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製造業派遣禁止に反対する日経新聞、産経新聞社説~1月8日紙面から

 日経新聞と産経新聞が8日付社説で労働者派遣法の対象から製造業を除外すべきだ、という舛添厚労相や民主党、社民党、共産党の考え方に反対する主張を打ち出した。それぞれ経団連応援新聞、産業経済新聞としての立場から致し方ない選択だったのだろうが、変革への意志が感じられないのは寂しい限りだった。明確に製造業を除外しべし、としている毎日新聞や東京新聞とのコントラストがくっきり浮かび上がった。  日経新聞社説<雇用激震に備え短期・中長期の対策急げ>は、  <製造業への労働者の派遣事業が解禁された2004年以降、各地の製造現場では直接雇用の期間工などを派遣に置き換える動きが広がった。舛添氏の考え方、野党の案ともに細部は不明だが、04年以前の状態に戻すことを狙っているようだ。>  として、  <この規制強化は労働市場を不安定にする副作用がある。工場側にとって派遣社員は直接雇用の期間工を雇うのに比べ社会保険手続きなどを派遣会社に任せられる利点がある。働く側から見ると派遣制度がないのと比べ雇われやすい。また、すぐに仕事に就けるなどの理由で自ら派遣での就労を希望する人も増えている。そうしたことを考えると多様な雇用形態を残しておくことが望ましい。>  と主張するのだ。大雑把に言えば、その根拠は①労働市場が安定する②工場側の利点③働く側も職を得やすいメリットがあり、派遣希望者が増えている――というものだろう。①②は会社側の都合であり、③が労働者側のメリットだ、というのだ。だが、本当にそうなのだろうか? 最近の新聞で見る派遣労働者の訴えとあまりに乖離していないか? 誰だって望んで派遣労働をやりたくはないが、正社員として雇われないので、仕方なく派遣で働いているのだろう。そして、日経社説は続ける。  <日雇い派遣を原則禁止するために政府が国会に出し継続審議になった法改正案も問題が多い。派遣失業者にとって、今のようなときこそ一日単位で仕事を見付けられる日雇い派遣はありがたいものではないか。>  驚くべきことに、日雇い派遣も禁止すべきではない、という主張である。派遣労働者は1日単位の労働の切り売りが望ましい、とでも考えているのだろうか?  そして、次のように言う。  <規制強化に走るのは賢いやり方ではない。国が真っ先に取り組むべきなのは、財政資金や雇用保険に積み立てたお金をうまく使い、緊急避難的に仕事を提供したり失業者が次の職場を遅滞なく見付けられるよう職業訓練をしたりすることだ。>  後半部分はその通りだ、と思う。職業訓練の充実が求められている。ただ、日経新聞らしいと思うのは、公共事業の前倒し執行を求めていることだ。  <各地域の経済活性化につながる道路の整備などを厳選して事業家を急いでほしい。首都圏では羽田、成田空港への時間距離の短縮に役立つ交通網などが対象になる。>  というのだ。リチャード・クー氏だったか、公共事業の効用を説いており、その通りだと思う部分も多いのだが、誰かが言っていたが、どの公共事業を選ぶか、という時に省庁の意見が反映されると、実は後が大変なのだ。地方自治体の後年度負担が膨らみ、地方財政を圧迫するのである。だから、極端なことを言えば、穴を掘って、その穴を埋めるような公共事業でもいいから害悪を垂れ流さない公共事業をすべきだ、という主張をした人がいた。そういうことだろ思う。成田、羽田へのアクセスなど、将来の維持費まで考えて言っているのだろうか? 疑わしいと思う。  非正規雇用者の安全網の充実をせよ、という。まさしくその通りなのだ。雇用保険の適用対象を広げることと職業訓練が例示されている。教育の充実で誰もが手に職を持てば一時的に仕事からあぶれても苦労せずに次の仕事に就く機会が広がるので、そうした基盤整備を急げ、というのだが、抽象論である。  最後には御手洗冨士夫・日本経団連会長が提案したワークシェアリングに触れ、正社員と非正規社員について「同一労働・同一賃金」原則を導入するように求めるなどしている。この部分を写しておこう。  <企業が社員をどれだけ解雇しにくいかを経済協力開発機構が指数化したところ、日本は正規社員が手厚く守られている半面、非正規社員の保護の度合いは著しく低いという結果が出た。同一労働・同一賃金の原則とともに、この格差緩和も考えなければならない。どちらかといえば正規社員の既得権益維持に熱心な連合に意識改革を望みたい。>  このOECD調査の話は日経新聞8日朝刊3面<製造業派遣見直しに溝/与党 業種規制強化に慎重/民主 禁止検討へ方針転換>につけた奥村茂三郎編集委員の解説記事<性急な規制は逆効果/安全網の拡充急務>で詳しく説明してあった。つまり、OECDの08年版対日経済審査報告で「日本の正規労働者と非正規労働者の賃金格差は生産性の差をはるかに上回っている」と指摘し、「デュアリズム(二極分化)」の拡大を懸念している、という。  日経らしいと思う。社説で打ち出すだけでは言い足りないと思って、社説が2面に出る日の3面にこの記事を掲載し、社説を読む際の手引きにしている。奥村論文は趣旨が社説と同じだった。記事の中には八代尚宏・国際基督教大学教授の「昔も今も製造業は景気変動の影響を和らげるために非正規雇用を必要としている。規制緩和前に戻れば今度は請負や期間従業員が職を失いかねない」という談話を使っているが、この八代氏こそ規制緩和会議などで派遣労働法の製造業適用に動いた張本人だ。張本人にまでご登場j願ってものを言わせるくらいまで規制緩和グループの人材は枯渇してしまったのだろうか。  いずれにしても苦しい論理だと思うのだが、この問題は各社の論説室、論説委員会ともすぐにハンドルを切る、というわけにはいかない一貫した姿勢があったのだろう、と思う。今までの主張と整合させながら、どのように対処するか、である。その意味で日経新聞は相当に苦しい中でこの結論を選択したのだろう、と想像する。派遣労働者らからのバッシングは覚悟の上なのだろう。というか、派遣労働者は日経新聞をとらないから、読者が減るわけでもない、と達観しているのかもしれない。  そういう日経新聞のスタンスは一応理解するとして、貧乏だが志だけは高く産経新聞を読み続けよう、と考えているちょっと右翼チックな読者も翼下に抱える産経新聞が同じ日に<製造業派遣 規制強化は慎重な論議を>の社説を掲載したのは正直、意外だった。  主張の内容は日経新聞とほ同じである。  <規制緩和は、国際競争の激化でコスト削減を求められた企業側の事情が背景にある。企業は短い納期で多品種少量生産を要求されるようになった。ただ、これは労働者側にも雇用拡大という形でプラスになった。ここ数年の失業率は4%台と低い水準だ。それなのに、非正規雇用者の失業が拡大したから、製造業派遣を禁止すべきだというのは乱暴すぎるだろう。派遣労働者を雇えなくなれば、企業は直接雇用に頼らざるを得なくなる。それは、人件費の増加を招くため、企業側はかえって雇用を減らす方向に動く可能性が懸念される。また、柔軟な雇用調整ができなくなれば、日本企業は人件費の安い中国や東南アジアなどに生産をシフトすることも考えられる。それは、国内全体の雇用を減らし、失業率の上昇を招きかねない。製造業をめぐる喫緊の課題は、雇用の維持である。それを労使双方が認識した上で、正社員と非正規社員が一緒に仕事を分かち合うワークシェアリングを含め、さまざまな工夫を凝らしてほしい。>  というのが最も言いたい部分だろう。ここでも御手洗氏のワークシェアリング論に逃げているが、日経が最後に注文していたように、ワークシェアリング論というのは、正規社員の給与を下げ、非正規社員の給与を増やせ、という論である。連合にゲタを預ける議論であり、民主党の支持組織をいじめる、という政治的効果はあるかもしれないが、実現可能性はほぼゼロだろう。企業単位の労組の集合体であるナショナル・センターの連合が各企業内労組にそんなマイナスを押し付けることはできっこない。  産経新聞はどうしてこんな社説を掲載したのか? ただ単に自民党の麻生政権を応援し小沢氏の民主党に反対するためだったら寂しすぎる。

作者: たつ

更新日:2009年1月8日 16時0分

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メディア経済・政治・国際財政・社会保障

塩野七生さんの日本政治への提言、心して聞くべきだと思う~読売新聞1月8日朝刊から

 読売新聞1月8日朝刊1,2面の大河企画[大波乱に立ち向かう⑥]は塩野七生さん。あの「ローマ人の物語」の著者である。最新刊「ローマ亡き後の地中海世界」を今「なるほど、なるほど」と読んでいる最中なのだが、この読売新聞インタビューに出ている現代日本への憂国の情あふれる提言は背筋を伸ばして聞く価値がある、と思った。聞き手は文化部の尾崎真理子記者だ。 ローマ亡き後の地中海世界(上)著者:塩野七生販売元:新潮社Amazon.co.jpで詳細を確認する  塩野氏のインタビューは  <オバマ新大統領の登場は希望というより、「もう白人エリート層には任せておけない」という米国民の失意ゆえの選択ではないか。米国の覇権時代は、終わったような気がする。>  というくだりから始まる。そして、覇権を引き継ぐ強力な国が見当たらない。  <EUもロシアも中国も、あらゆる宗教を受け入れて正義を貫く度量はない。>  というのだ。逆に言えば覇権国家は「あらゆる宗教を受け入れて正義を貫く度量を持った国家」ということである。たしかに昔のアメリカはそうだった、と思う。  <覇者たる帝国なき時代。それは世界を律する政治意志なき時代であり、中世のような無秩序への逆行を意味する。その証拠が、アフリカ・ソマリア沖などで急激に広がる海賊だろう。>  まさに今、塩野氏の頭の中にはローマ帝国滅亡後の海賊の時代を描いた「ローマ亡き後の地中海世界」があるのだろう。当然、ソマリア沖の話が出ると思ったら、最初からその話だった。  <私が通史を書いた古代ローマ帝国なら、無法な略奪行為など即座に鎮圧した。安全保障を帝国の至上課題とすることで、多宗教、多文化が紀元前1世紀から200年も繁栄し続けた。この「ローマの平和(パクス・ロマーナ)」が崩壊した途端、サラセンの海賊が地中海に出現し、暗黒の中世が1000年も続く。>  塩野氏は新著を海賊の定義から始めている。そして、公認の海賊、無法の海賊と分けていた。そして、現代の海賊は近代国家を切り崩す危険も孕むので早急に駆逐しなければならない、という。  <大国が悪の網に加担する疑念は、徹底的に糾弾すべきだ。困窮する国の無法者やテロリストを抑えるには、正当な経済援助しか結局は有効ではない。>  として、そこに日本の出番があるのだ、と説く。  <我々は覇権を持つ国ではないが、いまだ経済大国として、いい位置にいる。途上国や紛争地域の発展に貢献するために、持続的な国際協力活動を可能にする法整備を急ぐべき時だ。>  というのは異存ない。ただ、識者の中には日本の経済大国としての命もあとわずかだ、という人も多い。90歳を迎えたシュミット元西ドイツ首相もそう言っていた。時間はない。  <帝国なき時代は日本の好機かもしれない。法の正義を順守して、手堅く生き延びたベネチア共和国のように、キラリと光る国になってはどうか。>  ここからが塩野氏の提言である。「海の都の物語」(1980年)で塩野氏はベネチアの歴史を書いたが、  <高度成長を果たした日本と重ねた読者も多い中で、真意を見抜き、自省した識者もいた。「我々にはベネチアが重視した情報政策も、外交手腕もなく、自国の強力な海軍もないではないか」と。その課題は今も残されている。>  と言うのだ。塩野氏が言うように古代ローマもベネチアも状況に応じて法を活用する懸命な政治を行ったから生き残れたのだ。しかし、と塩野氏は続ける。  <日本の現状は百年に一度の経済恐慌というが、それ以上にわが国の政治危機は深刻だと思える。>  として、経済危機よりも深刻な日本の政治危機がどういうものか、説明する。  <自由市場に任せれば、ひずみは生じ、格差は拡大する。ひずみとはエネルギーの浪費であり、政治とは、ひずみを法で軌道修正する手段のこと。スピードだけで勝敗をつけず、効率よくエネルギーを使い全員がゴールに入るよう調整する。それが政治本来の役割なのに、日本の政治家はその調整能力をすっかりなくしている。>  「政治とは何か」である。塩野氏の言葉は重い、と思う。政治家はこの記事を読んでいるのだろうか? 是非各政党で議員に記事のコピーを配ってほしい。読んでも理解できないような議員だったら、国会議員を辞めていただいたほうがいい、と思う。そして、塩野氏の提言である。  <思い切って言うが、人材払底のこの危機を大連立内閣で乗り切ってはどうか。5年限定でよい。ベネチアの十人委員会のような非常時の超党派体制を組み、まず経済政策を一本化させる。憲法9条の改正も、大連立で視野に入ってくる。民間の海外進出を自衛隊が護衛できるよう法を整備し、日本企業の生産拠点が途上国に増えれば、国益はもとより世界経済、ひいては「中世」への逆行を食い止める重要な役割を、我が国が果たすことができる。>  随分と思い切って言ってくれたものだが、全面的に賛成である。言い難かっただろうと思う。日本にはまだ丸山真男信者も多く、心情的進歩的文化人を崇拝する伝統が消えておらず、改憲といえば非国民と石もて追われる雰囲気がある中で、言いたいことをズバリ言った、という感じだ。  <徳川幕府の太平の世に独自の文化が開花し、今のクール・ジャパンの源泉となった。反面、外交能力は失った。産業分野を「士農工商」で再考すれば、忠君一辺倒の「士」の精神はもはや役立たない。他人の資金で儲ける「商」=ファンナンスの才も薄い。「農」には未来がある。若者を引きつけるベンチャー的手法を取り込めば活路は開く。>  なるほど、と思う。目から鱗が落ちる感もある。武士道とかまた見直されており、何か違和感があったのだが、こうズバリ言われると納得である。商業的センスは薄いのだろう、日本人は、確かに。そして、「農」重視は私の年来の考えと一致している。塩野氏が言うように若者を引きつける魅力がなければならない。これを実現するのは大革命を起こすように難しいことなのだと思うのだが、だからこそ、大連立をしろ、と言っているのだろう。つまり産業構造の大転換が必要なのだから。  <だが、何といっても日本は「工」の国だろう。トヨタ、ソニー、ホンダなどの工業製品は、やはりこの国最良の才の産物。実体経済の要である工業の発展に、心を寄せようではないか。ホンダのF1撤退も、リーダーの英断と評価したい。エコ車の開発に資金を集中させれば、地球全体が恩恵を享受できる。日本は技術力で覇権を握ればいい。>  そうではあるが、それがまた難しいのでしょう。塩野氏が書いているように、製造業は今後、もっともっと途上国に工場をシフトしていくだろう。それを守る海軍を充実し、情報ネットワークを整備することで若者の雇用はある程度吸収できるだろうが、よく産業界で言われるような高度付加価値製品だけ日本国内で作る、とか、研究開発分門は海外移転しない、という仕分けが本当に長年続く保証があるのかどうか。僕は結局は高度付加価値製品まで海外で作るようになる、と思う。日本の青年には語学教育を徹底して仕込み、そういう海外拠点での監督責任者になる教育をしなければならないかもしれない。この辺、ものすごく難しい点だと思う。  <ルネサンス期の思想家マキャベリ同様、「実際に行動を起こす人のために」、私は歴史エッセーや小説を40年以上書いてきた。現在、海賊と政情不安と干ばつに苦しむ北アフリカも、古代ローマ時代は帝国の下水道が敷かれた緑地帯だった。「人間は食と安全が保障されれば、略奪せず何とか自立できる存在だ」とだけは言っておきたい。人間の意志と実行力こそ、帝国なき時代の平和という奇跡を生む。正義なき宗教への妄信が、それを生むのではない。>  政治家諸兄は心して読んでくれただろうか。読売新聞のこのシリーズ、いいなぁ。

作者: たつ

更新日:2009年1月8日 14時31分

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90歳のヘルムート・シュミット元西独首相の予言「日本の対中経済優位はあと20年だけ」~読売新聞1月7日朝刊から

 読売新聞1月7日朝刊1面~2面続き物[大波乱に立ち向かう⑤]でヘルムート・シュミット元西ドイツ首相が登場していたので驚いた。「まだ生きていたのか」の驚きである。人物紹介を読むと、独ハンブルク出身。大恐慌時に少年時代を過ごし、第2次世界大戦で軍務に就く。戦後、社会民主党入党、ハンブルク大卒。国防相、財務相を経て1974~82年首相。90歳とあった。やっぱり昔々の人だった。しかし、言っていることはボケていない。  写真を見ると、ハンブルクの自分の事務所の執務机の前でインタビューを受けているようで、左手の指にはタバコを持っている。ヘビースモーカーのようだ。タバコを吸っても90歳までしっかり元気に生きられる見本のような人だ。  世界金融危機への対処を主に聞いているので、そういう話題が多いのだが、面白かったのは彼の「日本論」だった。主な発言を書いておこう。聞き手は欧州総局長の森千春記者だ。 ▽世界経済・政治の重心は明らかに北米から東アジアあるいは太平洋地域に移りつつある。特に中国、インドの重要性が増し、米国の重みが減少してきた。 ▽中国は、若い層の教育に多大な努力を注いでいる。欧米で大学教育を受けた中国人が帰国するのは、自国の経済の未来を信じているからだ。内政上で不測の事態がなければ、中国は今後40~50年で、テクノロジー面では、最先端に到達すると思う。 ▽私はこれまで21世紀に世界的影響力を持つ大国の顔触れを「米国、中国、ロシア」と予測してきた。ロシアを挙げるのは、バルト海からベーリング海峡まで延びる世界最大の国土と地下資源を有し、強大な軍事力を保有しているからだ。 ▽欧州連合(EU)は少なくとも21世紀前半にはこうした世界的大国の一角を占めることはない。 ▽民主主義、人権といったいわゆる西側の価値観は、もっぱら西側諸国のもので、アジアでは通用してこなかった。日本は例外だ。今後も、西側の価値観は、アジアでは大きな役割を果たさないだろう。中国には、4000年の文化があり、儒教や道教が受け継がれてきた。21世紀の世界で異なる価値観が存在することは、事実として受け入れなくてはならない。 ▽西側の人々は、アジアやイスラム圏の人と対話するためには、自分たちの価値観の源泉を知っていなければならない。西側の価値観の由来をキリスト教に求めがちだが、キリスト教の教えには民主主義も法治国家も人権も出てこない。こうした価値観は「啓蒙主義」に源泉があり、200~300年の間に人々の意識に定着した。その結果、欧州諸国は19世紀末から20世紀にかけて「すべての人の福祉」を目指す経済のあり方を志向した。 ▽日本の未来を考えるうえで、ドイツと比較したい。両国はともに第2次世界大戦後の半世紀で、当初想像もできなかった経済的成功をおさめた。大きな相違点はドイツがEUの中に根付いているのに対して、日本は近隣諸国から孤立していることだ。政治家をはじめとする日本の指導者たちには隣人と友好的な関係を打ち立てようとする努力が不足していたと思う。ドイツは戦後、近隣諸国との間である程度友好的な関係を構築できた点で、日本より幸福だ。 ▽中国と比較した場合の日本の経済的先進性は、20年もすれば意味がなくなるだろう。日本は自国の経済的優位にあまりにも長く依存してきたのではないか。その優位は、消滅しつつある。

作者: たつ

更新日:2009年1月7日 23時16分

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民主が製造業派遣禁止法案提出へvs経済界首脳発言集~1月7日朝刊各紙から

 昨日、小沢一郎氏の決断が待たれる、と書いたが、どうもすでに小沢一郎・民主党代表は労働者派遣法の製造業への派遣禁止を内容とする見直しを党幹部に指示していたらしい。詳しく読まなかったので分からなかったが、すでに朝日新聞が6日朝刊1面<製造業派遣 見直し焦点/規制案、民主検討へ/首相は慎重姿勢>で書いていた。見落とした。  朝日6日朝刊によると、  <民主党も製造業派遣規制に踏み込む。同党は労働組合を支持基盤とするだけに、これまでは「さらなる失業を招きかねない」と消極的だったが、予想を超える雇用情勢の悪化で方針転換を迫られた。共産、社民、国民新各党はかねて製造業派遣原則禁止を掲げており、小沢代表は4日、「4野党でしっかりまとめないといけない」と党幹部に指示。野党共闘を優先し、法改正の検討に入ることになった。>  <民主党政調幹部は「製造業で派遣切りが相次いでいることは事実。年度末の決算期に向けてさらに派遣が厳しい状況になるのは間違いない。そのままというわけにはいかない」と明言。派遣労働者への雇用保険適用などセーフティーネット強化策とあわせて検討する。菅直人代表代行は5日、「派遣村」の参加者らと国会内で開いた緊急集会で「まさに人災。大きな責任が野党を含む政治にある」と強調した。>  とあった。あまりに大きな記事なので、読み飛ばした。なぜ気づいたかと言えば、読売新聞1月7日朝刊政治面2段記事<製造業派遣禁止法案 民主提出へ>に目が行ったからだ。最初は勘違いして読売新聞の特ダネかと思ったが、それにしては扱いが小さいので疑問に思って昨日の新聞を読み返して、気づいた。  読売新聞の記事内容は朝日新聞と同じだった。小沢代表が指示した相手が菅直人代表代行だ、と特定していたのが新しいくいらいだ。  1月7日朝刊で目立ったのが経済3団体の新年パーティーとその後の3団体トップの共同記者会見を報じた各紙の記事だった。経済人も苦しんでいるらしい。各紙が報じた発言をピックアップしておこう。まずは朝日新聞1月7日朝刊経済面<経営者に聞く/製造業派遣見直し「性急」/給付金の効果疑問視>から。  桜井正光・経済同友会代表幹事は「製造業を派遣対象から排除するのは行き過ぎだ。(失業者らに対する)セーフティーネット(安全網)の充実など手直しを考えるのが重要だ」。  岡村正・日本商工会議所会頭は「うまく機能している時は、従業員は仕事の選択ができ、企業は繁閑期の労働調整ができた」と製造業派遣の意義を強調した。  御手洗冨士夫・日本経団連会長は「(製造業派遣は)働き方の多様化というニーズに対応してきた。将来の環境変化に対応するため政労使で法制の見直しをしていけばよい。ワークシェアリングも一つの選択肢で、そういう選択をする企業があってもおかしくない。時間外労働や所定労働時間を短くすることを検討することもありうる」と雇用の実情に応じた検討の必要性に言及した。  池田弘一・アサヒビール会長は「(見直し論は)性急すぎる。もし製造業派遣を規制すれば(企業はかえって人を雇わなくなり)失業率が高まる」。  槍田松瑩・三井物産社長は「バランスのとれた柔軟な雇用の仕組みがなければ、製造業は海外に逃避する」。  経営悪化を受けて大幅な人員削減に取り組んでいる中鉢良治・ソニー社長は「議論が内向きになりすぎている。日本の国際競争力の低下は避けなければならない」。  一方、これをきっかけに労働法制のあり方を見直すべきだ、という指摘もあるという。  鈴木敏文・セブン&アイ・ホールディングス会長は「正社員、非正社員という分け方が正しいのか、考える時期にきている」。  元産業再生機構専務で現在、経営共創基盤の冨山和彦代表取締役は「非正規社員に対する保護を強化する一方で正社員の保護をもっと緩めるべきではないか」と提案した、という。  読売新聞7日朝刊2面<ワークシェアで雇用維持/経団連「選択肢の一つ」>で、  <ワークシェアリングは、2002年の不況期に、政府と日本経団連、連合が進めることで合意した。その後、景気が持ち直したため、企業で導入する動きは広がらなかった経緯がある。>  として、別稿の[クリップ]で、  <ワークシェアリングとは幅広い年代層の社会参加を促すため、1980年代からオランダなど欧州を中心に普及した。日本の大手企業では日立製作所やシャープなども一時、導入したが、現在ではほとんどの大企業が制度を打ち切っている。>  とあった。読売新聞はまた、経済面<経団連ワークシェア言及/雇用改善 財界も模索/背景にリストラ批判>でこの財界新年会の発言をまとめていた。  面白いのは経済3団体トップの発言内容の重点の置き方が朝日新聞と違っていることだ。読売は以下のように取り上げた。  御手洗氏は記者会見で経団連、経済同友会、日商が協力して雇用問題に取り組む考えを示し「新たな雇用を生み出すため、イノベーション(事業革新)により高付加価値の製品を生み出したり、新しいサービスを作りたい」と述べ、岡村氏は「環境関連の分野がポイント」と指摘した、とあった。  産経新聞7日朝刊は政治面<製造業への派遣規制/政府・与党内に溝/野党は格好の攻撃材料に>とまとめていたが、内容は今まで出た発言の羅列だった。  東京新聞は7日の社説<製造業派遣/禁止に踏み切る時だ>で昨年、毎日新聞が社説で打ち出していた労働者派遣法の見直し論に同調していた。ここに統計の数字があったのでまたメモしておく。何度かメモした数字と同じ統計だ。  <派遣労働者は労働力調査によると07年で約133万人。厚労省調査では07年度に派遣労働者として働いた人は約384万人。そして製造業派遣は約50万人とされる。禁止する場合には受け皿づくりが必要だろう。>  という数字だ。133万人と384万人の関係は実数と延べ人数の違いか? 東京新聞社説の主張を写しておく。  <今国会では継続審議となっていた労働者派遣法改正案が審議される予定だ。日雇い派遣の原則禁止などを盛り込んだものだが、この際、与野党間で協議して法案の修正を検討すべきである。>  というものだ。そして、経済界の慎重姿勢について次のように述べている。  <経済同友会などは製造業派遣の禁止に対して国際競争力の維持が困難になると強く反対する構えだ。禁止すれば海外移転が進み失業者は増えるとも指摘する。大事なことは経営者の姿勢だ。ある大手電機首脳は「日本企業の強さは人材にある。経営者はぎりぎりまで雇用を守るべきだ」と安易な解雇を戒めている。>  経済界の言い分に対して、説得力のある反論になっていない。  毎日新聞7日朝刊3面[クローズアップ]<財界「我慢の年」/トップ年初の声>もパーティーの一言集。  下妻博・関西経済同友会会長は「減産で人が余ったからといってすぐ解雇というのは短兵急だ」と。  数土文夫・JFEホールディングス社長は「日本の法人税は世界に比べて高い。それに加え雇用も維持しろ、非正規社員制度を廃止しろと言われたら、(他国の企業と)同じ土俵で相撲はとれない」と語った、という。随分と本音をしゃべっているなぁ、という感じだ。  流通業界の意見はどうも違う。さきほどのセブンイレブンではなく、今度は新浪剛史・ローソン社長。「われわれは人が集まらなくて大変な状況にある。産業間のアンバランスが課題だ。自社の採用は積極的にしていく」と言っている。  そういうことなのだろう。輸出産業、つまり製造業は今後も減産を繰り返し、縮小する傾向にある。しかし、内需は振興すべきだということで、特に流通業と農業は政府が力を入れて新興するだろう。その雇用の調整が今後、政治、経済界、労働界が力を合わせてやらねばならない仕事なのではなかろうか。

作者: たつ

更新日:2009年1月7日 16時15分

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「覇権」生んだ「派遣」の法的弱さ+年越し派遣村引越し+舛添発言~日経1月5日朝刊、毎日6日[経済観測]、朝日6日まとめ記事

◆日経新聞のQ&Aでお勉強  日経新聞1月5日朝刊[MONDAY NIKKEI 法務]の[リーガル3分間ゼミ]に<Q派遣契約を中途解除された…/A「登録型」の法的立場弱く>という記事が掲載されていた。派遣契約の仕組み図付きである。  日経のお得意な[ポイント]がついており、①派遣契約は派遣会社と派遣先の企業との企業間の契約②残った期間の賃金について派遣元への請求権はある――とあった。これだけでは分からないだろうが、記事は案外丁寧で、分かりやすかったので、理解した部分だけまとめておこう。  まず、非正規労働者には派遣労働者と期間労働者がある。  期間労働者(期間工)は企業と直接「有期雇用契約」を結んでいるため、労働契約法に基づき、契約期間中の解雇は、やむを得ない理由がある場合でなければ解雇できない。解雇する場合も正規雇用と同様、労働基準法に基づき、少なくとも30日前までの予告が必要とされている。  一方、派遣労働者は派遣元である派遣会社と「有期労働契約」を結んでいる。派遣会社は派遣先企業と結ぶ「労働者派遣契約」に基づき派遣する。だから、派遣労働者と派遣先企業とは実際には直接の雇用関係はない。  契約打ち切りについて厚生労働省は「法律上は派遣会社と派遣先企業との民事契約の問題」という。厚労省は派遣先企業に対して①派遣会社への事前通知②派遣労働者の就業斡旋――を求めているが、小川英郎弁護士は「派遣会社にとって派遣先は顧客なので、派遣切りをされても抗議しにくい」と指摘している、という。  派遣労働者は「常用型」と「登録型」に分かれる。  「常用型」は派遣会社と継続的な雇用関係があり、派遣先企業から契約解除されても派遣会社との雇用関係は継続する。解雇についても期間工同様に保護されている。  しかし、派遣労働者の大部分は「登録型」だ。この「登録型」は労働者が希望と合う業務があった場合に派遣先企業で働くため、派遣先が契約解除すると、雇用関係を打ち切る派遣会社もある、と書いている。小川弁護士は「法的な立場は極めて弱いが、残りの期間の賃金について派遣元への請求権はある」と指摘しているという。  「登録型」であっても派遣元に実態がなく、派遣先が労働条件を決めている場合などについては小川弁護士は「派遣先と労働協約が成立していたとみなすべきケースもある」とするが、裁判で争って派遣先との雇用関係を認められるようなケースはまれだそうだ。  「登録型」でも①同じ派遣会社で1年以上反復継続して雇用②所定労働時間が週20時間以上――の場合は雇用保険の対象となるので、失業給付の受給資格があるかどうか確認したほうがいい、というアドバイスで記事が終わっている。 ◆毎日新聞[経済観測](三連星さん)の視点はしっかりしている  毎日新聞1月6日朝刊[経済観測]は三連星さんが<派遣が生んだ覇権>でワープロで「ハケン」を変換したら「覇権」が出てきたが、今後は「派遣」が出てくるようになるだろう、という話から始めている。僕の場合、最初から「ハケン」は「派遣」だった気がするが、それはいつも「派遣」の言葉を打ち込んでいるからなのだろう。初期化されたATOKやMSの辞書では、「覇権」の使用頻度が「派遣」より多い、と想定していたのは当然だと思う。今が異常なのだから。コラムであり、少し斜めからものを見ているが、それだけに真実に迫れる部分もあるだろう。面白いフレーズを写しておく。  <派遣とは何ぞや。正社員ではない。アルバイト、パートタイマー、ちょっと違う。集団で派遣されるのだ。>  と大雑把に摑む。そして、  <まず人材派遣会社なるものがある。常時、数百人、数千年の待機労働者を抱えている。企業から「500人ほしい」「700人は」と要望があれば必要人員を派遣する。現代版「口入れ稼業」と思えばよい。>  そうだ。現代版の口入れ稼業である。  <そんな頭数だけで工場が動くのかの疑問には、機械化、オートメ化の普及で全員が精鋭の熟練工である必要はない。数週間の研修でリッパに補助工員はつとまる。急膨張する業種ではほとんどと言っていいほど派遣の助けを借りている。>  そういうことなのだろう。やはり産業技術の高度化が影響していた。大きく言えば「フォーディズム」の流れだろう。  <企業にすればコスト、人件費引き下げの効果は大きい。仕事は一人前とは行かず八掛け、七掛けかもしれぬが、社宅、家族手当、健康保険、企業年金は節約できる。フリンジ・ベネフィットの厚さは日本企業の特徴だから半減近い。>  そういうことだ。会社人間という微温的な環境に安住しているのは給与の高さだけではない。この「フリンジ・ベネフィット」が大きい。社宅に住めば月3万円で10万円相当の立派な家に住める。差額の7万円を貯蓄しておけば、定年退職までにはマイホームを手に入れるのも夢ではない。家族手当も大きい。子どもの教育には是非とも必要な手当てだ。健康保険は本人が支払う保険料と同額を会社が支払い続けている。企業年金は退職金とは別費目での退職後給付。厚生年金満額支給までのつなぎとして安心材料であるが、企業にとっては大きな出費だ。こういう目に見えない利益を従業員は得ている。しかし、派遣社員はこれを受けられない。社員食堂から締め出されたケースもあるという。社員食堂は一般の店よりも安く提供しているが、その差額を会社が補助しているからだ。  <そして社員のみの労働組合とは縁が無く、連合幹部の景気のよい掛け声も素通りだ。なにより、首切り宣告は誰だって苦手だが、派遣会社の電話一本ですむ。客観的に見て、こんなに経営者に都合よく労働者に不利な雇用システムはめずらしい。>  「連合は問題だ」とナショナル・センター批判をしたいのだが、もう一度立ち止まって考えてみれば、そもそもの連合の成り立ちから言って、「持てる者」の集合体だったわけだから、彼らに期待してもだめだ、ということだと分かる。  同盟も総評も政治と密着しながら自分たちの賃上げをはじめとする権利獲得闘争を繰り広げてきた歴史を持つ。  そのナショナル・センター同士が一緒になったのが連合である。  アルバイトやパートは相手にしてなかった。また、あの時代はそれで十分だった(かどうかは議論が分かれるとしても、社会的な弱者集団スポイルという印象は与えなかった)のに、労働者派遣法改正で製造業派遣が認められてから、非正規労働者が全労働者の3分の1を占めるようになって、その連合というナショナルセンターの「持てる者」の集合体という性格が露わになってしまった。09年度運動方針を見ても分かるように、社会的弱者である非正規雇用問題よりも自分たちの生活レベルアップのための賃上げが重要なのだ。  電話一本で雇用調整ができるシステム。それは経営者に楽をさせているだけでなく、連合所属の組合員にも「何年連続労働分配率が下がっているのはけしからん。経済成長の果実をおれたちにもよこせ」という都合のいい要求に使われて、差別されている。  労働分配率が落ちているのは非正規雇用を大幅に増やしたためで、基本的には正社員の給与は下がっていないのだ。非正規社員という透明人間が一生懸命働いた分け前を経営者と連合所属組合員が貪り食っているマンガが頭に浮かぶ。人間性のかけらも見えない。  <便利なものは普及する。日本経済のバックボーンともいえる自動車もいち早く派遣の利用に乗り出した。天下のビッグスリーを窮地に追い込んだわが日本車の覇権は不況の寒風にさらされている派遣社員の汗と涙の産物である。ワープロの変換エラーもそこまで読み込んではいないか。>  と、これが締めの言葉である。この斜めから見る視点、ジャーナリストには大切な視点なのだと改めて思う。 ◆「年越し派遣村」の引越しと舛添「派遣法見直し」発言  実は労働者派遣法の問題が1月5日、6日と新聞で取り上げられているのは年末年始を日比谷公園で過ごした失職派遣労働者の数のあまりの多さに多くの日本人が驚き、舛添厚労相が1月5日の閣議後の記者会見ですでに国会に提出している労働者派遣法改正案の修正に前向きな考えを明らかにしたことが大きい。  この発言を朝日新聞は1月5日夕刊1面トップ<派遣法改正案/厚労相、修正前向き/製造業の規制視野>で大きく扱った。この日は年を越した派遣村が撤収され、最終的に残った約500人が4施設に分散される日だった。日比谷公園に設置された「年越し派遣村」だったが、「派遣切り」などで仕事と家を失った人が続々日比谷公園に集まり、パンク状態となり、2日には隣にある厚生労働省ビルの講堂に約250人が移動した。労働組合や市民団体などでつくる実行委員会の想定の倍近い約300人が集まり、用意したテントが足りなくなったものだ。村長の湯浅誠・NPO法人自立生活サポートセンターもやい事務局長は2日夜の緊急記者会見で行政の対応の遅さを批判した。  そして、5日の引越しである。舛添厚労相がものを言ったのには伏線がある。5日は各省庁の仕事始めで、講堂を使用する日だったのだ。厚労省が晴れ着の職員らが大講堂に集い、華やかなムードで年の初めを祝う日に、その行事のために大講堂を追い出される非正規労働失業者たち、というコントラスト。これが、頭がいいだけでなく感受性の鋭い舛添氏の心に相当の負荷を与えたことは想像に難くない。講堂は2日夜、厚労省が実行委員会に開放し、約250人が3日間宿泊し、雇用危機を象徴する場所となっていたのだ。  そこで、舛添厚労相は閣議後の記者会見で「個人的には製造業にまで派遣労働を適用するのはいかがかと思う。多くの人が賛同するなら、その方向で(労働者派遣法の見直しを)検討しないといけない。国際競争で勝ち抜くために、派遣労働にしわ寄せがいくのは、豊かな社会とは言えない」と語った(毎日新聞夕刊より)のだ。同じ頃になるのだろうか、失業者たちはチャーターされたバスに乗り、中央区の閉校になった小学校2カ所や練馬区にある都の体育館、大田区にある都の労働者向け一時宿泊施設の4カ所の仮の宿に移ったという。 ◆朝日新聞1月6日朝刊のまとめ記事も分かりやすかった  しかし、舛添氏の発言はやはり、と言うべきか思い付きに過ぎず、内閣の総意にはならなかった。官房長官も記者会見で即座に舛添案を否定した。  この経緯と底流は朝日新聞1月6日朝刊政策面<派遣法改正に是非論/製造業の規制急浮上/経済界は否定的 弾力性を重視>と関連記事<04年解禁後急速に増加/数カ月契約の「登録型」多数>に詳しかった。  記事には経済界の本音がどんどん出てくる。匿名のコメントも多かったが、発言した企業幹部は人非人のようなことを言ってテロに襲われるとでも思って名前を出さなかったのだろうか。  ある大手電機メーカー役員が製造業派遣が禁止された場合の影響について「雇用調整を弾力的にできなくなれば、日本メーカーは中国や台湾のメーカーにますます生産を委託するようになる。景気が回復しても国内に雇用は戻らないだろう」と話している。  別の大手電機メーカーは「正社員を増やす方向で議論が進めば人件費の増加につながる」と心配しているそうだ。  桜井正光・経済同友会代表幹事は派遣会社や請負会社などの製造現場での活用について「経営に柔軟性を与え、長い目で見て成長につながる。(規制強化を含む雇用形態の抜本的な見直しは)やるべきではない」。  岡村正・日本商工会議所会頭は「企業は(労働)需給調整が可能となり、働く側には働き方の多様化というメリットがある」。  御手洗冨士夫・日本経団連会長は朝日新聞のインタビューで「ここまで急激に(景気が)深い淵に落とし込まれるとは予測しておらず、一歩遅れた」として請負会社の支援を検討する意向を示した、とある。  経団連で今春闘での経営側指針をまとめた大橋洋治・日本経団連副会長は5日の連合の新年交歓会で「雇用の維持拡大に労使間で真摯な協議を行うのが重要だ」と歩み寄りの姿勢を示した、とあった。  以上が経済界の本音と建前である。本音も建前も「単純労働の派遣業除外などとんでもない」という点では一致している。  本音はそうしないと中国、韓国、台湾に負けるから、安く使える人員が必要だ、ということ。本音を国民の前でベラベラしゃべるのはオリックスの宮内義彦氏とザアールの女社長に任せているようでもある。  「悪者になってほしい。その代わり、商売のほうはきちんと面倒を見るから」とでも言われているのかどうか知らないが、経団連のお偉方はもう少し冷静な言葉で、だけど、厳しいことを言っているのだ。  データ集のような別稿も勉強になった。  <1985年に成立した労働者派遣法では当初、秘書や通訳などの専門業務に限って派遣を認めた。工場での作業が危険なため、派遣が認められなかった製造業も04年には解禁され、大手製造業の工場で派遣が急速に増加した。>  <小泉政権の規制緩和の流れの中、政府は失業率の改善策として柔軟な雇用形態を求める経済界の要望を受け入れるかたちで解禁した。>  <2007年度の製造業への派遣労働者は46万人で、前年度の約2倍に増えている。製造現場で働く人の多くは、派遣会社に登録し、数カ月程度の細切れ契約で働く「登録型派遣」が多い。いつ仕事を失うか分からない不安定雇用だとして、労働組合などが規制を求め続けてきた。共産、社民、国民新の野党各党も登録型の原則禁止を主張している。しかし、政府が昨秋の臨時国会に提出した派遣法改正案では、登録型は「労使双方にニーズがある」と規制を見送り、日雇い派遣の禁止にとどめた。民主党も根本的な規制には踏み込まず、「2カ月以内の派遣禁止」にとどめた法改正案を準備していた。>  というのが今までの流れだ。  <だが、景気の後退に伴って自動車など製造業で「派遣切り」が急速に進行。厚労省のまとめでは、昨年10月から今年3月までに職を失う非正規社員8万5000人のうち製造業が96%を占めた。>  そして、  <「派遣切り」などで仕事と住まいを失った人たちに、年末年始の寝場所と食事を提供する東京・日比谷公園の「年越し派遣村」に約500人が集まり、世論の批判が急速に強まったことも、政治家の発言を後押しした。>  <だが、製造業派遣を禁止すれば、メーカーは直接雇用や請負で対応せざるをえない。管理面で派遣より負担が大きくなるため、与党だけではなく、民主党内にも「規制を強めると雇用が減る可能性がある」と根強い慎重論がある。>  <請負は派遣以上に法規制が不十分だとして、「働く側にもプラスにならない」と懸念する声もある。一方、もやいの湯浅誠事務局長は「職を失って苦しんでいる人は派遣だけではない」と請負や有期雇用を含む働き方全体を見直すべきだと指摘している。>  と、以上なのだが、<労働者派遣法の規制緩和の動き>年表も勉強になる。 1985年 労働者派遣法制定 1986年 13業務を対象に派遣法施行 1996年 派遣対象を26業務に広げる 1999年 対象業務を原則自由化 2000年 正社員への道がある紹介予定派遣開始 2004年 上限1年で製造業派遣を解禁、制限期間を過ぎたとき派遣先企業に直接雇用の申し込み義務。 2007年 製造業派遣の制限期間を1年から3年に拡大  である。  「紹介予定派遣」などという分からない言葉も出てきた。  この記事は相当に詳しくて参考になったのだが、視点が経済人と同じ目線になってしまっているのが気になる。若い記者は取材すれば取材対象に感情移入するからある程度はやむを得ないのだが、もう少し客観的に書いてほしかった。  また、民主党の立場が微妙のようだが、こういう問題こそ小沢代表が乗り出してきて「製造業はダメだ」と一言言えばいいのではないか。先ほどから書いているように、日本経団連と連合は同じ鏡の裏表の関係にあるに過ぎない。その連合の代表者たちは自分たちの利益のパイを減らさないように、と経団連と同じことを言うのだろう。ここは剛腕、小沢代表の決断に待つしかない。決断してください、小沢さん。

作者: たつ

更新日:2009年1月6日 15時53分

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経済・政治・国際財政・社会保障

麻生首相の虚勢と小沢代表の余裕が目立った年頭記者会見~毎日jPの会見全文から

 毎日新聞1月5日朝刊を見ていたら、1面3段見出しで麻生太郎首相の年頭会見<「予算成立前、解散せず」/麻生首相/「話し合い」も否定/年頭会見>とあり、その下に2段見出しで<小沢代表/「雇用」で論戦臨む/「早期解散避けられぬ」>が掲載してあったのだが、最後に記者会見全文は毎日jPにある、と注意書きがあったので、インターネットを見てみた。全文があったので、コピペした。  全文そのままをこのブログに載せておくといろいろ問題があるので、関係部分だけ残して、消していく。少しだけコメントをつけて読んでみよう。 ◆麻生太郎首相の年頭記者会見  まずは麻生太郎首相が4日午前首相官邸で行った年頭記者会見である。  冒頭発言は「今年は今上陛下即位20年、ご成婚50周年、金婚式、誠におめでたい年」などと明るい話題を並べて「景気は気から」を実践しようとしている様子が見えた。そして、「安心して暮らせる日本。活力ある日本。この思いを年初め字に込めたいと存じます』と言って、演壇横の台で筆で色紙1枚に「安心」「活力」と書き込んだそうだ。  首相は「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」という言葉をあげて「好きな言葉であり、ある哲学者の言葉です。未来は私たちが創るもの。我々が創る。未来は明るい。そう信じて行動を起こす。そうした意志こそが未来を切り開く、大きな力になるのだと思っております。国民の皆様のために明るい日本をつくりたい。そう強く考えております」と結んだ。楽天主義で勝利を目指しているのである。  記者との一問一答に移る。  「民主党は第2次補正予算案から定額給付金を分離するよう求めている。景気対策の早期実行のため民主党と話し合うつもりはあるのか、それとも再可決を前提にあくまで正面突破を図るのか」という質問には事実上、無回答。  記者が「新年度の予算と関連法案成立までは解散・総選挙をしないのか、国会運営が行き詰まった時、予算成立のための話し合い解散は?」と聞くと、首相は「まずは予算と関連法案を早急に成立させる、これが重要。それまで解散を考えることはありません。また今、国会が行き詰まったときに話し合い、そのようなことは考えて、話し合い解散でしたっけ、考えておりません」と答えた。国会運営についてはこれがすべてだろう。  内閣記者会も意地が悪い。というか、聞くべきことをやっと聞いている。  「総理は解散時期は自身で判断する言っているが、支持率がだいぶ下がって行く中で、与党内には麻生総理では選挙を戦えないのではないかという声も強まっている。それでもあくまでも自身で解散するのか」という質問である。  首相の答えはいつもと同じだった。  「総理大臣が解散を決断します。すなわち麻生太郎が決断をします」と。争点ということで「国の将来に対して責任を持つことも大事。中福祉いうのならば中負担がどうしても必要と私は景気回復の後に消費税増税をお願いする、と申し上げた。無責任なことはできない。そういうのが政府・自民党だと、私はそこを一番申し上げたい」と胸を張ったらしい。これぞ責任政党、ということだろうか。それで通用すればいいのだが、今はその虚勢が通じなくなっている。麻生氏も気づいているだろうに、もはやスタイルは変えられないのか?  外交問題では最初にイスラエル軍がガザ地区に地上部隊を侵攻させたことについて聞かれ、首相は「長い話で、もともと(イスラエルがパレスチナ側から)ロケットを撃ち込まれた話からスタートしており、それに対する報復ということになります。事のスタートからなかなか話はまとまりにくいであろう」と暗い見通しを語った。  国際金融危機については「外交で優先順位の高いのは国際金融。明らかに金融収縮を起こしている。日本はIMFに10兆円、昨年融資した。大きな額をきちんと(拠出)しているのは日本だけだ。世界の大国として責任を持っていかねばならない。新しい国際金融秩序を作らないといけない。すべて市場経済原理主義みたいな話への危機感が出たことは今回明らかで、きちんとした監視が必要ということに関し、昨年のワシントンDC(11月の主要20カ国・地域サミット)でも提案し、日本案がそのまま採用になった。きちんとした対応がされているか、きちんと世界中でチェックし合わないといけない」と雄弁だった。  集団的自衛権問題については「政府は集団的自衛権の行使は憲法上許されないという解釈を採り、その立場は変わっていない。だが、非常に重要な課題なので、かなり議論される必要がある。ソマリア沖の海賊なども含めて、具体的なことになってきている。そういったことも含めて対応を考えていかない。懇談会報告書も出されているので、そういったものを踏まえて引き続き、検討していかねばならない」と言う。 ◆小沢一郎・民主党代表の年頭記者会見  小沢氏も4日、民主党本部で年頭記者会見を行った。これも毎日jPからピックアップする。  小沢氏は「去年の金融危機以来、今年も厳しい状況が続くと思うが、今の自公政権はそれを克服するすべを持たないのが現実だと思う。私どもとは国民生活をしっかり守る。国民の生活が第一という観点に立った政権を実現する。それに向けて全力で国民に訴え、目標を達成する大いなる年に、日本の国のために、国民のために、そして我々、民主党のために大いなる年にしたい」とまずは抱負を語った。  これは当然の内容だろう。  第2次補正予算については「雇用対策等は、我々なりの意見を是非反映させたい。雇用や中小零細企業の資金繰り対策問題などは可能な限り我々の意見を反映したい。(定額給付金の)2兆円問題は国民の皆さんの7割も反対している。2兆円のキャッシュがあれば例えば高齢者の窓口負担は1兆円ぐらいですか、(この)問題にも充てることができるし、小中学校の耐震構造をきちんと完成させる、これも確か数千億でできる話です。あるいは高速道路無料化という我々の主張も出来る。いろんな意味でもっと有効な使い方があると思う。こういった選挙直前の国民を愚弄するような、あるいはお金を無駄に使うようなやり方については、これは認めるわけにはいかない」と2兆円バラマキが照準だった。 国会闘争方針も「徹底抗戦ではない。国民の皆さんの主張を断固、国会でも国民の皆さんに代わって主張していくということだ」と余裕の答弁をしている。  解散時期で記者団に「小沢代表は通常国会冒頭での解散を主張してきたが(できそうもない)」と聞かれると、少し興奮したのだろうか、「私が解散時期を主張していたのではない。勘違いしないで下さい。国民の皆さんが政治、行政に黙って耐えていると到底思えない。年は明けたが、年度末に向け、年末以上に厳しい状況になることが予想され、国民の皆さんの政府批判、そして主権者の意思を問えという声は、麻生首相の単なる政権維持の意図を超える大きな声になるのではないかと思っている」と猛然と反論している。  小沢氏らしい論理で、首相としての答弁ならば問題を引き起こしかねないが、今は野党党首だからいいのではないか、と思う。  衆院選の争点、キャッチフレーズ、永田元議員の自殺など質問は多岐にわたったが、内実のある答えはなかった。  番記者ももう少し政策の内容に踏み込んで質問すべきだと思うのだが、どうしてしないのだろう。農業対策や円高対策としての内需型経済への転換策など、語らせれば面白いのに。政局記者ばかり増えたのだろうか?  総じて麻生太郎氏の虚勢と小沢一郎氏の余裕がほの見えた記者会見だった。

作者: たつ

更新日:2009年1月5日 13時32分

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御厨氏のいう「戦後」とは?~朝日新聞1月3日朝刊[私の視点]から

 朝日新聞1月3日朝刊OPINION面[私の視点]は御厨貴・東大教授(政治学)の<今年の選択/「戦後」乗り越える強い首相を>だった。ものすごく抽象的に書かれており、言っていることがよく分からないのだが、「戦後」をめぐる歴代政権の格闘ぶりを書いて興味深かった。 ◆吉田茂首相は「戦後」を作った。  これはサンフランシスコ講和条約と日米安保条約体制のことだろう。軽武装・経済大国路線の基礎を作ったのが吉田茂だった、という意味で「戦後をつくった」と書いたのだろう。 ◆1956年の経済白書が「もはや戦後ではない」と高らかにうたった。  これは鳩山一郎内閣。  1954年春に明らかになった造船疑獄が吉田内閣の首を絞めた。朝鮮戦争の停戦協定発効で不況に苦しんだ業界が政府・与党に利子補給など業界に有利な法整備を求めて働きかけた。自由党吉田派の佐藤栄作幹事長の逮捕も間近とみられたが、犬養健法相が検事総長に指揮権を発動し、佐藤逮捕が幻になった。内閣不信任案も与党の反対で否決された。吉田批判が燃え盛り、巻き返しを図った吉田は岸信介を除名したが、これを機会に岸派、鳩山派、改進党、日本自由党が合体して日本民主党を結成する。初代総裁は鳩山一郎、幹事長は岸信介で衆院120人の勢力を誇った。左右社会党と連携すれば吉田政権を倒せる勢力になった。  1954年12月6日、民主党と社会党が内閣不信任案を提出すると、第5次吉田内閣は総辞職の道を選ぶしかなかった。第2次吉田政権から数えて6年2ヶ月にわたる長期政権に幕が下りた。  1954年12月10日、鳩山一郎が首班指名を受けた。第2次鳩山内閣の55年10月に左右の社会党が左派の鈴木茂三郎氏を委員長に、右派の浅沼稲次郎氏を書記長に新たに日本社会党を結成。  一方、危機感を深めた財界の後押しもあって11月15日に自民党が誕生した。この自民党政権は宮沢喜一政権が倒れた1993年8月まで38年間、「一党支配」(御厨氏が言う「一党優位体制」)を続ける。国会では多数の自民党と万年野党の社会党による「自社55年体制」が続いた。  鳩山首相は56年10月19日にはモスクワで日ソ共同宣言に署名し、平和条約締結の際には歯舞色丹両島を返還するとされた。ソ連の賛成で56年12月18日には国連加盟が実現した。  鳩山首相は55年1月に「経済自立5カ年計画」を閣議決定し、吉田茂前首相が嫌った計画経済を押し進める。  54年11月に不況を抜け出した後、日本経済は57年6月まで31ヶ月に及ぶ神武景気を謳歌する。55年から56年にかけて主要産業が一気に設備投資を行い、56年はそれまでに見られなかったような好況の年になった。  そこで、56年度の経済白書は「もはや戦後ではない」と高らかに宣言したのだ。 ◆岸信介が60年の安保改定で「戦前」の幻影を呼び覚ました結果、次の池田勇人は高度成長政策で「戦後」をいま一度演出しなければならなくなる。  それはそうなのだが、草野厚・慶大教授が2005年に出版した「歴代首相の経済政策全データ」(角川oneテーマ21)で「条約の不平等性を改正することに、なぜ、人々が反対したのか。それは、岸が戦前の満州経営の総責任者であり、東條内閣の閣僚でもあったことなど、A級戦犯として訴追された、その経歴にあった」と書いている通り、吉田茂首相が結ばざるを得なかった日米安保条約には米国の日本防衛義務が明記されていなかった。それなのに、日本は米国に基地を提供する義務がある、という不平等条約だった。 歴代首相の経済政策全データ (角川oneテーマ21)著者:草野 厚販売元:角川書店Amazon.co.jpで詳細を確認する  このため、吉田は講和条約は出席者全員が署名にしたものの、安保条約では自分一人の署名にとどめ、閣僚らを巻き込まなかった。地獄に行って先祖に「こんな屈辱的な植民地になるような条約を結んだのは私だけです。すべては私の責任です」と謝らねばならないだろう。その時、謝るのは自分だけでいい、と考えたのだろう。その日米「不平等押し付け」条約の改定のチャンスがようやくめぐってきたのだ。  しかし、国民の受け止め方は違っていた。  草野氏が書いているように、A級戦犯の首相、満州の妖怪、右翼とのつながり…など、当時の空気からすれば「悪」とされる印象ばかりが岸にこびりついていた。  岸内閣が最初に取り組んだのが鳩山内閣以来の懸案だった教職員に対する勤務評定問題だった。地方公務員法では任命権者が職員の勤務評定をする、と決められているのに日教組が反発していた。日教組は岸内閣発足に合わせて全国で勤評闘争を繰り広げたが、岸内閣は58年4月以降、全国の都道府県で勤務評定を実施した。日教組はストライキなどで抵抗した。  しかし、一般公務員には行われている勤務評定をなぜ教師に対して行ってはいけないのか、という疑問。日教組社会党もその本質的な国民の質問に答えられなかった。  58年5月22日の総選挙では社会党は8議席増えたものの、自民党も追加公認を入れて298と8議席増やし、社会党への風は吹かなかった。  しかし、その後の警察官職務執行法(警職法)は総評・社会党が「おいこら警官がデート中でも邪魔をする」「デートもできない警職法」というキャッチフレーズで反対闘争を展開し、岸首相は58年11月21日、鈴木茂三郎社会党委員長との会談で廃案を明らかにするという敗北を喫した。  岸は傷を負い、池田勇人、前尾繁三郎、三木武夫の3閣僚が辞任する騒ぎとなった。  この流れの中で安保改定が出てきた。ソ連と友好関係にあった社会党はソ連が日本に中立を求めたため、中立を党是として、安保廃棄を目標に闘いを組み立てた。冷戦の真っ最中に米国に敵対する勢力に寝返ろうという政策だった。浅沼稲次郎書記長は訪中し「アメリカ帝国主義は日中両国人民の敵」と発言した。日本の中で米ソ冷戦の代理戦争が戦われているようなものだった。  岸首相は60年1月に訪米して新安保条約に調印した。  5月20日未明、新安保条約の批准を衆院本会議で単独強行採決。国会を大デモが取り巻き、政治はマヒ状態に陥ったが、1カ月後の自然承認を岸はじっと待った。東大の女子学生がデモ中に死亡するなどの痛ましい事故もあった。  しかし、条約の自然承認後は、安保反対の熱気が嘘のように引いた。国内は政治無関心、政治アパシー状態に陥った。  岸首相は混乱の責任を取って1960年6月23日に引退表明した。そして、7月19日に池田勇人政権がスタートする。  実は所得倍増計画は岸内閣からスタートしている。  ただ、発案者は池田勇人だった。59年にブレーンの中山伊知郎・一橋大学教授らと協議の上「月給倍増論」を打ち出し、参院選挙の公約にもした。池田は自分の内閣をつくると、本格的に所得倍増論を打ち出した。すさんだ国民感情を慰撫するための内閣のスローガンは「寛容と忍耐」だった。  池田内閣が「戦後」を卒業するための階段を何段か上ったことは間違いない。  1963年にはGATT11条国に移行。国際収支の赤字を理由に輸入制限を行うことができなくなった。64年にはIMF8条国に移行。64年4月にはOECDに加盟した。それは日本が国際社会の中で開発途上国を卒業し、先進国の仲間入りしたことを意味した。  池田首相の最後の晴れ舞台は東京五輪だった。これは「戦後への決別セレモニー」でもあったのだが、池田自身はがんにおかされ、入院。五輪閉会式後に辞任を表明する。 ◆続く佐藤栄作は約8年の政権を通して「沖縄の返還なくして戦後は終わらない」と訴え続けた。返還は実現したものの、「戦後」の安定的な秩序を確認するにとどまった。  「人事の佐藤」と言われる。だから、長期政権ができたのだ、と。しかし、そうでもない。怒りっぽい佐藤は臆病なだけで、決断できない首相だったのかもしれない。満州経営に辣腕を振るった兄にいつもコンプレックスを抱き、運輸相という二流官庁でうだつが上がらなかった青年時代を過ごしながら、這い上がってきた。佐藤は運がいい。首相になった時も池田ががんに倒れたため、権力闘争を繰り広げずに官邸に入れたため、余力を持って政権運営ができた。最も恵まれていたのはライバルがどんどん死んでしまったことだ。大野伴睦、河野一郎である。藤山愛一郎が残ったとはいえ、絹の手袋をして生まれてきた経済人は佐藤の相手ではなかった。運鈍根を地で行ったのが佐藤だろう。  佐藤時代、外交の発展は目を見張るものがある。1965年6月22日、日韓基本条約を締結した。韓国は対日賠償請求権を放棄する一方、日本は韓国に無償資金協力、円借款を供与するという内容だ。  この日韓条約は後々、韓国で何度も政争の具とされる。朴正煕政権が「漢江の奇跡」を起こすためにぜひとも必要だった金を日本から調達する意味もあって条約を急いだのは事実だ。そして韓国は長かった朝鮮戦争後遺症からようやくテイクオフすることができた。国と国の取り交わした条約なのに、韓国の「民主化勢力」は「軍事政権のやったことは認めない」「歴史を書き換える」などとめちゃくちゃを言って、条約にけちをつけ、「個人の賠償請求権は残っているはず」などと主張していた。この問題は最高裁が温家宝来日直前に判決を出し、国家が結んだ条約は国民をも縛る、という当たり前の内容をうたったため、ようやく決着したものの、長い間、無駄な法廷闘争が繰り返された、というのが一般的な受け止め方だろう。  佐藤がいつ沖縄返還を自分の最大の仕事と決意したのか。勉強不足で分からないが、佐藤のすごさは一旦決めたら、その目標に向かって、すべてのことを集中することだ。ここで思い出すのが宮沢喜一通産相の無策ぶりだ。佐藤首相はニクソン大統領の南部対策のため繊維摩擦を解消する必要が出てきた。このため、日米関係に詳しい宮沢氏を通産省にして、繊維問題の解決を託した。ところが宮沢氏は何もできずにおたおたしただけで、終わってしまった。このため、機嫌を損ねたニクソンが米中国交正常化を日本に事前連絡しなかったり、ドルと金の交換停止というニクソンショックも事前連絡なしに行われたのではないか、と言われている。愚図な宮沢氏の実害は実は日米関係で出ていたのだ。  宮沢氏は回顧録で「私は政治家ではなく官僚だった」とか言って、法制局の説明を真に受けて、法律内ではできることが限られていたので、できなかった、と話しているが、法律内でしかものごとをすることができないのを官僚といい、政治家はできないときには法律を作らねばならない。自分で自覚しているようではあるが、宮沢氏は首相の器でもなければ、本格的な政治家でもなかったことは確かだろう。評論家としてテレビで言うことを聞いているともっともらしかったが。  この宮沢通産相が無策だったので、佐藤首相は田中角栄を通産相に据え、即座に繊維摩擦を解決する。この手柄も角栄がポスト佐藤で福田に勝つ一つの勲章になっていたはずだ。  御厨氏のいう「『戦後』の安定的な秩序を確認するにとどまった」の意味がよく分からなかった。つまり、返還とは言っても今も沖縄は事実上、アメリカの植民地ではないか、といっているのか? よく分からない。 ◆佐藤を範とした中曽根康弘は82年、「戦後政治の総決算」を華やかに宣言して登場した。国鉄改革など「戦後」改革に着手したものの、イデオロギー面を含めた「戦後」からの転換は未完に終わる。  臨調行革路線と戦後政治の総決算路線という二つの路線で長期政権を謳歌したのが中曽根康弘だった。レーガン、サッチャー、全斗煥というトップが同時代にいた。新自由主義の二人と軍事政権の一人。系統は違うはずなのに、中曽根を含めてこの4人はよく似ていた。中曽根時代はソ連の力の衰えが目に見えるようになってきた時代でもある。レーガンが軍備拡張でゴルバチョフをいじめ、最後にゴルバチョフはお手上げになる。サッチャーは沈んだままだったイギリスを規制緩和という手段を使って金融大国に蘇生させ、その後のイギリスの栄光の序章を形作った。全斗煥は民主化勢力をいじめはしたが、韓国の安定を最大の目標に日米韓連携を重視、朴正煕の経済成長路線を踏襲した。  御厨氏の言葉はどうも意味不明なのだが「イデオロギー面を含めた『戦後』からの転換は未完に終わる」というのは、どういう意味なのだろうか? もしかすると平和憲法イデオロギーからの脱却つまり、憲法改正のことか、と思ったのだが、御厨氏は論文の最後に違う文脈で憲法改正の話を書いているので、どうも違うらしい。よく分からない。 ◆90年代は「戦後」の限界が指摘され、政治改革や行政改革さらには憲法改正など「改革」が時代のキーワードとなった。もっとも、89年に「昭和」から「平成」への代替わりと重なり、戦後憲法に育まれた最初の象徴天皇が登場、「戦後」的価値の肯定と再確認が行われた。  1990年代に「戦後」の限界が言われたのは具体的には湾岸危機、湾岸戦争で日本が国際貢献のために自衛隊を湾岸に出せるかどうか、をめぐる憲法論争が起きて、最終的に内閣法制局が縛りをかけて自衛隊の派遣を認めたのが最初だった。海部政権はこの国際貢献問題をめぐり竹下派の小沢幹事長と対立することもあって最終的には衆院解散を封じられ、総辞職する。その後、宮沢政権ではカンボジアPKO問題もあった。世界がグローバル化し、国際貢献が1980年代までのように単純ではなくなったことが日本にとって大きな問題となった。単純に米国の言うことを聞いていればよかった時代から、ある程度自分で判断しなければならない時代に変わったのに、自己決定できるような法制度になっていなかったことに気づいた心ある政治家たちは愕然とする。それが小泉政権時代の有事立法につながるのだが、それはまだ先の話だ。  昭和天皇の崩御は当時騒いだものの、まだ国民的に決着していない。というのも、戦犯問題が燻っているからだ。これに決着をつけるにはまだ生々しすぎるということなのか。 ◆「ぶっ壊す」と「構造改革」を叫び続け、5年半の長期政権を維持した小泉純一郎は、90年代に有名無実化していた「55年体制」と「自民党一党優位体制」にとどめを刺した。しかし新しい何かを生み出すことはなかった。  「戦後」というキーワードと小泉政権との関係は考えれば考えるほど難しい、と思う。対外的には中国との関係悪化があり、その原因は靖国神社参拝という戦後処理問題だったし、米国との関係もブッシュ=小泉関係で日米運命共同体を形作ったが、5年半の間に徐々に形骸化して米中関係が徐々に深く濃くなっていき、最終的には小泉政権ではないが、米国は日本を裏切るような北朝鮮のテロ支援国家指定解除をやってきた。北朝鮮の脅威に対応するため、遅まきながら有事立法を整備したものの、まだまだだし、基本的に日本の安全保障は片肺飛行で、米国の核兵器がなければ安全を確保できないことは誰が見てもはっきりしている。  「55年体制」にとどめを刺した、というのはどういうことなのか? これも意味不明だ。「自民党一党優位体制」にとどめを刺した、というのは「自民党をぶっ壊した」ということだろう。これは支持基盤を自らが掘り崩したという意味だろうから、それはそうだと思う。郵政で郵便局長の連合体を離反させ、農協も徐々に離反し、建設業界も離れていった。しかし、小泉ほドラスティックではないにしても、誰がやっても同じようなトレンドで政権運営をせざるを得なかったのではないか、とも思う。  「新しい何かを生み出すことはなかった」というのはどうか? 小泉政治の総括は難しいが、少なくとも今まで「日本よ国家たれ」などと批判されていた権力中枢のないという批判に対する答えは官邸強化と経済財政諮問会議の活用である程度の方向性を出したのではないか、と思うのだ。橋本龍太郎首相が断行した省庁再編で国家機構は変わった。大蔵省の絶大な権限を奪って官邸に予算編成権を持ってきたこと、それを小泉が実践したことの意味は大きいと思う。  飯尾潤氏が言うように、今の日本政治は官僚が支配する民主統治の構造から脱却していない。これを真の議会制民主政治に転換しなければならない  御厨氏も最後の段落で書いているが、憲法を実践することが大切で、それには旧態依然とした慣行をやめるしかない。  ただ、旧態依然とした慣行というのは弱者保護のための慣行、つまり少数野党を守るための国会規則であり、不文律だった。  だから、安倍晋三政権はこの慣行をほとんど無視し「憲法の規定にあるから」と強行採決を繰り返したら、マスメディアの徹底攻撃を受けた。新聞記者の頭の中は現実の政治を見ていない。お手本はスクラップブックだ。つまり、過去の記事を見ながら、今の情勢を書くのが記者だから、強行採決となれば「けしからん」という言葉が用意されているわけだ。  安倍政権は消えた年金問題や閣僚の事務所費問題など政治資金問題疑惑だけではなくこの強行採決への批判が内閣支持率ダウンの大きな要因となったのだろう。  安倍政権失墜の大きな原因はこの強権的国会運営も響いたはずだ。しかし、憲法の規定で言えばこの国会運営は許されてしかるべきだし、そんなに批判することはないということになる。この辺も難しいところだと思う。  御厨氏は、  <政治家は現行憲法の原則や規定に戻ってはどうか。そこには「強い首相」と「機能する国会」がある。もろもろの政治慣習から解き放たれ、原点からコトを考えるようになろう。そうすることによって「戦後」を自覚的にリセットし、政治の新たな飛翔を可能にすると思われる。>  と綺麗な言葉で書いているが、現行憲法の欠陥は昨年何度も新聞に取り上げられていたように、参議院の権限が異常に強いことだ。「強い首相」という抽象的な言葉の意味がよくわからないが、中曽根氏が勘違いして使っていた「大統領的首相」という意味ならば、小泉以後は実現している。ただ、議院内閣制だという一点でごねる自民党の守旧派を説得できるかどうかは首相やスタッフの力量だろう。小泉氏は自民党総務会を無視して郵政民営化を閣議決定して、押し切った。憲法に戻って首相が国会の今までの慣習を打ち破ってでも国会運営を行うのはいいのだが、限界はある。果たして原点からものを考えて、その先に「戦後」の自覚的リセットがあるのだろうか? これも言葉の遊びのように思えるのだが。  御厨氏は最後に、  <そして、逆説的だが、「戦後」から解放されて初めて、戦後憲法の改正が現実の日程に上ってくるに違いない。>  と書くのだ。私には意味が分からない。何を意味しているのだろうか? まあ、この辺は御厨氏の最も言いたいことなのだろうし、見出しにもなっている「強い首相」がキーワードだとすれば、首相主導でやってくれ、と言うことが言いたいのかとも思う。先を急ぎすぎたので、また、歴代内閣と戦後の問題に戻ろう。 ◆初の戦後生まれの首相となった安倍晋三は「戦後レジームからの脱却」をストレートに訴えた。しかしまことに皮肉なことに、安倍は「戦後」の枠組みに足を取られ、わずか1年で退陣を余儀なくされる。戦後憲法下の二院制国会で論理上起こりうる、衆参「ねじれ」状況を招いてしまったのだ。  「戦後」の枠組みに足を取られた、というのは何か? 年金問題なのか? 年金は戦後の枠組みというよりかは戦時体制の産物だろう。そうすると「戦後」の枠組みとは何なのか? これも私には意味不明だ。二院制の問題は安倍が足を取られたのではなく、参院選の敗北の結果足を踏み入れてしまった蟻地獄だろうから、違うだろう。分からない。 ◆福田康夫もなす術もなく、やはり1年で職を辞し、総選挙で勝てるタマとして選ばれた麻生太郎は早くも迷走状態のただ中にいる。  これはその通りで、福田辞任こそ「戦後」憲法の呪縛に倒されたのだろう。麻生太郎はまだ現在進行形でコメントしづらいが、解散権を事実上なくしてしまった首相である。選挙管理内閣だったのに選挙をしなかったからこうなった。  以上が御厨氏による歴代首相と「戦後」の関係だそうだ。  そして、「政権交代可能な二大政党制」による政権交代が起こりうる、としながらも、有権者もマスコミも政治家も「総選挙による政権交代」の意味を考えていないのはお寒い限りだ、と言う。政権交代が「戦後」に終止符を打つものか、「戦後」を延命させるものか、それが曖昧なままであることが問題なのだ、というのだ。器ではない麻生、首相になりたくない小沢が争うのは何とも情けない、とも書く。そして、  <必要なことは何か。あまりにも長く続き、歴代首相が克服できなかった「戦後」を終わらせるための総選挙であり政権交代であると、どちらもはっきり示すことだ。もちろん一度の総選挙で「戦後」がガラリと変わることはありえまい。しかし今年こそは「戦後」の終わりの始まりと認識すべきだ。そして「戦後」を乗り越えるために「強い首相」を作り出す必要がある。>  と書く。「強い首相」を作るべきだ、というのは大賛成だ。だが、どうしてそこに「戦後」が出てくるのか? 最近の御厨氏の本を読んでいないので、御厨氏がどういう意味で「戦後」という言葉を使っているのかよく分からないのだが、僕は日本国憲法の改正をもっと堂々と論戦できる空気が醸成できればそれでいいと思っている。個別具体的な問題でタブーが多すぎる。例えば、  核を持つべきかどうかも論争すべきだ。武器輸出三原則を今後も守るべきかどうか、も論争すべきだろう。同和問題、在日朝鮮人問題、外国人労働者問題、米国の人種差別問題、中国の人権問題、台湾が本当に中国の一部なのかどうかの問題、ロシアとの領土問題、満州に違法に攻めてきて強姦を繰り返し、男をシベリアに連れ去ったソ連の責任問題、米国が原爆という非人道兵器を使用した責任問題、靖国神社参拝問題、東京裁判は勝者の裁きだったのか人類として受け入れるべき裁きだったのかという問題、南京虐殺問題、大東亜戦争はアジア解放戦争だったのかという問題、戦争責任を日本人として問うていない問題――などなど日本人が心の奥底に押し込めている問題は非常に多い。これは多かれ少なかれ「戦争」「戦後」にかかわっている。  「戦後」を終わらせるということは、こういう問題に日本人としてある程度納得いく解答を得ることではないか。それを次の政権から始めることができるのかどうか。  僕はまだまだ30年はこのままの状態が続くのではないか、と思うのだが。

作者: たつ

更新日:2009年1月3日 21時28分

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歴史経済・政治・国際

各紙の元旦社説、何だか「切れ不足」っていう感じがするのだが……

 元旦の新聞は分厚くてなかなか読み終わらない。全部読む必要はないのだが、どうしても全部のページを繰ってしまうので、時間がかかる。お屠蘇気分で読み始めると、案外まともなことが書いてあるので、居ずまいを正すこともある。というのも、各紙、元旦の社説は論説委員長が書いたり、と普段とは違った力を入れたものになっているからだ。本当はお屠蘇気分で読むのではなく、もう少し批判的に比較検討して読むべきなのだろうが、そんな気分的なゆとりもなく、気づいたことだけを書き留めておこう。  「人間」をキーワードに大きな絵図面を示そうと努力していたのが朝日新聞と東京新聞だった。  朝日新聞は<混迷の中で考える 人間主役に大きな絵を>である。「100年に一度の津波」とグリーンスパン前FRB議長は言うが、たじろぐな、と言う。どうしてか、と言えば日本は過去1世紀半近い間にそれこそ国がひっくり返る危機に2度も直面し、克服してきたからだ、というのだ。福沢諭吉の「一身にして二生を経るがごとし」の言葉を引用し封建の世と明治の文明開化を生きた先達に思いを馳せながら、軍国主義日本が滅び民主主義の申請日本を築いたのがわずか60年余り前だ、と思い起こさせる。「いずれの場合も、私たちは大規模な変革を通して危機を乗り越えた」と。そして、今直面している複合的な危機の克服は、  <もういちど日本を作り直すくらいの大仕事になる。しかも、黒船や敗戦といった外からの力によることなく、みずから知恵と力で、この荷を背負わなければならない。>  という。そして、  <国民が望んでいるのは小手先の雇用や景気対策を超えた大胆なビジョンと、それを実行する政治の力だ。…将来を見据えた国づくりに集中して資源を投下し、雇用も創出する。そうしたたくましい政治が要るのだ。>  として、  <冷戦後の20年間、バブルの絶頂からこの不穏な年明けまで翻弄され続けた日本。有権者の視線はかつてなく厳しいはずだ。>  でしめている。どっちにしろ9月までには解散・総選挙が来る。その時に、小さな政策ではなく、このように大胆な「転換」「を政党は示しなさい、という意味である。その政策の依って立つ土台を「人間尊重」に置け、と言っている。まあ、当たり前のことしか言っていないのだが、元旦だから、今までの主張を総括したのか。パンチはなかった。  もう少しお勉強チックだったのが東京新聞<人間社会を再構築しよう 年のはじめに考える>だった。全労働者の3分の1の1700万人が非正規雇用、年収200万円以下の働く貧困層が1000万人。厚生労働省の昨年暮れの調査ではことし3月までに非正規労働の8万5000人が失職か失職見込み。わずか1カ月前の調査に比べ5万5000人も増え、歯止めがかからない、と暗い数字を並べて、ではどうしたらいいか、を考えるのだ。  神野直彦・東大大学院経済学研究科・経済学部教授の「『希望の島』への改革」(NHKブックス)でスウェーデンの実践をモデルケースとして示している、として紹介している。神野氏は現在は重化学工業の時代が終わり情報・知識産業を基軸とした21世紀の新しい時代が始まろうとしている産業構造の大変革期で混迷と混乱の世紀転換期で、この「歴史の峠」は競争社会では越えられず、協力社会を築くことでやっと切り抜けられる、と主張している、という。希望の協力社会とは利他的行為が結局は自己の利益になるという協力の原理と思想が埋め込まれた社会だそうだ。神野氏は財政再建と景気回復の課題に挑み「ストロングウェルフェア(強力福祉)」を実現したスウェーデンに日本の未来を重ねているそうだ。人間の絆、愛情、思いやり、連帯感、相互理解が重んじられ生きていける社会だという。  そして、激烈競争のグローバル世界で高福祉高負担国家が可能なのかどうか、は藤井威元駐スウェーデン大使が中央公論1月号「スウェーデン型社会という解答」で、日本の一般的な受け止め方には全く根拠がなく、適度な高負担を伴う高福祉システムの実現こそ最も望ましいと考えるに至った理由を詳述している、という。つまり、スウェーデン国民の税・社会保険負担(国民負担)は所得の7割にのぼるが、民主化された地方自治体が提供する親切安心充実の育児、教育、介護サービスは負担の重さを感じさせない。国民の需要は教師、介護士、保育士などの新たな雇用創出となり、失業や景気対策、地方間格差解消とさまざまな効果で国を元気づけているというのだ。そして、東京新聞社説は、  <日本はどんな社会をめざすべきか。宗教や歴史、政府への信頼の度合いもあるでしょうがスウェーデン型は検討に値します。日本もまた結いの心や惻隠の情、相互扶助の文化と歴史の国だからです。>  と言っている。2006年7月、OECDは日本が異様な格差社会で、母子家庭で悲惨さは先進国中最悪などと指摘した、という。企業が日本型経営を捨てた後、政府の小さな所得再配分機能だけが残った結果だった、と社説は言う。この社説も結論は同じだ。  <「人間社会」の再構築は急務でわれわれも一歩を踏み出すべきです。そのためにはどんな社会をめざすのか、政治に何を求めるのか意思表示と政治への監視と参加がいります。>  である。まあ、一般論で言えばそういうことでしょう。ただ、スウェーデン型社会は日本には向かないと僕は思っているのだが。  毎日新聞は<09年チェンジ/日本版「緑のニューディール」を/環境の先導で成長を図れ>と「グリーン・ニューディール」をオバマノミクス(オバマ大統領の経済政策)の柱とするアメリカの向こうを張って環境先進国になれ、とすすめる。というのは、  <時代は大きく転換しようとしている。米国発の世界不況が明らかにしたのは、実は資源・エネルギーの大量消費を前提とする成長モデルの破綻である。世界はそれに代わる新しい成長モデルを求めている。>  ので、各国を上回る規模とスピードで環境革命を起こせ、というのだ。アメリカは10年で中東石油への依存を断ち切るために総額1500億㌦を投資、再生可能エネルギーの開発・不朽を推進し、これによって500万人の新規雇用創出を見込む。李明博大統領の韓国も「グリーン・グロース」(環境成長)戦略を掲げているそうだ。  そして、社説は実用段階の太陽光発電と次世代自動車を飛躍的に普及させることを提案する。2兆円の定額給付金を中止してそれを太陽光発電に回し、学校には全国くまなく設置すればいい、という。太陽光発電の余剰電力を今よりも高く電力会社が買い取り、10年程度でもとがとれる制度にすれないい、という。自動車はすべての公用車をハイブリッドや電気自動車にする、と。このようなことを書いてはいるが、最後の結びは同じになる。  <日本には資金もあれば知恵もある。しかし、政治が明快なビジョンと強いリーダーシップを欠いている。年頭に当たって、改めて早期に衆院を解散し総選挙を行うよう求めたい。新たな民意を得た政権が、日本版「緑のニューディール」に丈高く取り組むことを切望する。>  である。やっぱり、麻生政権ではない政権にやらせようというのだ。結論は同じだった。  毎日新聞は元旦に相当に力瘤を入れたのか、1面に菊池哲郎主筆の<人に優しい社会を>の論文も掲載してあった。朝日新聞、東京新聞の「人間」路線と同じである。  1500兆円の個人金融資産に象徴される世界に冠たる資産と技術と経験をフル活用することが日本の世界に対する義務だ、という。2兆円のばらまきをやめて、全額投入してがん治療特効薬を開発する、次の産業である航空機開発や介護用ロボットを完成する、アジアの学術の中心都市を作るなどの有効なお金の使い方をしてくれ、と要望している。それによって生き甲斐を保証する雇用を創出して社会の安定をもたらすことが政治の基本中の基本だ、と。  何しろ政治家が信用されていないのが一番の問題だから、全面的に底辺に横たわる政治家不信をまず払拭することが、多方面で求められる安心感の基本だ、と。結論は、  <政治の最終目標は人に優しい経済社会を作ることです。それが今回アメリカ的価値観の崩壊からわれわれが学んだ教訓です。久々にみんなで新しい挑戦を始めようではありませんか。>  である。何を言っているのか、よく分からない。総選挙で政権交代させよ、と言っているのか? それならばそれで、もう少し分かりやすく書いてほしい。政治家不信を払拭することなど金輪際できないのだ。それがどうして分からないのだろう? 政治かも人間なのだから、悪いこともする。利益誘導もするだろうし、たまにはセクハラもするかもしれない。だけど、政治家はそんなことよりも結果で判断すべきでないか。田中角栄が妾に事務所を任せておいて、家族と不仲になろうが、日本をいい方向に導けばいいのではないか。あまりに政治倫理ばかり強調すると、リクルート事件で総理候補がいなくなったように、日本の政治が壊れてしまうだろう。三木武吉の時代ではないから妾の人数で自慢しなくてもいいが、そういう骨太の考えがあったから、昔の政治記者は臍下の話を新聞に書かなかった。  今はテレビのワイドショーや週刊紙が面白おかしく報じるから、有権者は知ってしまうだろうが、有権者が成熟すべきだと思う。所詮人間なのだから、欠点もある。その欠点を許容できるかどうか、もっと大きな希望を与えてくれそうな政治家なのかどうか、を判断するのは有権者だ。政治家への信頼の喪失などというパターン化した言語は見たくない、と思う。  読売新聞社説<危機に欠かせぬ機動的対応/政治の態勢立て直しを>は面白くなかった。毎日新聞の菊池論文と同じように、日本の強みは1467兆円もの個人金融資産があることだ、として、このうち150兆円から170兆円が平均的な個人のライフサイクルから見て「余剰貯蓄」といえる、とNIRA試算をあげている。日銀はタンス預金だけでも30兆円、投資や利殖より安全を志向する当座・普通預貯金としてほぼ眠っている資金が120兆円ある、と見ているそうだ。こうした「眠れる資金」を有効活用して成長産業に振り向けるのが大きな政策課題だ、という。  読売新聞の社説が面白くないのは麻生政権に早期解散を求めるスタンスではないからだ。何とか支えようとするから、論理的に矛盾をきたす。政治関連では小見出しが<「党益より国益」を>だ。何を遠慮しているのだろう。読売新聞世論調査でも麻生内閣支持率はせいぜい20%だったではないか。早期退陣要求をして、解散すべきだ、と書けないのか。そこがすべてだと思う。  日経新聞社説は<危機と政府① 賢く時に大胆に、でも基本は市場信ぜよ>。迷っているなぁ、と思う。市場原理主義が否定され、規制の必要性が声高に言われているが、日経は一貫して規制緩和を支持している。小泉構造改革路線の応援団である。だから、今回も世界各国の金融危機対応策はあくまで「大胆に、しかし一時的に」だとして、自民党と役人の権限強化のためのバラマキが構造的にならないように念を押している。  これは正論だと思う。日本人は極端にふれるから、規制緩和が必要だといえば、労働の規制緩和までしてしまうし、だめだ、となれば、本来は緩和すべき規制を残そうとする。判断能力がないのだ。だから、日経のように個別の問題におりてきて、規制の必要なもの、必要ないものを識別する態度は日本では必要なことだと思うのだ。特に、  <医療、農業、教育、運輸など成長につながる多くの分野で、民間の力をいかすための改革が足踏みしている。この歩みはさらに遅れるのだろうか。>  という危機意識は共有したい。緩和してはならないのは「人」に関する規制なので、経済的な規制はどんどん緩和すべきなのだ。ずるい役人に騙されるとろくなことはない。  産経新聞は元旦の新聞から社説(産経の場合は「主張」)がなくなってしまった。1面に皿木喜久論説委員長の<年頭に:日本人の「流儀」にこそ活路>の社説っぽい論文が掲載されていた。社説の代替品だろうが、何を言っているのか分からないような論文だったので、コメントは差し控える。  全紙見ても「何かなぁ」という感じだった。パッとしたものがない、というか、こんなもんなのだろう、というか、何か切れがない。もぞもぞしている感じだ。

作者: たつ

更新日:2009年1月3日 2時36分

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メディア経済・政治・国際

秋葉原事件と永山事件の共通点と相違点~見田宗介氏インタビュー(08年12月31日朝日新聞朝刊)

 朝日新聞12月31日朝刊3面[あしたを考える]に社会学者、見田宗介・東大名誉教授(71)のインタビューが掲載されていた。6月に秋葉原で起きた無差別殺傷事件の加藤智大被告(犯行当時25歳)と1968年に連続射殺事件を起こした永山則夫(当時19歳)の比較をして、現代を分析した論考だ。聞き手は四ノ原恒憲編集委員。  見田宗介(みた・むねすけ)氏は東大教授から08年3月までは共立女子大教授。永山の事件を分析した73年発表の論考「まなざしの地獄」が今年書籍化されたそうだ。「現代社会の理論」「社会学入門」「気流の鳴る音」(真木悠介のペンネームで発表)などがある、とあったが、見田氏の著作は多い。僕も新書を何冊か持っている。  見田氏は、  <後から見れば、今年が戦後日本に何回かあった大きな転換点の一つになっているのでは、と考えています。そんな時代の問題点を、秋葉原の事件が鋭く表わしています。>  と語り始める。見田氏が分析した1968年の永山事件の永山則夫と今回の加藤被告の共通点と相違点が面白い。以下、見田氏の分析のポイントを書いておこう。  共通点は共に青森県出身の若者が東京で事件を起こしたこと。永山は中卒の集団就職で東京に来た。加藤も途中からアルバイト、派遣社員とそれぞれも時代の最底辺の労働を担っていた。当然、そこには貧困や差別、階級構造の問題がある。もっと重要なことは事件の核心がそんな問題にないことだ。貧困から逃れるのならば強盗も考えられるし、差別ならばある種の反体制行動もあるが、二つの事件は共に動機がとても分かりづらい。  この分かりにくさがポイント。犯罪の核に「実存的」な生き方というか、アイデンティティーの問題が潜んでいる。だから、今回の事件の残酷さにもかかわらず、貧困層だけでなく若い正社員や大学生らからある種の共感がネットなどに寄せられたのだと思う。  では決定的な違いは何か、というと「実存的」な核の中身が正反対だ。一つは未来の消滅だ。永山の場合、希望に胸を膨らませて上京してきた。東京での挫折の結果、次にアメリカに密航しようとして米軍基地に侵入するが、密航の夢は果たせず、犯行につながった。何か未来へのあこがれがあって、その可能性が遮断された瞬間に犯罪が起きる。永山は例外ではなく、1970年代くらいまでの若者のほとんどは中身様々だが今よりも素晴らしい未来があるということは前提になっていた。  ところが加藤の場合は東京への憧れは最初から持っていない。「とりあえず安定した生活を」とアルバイトや派遣社員で国内を転々とした後、静岡で働いていて人々の注目を集める場所として東京を犯行場所に選んだだけだ。僕のゼミの学生の話をずっと聞いていても、夢や未来に対する想像力のスケールがどんどんしぼんで、現実的になっている。今、素晴らしい未来が必ず来ると思っている若者はほとんどいないのではないか。  もう一つの違いは人々の「まなざし」だ。中卒、貧困家庭出身、青森弁など永山は世間の人々の「まなざし」が鳥もちのように纏わり付き、自由に生きることを許さなかったことに苦しんだ。ところが加藤の場合は反対で、いわば「まなざし」の不在の地獄だった。ネットにも書いているが、これまで自分は誰からも必要とされなかったと思い込む。犯行予告をしても誰からも相手にされない。「まなざし」の不在に耐え切れずに結局、加藤にとって一番注目されると思う秋葉原で犯行を通じて「僕はここに居るんだ」と叫ぶしかなかった。  無視していじめる、という意味で「シカト」という言葉が広く世間で使われ始めたのが80年代からだと思うが、いまや日常語として定着してしまった。文学では当時、村上春樹が小説の中で「空気が薄い」という言葉を使っていた。  大きく言うと「空気」が「濃い時代」と「薄い時代」がある。「濃い」というのは人と人の関係の中で愛情であれ関心であれ憎しみや干渉にしても他者との間に交わされる関心というか「気」が濃厚だという意味だ。そういう意味では永山の「濃い時代」から、現代は「薄い時代」にすっかり変わってしまったことを加藤の事件がよく表わしている。  どちらがいい、というわけではないが、日本は戦前の「共同体」や戦時体制のような濃すぎる社会から戦後の近代化を経てだんだん薄くなってきたのだが、その結果、現代は「薄くなりすぎた」という問題が出てきた、ということだろう。  僕はこれまで日本の戦後を ①敗戦から60年ごろまで…人々が「理想」に生きようとした「理想の時代」 ②高度成長が完成した70年代前半までを「夢の時代」 ③ポスト高度成長期の90年代前半までを、もうリアリティを愛さない「虚構の時代」  と分析してきた。その後は何の時代か、とよく聞かれたが、 ④「バーチャル(仮想)の時代」  だと考えている。「虚構」という言葉には基本的にどこか否定的なイメージが付き纏っているが、「バーチャル」には何か「新しさ」というポジティブなイメージがある。電子メディアの発達で古典的な現実なんてものにとってかわって、バーチャルな世界だけで人間は幸せにやっていけるんだ、と多くの人々は思い込み、虚構に居直った時代、という意味だ。  そういう視点から加藤がネットの中で自分と反対の立場にいて「敵」と考えた存在を「リア充」と呼んだことに興味を覚えた。生活や人間関係の「リアリティーが充実している人たち」の意味だ。敵は理想の裏返しでもある。加藤の犯罪は大変、この国に多い若者のリストカットと似ていると思った。腕を切ること自体の痛みや血が流れることで、生のリアリティーを得ようとする。共にリアリティーへの飢えでリストカットは自らの内側に向けられた無差別殺人なのかもしれない。  そういう意味では「薄くなりすぎ」また、仮想世界に居直った「バーチャルな時代」の中で、リアリティーというか、古典的な現実への飢えがこの国に充満し始めたことが明らかになり、「バーチャルな時代」が臨界点に達したことを加藤の事件は象徴している。  出口はあるのか、だが、例えば旅行会社の話で、最近の若い人たちはただの観光ツアーには興味はないが、現地の人の役に立つような活動が入ると人が集まるという。これも同じリアリティーの飢えだだ、人を殺したり自分を傷つけたりするのとは別の仕方で生きるリアリティーを充実する仕方を青年たちが見つけることができれば、もう一つ新しい時代が開かれると思う。  以上がほぼ全文である。  見田氏はじっくり考えているようだ。見田氏のような大きな輪郭で秋葉原事件を分析することが必要だ、と思う。永山死刑囚の死刑は1997年に執行された。もう11年前になるが、その名前は長く残る。不名誉な残り方だが、それは集団就職列車の記憶を伴った残り方で、言ってみれば「三丁目の夕陽」がプラスの面、永山がマイナスの面を象徴しているとも言える。必ずプラスの面もあればマイナスもある。  その意味で加藤の事件は永山の事件ように記憶されないのだろうと思う。何年かたてば皆忘れ果てるのではないか。見田氏はネットで共感した若者が居た、と書いているが、それはごく一部だと思う。加藤は馬鹿だ、もう少し違った方法で生きたり死んだりできたのではないか、と思っている若者の方が圧倒的に多いと思う。  空気の薄さは大問題だろう。この問題には今は立ち入らずにおく。

作者: たつ

更新日:2009年1月2日 20時0分

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メディア心と体文化・芸術

「糞坊主」「悪党」オンパレードの座談会が最終回~12月29日聖教新聞

 会社の職場に聖教新聞が来るので、たまに目を通しているのだが、座談会が面白くて愛読している。  12月29日の4面座談会[新時代を勝ち開け!]が86回目で「完」となっていたので、読んでしまった。  この座談会はいつも面白いのだ。日蓮正宗のお坊さんの悪口とか、反創価学会のライターらへの悪口のオンパレードなのだが、その言葉遣いが宗教者にあるまじき猛烈な卑語が飛び出すので、「へぇ、ここまで言うのか……」と感心しながら読める。つまらない小説よりはドキドキさせられて、暇つぶしにはいい。  この最終回は前半が創価学会の悪口を書いた週刊新潮と乙骨氏が最高裁判決で敗訴したことを受けての悪口三昧。後半は竹入 義勝元公明党委員長への悪口で終止していた。「あれっ」と思ったのは、創価学会と竹入氏が和解したのではなかったのか? と思っていたからだ。  グーグルで調べたところ、どうも「和解」とは言っても部分的な和解のようなのだ。共同通信の12月4日配信記事が見つかったので、コピペしておく。  見出しは<公明党が竹入氏と和解/「互いに誹謗中傷せず」>である。本文は、  <公明党が竹入義勝元委員長に対し、党の資金を着服したとして550万円の損害賠償を求めた訴訟は4日、東京高裁(宗宮英俊裁判長)で和解が成立した。関係者によると、和解条項では「双方が相手方に違法な誹謗中傷をしないことを確約する」と明記。竹入氏が遺憾の意を表明すれば、請求棄却の1審判決に対する控訴を党が取り下げることが盛り込まれたという。>  <公明党側は「竹入氏は委員長在任時の1986年6、7月ごろ、党の資金を着服し、百貨店で妻の指輪を購入した」などと主張していたが、今年3月の1審東京地裁判決は「当時は衆参同日選の最中で、竹入氏が百貨店で妻を伴って買い物をする余裕があったか疑わしい」と退けていた。竹入氏は67年2月から86年12月まで、公明党委員長を務めた。>  というものだ。  勘違いしていた。あくまで公明党と竹入氏の和解であり、それも「違法な誹謗中傷」をしないというだけで、合法的な誹謗中傷は許されており、なおかつ創価学会は訴訟の当事者ではないから、何も束縛されなかったのだ。知らなかった。  またウィキペディアのお世話になろう。竹入氏の項目である。  <1926年1月10日、長野県生まれ、政治大学校卒業。国鉄(現JR)勤務。59年4月、東京都文京区議会議員選挙に無所属(創価学会推薦)で立候補、当選。61年11月、公明政治連盟結成。63年4月、東京都議会議員選挙に北区から公明政治連盟で立候補、当選。64年11月17日、公明党結成、党副書記長就任。67年1月29日、第31回衆議院議員総選挙に旧東京10区(後の東京17区)から公明党公認で立候補、初当選(以降連続8回当選)。この選挙で公明党は25議席獲得し大躍進。>  <67年2月、辻武寿氏(参院議員)退任にともない公明党委員長就任。党の衆院重視への転換を示す。69年に政治評論家の藤原弘達氏による公明党と創価学会の政教分離問題が表面化、竹入氏は田中角栄・自民党幹事長に問題解決を依頼、矢野絢也書記長と田中・藤原会談を見守った。71年6月27日、第9回参院選で公明党は得票を減らし敗北。72年、社会党の成田知巳、佐々木更三現元委員長らと中国訪問。日中国交正常化交渉の極秘下折衝、9月の田中首相訪中、国交正常化に貢献。12月10日の総選挙では公明党は29議席と完敗。75年には成田社会党委員長と初の社公党首会談、反自民で一致し選挙協力に発展。79年には佐々木良作・民社党委員長と公民連合政権構想に合意。79年10月7日の総選挙では社公・公民選挙協力が成功、自民大敗。80年1月に飛鳥田一雄・社会党委員長と社公連合政権構想に合意、共産党とは絶縁(革新ブロックの解消)。80年6月22日の衆参同日選挙は総選挙で50議席割れ、参院選では25議席割れの惨敗。84年の自民党総裁選挙で佐々木民社党委員長と「二階堂擁立」抗争に巻き込まれる。>  <86年12月、各党の世代交代の中、委員長在職20年目を前に退任、党最高顧問に就任。90年、政界引退。97年、勲一等旭日大綬章を受章。>  <98年に「公明党と創価学会が政教一致の関係にあった」と『朝日新聞』に「55年体制回顧録」を掲載。回顧録に学歴記述の矛盾などが見つかった。これを機に反創価学会の立場を鮮明にし、公明党、創価学会から除名処分を受けた。>  <2006年5月19日、公明党は「内部調査により、竹入が公明党委員長在職中の1986年7月に自分の妻へ送った指輪の購入代金を公明党の会計から支出し着服横領した」として、総額550万円の損害賠償を求める民事訴訟を東京地方裁判所に起こした。翌日には、創価学会の機関紙『聖教新聞』において提訴が大々的に報道され、提訴後も同紙には折に触れて横領を非難する記事が掲載された。>  <08年3月18日、東京地裁は「党の会計から私的流用したとは認められない」として請求を棄却。判決文では「横領したという当時は衆参同日選の最中で、党トップの竹入氏が秘書や警護官もともなわずにデパートで夫婦そろって高価な指輪を購入するのは不自然」と指摘したうえで、購入した指輪の具体的な種類や形状が特定されていないことなどを理由に、流用の事実は認められないとした。>  <公明党側は即日、東京高等裁判所に控訴。08年12月4日に「互いを誹謗中傷せず、竹入が遺憾の意を表明した場合は党側が控訴を取り下げる」との条件で和解が成立した。『聖教新聞』は着服横領提訴の判決が出るまでは着服横領を複数回1面トップに持ってくるほど大々的な報道を行っていたが、敗訴判決の事実および竹入氏との和解の内容を機関紙『聖教新聞』では公表していない(極小記事での扱い)。>  この29日の座談会の見出しは<公明議員は立ち上がれ/支持者の期待に結果で応えよ/戸田先生「私利私欲の議員は叩き出せ」>である。  見出しを見てびっくりはしない。  いつものような「魔界」とかが出てくるほうがおどろおどろしくていいのになぁ、とは思うが、公明党も与党慣れしてきたし、あんまり常識を疑わせるような表現はできなくなったのだろうか? もう少しえげつないほうがいいのに。  この座談会で面白いのは女性の言葉の汚さである。  この日も三井婦人部長という方が「竹入は40年以上も有権者を騙し続けてきた。国民を欺き抜いてきた」と言えば、棚野男子部長は「こうした悪党が二度と出ないよう、竹入という嘘つき男を厳