原油の下落は庶民生活にとって有り難い。年末年始にかけて地方に里帰りするマイカーの行列で高速自動車道は渋滞した。下落したガソリンで車を安易に使う状態になっている。

このアンバランスは、どこかで破綻をみせる。ガソリンが下がったと浮かれてばかりはおれまい。

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作者:古沢 襄

更新日:2009年1月8日 7時3分

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家庭内「年越し村3丁目の夕陽」 平井修一

小生は昭和26(1951)年生まれで、家にテレビがやってきたのは小学6年生、38(1963)年頃だと記憶している。普通の家としては遅いほうだが、父は隣の本家に力道山(三菱ダイヤモンドプロレス)を見に行っていて、小生も時々一緒に行ったから、テレビは買うまでもなかったのだ。買ったのは時流に流されたためである。

中学生のころ、学校から帰ると1時間ほど、テレビを見た。「ララミー牧場」「ローハイド」「拳銃無宿」「アンタッチャブル」「コンバット」、そして「パパ大好き」。

「パパ大好き」は強烈な印象を残した。当時のアメリカにはすでに「専業主夫 」がいたのだ。検索したら次の記事があった。

<「パパ大好き」(MY THREE SONS)フジTV 1961年5月〜1963年6月男やもめのパパと3人の息子、そして「チャーリーじいちゃん」という男所帯のダグラス家。生意気ざかりの息子たちに、パパが右往左往します。主演はフレッド・マクレー>

<MY THREE SONS a huge hit and a cornerstone of the CBS lineup in the 1960s. With 380 episodes produced, it is second only to The Adventures of Ozzie and Harriet as television's longest running (live-action) family sitcom.>

1960年代の画期的な大ヒット作だったが、小生が気に入ったのは母親代わりに家事一切をこなす「チャーリーじいちゃん」。60歳代みたい。主人公のパパの(多分亡くなっただろう)奥さんの親だったようだ。

「チャーリーじいちゃん」は母親代わりに子どもたちの世話をし、相談にも乗る。そういう変則的な家庭が「3丁目の夕陽」の昭和30年代にすでに米国にはあったのだ。

「専業主夫 」というのは新鮮な驚きで、日本ではそれはなかった。それに近いものに「髪結いの亭主」というのがあったが、半分蔑(さげす)まれ、半分羨ましがれた。ジゴロ、ヒモの類で、家事はほとんどしなかったようだ(女中さんを住み込みで安く使えた時代ということもある)。

今、我が身は求職30連敗の「失意のどん底」で、家では専ら家事を担当する「チャーリーじいちゃん」、専業主夫である。もう来月で失業保険の給付も終わる。「家庭内年越し村」だ。いかにせん。あせるわなあ。いらいら・・・

「アンタ、もう就職なんていいよ、ばあちゃんの世話と主夫をやってよ、アタシも仕事に専念できていいからさ」

カミサンが引導を渡す。捲土重来(けんどちょうらい)を期して今は蟠踞(ばんきょ)するしかないか、と「チャーリーじいちゃん」ならぬ「修一ジイジ」はなにやら我が身の「3丁目の夕陽」を見る思いである。

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作者:古沢 襄

更新日:2009年1月7日 12時58分

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67万社の倒産を認める 宮崎正弘

中国国務院、67万社の倒産を認める。実態の十分の一の数字を嫌々ながら・・・。

中国の厚生労働省に該当する「人力資源・社会保障部」が公式に発表している「失業率」は4%、835万人だそうな。

社会科学院の『社会青書』ですら失業は9・4%、この省庁間同士の数字の格差が、これほど開くのは何故か?

これでは真面目な統計数字が中国には本当に存在するのか?と問われても仕方がないことになる。

2008年12月に発表された同科学院の『社会青書』では、08年新卒大学生580万のうち、まだ150万人の就労先が決まっていないとした。実態は260万人以上の新卒学生に就労の機会が失われている。09年は新卒が610万人と予測されている。

中国国務院が09年1月5日に認めた企業倒産は67万社。とくに建設関係が目立つ。国内投資のおよそ四分の一が建設業界に向けられており、公共事業の目玉は高速道路、鉄道、橋梁建設。民間ではマンション開発など、雇用は7700万人。

しかし中国の住宅着工件数は20・6%も激減している。これは関係省庁が認めており、ということは単純に計算しても、7700万建設労働者の20%が1500万人になる。建設産業だけで1500万人の失業がでていることを意味しないのか?

冒頭にかかげたように、人力資源・社会保障部の、公式失業835万というのは『大嘘』ということになるだろう(ただし835万人という数字の根拠は失業保険申請者に限る)。

   ♪

(読者の声1)貴誌2443号、樋泉さんのコラム『毛沢東に魅せられたアメリカ人 上・下』(S・リッテンバーグ 筑摩書房 1997年)について。

Sidney Rittenbergの、The man who stayed behindの翻訳でしょうか?このアメリカン・ジューのコミニストは、私の旧友だったユダヤ系米人Joseph Newman(没)に似た生き様です。

ジョー・ニューマンは、第二次大戦前、NYヘラルドの東京特派員だった。真珠湾攻撃の寸前、憲兵隊に捜査されて命の危険を悟り、横浜から船に乗ったと。ゾルゲ事件の尾崎秀美とも面識があった。

戦後はモスクワ支局長。スタインベックの単作Russian Journey に、Robert Cappa(伝説的カメラマンで仏印で地雷を踏んで爆死した)とモスクワのジョーのアパートに泊まって、"Sweet Joeのウイスキーを飲んだ"と書いています。

ところで、スタインベックは保守自由派の典型的なアメリカ人。この古本もジョーから貰いました。「Castroと共に」は、ジョーのドキュメンタリー。XX賞を貰っています。NYヘラルドの従軍記者としてキューバの密林をカストロ軍と歩いたと。

バチスタ軍の兵士の処刑などを撮影した。Castro兄弟は率先して、ピストルで処刑を次々と執行したと。ジョーは、US News World Report(DC)の編集長を最後に亡くなったが、Goodby Japan(朝日新聞)を人生の最期に出版しています。

署名して郵送してくれたのです。考えてみると、ジョーは、コミニストだった。ただ、スターリンを憎んでいた。日本人に対して不思議な愛憎感情を持っていた。

娘のフィアを私に目合せたり(医者と結婚)〜24年前ですが、シーシェパードのワトソンと組んで捕鯨反対運動をやったりですね。社会正義に動機を持っていたようです。

ユダヤサヨクの典型ですね。末娘のルチアは、CNNハバナ支局長。8歳ぐらいの時の彼女を知っていますが、CNNに出てくるルチアは、もう中年です。私ら夫婦はこの6月にキューバに旅します。

「ジョーは共産主義者だったのか?」と聞いてみます。

ついでに、「日米同盟破棄〜非核〜非戦が日本の生き方」という書き込みには、あきれてなにもいえない。白昼の夢でも見ているのだろうか。歳はいくつかと聞いてみたい。(HI生、ルイジアナ)

(宮崎正弘のコメント)大変興味深いコネクションを伺いました。

   ♪

(読者の声2)我々日本人が根底に据えていなくてはいけないのは国を想う心ですね。
宮崎先生が時々の、イスラエルでの出来事に関するコメントは、日本のメディアのどのコメントよりも的確だと、いつも勉強させて頂いております。

ガザでの紛争についてのコメントも宮崎先生のものが最も的確だと常に感じております。
イスラエル関連の報道に関しては、産経も朝日も記者個人の思い入れや先入観が強く、「このような報道で良いのだろうか」といつも感じておりましたが、宮崎先生のコメントに触れる度に胸がすくような思いがいたします。

貴誌「読者の声」に「イスラエルの全て真似をしろとは言わないが、国防に関しては日本はイスラエルの爪の垢でも煎じて飲めばいい」 というような文が見受けられるのもこのメルマガならでは。私も全く同感です。

今年の夏にイスラエルは非常に辛い決断をしました。

ご存知の通り、200人以上のテロリストと拉致された兵士の遺体の交換です。イスラエル国内でも議論はありますが、とにかく「どのような代償を払っても同胞を取り返す」という決断のもとで交換が行なわれました。

ニッシム駐日イスラエル大使は、日本の拉致問題に重大な関心を寄せ、「同じ痛みを抱える国の代表として横田さんをお励まししたい」と横田夫妻と会談しました。横田滋さんも「遺体であっても取り返そうとするのが、本来の国家の姿だ」と言っておられました。
拉致問題にしても、北朝鮮の核問題にしても、エンテベでの救出作戦の経験やオシラク原子炉破壊の経験をもつイスラエルから日本は多くのことを学べるのではないかと思っております。(IA生、千葉)

(宮崎正弘のコメント)ガザ侵攻は、日本のような平和ぼけからみると、イスラエルが「侵略者」に見えそう。とくに大手マスコミの分析にしたがうと。

しかし日本に置き換えて、もし、北朝鮮から毎日のようにミサイルが飛んできて我が国の国民が死傷し、それでも耐える。しかし、とうとう堪忍袋の緒が切れることがあるでしょう。イスラエルの反撃は、そうやって行われたために、これまで弱腰と非難されてきたカディマ=与党が、野党との人気を逆転しています。

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作者:古沢 襄

更新日:2009年1月7日 11時46分

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伊勢参拝と「蒼生安寧」 花岡信昭

新年1月4日に首相が伊勢神宮を参拝するのが恒例となったのは、佐藤栄作首相のころからという。麻生太郎首相は参拝したが、次期首相を目指すはずの民主党の小沢一郎代表は出向かなかった。この結果がどう出るか。

政治記者の駆け出し時代、クリスチャンの大平正芳首相の伊勢参拝に同行した。五十鈴川の宇治橋を渡って、木立に囲まれた参道を行くと、なんとも厳粛な気持ちになったのをいまだに覚えている。

村山富市首相は平成7年には風邪で取りやめたが、翌8年に正月参拝を実施、その翌日に退陣表明した。「お伊勢さんで天の啓示を受けたのでは」とささやかれたものだ。

麻生首相は伊勢神宮での記者会見で、政治姿勢を聞かれ、「蒼生安寧(そうせいあんねい)に努める」と答えた。漢字の読みをよく間違えると揶揄(やゆ)される麻生首相の口から、こういう聞きなれない言葉が出てきたことに驚いた向きも多かったのではないか。

「蒼生」というのは国民の意味で、実は麻生首相はかねてこの言葉を使っていた。幕末の水戸学者、藤田東湖が政治理念を説いたときに用いたものという。

麻生首相の政策グループは「為公会(いこうかい)」という。古代中国の経書「礼記」にある「天下為公」(天下をもって公となす)から取ったものだそうで、会の設立趣意書にも「公の重みを取り戻し...蒼生安寧を図る」とある。

つまりは「蒼生安寧」とは、現代風にいえば「国民生活の安定向上」といった意味合いか。民主党が掲げるキャッチフレーズ「国民の生活が第一」と同様の意味だろうが、「蒼生安寧」のほうがなにやらありがたみがにじむ。これが流行語となるかどうか、麻生政権の先行き次第ということだろう。

大荒れ必至の通常国会が開幕した。「予算成立最優先。解散はその後に考える」というのが麻生首相の政権運営の基本だ。衆院再可決が可能になる「参院60日規定」を前提として、衆院段階では強行突破路線を取るだろう。

60日間の余裕を持って参院に送付してしまえば、あとは野党がいかに騒ごうと放っておけばいい。自民党から17人以上の造反が出ないかぎり、衆院再可決が可能だ。

民主党は徹底抗戦で早期解散を目指す構えというが、国会空転戦術は世論の反発が怖い。臨時国会に続いて今度も解散に追い込めなかったら、小沢代表の神通力にいよいよ陰りが生じかねない。

ならば、第2次補正も来年度予算も早期成立に協力して、麻生首相に決断を迫る「逆手戦法」を取るか。かつてないほど複雑な神経戦のスタートだ。

<<「坂本発言」とネット社会>>
総務省の坂本哲志政務官の「派遣村発言」が一気に政治問題化している。民主党などは坂本氏の更迭を求めている。

先のコラムで書いたように「真面目に働こうとしている人たちばかりなのか」といった発言は、政治家として穏当でないことはたしかだ。それはその通りなのであって、言ってはいけないことを言ってしまった、という意味において、坂本氏の「自分自身の危機管理」が十分だったとはいえない。

だが、坂本氏の発言にも一理ある、というのが大方の見方だろう。そのことを先のコラムで書いた。デモや集会をてきぱきと展開しているあたり、その道のプロが入り込んでいるのは間違いない。

坂本氏の発言はそうした実態を踏まえたものだろう。だが、行政としては本当に困っている人たちに対しては救済に乗り出さなくてはならない。そういう場合の生活保護のシステムも完備されている。

そういったあたりを踏まえて書いたのだが、もうひとつ、当方のねらいがあった。

この5日、都内の大学の新聞学科に招かれ、「新聞記者がネットに乗り出したら」といったテーマで講義をやった。どこの大学かは、このさい、迷惑をかけることを考え、伏せておく。

こちらは30数年、新聞の世界で生きてきたが、この数年、ブログやメルマガなどネット社会に意識的に取り組んでいる。その体験を踏まえ、炎上事件の経緯を紹介するなど、実態を率直に話した。

数10人の学生たちはそれなりに興味深げに聞いてくれ、提出された感想レポートを見ても、ネット社会の実態に関心を持っていることがよくわかった。

そこへ飛び込んだのが「坂本発言」だ。これを意識的に「正論だ」と書いて見たのが先のコラムだ。いろいろなコメントが寄せられているが、ほとんどは当方への批判である。

批判ならまだいいのだが、まったく関係のないところまで飛び火して、誹謗、中傷としかいえないコメントも少なくない。

これが現在のネット社会の実態だ。学生諸君に対して生きた教材となるのではないかと判断したのだが、その見通しが当たりつつあるようだ。

このメルマガ、ブログを見てくれている学生諸君は、一連の推移をじっくりと観察してほしい。

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作者:古沢 襄

更新日:2009年1月7日 9時50分

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日本は良い国だ MoMotarou

昨年は後半、米国の金融危機に発した混乱が世界中に伝播しました。これは米国が主導してきた「グローバリゼーション(米国化)」が進んできたため、各国がもっていた歯止めも障壁もなくなってきている証(あかし)でありましょう。

■連鎖のスピード化
流石の中国も予定通りオリンピックの終了と共に下りに向かい始めました。この金融危機に際して比較的軽微と思われていた我国も次々と影響が現れ始めました。

そして追い討ちをかけてきたのが思わぬ円高で、輸出に賭けていた産業に襲い掛かりました。内需の掘り起こしを怠っていた為、将に袋小路に迷い込んだような様相を帯びてきました。

またそれに輪を掛けたのが政治です。自民党も思いのほか麻生さんに人気が無く足の引っ張り合いを続けております。渡部喜美元行革担当大臣の民主党提出解散決議案「賛成」は、まったく世間の様子を知らぬ呑気な反乱でした。

世界は自分の国のことで精一杯です。まさにこれからは、弱肉強食的外交も登場してくるに違いありません。我国においても其の覚悟が必要でありましょう。

■不況に強い反日屋
郵政選挙、そして安倍首相の突然の辞任辺りから、所謂保守・民族派の退潮が見られるようになりました。其の間隙を縫って反日左翼勢力が巻き返してきました。それが「国籍法の改悪」でした。

我国の左翼の特徴は「反日」と反日外国勢力と結びつくことでありましょう。日本の左翼は公務員に基盤を持っておりますから、不況でも潤沢な資金を持っております。神奈川県日教組の2002年の資金残高は30億円にも上っておりました。

 *消えた30億円http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/848745/

■国内を固めよ!
日本は守らなければなりません。外からだけではなく内の「第五列」にも目をやることも必要でしょう。

昨年の終わり頃より、テレビのゴールデンタイムにパチンコのCMが登場しだしました。これなどは今年2月、在日韓国民団の要請を受けた韓国大統領が、小沢民主党代表にテレビCMの規制緩和を要望した結果であります。パチンコの景品交換業は、最初戦争未亡人に
許可されたものでした。象徴的な出来事です。警察がだめなら税務署の方よろしくお願いします。

  *在日特権を許さない市民の会http://www.zaitokukai.com/

混沌とした年明けになりましたが、本年も微力ながらがんばります。よろしくお願いします!

 *「外務官僚の背骨」渡部亮次郎 −ハンディキャップ国家論
  http://momotarou100.iza.ne.jp/blog/entry/485200 
 
 お勧めサイト
 ・「国連はマッチポンプ 平井修一」杜父魚(かじか)文庫ブログ
  http://blog.kajika.net/?cid=43324

 ・「国民自重の心」小泉信三
  http://momotarou100.iza.ne.jp/blog/entry/470460/ 

 ・*防衛省OB太田述正ブログ「日本帝国の歴史二題 」
  http://blog.ohtan.net/archives/51312110.html

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作者:古沢 襄

更新日:2009年1月7日 7時24分

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遺体展示の毛沢東 渡部亮次郎

モスクワのレーニン廟にはソビエト社会主義革命の主導者レーニンの遺体が防腐保存されているが、中国革命の指導者毛沢東の遺体も北京天安門広場に作られた毛主席紀念堂の瞻仰庁という部屋で、ホルマリン漬けではガ無いが、防腐処理をした遺体として一般公開されてる。

私が毛の遺体に初めて対面したのは展示されて約2年後の1978年8月11日午前9時(北京時間),折から日中平和友好条約締結交渉のため北京を訪問中だった外務大臣園田直と共に中国側の案内で対面した。

そのあと周恩来元総理の記念展にも案内されたが、周総理の場合は遺骨は散骨され、遺言により、墓地は建造されていないことを知った。

帰国後、園田氏は「周恩来は将来、墓が暴かれる事を恐れたのではないか、だから敢えて散骨を遺言したのだろう」と語った。そういえば、その後、経済の改革、開放路線を敷き、中国近代化促進を実現した?(トウ)小平も遺言で散骨を命じ、胡錦濤が散骨したとされている。

毛の遺体は兵士に守られた水晶の棺の中に、胸から下を中国共産党旗で包まれて安置されている。観光客には立止まって見ることは許されていないので、見られる時間はせいぜい1分程度だそうだ。

http://bloggers.ja.bz/ykon/archives/000290.php

その部屋に入ると、正面の壁に大きく、「我々の偉大な指導者は永遠に朽ちずここに眠る」のような言葉が書かれ、その下に2名の兵士。その空間と観客とはガラスの壁で仕切られている。

観客は、緊張感のあるそのガラスの中を横目で眺めつつ、さっーーーと歩きぬけないといけない。がんばってゆっくり歩いても、実際に毛沢東の顔を眺められるのは、1分もないぐらい。

さて、問題の毛沢東。ガラスの壁の向こうで、しかもさらには水晶のケースの中に入っていて、距離は、5メートル以上、細部は全然分からない。ただ確かに毛沢東の顔をしているということは分かるものの、思ったよりとてもこじんまりとしている。

田中角栄首相が我々80人の記者団を率いて日中国交回復に訪中したとき、毛沢東は記者団の前には姿を曝さなかった。そればかりか田中首相の表敬訪問にさえ通訳は勿論政府随行者すらシャットアウトして真夜中に会ったぐらいだった。

それから4年後に毛は老衰状態で82歳で死去。当時、文化大革命の実行者たる毛夫人の江青らいわゆる4人組が死せる毛の威光を笠に着て政治の主導権を掌握して行こうとしていたから、遺体の防腐保存は一も二もなく決定された。

それを見守る国家主席は華国鋒。革命中に毛が農村の女に産ませた子供。彼も当時は毛の威光を頼りにしていたが、片や復活間もない?(トウ)小平は既に4人組はおろか華国鋒の打倒すら企図していた。園田訪中団のわれわれはそれを肌で感じ取っていた。

1996年は周恩来がまず癌で死去、それを追うように毛が9月9日に死んだ。途端にトウらに迫られた華国鋒は江ら4人組の逮捕を断行。やがて自らも引きづり降ろされトウ正平による改革開放路線の展開となる。

それにしてもトウが墓を残さなかったとは自らの未来を見通していたのだろうか。改革開放政策の行きつく先は毛が敵視した資本主義そのものであり、そうなった場合、中国「国民」は自らを一時的にしろ国家建造の妨害者として断罪する事が不可避である事を。

だとすれば毛沢東は共産主義革命の推進にあたって右腕とも腹心とも頼っていた周恩来と?小平の2人に最終的に裏切られる運命だった事になる。毛の遺体の展示は長くは無いだろう。

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作者:古沢 襄

更新日:2009年1月6日 20時7分

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私がこの手で殺します(下) 伊勢雅臣

■4.本村さんに頭を下げた裁判長■
1審判決から半年後の平成12(2000)年9月7日、広島高裁で控訴審が始まった。吉池検事の「こんな判決は認めるわけにはいきません」との言葉通り、検察と警察の捜査官は凄まじい執念を見せた。

Fが拘置所内で手紙を出した相手を一人ひとり尋ねて歩き、その手紙を見せて欲しいと頼んだ。その中にはFの本音が出ていた。二人の人がFからの手紙を提供することに同意し、それが証拠として裁判に提出された。そこにはこんな一節もあった。

犬がある日かわいい犬と出合った。・・・そのまま「やっちゃった」、・・・これは罪でしょうか。

検察はこれらの手紙を手に、「Fは、本件犯行を犬の交尾に譬(たと)えている」と厳しく糾弾した。検察も警察も、このまま正義が負けてたまるか、という凄まじい闘志でこの裁判に立ち向かっていることを、本村さんはひしひしと感じた。

2年半後の平成14(2002)年3月14日に出た控訴審判決は、やはり「無期懲役」であった。判決理由ではFの行為の残虐性を厳しく糾弾したが、「殺害は計画的なものとは言えない」「被告が更正する可能性がないとは言い難い」という理由から死刑にはならなかった。

閉廷後、Fや弁護人、検察官たちが法廷から去った後も、重吉裁判長は席に座ったまま、じっと本村を見ていた。視線に気がついた本村が頭を下げると、重吉裁判長も本村さんに頭を下げ、ようやく満足したように席を立った。

いろいろな裁判を取材してきた記者たちも見たことのない光景だった。重吉裁判長の目が、遺族に対して、不本意な判決を詫びているように見えた。最高裁が動かなければ、どうしようもない、と、語っているようにも思えた。

■5.「だめ! こりゃいかん! 今すぐやろう!」■
本村さんは「全国犯罪被害者の会(あすの会)」の幹事として、講演やシンポジウムに積極的に参加して、熱心に訴えた。

そんな中、平成15(2003)年7月8日、本村さんは会を代表して、岡村弁護士らと共に、首相官邸で小泉純一郎総理と面会した。本村さんは加害者の権利ばかりに目を向ける刑事司法への疑問を語った。

最初は、傍聴席にも遺族は満足に入れなくて、意見も言えませんでした。いろいろ悔しい思いをしました。刑事司法制度がもっと被害者寄りに変わらなければいけないと思っています。

4人の犯罪被害者が語るそれぞれの思いが、小泉首相を動かした。「だめ! こりゃいかん! 今すぐやろう!」

小泉首相の指示を受けて、自民党の司法制度調査会長の保岡興治代議士や法務省が中心となり、犯罪被害者を保護・救済するための「犯罪被害者等基本法」が議員立法として成立したのは、翌年12月のことだった。

■6.「これを破棄しなければ著しく社会正義に反する」■
平成18(2006)年3月14日、最高裁が開かれた。いや開かれようとしたが、前代未聞の出来事が起こった。

二人の弁護士、安田好弘と足立修一が姿を現さなかったのである。その日、日弁連での研修用模擬裁判のリハーサルがあり、また準備期間が必要というのが理由だった。この日の開廷は4か月前に決まっていたというのに。

濱田邦夫裁判長は5月一杯で退任が決まっており、なんとかそれまで裁判を引き延ばそうという戦術であることは明らかだった。

二人は「死刑反対派弁護士」で、いくつかの重大事件で被告の死刑を回避した実績を持つ。特に安田はオウム真理教事件で麻原彰晃の一審の主任弁護士を務め、無罪判決を勝ち取っている(2審は逆転有罪)。

全国的に注目を集めているこの事件で、加害者の人権のみを重んずる「抵抗勢力」の中心人物が、死刑判決を阻止しようと登場したのである。

怒った濱田裁判長は、二人に異例の出頭在廷命令を出して、4月17日に最高裁弁論を開いた。二人の弁護人は「光るものを持った被害者がFに襲いかかったので、押さえつけた」などと、全くの新主張を持ち出した。

弁論は一回で終わり、6月20日、替わった上田豊三裁判官が判決を下した。「主文。原判決を破棄する。本件を広島高等裁判所に差し戻す」との判決主文だった。

二人の弁護士の新主張は、「他の動かしがたい証拠との整合性を無視したもの」として一蹴され、高裁の無期懲役判決は「その刑の量定は甚だしく不当であり、これを破棄しなければ著しく社会正義に反するものと認められる」とされた。

「著しく社会正義に反する」、これこそ本村さんが待ちに待った言葉だった。

■7.「人の命を奪ったものは、その命をもって償うしかない」■
差し戻し控訴審は、再び広島高裁で、平成19(2007)年5月24日から始まった。犯行当時19歳だったFは、すでに26歳となり、身体も二回りも大きくなっていた。

安田弁護士らは、Fが弥生さんを生き返らせるための「復活の儀式」として姦淫を行ったとか、押し入れはドラえもんのポケットでそこに殺した赤ちゃんを入れれば、ドラえもんがなんとかしてくれると思った、などと奇想天外なストーリーを展開した。

こうした弁護に、弥生さんの母親・由利子さんは涙で途切れがちながらも、こう述べた。
ドラえもんが出てきたり、復活の儀式等と、娘と孫の命を粗末な言葉で振り回されて、あまりにも可哀想でなりません。被告人は退廷する時、私たち遺族を鋭い目で睨みつけて行きました。二つの尊い命を奪い反省もなく、罪悪感が少しでもあれば、そんな態度はできるはずありません。

本村さんは、こう供述した。

私は、家族を失って家族の大切さを知りました。命の尊さを知りました。妻と娘から命の尊さを教えて貰いました。私は、人の人生を奪うこと、人の命を奪うことが如何に卑劣で許されない行為かを痛感しました。

だからこそ、人の命を身勝手に奪ったものは、その命をもって償うしかないと思っています。それが私の正義感であり、私の思う社会正義です。・・・そして、正義を実現するために司法には死刑を科して頂きたくお願い申し上げます。

このように被害者遺族が直接、意見を言えるようになったのも、本村さんらの活動によって、司法が大きく変わったからである。

■8.「胸のつかえが下りました」■
平成20(2008)年4月22日、差し戻し控訴審の判決が下った。死刑だった。「反省を深めることなく、虚偽の供述を構築し、反社会性を増進させた」という厳しい判決理由からだった。

Fは、一度、天を仰いだ後、裁判長に向かって丁寧に一礼した。次に検察官、弁護団と順に一礼した後、最後に傍聴席の本村さんに向かって一礼した。それはFが9年間で遺族に初めて見せた真摯な態度だった。

判決の翌日、門田隆将氏は広島拘置所にFを尋ねた。Fの本音を聞きたいと思ったからだ。断られるかと思ったが、面談室に通されて、Fが現れた。門田氏は死刑判決についての思いをまず聞いた。

「胸のつかえが下りました」というFの言葉に、一瞬、耳を疑った。

僕は(自分が殺した)二人の命を軽く思っていました。でも、今は違います。被害者が一人でも死刑に値すると思っています。

Fは法廷で偽りの謝罪をしていた頃とはまったく異なる、憑きものの落ちたような表情をしていた。死刑判決の重さが、彼をここまで変えたのだろうか。Fは最後にこう語った。
僕は殺めた命に対して、命をもって償うのはあたりまえだと思っています。僕は死ぬ前に、ご迷惑をお掛けした人や、お世話になった人に、きちんと恩返しをして死刑になりたいと思っています。

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作者:古沢 襄

更新日:2009年1月6日 16時42分

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私がこの手で殺します(上) 伊勢雅臣

■1.「私がこの手で殺します」■
平成12(2000)年3月22日、山口地裁から通りを隔てた山口県林業会館に設けられた記者会見場に姿を現した青年は、すさまじい怒りを込めて、こう言い放った。

司法に絶望しました。控訴、上告は望みません。早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いて欲しい。私がこの手で殺します。

青年の名は、本村洋氏。前年4月に妻・弥生さんと11か月の長女・夕香ちゃんを残虐な手口で殺害した被告F(当時18歳)の裁判で、無期懲役の判決が出た事に対する怒りだった。少年の無期懲役なら、わずか7年で仮釈放される権利を得る。

Fはサンダルをペタペタさせて法廷に現れ、弁護人に促されて、ようやく「遺族の方には申し訳ないことをしました」と無表情のまま取って付けたような「謝罪」の言葉を述べた。

それを渡邉了造裁判長は「被告人なりの一応の反省の情が芽生えるに至った」と評価し、過去の事例を数多く紹介して、被害者が二人の場合は無期懲役が妥当であることを示唆した。本村さんは「この判決は無期懲役判決を下すための口実ばかり探している」と思った。

その予想どおり、裁判長が無期懲役の判決を下した後、Fに向かって「分かりましたか」と声をかけると、Fは「ハイ、わかりました」と元気に答えた。殺された弥生さんの母親のすすり泣きが法廷に響いていた。

裁判長は加害者には声をかけても、被害者には慰めの言葉一つもなかった。「日本の裁判は狂っている」と本村さんは思った。その「日本の裁判」に対する絶望が、「私がこの手で殺します」という発言になったのである。

■2.「司法を変えるために一緒に戦ってくれませんか」■
記者会見の後、本村氏は吉池検事の部屋に入った。銀縁の眼鏡をかけ、普段は穏やかでクールな吉池検事が、突然、怒りに震えた声で話し始めたので、本村さんは息を呑んだ。

僕にも小さな娘がいます。母親のもとに必死で這っていく赤ん坊を床に叩きつけて殺すような人間を司法が罰せられないなら、司法は要らない。こんな判決は認めるわけにはいきません。

こんな判決を認めたら、今度はこれが基準になってしまう。そんなことは許されない。たとえ上司が反対しても私は控訴する。百回負けても百一回目をやります。これはやらなければならない。本村さん、司法を変えるために一緒に戦ってくれませんか。

この言葉から、本村の頭には「使命」という言葉が浮かんだ。「司法を変える」、それが自分に課せられた「使命」ではないのか。それこそが妻と娘の死を「無駄にしない」ことではないのか。

「司法を変える」という吉池検事の言葉は、半年ほど前に犯罪被害者の集まりで岡村勲弁護士から聞いた話に通じていた。岡村弁護士も夫人を殺害された犯罪被害者だった。「事件が報道されても、犯人の実名さえ報じてくれません」と涙ぐみながら語る本村さんに、岡村弁護士はきっぱりとこう語った。

本村君。それは法律がおかしいんだ。そんな法律は変えなければいけない。

この集まりから「全国犯罪被害者の会(あすの会)」が始まっていった。

■3.「本村さんの気持ちに応えなければならない」■
吉池検事の部屋を出た後、本村さんは宇部空港から、羽田に飛んだ。テレビ朝日の「ニュースステーション」が今日の判決に関して、生出演してくれないか、と要請していたのである。

「使命」という言葉が浮かんでから、テレビを通じて自分の主張を社会に届けるのも、犯罪被害者たちのためだ、という決心がついたのである。

その夜10時半からスタートした「ニュースステーション」に本村さんは生出演した。昼間の記者会見の昂ぶりが消えて、本村さんは自分の「使命」を意識して、一生懸命に語った。

今の刑事訴訟法の中には、私が読む限りでは、被害者の権利という言葉は、ひと言もなくて、被害者が出来ることは、何も書かれていないんですよね。結局、国家が刑罰権を独占しているんで、強い国家が弱い被告人を裁くという、弱い被告人には権利をたくさん保障してあげましょうという構図が見えて、そこから被害者が、ポツンと置き去りにされているんですね。

ですから(法廷に)慰霊を持ち込むことにしても、駄目です、と言われる。

反応はすぐに現れた。記者団に囲まれた小渕恵三総理がこう語った。

無辜(むこ)の被害者への法律的な救済が、このままでいいのか。本村さんの気持ちに政治家として応えなければならない。

この11日後に小渕首相は脳梗塞で倒れ、5月14日に亡くなるのだが、息を引き取る二日前に「犯罪被害者保護法」「改正刑事訴訟法」「改正検察審査会法」が国会を通過した。

これで刑事裁判を傍聴することしかできなかった犯罪被害者に、法廷での意見陳述が認められることになる。本村さんたち犯罪被害者の声は、確実に司法を変えつつあった。

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作者:古沢 襄

更新日:2009年1月6日 16時40分

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坂本発言は正論なのだが 花岡信昭

<総務省の坂本哲志政務官は5日、同省の仕事始めのあいさつで「年越し派遣村」について触れ、「本当に真面目に働こうとしている人たちが集まっているのかという気もした」と述べた>以上は産経のネット配信記事。

これはまさに正直な気持ちを述べてしまったわけで、正論ではあるものの、「政治家の発言としては、それをいっちゃあ、おしまいよ」といわれかねないだろう。

派遣先から解雇された人たちが気の毒であることはいうまでもない。年末年始のテレビはネットカフェで過ごす人々をクローズアップしていた。

その日の食にも住居にも困っているという人たちがいるのは確かだ。だが、「派遣村」としてそこに依存する権利の主張が高まってくると、政治や行政は戸惑うことになる。

あくまでも応急処置であって、そういう人たちには生活保護などの福祉政策が用意されているのだ。

日本の生活保護はなにせ暴力団に2億円支払うことが可能なほど充実している。国民年金を払い続けても月に6万円ほどにしかならないが、年金をまったく払ってこなくて生活保護を受ければ16万円ぐらいになるらしい。

そうした矛盾はあるのだが、それはそれとして、本当に困窮している人たちを行政が助ける手段は手厚く用意されている。

派遣村に500人集まったとして、その全員に生活保護を適用するぐらいのことは十分に可能だろう。

もうひとつ、別の側面からも冷静な考察が必要だ。派遣労働というのは終身雇用に代わる新しい労働形態として位置づけられていたのではなかったか。

日本では終身雇用が当たり前のように行われてきたが、アメリカでは企業を移り歩くほうが実力を認められることになる。

派遣というのは、ひとつの企業、ひとつの業種に人生をしばられるのではなく、いろいろな仕事をしてみたいという新時代の労働スタイルを反映したものではなかったか。

そこで能力を示し、がんばれば収入増につながり、スキルアップがはかれる。それが派遣であったはずだ。

そこには当然、責任と覚悟がともなう。経済の悪化で思いもかけない事態が現出することも、あらかじめ想定しておかなくてはならない。

企業の内定取り消しで泣いている学生も多いという。いくつかの大学で学生たちと接してきたが、社会に出るための準備期間として大学の4年間を位置づけ、それなりの努力を重ねてきた学生もいることはいるが、大半は就職時期になってばたばたとあわてだすというスタイルが一般的だ。

マスコミを目指したいという学生に「週に1本でいいから論文を書いてみろ」とサジェスチョンしたこともあったが、これがなかなか続かない。

筆者は大学時代、新聞社にはいることしか頭になかったから、新聞OBが主宰している「私塾」のようなところへ毎週通い、文章の添削を受けた。

いまの学生はまず新聞を読まない。それでマスコミの世界へのあこがれだけは持っている。その「甘さ」を早い段階で払拭しないと、とてもではないがビッグ・メディアへの道は遠い。

右肩上がりの時代はとうに終わったのだ。そうした時代背景の中で、自分の人生をどう位置付けていくか。

「派遣村」は人間の生き方そのものを改めて示唆しているようにすら思える。

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作者:古沢 襄

更新日:2009年1月6日 10時3分

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CHINA13億のお客様(下) 福島香織

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CHINA13億のお客様(上) 福島香織

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多神教国のありがたさ 平井修一

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男の道は、金も名誉も他人のこと 加瀬英明

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オバマ大統領誕生までの歩み 加瀬英明

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国際資本の大脱走 宮崎正弘

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ロシア経済を直撃した原油暴落 古沢襄

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家庭内「年越し村3丁目の夕陽」 平井修一

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67万社の倒産を認める 宮崎正弘

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伊勢参拝と「蒼生安寧」 花岡信昭

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日本は良い国だ MoMotarou

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遺体展示の毛沢東 渡部亮次郎

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私がこの手で殺します(下) 伊勢雅臣

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坂本発言は正論なのだが 花岡信昭

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