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トップ > 源氏物語 > 源氏物語 - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2009年1月9日 9時)

興味津々・No.035

釜びお新春の七十二候は、元旦に虚子の句を、今日の更新では蕪村の句を取り上げている。虚子の、正月の青空に一瞬止まってみえた羽子を白妙にたとえた句を、声を出して読むと、そこに同じように青空が広がり、空を舞う羽子を見ることができる。蕪村の句には、蕪村の目を感じることができる。それは、日本人に備わった五感の働きによる▼芭蕉に「古池や蛙飛び込む水の音」という有名な句がある。この句の主役は音である。この句のおもしろさは、蛙の鳴き声ではなくて、蛙が飛び込んで生じた音であることだ▼芭蕉は閑寂の境地を好んだ人であるが、ここでは古池や蛙の姿はなくてよく、ただ耳だけの世界がそこにある。「古池や」と詠むだけで、もう静寂がそこにかもし出される。蛙が一匹、その池に飛び込む、そうするとその音と、その音の余韻までを、日本人は感知するのである▼芭蕉には「閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声」という句もある。蝉の声を「しみ入る」とは、どういう耳なのだろうか。その蝉はどんな蝉で、しみ入る対象となる岩はどんな岩で、周りの樹々の色の濃さと、そこに漂う匂いさえ感じることができる▼そんなことを考えながら虚子が書いたもの(『虚子俳話』)を読んでいたら、芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」という句は、啓蟄の頃の俳句で、「今まで地中にあった虫が一時に活動をはじめ」る「天地躍動」の句だといっているではないか▼確かに芭蕉の句は、一匹とも二匹とも詠んでいない。たくさんの蛙が「天地躍動」の啓蟄をむかえ、一斉に飛び込んでもおかしくはない▼芭蕉を閑寂の境地を詠む人とし、わび・さびの俳諧ということでいうと、虚子の解釈は異質のものである。虚子は、芭蕉がどういう俳人かを、むろん百も承知でこのことを書いており、詠み人に覚醒を与えるために、この一文を書いたように思われる▼俳句を詠む場合に限らず、あらゆる事象に対して、人はそれまでの知識や経験から世界を予知する。それはそれでいいのだが、疑いもしないというのはよくない。そもそもをいえば、五感の働きをそのとき失っていて、予断を以てみているのだから▼今年の朝日新聞の元日社説は、「何という年明けだろう」という文章で始まった。市場の失敗の大きさ、格差と貧困の広がりの大きさを前に、論者は深い溜息と共に書き始めたのだろう▼五感を逞しくして、こうしか考えられないのではなく、こうも考えられるという発想で、新しい年に挑みたいものである。

作者:bio

更新日:2009年1月5日 2時30分

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鹿児島の食、鹿児島のお正月「レイコさんの食卓から」みなさまへ

あけましておめでとうございます。
日本列島の最南端・鹿児島から、みなさまが健やかな新年をお迎えのことと、心からお喜び申し上げます。
「びお」をご覧のみなさまは、どんな年越しをなさったのでしょうか。日本各地で、また、世界各地で、それぞれの年越しがあり、過ごし方がおありのことでしょう。
昨年の鹿児島はNHK大河ドラマ「篤姫」の放映のおかげで、観光客でにぎわい、10月に開催された「ねんりんピック鹿児島2008」では60代以上の方たちが全国から集まり、一様に「鹿児島の歴史散策や食が楽しみ」と口にしていらしたのが印象的でした。

薩摩富士開聞岳

薩摩富士開聞岳

農業大国鹿児島?

鹿児島の農業産出額は全国2位。黒豚や黒毛和牛などの畜産や園芸を中心に農業生産は伸びていますし、鹿児島の食への関心も高まっています。が、産出額に比べて、農家さんたちの実情は決して楽なものではありません。というのも、鹿児島は活火山とともに暮らす台地。シラスなど、作物を作るには適していない火山灰性の不良土壌に覆われた土地です。台風や豪雨など、災害の発生が多く、被害も大きく、丹精した農産物が一夜にして大打撃を受けることも珍しくありません。また、農家一軒あたりの規模は小さくて、零細農家が多く、高齢化も進んでいます。一人当たりの平均県民所得は、47都道府県中43位(04年総務省統計データ)と、全国的に見ても鹿児島の暮らしは楽ではないのです。

さらに、鹿児島は陸の孤島。日本の最南端という立地条件にあって、平地よりも山が多く、隣県に行き来するのもひと苦労。首都圏のように隣の県に気軽に通勤するなどと考えられない状況にあります。つまり、農産物を出荷するのも、簡単ではありません。大消費地には遠く、出荷にはコストもかかります。また、零細農家が多いために、大消費地に大量に送り込むほどの商品ができないので、安く大量に出荷できる大消費地近辺の農業生産にはどうしても勝てません。

そこで、鹿児島は温暖な気候を利用して、どこよりも早く出荷するということで、競争を勝ち抜く努力をしています。大消費地の近辺ではまだ収穫できない時期に鹿児島のどこよりも早い旬の農産物を出荷すれば、多少コストが高くても競争相手がいないので、勝ち抜けるというわけです。同時に今の時代の消費者の求める鹿児島ブランドの確立や安心安全な食の供給など、さまざまな努力を重ねています。今、鹿児島の食に対して、全国のみなさんが「認知」してくださっているのは、そうした鹿児島のみなさんの努力の成果なのです。

かごしまの味ってなに?

鹿児島のお雑煮は焼き海老(干し海老)を戻してその漬け汁でだしをとる
鹿児島のお雑煮は焼き海老(干し海老)を戻してその漬け汁でだしをとる

今、地元の生活情報誌に「かごしまの味」を月1回、掲載していただいています。いわゆる郷土料理の作り方の紹介というスタンスありきのご依頼でしたので、お引き受けしたときは、続けられるかなと心配でした。「伝統を伝えていきたい」という気持ちはありましたが、鹿児島の伝統の食は、シラス台地で貧しく暮らした人々の料理ですから、つましいものが多く、飽食の時代にある今の台所で活用していただけるような料理がそう多くないと感じたからでした。が、続けて行くうちに、「かごしまの味」は鹿児島の大地、海、自然が生み出すものすべて、と考えようと思うようになりました。見回すと、鹿児島の農家のみなさんは本当に多くの種類の農産物を積極的に育てていますし、畜産も盛ん。もちろん、四方を海に囲まれているので水産物も多く、まさに宝の山。大消費地へはコストがかかるために出荷できないものも、県内に住んでいれば、たやすく手に入るわけですから、地産地消をしない方がおかしいくらいです。連載も5年目に入りましたが、ネタが尽きることはないのは、鹿児島の農畜水産物、食に携わるすべてのみなさんの努力のおかげと、ありがたく感じていますし、仕事だけでなく、毎日の食卓もとても豊かなものになった気がします。
ただし、ぼやぼやしていると、「かごしまの味」は手に入りません。大手スーパーに置かれているものは、鹿児島産ではないものが多いのです。大量に安く流通しているものは、ほとんどが鹿児島産ではないのだと、スーパーでチェックする度に感じます。そこで、農産物直売所や、鹿児島産のものを積極的に販売している店を見つけて通います。そういった店では、必ずしも欲しい商品が手に入るわけではありませんが、スーパーでは絶対に手に入らない珍しいものが手に入ることがあるので、まさにお宝探しです。「こんなものまで、鹿児島で作られているの?」と驚くような商品を見つけたときは、自然ににやにやしてしまいますから、私にとって、鹿児島産の農産物を手に入れるのは趣味なのかもしれません。そういったお宝探しの中からお正月の料理も決めることが多くなりました。

さつま芋のふるさと

薩摩富士・開聞岳私は現在、鹿児島市に住んでいますが、お正月は「日本最南端の駅・西大山(にしおおやま)駅」がある山川町(やまがわちょう)で何十年も迎えて来ました。現在では沖縄にモノレールの駅ができたので、「日本最南端駅」ではなく、「JRの最南端駅」になり、市町村合併で山川町も指宿市となるなどの変化はありましたが、薩摩富士と呼ばれるすんなりと美しい山容の開聞岳が見える、のどかな田園地帯には変わりありません。特産物はさつま芋。山川町はさつま芋とは深いつながりがあります。

山川町の漁師・前田利右衛門さんは宝永2(1705)年に琉球に渡ってさつま芋を持ち帰り、「唐芋(中国の芋)」として地元の山川で広め、やがて薩摩藩内で広く作られるようになりました。日本では「さつま(薩摩)芋」つまり「鹿児島の芋」として知られているさつま芋ですが、鹿児島の人たちは「唐芋」と呼びます。さつま芋は薩摩から日本国内に発信されましたが、鹿児島では中国から伝わった芋という位置付けです。

山川町内の徳光(とっこう)神社は利右衛門さんを「玉蔓大御食持命」という神様として祭るために明治30年に建立されたもので、「甘藷翁頌徳碑」が建てられています。神様とあがめられるほど、利右衛門さんがさつま芋を伝えたことは飢饉の苦しみを救った偉業だったそうです。1732年の享保の大飢饉で西日本が大凶作だったとき、鹿児島で餓死者を出さなかったのはさつま芋のおかげ。それがきっかけとなって、さつま芋は日本全国に広まったようです。
火山灰のシラス台地でもさつま芋はよく育ってくれ、飢えから救う大切な食物だったわけですが、第二次大戦の食糧不足のとき、来る日も来る日もさつま芋しか食べられなかった辛い思い出のせいか、「さつま芋はもう見たくない」と毛嫌いするような風潮が、鹿児島の人たちにはありました。今は芋焼酎ブームのおかげで、さつま芋は再び脚光を浴びるようになり、県内での生産も盛んになって来ました。

からいもんねったぼ

もちろん、さつま芋伝来の地で迎えるお正月ですから、さつま芋を使った郷土料理があります。「からいもんねったぼ(芋餅)」といって、お正月用の餅を搗いたあと、ふかしたさつま芋と餅を一緒に搗いて、丸めてきなこをまぶしたもの。おはぎのような感じで、ふだんからおやつにも作られていたようですが、私にとってはお正月に山川に行ったときにしか食べないものでしたので、代表的な正月料理という位置づけなのです。
ほかに、さつま芋を使った鹿児島の郷土料理にはにんじんなどと合わせて揚げるかきあげ「がね=かに」がありますが、こちらはお盆に食べるのが通例でした。鹿児島料理の本を調べると、「がね」はお正月料理としても出されていたようです。

山川のお正月料理に関して、古い記憶の糸をたどってみると、祖母が料理をしていた姿はほとんど思い出せず、母がいつも任されていましたので、鹿児島の伝統の、というよりは、母の考えたお正月料理だったのではないかと思います。小学生くらいになると、母とふたりで70人分くらいのおせち料理を作るようになっていましたから、とにかく料理する、というよりも「肉体労働」でしかなく、おまけにどれだけの人数の人たちが来客するのか検討がつかず、「足りなくなるといけないから」とできあがった料理に手をつけさせてもらえないことが多く、あまり料理の詳細を思い出せないくらいです。

私はほとんどが大人数の大量の料理の下ごしらえ。皮をむく、きざむ、煮るといったことに明け暮れ、味付けは母。あとは皿を出して盛りつけたり、大量の洗い物に追われて、暮れの紅白などちゃんと見たことはないし、お正月に入ってももちろん、30人ほどの泊り客のごはんの用意に追われて、怒涛のように過ぎてしまうので、おせちをゆっくりと味わったことなどなかったのです。ただ、母はそれだけ大量に作るにもかかわらず、きんとんを作るにしても、わざわざ二色にして茶巾絞りにして、ひとりずつが食べやすくするなどの工夫をしていて、「もっと手抜きをしてくれた方が助かるのに」とうらめしく思ったりしたくらい手をかけたものでした。

祖母が逝き、祖父が逝き、父が逝くと同時に母の認知症が悪化して、山川町で迎えるお正月は終わりを告げ、大人数のおせちを作る必要がなくなったので、最近は少しだけ作るようになり、以前に比べると本当に楽になりました。母のように手をかけてはいないし、特別なものは何ひとつありませんが、鹿児島らしいものを少しご紹介しようと思います。

全国有数のそばの産地

まずは年越し。うどん文化のある地域では年越しもうどんを召し上がるそうですが、鹿児島はそばです。そばと言えば、信州を思い浮かべる方が多いと思うのですが、実は、全国有数のそばの生産地である鹿児島。昭和40年代には日本一の生産量だったこともありますが、近年では価格の低迷や台風等の被害で所得が安定せず、農家の高齢化も伴って作付け面積は減少し、平成18年度産では全国8位となっています。
さつま芋と同様、そばもやせた土地でも育ち、種を蒔いてから収穫までが短く、年に2度も収穫できることから、貧しい鹿児島の暮らしを支えて来たものなのでしょう。昔は農家のお嫁さんは、そばを打ち、来客や婚礼のときのもてなしに使ったそうです。薩摩半島の南端にある山川町ではそば打ちは盛んではないのですが、叔母が対岸の大隅半島の鹿屋市に嫁いでいましたので、年末には大量の手打ちそばを持って来ていたのを思い出します。大隅半島のそば生産は全県内の6割を占めていますので、そば打ちも盛んなのです。
鹿児島のそばは色黒の田舎そば。ざるで食べるようなものではなく、短く切れているそばをかけでいただきます。小さいころは、その食べ方が好きではなく、大学時代、東京で過ごしたときは信州でいただくざるそばが「これがやはり本格的なそば」と感じたものですが、長く鹿児島で暮らしていると、田舎そばのかけそばも「おいしい」と思うようになったのですから、不思議なものです。鹿児島ではそばもきしめんのように太く切り、野菜と一緒にほうとうのようにして食べる食べ方もあるようです。


そば玉


年越しそば

「桜島小みかん」と「おとそ」


年越しそばの薬味、桜島小みかんときんかん

私もようやく大人数の年越しの料理作りから開放されたので、昨年から自分で鹿児島産のそば粉で手打ちするようになりました。もちろん、年越しそばはかけそば。具はさつま揚げのみ。薬味は小ねぎと、桜島小みかんです。桜島小みかんは錦江湾に浮かぶ桜島で収穫される世界一小さいと言われている小みかんです。世界一大きい桜島大根とともに鹿児島の冬の代表的な味。この小みかんは小さいのに、甘味が強く、皮の香りがとてもいいのが特徴で、この皮をきざんで年越しそばに使うのが習わしです。

お正月近くなると、ダイダイが葉つきで売られ、お供え餅に飾られますが、この小さな桜島小みかんの葉つきのものも売られていて、小さなお供えに使っています。

お供えとともに準備しておくのがおとそです。地酒におとそがついて、年末になると出回るのも鹿児島の年越しの風景。みりんと日本酒の中間のような味わいで、これも新年だけのものと思い込んでいたのですが、鹿児島産のものを煮炊きするのには頃合いで、鹿児島産の焼酎と地酒は煮物には欠かせない存在となっています。地酒は「灰持酒」と言い、酒を日持ちさせるために、もろみに灰汁を入れて腐敗を防ぐ手法で造られ、加熱処理をしないので、酵素が生きているのだそうで、香りがいいお酒です。

おめでたい「きんかん漬け」

鹿児島のおせちも最近では全国的なおせちとそう大差ないものではないかと思いますが、きんかん漬けは古くから鹿児島のお正月を彩る食べもので、私も欠かさず入れるようにしています。きんかんの甘煮、シロップ煮といった呼び方もありますが、鹿児島ではきんかん漬けと呼ぶ方が多いようです。
きんかんの生産量全国第2位の鹿児島。庭先に植えて、自宅で楽しむものでしたから、門松にも必ずきんかんが入っていました。お正月のお墓やお仏壇の供花にも入れられます。小さいときからそれが「ふつう」のことでしたから、よく考えたことはなかったのですが、中国では、ふっくらとした丸い形が「福徳」、黄色が「黄金」、多くの実をつけることが「子孫繁栄」をもたらすものとして、ひと鉢ごと飾る習慣があるのだそうで、中国から伝来したときに、そういった習慣のことも伝わったのだろうかと思います。そう思ってみると、きんかん漬けの入ったおせちは何となく福々しい感じがします。

魚を使ったおせち


きびなごの田作り

「きびなごの田作り」「こが焼き」「サバの昆布巻き」「ブリの照り焼き」も鹿児島らしいおせちではないかと思います。田作りは全国で作られていると思いますが、私はきびなごで作るようにしています。きびなごはお刺し身を酢みそでいただくのが一番おいしいと思うのですが、いりこにしたものは苦味も少なく、食べやすいように思います。甘辛いオーソドックスな田作りにしたり、ナッツ類を入れたり、甘くはせずにスパイシーなおつまみにしてみたりと、毎年、少しずつ変化をつけています。「こが焼き」は白身のすり身と豆腐を入れた卵焼きで、だて巻き代わりに作ります。


こが焼き

昆布巻きがおもしろいと思ったのは、ブログで「サバを芯にして巻く」と書いたところ、珍しいという反響をいただいたのです。鹿児島で昆布巻きと言えば、サバが定番ですが、地域によって、魚が違うのがおもしろいと思います。私はひと工夫して、サバをそぼろにしてれんこんなどと合わせたものを巻いてみました。
「ブリ」は鹿児島県には内湾が多く、ブリの稚魚が獲れることから、ブリ生産量日本一。照り焼きや柚庵焼きにしておせちに使っています。


サバの昆布巻き

肉を使ったおせち


牛のたたき

鹿児島はもちろん、畜産県。黒豚、黒牛がおいしいと、全国的に知られるようになりました。鹿児島県は豚の飼養頭数、出荷頭数は日本一ですが、黒毛和牛の飼養頭数も日本一。今年は丑年にちなみ、牛のたたきもお正月料理に取り入れてみました。おせちの材料費で予算がなかったので、値ごろな和牛を買ってしまい、やはり、見た目がいまひとつでした。以前、取材で撮影した鹿児島産黒毛和牛はとても美しかったので、添えておきます。


鹿児島の黒毛和牛

地元で買えば、首都圏で買うよりは安価ですが、やはりいいお値段なので、気を張ってしまいます。それでも、良質な黒毛和牛はびっくりするほどのおいしさ。料理の仕事の撮影で使ったものをみなさんに召し上がっていただくと、目を見張るほどの驚きらしく、「あれは本当においしかった。値段だけのことはある」といつまでも言われ続けるほど。


鹿児島ではこの時期しか食べられない桜島大根

ただ、ふだんの鹿児島のお正月の風景では鶏が主役。鹿児島ではおもてなしには必ず、鶏肉を使って来たという伝統がありますので、市場で地鶏が丸ごとごろごろ並べられている風景は、なかなか見ものです。値段は1羽が4000円前後。
私はお正月には地鶏の骨付きぶつ切りを使って「炒り鶏」を作ります。見た目がワイルドになってしまい、上品なおせちとは違うものになってしまいますが、そのおいしさにはふつうの鶏肉はかないません。鹿児島ではこの時期にしか食べられない桜島大根と一緒に炊き合わせる方も多いようです。
みなさまも、丑年にちなんで、機会があれば、鹿児島産の黒毛和牛を召し上がっていただき、鹿児島の食のこと、みなさまのお住まいの地元の食のことを思うひとときを過ごしていただけたら幸せです。よき年をお過ごしくださいますように。

レイコさんのおせち料理

一の重

黒豆 きびなごと鹿児島産落花生の田作り 数の子の甘酒漬け いちじく酢漬け菊花かぶ 梅酢紅白なますのいくらのせ

二の重

種子島産安納芋のりんごきんとん 白花豆 こが焼き 紅白かまぼこ 焼き豚 ブリの柚庵焼き

三の重

地鶏の煮しめ さばのミンチの昆布巻き えびのうま煮 きんかん漬け

レイコさんの食卓から

作者:bio

更新日:2009年1月5日 2時30分

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芹乃栄・せりすなわちさかう

芹乃栄

5日から小寒に。この日から「寒の入り」に入ります。
小寒とは、寒気がまだ最大ではないと言う意味ですが、「小寒の氷、大寒に解く」という故事があるように、実際にはこの節季の寒さが一番きびしいとされます。
小寒の初候は、芹乃栄(せりすなわちさかう)。せりとは、七種(ななくさ)粥の具になる野菜です。
日本では昔から、正月の7日には、万病を除くとされることから七種粥を食べる風習があります。七草は、せり、なずな、ごぎょう(おぎょう=母子草)、はこべら(はこべ)、ほとけのざ(こおにたらびこ)、すずな(かぶ)、すずしろ(だいこん)を言います。
この七草粥については、現代の俳人、坪内稔典――ネンテンさんの二つの句があります。

せりなずなごぎょうはこべら母縮む
ほとけのざすずなすずしろ父ちびる

ネンテンさんは、春の七草を覚えられず、俳句に詠み込んで覚えようとして、この句を作ったといいます。岩波新書の『季語集』にご本人が書いていました。ネンテンさんの娘さんは、この句をなずな打ちに用い、母縮む、父ちびると唱えながら、日ごろの鬱憤をはらすかのように七草を叩いたといいます(笑い)。

七種や今を昔の粥の味
太田鴻村

最近では、新芽を摘んで、忠実に七草を用いた粥を食する人は減っているようです。ネンテンさんの家では、なずな打ちを家庭行事としてなさっているのですね。さすが俳人の家です。

さて、元日は虚子の句、きょうは蕪村の句を紹介しました。

大空に羽子の白妙とどまれり
高浜虚子

凧きのふの空のありどころ
与謝蕪村

同じように正月の空を詠んだ句です。けれども、この二つの句はまるで趣きを異にしています。虚子は、大空に羽子を見ました。それを白妙のようだと称えました。いわば大空賛歌の句で、もし句会の発句で詠まれたなら、正月らしい華やいだ空気が、その場を大いに盛り上げることでしょう。
これに対し、蕪村の句は、空を見上げても何もないけれど、きのうは凧が上がっていた、といいます。素っ気ないというか、寂しげというか、もし句会の発句で詠まれたなら、正月から暗いと嫌われるかも知れません。しかし、個になってこれを詠むと、そこに「空」を観望されて、何とも澄み切った気持ちにさせられます。蕪村らしくていい、と思います。虚子の句は賑やかな正月番組らしく、蕪村の句は正月の教養番組らしいと考えればよくて、その両方を許容してほしくて、二つの句をご紹介した次第です。

蕪村の句に読まれたいかのぼりというのは、空を舞う凧のことです。
この漢字は国字(日本で作られた字)で、「たこ」という呼び名を含めて、江戸末期に関東から広まったものです。
凧を「タコ」と呼ぶのは関東の方言で、関西の方言では「イカ」、「いかのぼり」と呼ばれていました。凧は中国から日本に伝わりましたが、当時は「いかのぼり」とか「いか」と呼ばれていました。江戸末期に都が江戸へと移されたことが影響したのか、タコに軍配があがりました。ということは、蕪村は江戸中期、天明の人なので「いかのぼり」だったのですね。長崎では凧のことをハタと言います。ほかに「たこばた」「とんび」「たか」「たつ」「てんぐばた」といった方言があります。
凧が、「タコ」や「イカ」と呼ばれる由来は、どちらも長い足があるからです。言われてみると、何だそういうことなのかと笑ってしまいますが、では何故、海のタコやイカが空を飛ぶのか。辞書で「いかのぼり」を調べますと、「紙鳶」や「紙老鴟」という漢字が当てられています。鳶、そうトンビです。凧は、紙で出来たトンビなのです。空高く上げて、このトンビを舞うように安定させるには、イカやタコのように足を加えるのがよかったのです。

虚子は、蕪村のこの句を「別に深い意味もない句」と評しました。おもしろくも何もないというのです。正月番組のプロデュサーとしては、こんな句は迷惑なのでしょうね、きっと。だれにも分かる写生、その活写ということでいえば、いささか水を差す句です。
けれども、詩人の萩原朔太郎は、この句を絶賛しています。その一文(『郷愁の詩人与謝蕪村』岩波文庫版)を紹介しておきます。

「北風の吹く冬の空に、凧が一つ揚がっている。その同じ冬の空に、昨日もまた凧が揚がっていた。瀟条とした冬の季節。凍った鈍い日ざしの中を、悲しく叫んで吹きまくる風。硝子のように冷たい青空。その青空の上に浮かんで、昨日も今日も、さびしい凧が一つ揚がっている。飄々として唸りながら、無限に高く、穹隆の上で悲しみながら、いつも一つの遠い追憶が漂っている」

朔太郎がこの句にみた大空は、虚子の空とはあまりにも違います。ぼくは何もない空に、きのうそこに凧が揚がっていた、と解しましたが、朔太郎はきのうとおなじところに、きょうも凧が揚がっていたといいます。けれども、

『きのふの空』は既に『けふの空』ではない。しかもそのちがった空に、いつも一つの同じ凧が揚がっている。即ち言えば、常に変化する空間、経過する時間の中で、ただ一つの凧(追憶へのイメージ)だけが、不断に悲しく寂しげに、穹陵(きゅうりょう)の上に実在しているのである。こうした見方からして、この句は蕪村俳句のモチーヴを表出した哲学的標句として、芭蕉の有名な『古池や』と対立すべきものであろう」

と朔太郎はいいます。そして朔太郎は、蕪村の語法に、近代西洋の詩と共通するシンボリズムの技巧」をみます。

君あしたに去りぬ
ゆふべの心千々に何ぞ遥かなる。
君を思うて岡の辺に行きつ遊ぶ。
岡の辺なんぞかく悲しき。

朔太郎は、この本の冒頭に蕪村の句を並べてみて、「この詩の作者の名をかくして、明治時代の若い新体詩の作だといっても、人は決して怪しまないだらう」といいます。つまり、朔太郎は蕪村に、西洋の抒情詩に通じる近代性を見出したのでした。
この句は、虚子がいうように「別に深い意味もない句」だといえばいえます。でも、蕪村はそこに凧が実存していたことを、きのふのありどころの、動かぬ一点とみているのです。この深遠な視覚性は「菜の花や月は東に日は西に」や、「さみだれや大河を前に家二軒」などの句に重なっていて、蕪村的なるもの(俳画をも含めた。後者の句は俳画そのものといってよい)を、実によくあらわしているのではないか、と思います。空に浮かぶ凧をして、そのありどころをみる、この永遠の時間性こそ、要するに蕪村だと思うのです。

さて、七十二候に沿って、この文を綴っておりますが、七十二候はほぼ5日に1回の割合です。一週間という区切りで過ごしてきましたので、この5日に1回は、当初、ずいぶん戸惑いました。けれども、これを続けているうちに5日に1回の季節の巡りを実感できるようになりました。こんなにも時候は動いているのだという体験は、ぼくにとって得難いものでした。
五感の働きがよくなったように思います。そのあたりのことを、【興味津々】に書きました。そちらもご一読ください。(文/小池一三)

俳句

たこ

作者:bio

更新日:2009年1月5日 2時30分

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雪下出麦・ゆきわたりてむぎいずる

雪下出麦

雪の下から麦いずるとは、何とお芽出度いことでしょう。
「冬至」に至るまでは、きびしい候が多くて閉口しましたが、ここにおいて明転され、新たなる年を迎えました。
あけましておめでとうございます。

麦(むぎ)は、小麦・大麦、ライ麦、燕麦など、外見の類似したイネ科食用作物の総称です。狭義には小麦と大麦のみを指します。
これらはいずれも、中央アジアを中心とした乾燥気候の土地を原産地とするイネ科草本です。これらの土地には、野生種のムギによる自然の草原があります。
日本では、秋に芽生え、冬を越して初夏に顔を出す秋蒔きがほとんどです。外国では春蒔きの地域もありますが……。
小麦は、コメとトウモロコシと並び、世界三大穀物の一つ。古くから栽培され、世界で最も多く栽培されている穀物であり、世界の人口のほぼ半分を養っています。年間生産量は6億トン近くに及びます。

わたしの小さい頃には、あちらこちらで麦畑を見ることができました。
冬の畑といえば麦でした。それを近頃とんと見掛けなくなりました。アメリカに依存した(というよりアメリカの穀物戦略に巻き込まれた)ことにより、日本から麦畑が失われたのです。
今の食糧事情のなかで、日本にもっと多くの麦畑をと思うものの、第一に種子が失われているとのこと。日本の麦は、梅雨期に実らなければならないそうで、雨に降られても穂から発芽しない種子が求められるということです。これに対して、外国の麦は雨にあうと穂が発芽します。この種子では、日本で栽培しても収穫がおぼつかないのです。
つまり、日本の麦は弥生時代から、長い栽培の歴史を持つことで、裏作としての早熟生や耐病性を育て、そういう特性を持った、日本独特の種子だったのです。

ここ10年、小麦、大麦ともに、日本での栽培が少しずつ増えていますが、総量としてみると、圧倒的に輸入のものが占めています。麦畑の風景を取り戻すには、まだ時間が掛かりそうです。
一昨年来、食糧問題が何かと話題になっています。多分、今年もいろいろ起こることでしょう。それは日本の農業の根本に問題があるからです。何事によらず、根本がおかしければ、現象は表皮を破って、いろいろなカタチをとって噴出しますので……。

さて、元旦の句は高浜虚子です。
この句は、俳句の王道を行く句といってよいでしょう。大空はどこまでも青く、白い羽子が上へとのぼりつめ、落ちようとする、その一瞬をとらえた句です。バドミントンの羽根もそうですが、のぼりつめて、一瞬の静止に充満があり、そこから踵を変えするように、くるりくるりと落ちます。羽子板を持つ者は、この一瞬の充満をとらえながら、地上へと舞い降りる羽子をとらえ、息を整えて打ち返すのです。この静と動の繰り返しに、羽子板の醍醐味があります。
そういえば少年時代に、好きだった近所の女の子が、晴れ着を着て、華やかな羽子板を手に静と動を繰り返すさまに、何だか胸騒ぎを覚えたことがあります。ぼくは独楽を回しながら、遠めにそれを見ていたのでした。この句は、正月の空の青さと共に、そんな記憶を鮮やかに思い出させてくれます。
『若きウェルテムの悩み』のゲーテに、「時よ、その翼をとどめよ」という言葉がありますが、この言葉には一瞬に永遠をとどめようとするゲーテらしい思いがこめられています。鷹羽狩行の解釈によると、この句で虚子は、大きい青空と一点の白い羽子のコントラスト、そのとき羽子は、まるで白妙のようにみえて、それを一瞬、大空にとどめよ、といっていて、それはゲーテの言葉と重なるといいます。
白妙とは、栲(たえ)のしろさをあらわす古語です。「白妙の衣ほすてふ天の香具山」などと万葉の歌に、しきりに詠まれた「白妙の衣」です。この古語を、羽子に持ってきたことによって、この句は優雅な世界に止揚されます。たった一語、古語を用いることで、青空に清らかにとどまる、万葉の白妙が印象づけられます。虚と実の見事な昇華です。
目出度い正月の、恥ずかしいほどに目出度い句といえましょう。

このような目出度い句がある一方、

三椀の雑煮かゆるや長者ぶり
蕪村

大三十日(おおみそか)愚なり元日猶(なお)愚なり
正岡子規

元日や去年のめしくふ猫の顔
一友

元日は大晦日(おおつごもり)のはじめ哉
吟笑

元旦や枯死淡淡の茄子三つ
永田耕衣

女正月なり悪妻を愉しめり
渡辺恭子

去年今年貧こそよけれ無事息災
岡本文弥

年々の手を抜くばかりお元日
中山純子

人に五欲わけて食欲女正月
服部一放

若やぐといふことしのうそはじめ
喜楽

などという、何とも怜悧な、あるいは愉快な句もたくさんあって、こうした句もあって、正月はたのしいのです。

睦月富士翼のごとき雲もてり
山吉空果

こちらは虚子と同じ目出度い句です。富士山が翼を持って羽ばたくような、そんな壮大な夢を持って一年を過ごしましょうよ、という句です。
よき一年でありますように(文/小池一三)

俳句

羽子板

作者:bio

更新日:2008年12月31日 15時0分

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興味津々・No.034

火鉢宇宙船倫理を最初に提案したのはフラーである。地球を、漆黒の宇宙に浮かぶ船にたとえて、その船は「内部に内的維持システムを持っているが、そのシステム自体は有限で閉鎖的である」という観点に立った考え方である▼海外で大きな事故があると、そこに日本人が含まれていたかどうかが真っ先に報道される。含まれていないことが分かると、アナウンサーは安堵したような表情になる。それは日本の報道のレベルを示していて、インターナショナルな倫理観の欠如を意味しないだろうか▼このレベルはアメリカという国と似ている。アメリカは、同時多発テロでなくなった人を問題にするが、大量破壊兵器がなかったのに、あるといって乗り込んだイラクで10万人の死者が出たことは問題にしない▼問題になるとしたら、イラクで5000人の戦死者が出たということで、いずれにしても自国内のことである。アメリカしか知らないアメリカ人が圧倒的な国ならではのことである▼日本は島国で、外国のことを割とよく知っている筈なのに、また、外国とよき関係を持たなければやって行けない国なのに、日本人に被害者がなければ、アナウンサーはほっとする顔をするのである。何と浅はかな、と思わないではいられない▼けれども、今年のアメリカは、大きくチェンジすることだろう。アメリカ合衆国第44代オバマ大統領の就任式は、ワシントンで1月20日に開かれる▼オバマは選挙後の演説で、「民主主義を疑っている人がいるなら、今夜がその答えだ」と言った。初の黒人大統領になる自らのことを、建国以来の理念に重ねて、「すべての人の平等をうたった1776年の独立宣言、1863年の奴隷解放宣言などとともに、アメリカの歴史に刻まれる偉大な1行」とも言った▼オバマには、日本の政治家には期待できない、言葉のきらめきがある。オバマがやろうとしている環境政策で特徴的なことは、環境政策と雇用政策が一体になっていることである▼省エネ対策や新エネルギー利用を進める「グリーン・ジョブ」は、世界大恐慌に直面したフランクリン・ルーズベルト米大統領が行った「ニュー・ディール」政策にならって「グリーン・ニューディール」とも呼ばれている▼これはオバマその人の資質によるものであるが、同時に、オバマの選挙がアメリカの若者たちの圧倒的な支持のなかで当選したことが大きいとみていい▼日本はチェンジできるのだろうか。

作者:bio

更新日:2008年12月31日 15時0分

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2009年

新連載:200年住宅の強・用・美・変を開始します。

200年住宅と言われても、正直、ピンと来る人は少ないでしょう。長い必要、長い好み、長い寿命に応える200年住宅とは何なのか。新連載「200年住宅の強・用・美・変」で、この問いに応えます。


イラスト:秋山東一

連載開始にあたって、その基本的な考え方と、町の工務店ネットの200年住宅についてをご紹介します。

Save the Future 守るべき未来のために

200年を見わたすスパンで考え、未来世代に託せる住宅を。
産業革命からおよそ200年
人間活動の結果、刻一刻、地球温暖化が進行しています。
今、ヨーロッパはCO2の排出量を産業革命前の水準に戻そうとしています。
新しく誕生するオバマ米大統領もこれに協調し、世界は大きく動こうとしています。

燃料別に見る世界の二酸化炭素排出量

燃料別に見る世界の二酸化炭素排出量
全国地球温暖化防止活動推進センターウェブサイト(http://www.jccca.org/)より

文明の裏側で、大量の建設廃棄物が発生しています
短サイクルの建築を造り続けた結果、ゴミの量が波状的に増大しています。
捨てなければゴミになりません。リサイクルすれば資源になります。

200年を見わたす視座を持つと、
次の200年のために、今、何をしたらいいかが見えてきます。
長く生き続ける住宅は、
それ自身、未来世代に対する贈り物です。

200年住宅といわれても、
正直、ピンとくる人は少ないでしょう。
200年前のことは、歴史でしかないし、
200年後は、未来学の世界でしかありません。
けれども、今を大事に生きようとするなら、
建てては壊す、スクラップ・アンド・ビルドは、
もう改めなければなりませんし、
顔をみることはないだろう未来世代に継ぎたい、
と思える家を残したいと思います。
ものを愛で、ものを慈しみ、ものを大切にする、
そんな心尽くしを、未来世代に託しましょう。

町の工務店ネットの「超長期住宅先導的モデル事業」

町の工務店ネットが新築部門で共同提案した以下の三つの申請が、平成20年度第2回「超長期住宅先導的モデル事業」に採択されました。

近くの山の木で家をつくる会
 (Bio森の家Choスタンダードが該当)

BeV Standard超長期住宅モデルプロジェクト
 (BeVスタンダードChoスタンダードが該当)

杉三層パネルを使った地域材民家の普及事業
 (MOKスタンダードが該当)

この事業は、先導的な材料、技術、システムが導入され、住宅の長寿命化に向けた普及啓発に寄与するモデル事業の提案を、国が公募によって募り、優れた提案に対して、費用の一部を補助するものです。
建設工事費の10分の1、最大200万円の補助金が出ます。

連載では、この補助事業についての詳細な解説も予定しています。

独立行政法人 建築研究所 超長期住宅先導的モデル事業
http://www.kenken.go.jp/chouki/index.html

作者:bio

更新日:2008年12月31日 15時0分

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2009年・新年のごあいさつ

イラスト:小野寺光子
イラスト:小野寺光子

あけましておめでとうございます。
よきお正月をお迎えのこととお喜び申し上げます。

住まいネット新聞「びお」の開始から半年、ようやく「びお」のスタイルらしきものが見えて参りました。
今年は、ネットならではの展開をはかりたいと考えています。
昨年、5日に1回の更新を行い、編集部を中心に特集を編んで参りましたが、
この特集を、編集部だけでやらないで、いろいろな方にご協力いただくことにしました。
次回(1月5日)の更新では、あの「レイコさんの食卓」のレイコさんが、鹿児島の食について、お正月の便りと共に書いてくださいます。
また、15日の更新で、トラベルライターの山口由美さんが、パプアニューギニアやボルネオなど南の島について、単なる旅行記ではない視点から書いてくださいます。
それらは住まいと一見離れたテーマでありますが、変容を迫られる環境と住まい、食や健康と住まいの問題に、深いところで繋がっているように思われます。
今、世界はいろいろな出来事が、刻一刻と起きています。
ネットは、それを時空を超えて映し出します。
溢れる情報のなかで、何か一つ確かなものがつかみ出せれば、「びお」を更新し続ける意味があるのでは、と思うのです。

今年の「びお」は、次の編集委員で臨みます。
編集長
 小池一三(町の工務店ネット)
副編集長
 佐塚昌則(町の工務店ネット事務局)
編集委員
 秋山東一(建築家)
 玉井一匡(建築家)
 田村浩一(工務店)
 小野寺光子(イラストレーター)
 島崎爽助(新/アートディレクター)
 菅徹夫(新/工務店)
 中山るりこ(新/主婦)

どうぞ、今年も「びお」をご愛顧ください。
そして、おもしろいとか、これは変だぞとか、あなたのアンテナが捉えたことを、寄せてください。
お待ちしております。

2009年1月1日
編集委員を代表して 小池一三

作者:bio

更新日:2008年12月31日 15時0分

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【求人】「びお」制作スタッフ募集のお知らせ

ご一緒に「びお」を作ってくれる方を募集しています。

募集職種

WEBデザイナー

募集形態

パート・アルバイト

業務内容

WEBサイトのデザイン、コーディング、画像加工、WEB用素材の作成等
「びお」の他、各種WEBサイトの制作をお願いします。

希望する人材

募集職種1日5時間以上、週4日以上勤務可能な方
HTML、CSSについての基本知識
Fireworksの基本スキル

勤務地

浜松市中区富塚町2282-17 有限会社小池創作所

勤務時間

9:30〜18:00のうち5時間以上

給与

時給1,000円〜

休日

土日祝、夏期、冬期

応募方法

こちらのエントリーフォームからご応募ください。

作者:bio

更新日:2008年12月27日 0時30分

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「びお」2008年人気特集クローズアップ

7月にスタートした「びお」。まだ産まれて一年はたっていませんが、年末企画として、2008年の「びお」から、人気のあった特集記事を再度ご紹介いたします。

小さな楽しい家をつくろう!「おもしろ軽家(Kei-ハウス)」

小さな楽しい家をつくろう![11月27日掲載]
家に縛られすぎず、軽やかに家づくりを考えよう、という工務店の提案から産まれた「おもしろ軽家(Kei-ハウス)」。身の丈に応じて家を建て、自分の身の丈が大きくなれば、売ったり貸したりしていけばよいのでは、と考え、提案している住まいです。小さいからと言って性能や住み心地を犠牲にせず、また小さいからこそメンテナンスも行き届き、価値を維持することが出来る──そうした発想の転換を促す点に人気が集まりました。


「奪われし未来」を越えて──沖縄・宮古島ものがたり

「奪われし未来」を越えて[8月11日掲載]
町の工務店ネットが発行した「住まいを予防医学する本」で取り上げられた、化学物質過敏症のお子さん二人を持つ渡部さんご一家の家づくり。「びお」では、完成した住まいに暮らす一家の様子をレポートしていただきました。
渡部さんは、化学物質過敏症を発症した幼児二人を連れ、千葉から宮古島へ移住、その後10年を経て家づくりに至りました。
町の工務店ネットの冊子「Ren」の特集ページもご覧いただけます。


『超高層マンション』か『地べたを生きる家』か

『超高層マンション』か『地べたを生きる家』か[11月17日掲載]
しみじみ地べたを生きる。大事なのは人間的機能。超高層マンションと、地べたに建つ家を考えます。
規制緩和により建設が進んだ超高層マンション。でも、ちょっと待って。「びお」は、地べた派として、超高層マンションの問題点を指摘しています。「高層難民」の問題、メンテナンス、スラム化…
これを読んだら、超高層マンションには住みたい、とは思わなくなるはずです。


高気密な家の掃除機を問う!

高気密な家の掃除機を問う![10月13日掲載]
掃除機は、ゴミを含んだ空気を吸い込んで、排気をします。家の気密が今程高くない時代には、その排気が問題になることは少なかったのですが、高気密化が進んだ昨今では、掃除機の排気も問題になっています。
掃除機を含んだ白物家電は国産メーカー、というのが従来の常識でしたが、早くから空気質に注目していた海外メーカーが市場を席巻しています。国内メーカーも追随して、掃除機市場はなかなかの混戦模様。


遥かなる山の、遥かなる取り組み

遥かなる山の、遥かなる取り組み[10月23日掲載]
天孫降臨の地といわれる、九州・高千穂。ここで取り組まれている、山と町とが一体となった取り組みは、これから40年に渡る遥かな取り組みです。工務店は立木の伐採権を取得し、林家は伐採跡地の再造林を行うというこの協定。恒常的に立木で買い続けるという、工務店業界ではおよそ信じられない話に、この地は取り組みました。
林業復帰の芽吹きが言われる今こそ、町がもっと木を使うことが必要なのです。


むずかしい事情・虫と農薬

むずかしい事情・虫と農薬[9月25日掲載]
2008年は、食品から農薬が検出されるケースが相次ぎました。農薬はよくない、無農薬で庭づくりをしたいと思っていても、いざ毒虫に刺されたりすると、その毒虫を退治するのに血眼になり、農薬を使ってしまう──身に覚えがあるかたも多いのではないでしょうか。
でも、安易に売っている農薬を使うのは考えものです。誰でも買える農薬が、認可されていない成分に変化する可能性もあるんです。


鰹節を削ろう!

鰹節を削ろう![10月28日掲載]
世界で一番堅い食べ物、鰹節。身近なようでいて、いつの間にか見かけることが少なくなってしまい、その代わりに「花かつお」と呼ばれる、パックの削り節が売られる様になりました。ところが、JAS法では、「花かつお」の多くは、鰹節とは別の食品なのです。
「古事記」にも登場し、古くから日本人に親しまれてきた鰹節が、実は絶滅の危機に瀕しています。時間の詰まった食品、鰹節を削って食べよう!


2008年は、びおスタートの年でした。
2009年も、独自の視点をもった住まいネット新聞として、皆様に記事をお届けいたします。
今後ともよろしくお願いいたします。


他の特集記事は、こちらから見られます。

特集記事一覧
http://www.bionet.jp/category/special/

「設計のみつくろい」「工務店の知恵袋」など、各種連載も好評です。

連載・企画記事一覧
http://www.bionet.jp/serial/

作者:bio

更新日:2008年12月27日 0時30分

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麋角解・さわしかのつのおつる

麋角解

北海道の道東を車で走ると、鹿をたくさん見掛けます。本州の山村では鹿の被害が絶えないようです。鹿に親しむということでは、何といっても奈良公園の鹿に尽きます。
奈良公園の鹿は、この時期に角を落とされます。

角落ちて耳ふる鹿は哀れなり
渡部風籟

と言いますが、奈良公園の鹿は、角を落とすと散髪直後のようで、何故か気恥ずかげであるように感じられます。
七十二候にいう麋角(びかく)は、「なれしか」の角をいいます。「なれしか」とは大鹿のことで、トナカイの一種です。トナカイはサンタクロースの橇を引く動物として親しみを持たれていますが、フィンランドの奥地、たとえばイナリ湖周辺に行くと、奈良公園の鹿のように、あちらこちらにトナカイがたむろしています。しかし、奈良公園の鹿のように馴れ馴れしくなくて、人が近づくと逃げます。多分、人が危害を加えたのでしょうね。

さて、師走の日本は不景気風がびゅーびゅうと吹いています。
この年の瀬の寒空に寮から放り出される派遣社員を見ていると、その酷薄さに切なさを感じます。こんなときは、

しぐるゝや蒟蒻冷えて臍の上
正岡子規

とユーモアで吹き飛ばしたいところです。子規は、病気の苦痛のなかで、それを直截に訴えることなく、臍の上に置かれたコンニャクの冷えを詠むことで間接に病状を語っています。おどけ、とぼけ、たわむれ、滑稽という子規独得の世界です。

秋風や屠られに行く牛の尻
夏目漱石

羊ではなく、牛の尻と詠んで、漱石は見事に肩透かしをくわせてくれます。
アルチュール・ランボーは、「俺は一個の他人だ」といいましたが、自分で自分を突き放して客観視したときに滑稽が生まれるのかも知れません。子規と漱石に共通しているのは、置かれた状態や自分に対して自虐的なところ(漱石の小説を読むと如実です)があって、その自虐を超えたところにあるアイロニー(皮肉)とエスプリ(諧謔)が、この二人にあります。日本の近代が持ち得た、稀なるインテリジェンスです。
しかし、この不景気です。
わたしが住む浜松は、日系ブラジル人が多く住んでいます。彼らには寮さえ提供されませんでした。農家がアパートを建て、そこに入居していました。突然お払い箱になっても、住宅問題が浜松で話題にならなかったのはこのためです。しかし、支払いできないため、徐々にアパートを解約する人が増えてきて、アパートを経営する、わたしの近所の農家は当て込んでいた家賃が入らないと言って大騒ぎしています。
アパートを出た日系ブラジル人は、どこに行ったのでしょうか。兄弟、友人、知人のアパートに転がり込み、凌いでいるということを聞きました。
日系ブラジル人(ドミニカやエクアドルなどを含めて)に対して、自分で移民したのだから、との見方をする人が少なくありません。しかし、それを煽ったのは、当時の政府でした。移民してみたら、日本でいわれていたような土地ではなく、荒地を相手に、塗炭の苦しみを味わうことになります。
「再移民」を強いられた彼らの日本での仕事は、正規雇用ではなく、調整弁としての派遣・臨時社員でした。この雇用形態は、彼らの努力云々を超えたところにあって、彼らはそれを甘受せざるを得ませんでした。しかし、その労働がトヨタやキヤノンに大きな利益をもたらしたことは事実です。「再移民」者に対する政府の方針は、勝手に帰ってきた人たちというのが基本的な扱いです。彼らを支援する団体の人は、「みんな責任を負わないで、彼らの生き血を吸ったとしか言いようがない」といいます。
つらい話です。
つらいけれど、彼らは生きていて、そんな中でも恋を実らせ、結婚し、子どもを産んでいます。時代は違うけれど、石橋辰之助の

冬ひそと家庭工場に子が生る

という句は、そんな世界を詠んだ句です。この世界不況で、コストが厳しく、仕事を打ち切られ、借金に追われる町工場と重ねて詠むことができます。「冬ひそと」というのが、いいですね。大勢の人に取り囲まれて生まれたのではないけれど、この世界の片隅で、子どもが一人生まれたとさ、という感じです。しみじみとして、いいと思います。
この句は、石橋辰之助の体温を感じさせてくれる句で、この人はヒューマニズムの人なのだと思います。

石橋辰之助は、1909(明治42)年に東京都台東区下谷に生まれます。開成中学中退後、安田工業学校電気科を卒業し、神田日活館、新宿帝都座映画等で照明の仕事をしていましたが、戦後は日本映画社の制作の仕事に携わります。
学生の頃から「ホトトギス」に投句。水原秋桜子に従って「ホトトギス」を離れ、「馬酔木」同人になりますが、俳句観の違いから「馬酔木」をやめ、新興俳句運動に参加、杉村聖林子と共に「荒男」を創刊し、無季俳句を提唱します。「京大俳句」にも参加しますが、新興俳句弾圧事件である「京大俳句」で検挙されます。
戦後は「新俳句人連盟」に参加し、連盟の委員長に推されて、それを務めます。1948(昭和23)年8月、急性結核にて東京杉並河北病院で死去します。享年三十九歳。戦争中の獄中生活が祟ったといわれます。
辰之助は、社会的弱者の側に立って俳句を詠み、また、山岳俳句で新局面を開いた人として知られます。

昏々と夜は雪山おほひくる
繭干すや農鳥岳にとはの雪
白樺の葉漏れの月に径を得ぬ
朝焼の雲海尾根を溢れ落つ
風鳴れば樹氷日を追ひ日をこぼす
牧牛に雪解のながれいくすじも

近代登山家の感覚で山岳の壮大な美観を句にしたのは、石橋において初めてといわれます。辰之助は、「垂直の散歩者」を自称しますが、それを表したのが、

朝焼の雲海尾根を溢れ落つ
霧深きケルンに触るるさびしさよ

という句です。あとの句にあるケルンとは頂上に積まれた石のことです。
辰之助は、寡黙な人で、山を愛し妻子を愛しました。

われのみの静けさ霧に妻こほし
酔えど妻子に明日送る金離すまじ
子を妻を梅雨の車中に置き嘆く
妻とおし真実遠しひとり病めば

あとの二つの句は戦後すぐのもので、生活難と多忙と粗食に耐えながら詠まれたものです。

傷兵に昏れゆく路上河のうねり
墓標立ち戦場つかの間に移る
夜学生よ君には戦闘帽よりないのか
夜学果てて寝るより自由なかりしか
秋どゞと獄中信を誰が断ちし
冬日宙見る見る孤児が煙草吸う

今年の七十二候は、これで締めます。
みなさん、よい年をお迎えください。今、身近に起こっていることが、少しでも好転することを祈りつつ。

俳句

トナカイ

「麋角」とは、トナカイの一種の角を指す。
photo from wikipedia

作者:bio

更新日:2008年12月27日 0時30分

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興味津々・No.033

杵と臼静岡県御前崎市の浜岡原子力発電所の1号機と2号機が解体され、代わりに最新の原発を一基建てる計画が発表された▼この1号機、2号機は、1970年代後半に建てられた。浜岡は30年以内に87%の確率で起こるといわれる東海地震の予想震源域の真っ只中にあり、国会で「液状化が起こる土地ではないか」という質問が出されたり、地震学者が警告を発したりして、物議を呼んでいて、1〜4号機の運転差し止めを求める訴訟の控訴審が続いている▼両機は、事故や修理で01年、04年に運転を停止し、耐震強度を最新の水準で行うとして、11年からの運転再開を目指していた。これについても物議をかもしていたが、耐震補強に3千億円掛かり、かつ10年の工事期間が掛かるため、それなら両機を廃炉にして6号機を新設する方が「経済的」だと判断したのであろう▼問題の一つは、1〜2号機の解体である。解体に要する期間に20年を要するという。放射性廃棄物の汚染を考慮すると、解体にそれだけの期間を必要とするのであるが、改めて厄介な技術であることを示した。110万キロワットの原発を廃炉にすると、50〜55万トンの廃棄物が出るという▼全国の原発55基のうち、浜岡1〜2号機と同じように30年以上のものは17基を数える。最長60年間の運転を想定しているけれど、綻びはあちらこちらで起こっており、検査点検を求める声が強まっている▼いまは13ヶ月に1回の定期点検が実施されているが、資源エネルギー庁は、この間隔を18ヶ月に延ばせば、自治体に対し1億円を交付することを決めた。さらに5年後には最長24ヶ月まで延ばしたいとしている▼この不況である。税収不足に悩む自治体につけ込んで、と言っては何だが、やり方が姑息ではないか。周辺住人の不安の種に応えるといのではなく、逆に、問題発見を遅らせようというのだから、なかなかの神経ともいえる▼二つ目の問題は、地震の不安から控訴審が続いているのに6号機を新設しようという神経である▼オバマ次期米大統領は、エネルギー省長官にスティーブン・チュウを指名した。チュウは、1997年にノーベル物理学賞を受賞し、太陽光やバイオ燃料など再生可能エネルギーの推進論者で、「脱・石油」の代表的な論客である。ネバダ州のユッカマウンテンで起こった原子力発電所の使用済み核燃料の処分に関して慎重な態度を持っており、この点でチュウはオバマと気脈を通じている。オバマは原発を全面的に否定しているわけではないが、ブッシュ政権が推進してきた原発増設のペースは確実に鈍化することが予測される▼日本は、こんなやり方のまま進むのだろうか。

作者:bio

更新日:2008年12月27日 0時30分

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落ち葉の始末【益子義弘】

落ち葉の始末
スケッチ:文 益子義弘

縁あって、郊外の、まだ一面雑木林の中の土地に住むことになった。以来30年半ばが過ぎる。
当初は林の一画の丸裸だった赤土の土地に、やがて雑草の間から芽を出した木々が大きく育って、いまは深い影を落とす。反対にあたりを囲んでいた雑木林はやがて次々と宅地に変わり、今はびっしりと家々が建ち並ぶ街になった。
土地が裸の頃は、夏の日照りに早く木陰が欲しいと思った。でもまだ若い我慢の体力もあって、それに当然お金が乏しいからただ幼木の成長をひたすら待つ。その分、木々が育ち影の深まりが増すことがいかに住む場所の心地を変えるかを、時と共に実感した。
春の芽吹き、光を透かす若葉、夏のかげり、秋の黄葉、そして落ち葉の季節を迎える。この大量に降る枯葉の始末がたいへんだ。

周囲が雑木の林だった頃は、集めてボンボンと平気で燃やした。枯葉パーティと称して若い人たちに声をかけ、落ち葉を山積みにしての焚き火とビールを飲む会もしばらくの恒例になった。
でも、やがて周囲に家が建ち始め、洗濯物がはためくようになると、当然それは自粛しなければならなくなる。気を使いながら凪ぎの無風の夕方に燃やしてはみても、その量はたかが知れている。近所に出来たごみ収集場に出そうにも、町の取り決めは各家にビニール袋二袋という。かさばる枯葉の二袋なんて、木の落とす量のうちの幾ばくでもない。それで何度かは収集と廃棄を外に頼んだけれど長続きは無理だった。手立てが尽きて、ある年高くいっぱいの山積みのまま放ったらかしにした。そのうちに処分を考えよう。
驚いたことに、その山は翌年の夏にはほとんど平らになった。なんということもない、急いで処分のことばかり考えていたけれど、先人たちは誰もそうして腐葉土にしてきたのだったと気付く。
そして、これには意外なうれしいおまけがついた。初夏、土を撒こうとシャベルを入れたら、中に白くて丸まった巨大な虫があちこちにいた。夏に羽化を待つカブトムシの幼虫だった。落ち葉が発酵する中でぬくぬくと育ったのだろう。
でも、群れて遊びに来る近所の腕白どもに、そのことは秘密にしてまだ教えていない。

カブトムシの幼虫

益子義弘(ますこよしひろ)

 
1940年 東京に生まれる。1964年 東京藝術大学建築科卒業。1966年、同大学院修了。
吉村研究室助手を経て、永田昌民とM&N設計室を開設し、建築家として活動。
東京藝術大学名誉教授。「益子アトリエ」を自宅敷地内に構える。

作者:bio

更新日:2008年12月27日 0時30分

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(株)マクス

静岡県富士市の地域密着型工務店です。お陰様で地元で約30年、代々の大工の技術を大切にし、木と自然素材にこだわった手造りの木の家を、お客様と一緒に造り上げて行くのが大好きです!
社名 (株)マクス
住所 417-0801 静岡県富士市大淵3256-2
電話番号 0545-36-2882
FAX番号 0545-36-2284
WEBサイト http://www.macs-inc.co.jp/
マクス社員一同です。宜しくお願いします!
マクス社員一同です。宜しくお願いします!
昔ながらの職人の技を大切にしています。
昔ながらの職人の技を大切にしています。
「魅せる」仕事を心掛けております。
「魅せる」仕事を心掛けております。
薪ストーブも大好きです。
薪ストーブも大好きです。
欧州の百年住宅:ティンバーフレームの家
欧州の百年住宅:ティンバーフレームの家
日本の伝統工法:板倉造りの家
日本の伝統工法:板倉造りの家
永く安心して暮らせる家…
永く安心して暮らせる家…
帰るとホッとする家… いつもそれが目標です。
帰るとホッとする家… いつもそれが目標です。

作者:bio

更新日:2008年12月25日 5時39分

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建築は必然性ありき[山手工房]

山手工房

佇まいに優れた床の間を見た時、ともすると逆の順番で物事を考えてしまうが、やはり「建築」は必然の積み重ねで、必然性をどのようにデザインするのか、使用する木と手技でどのようにしつらえるのかという順序になります。

建築は、奥が深い。
「必然性ありき」ということを再認識しました。

和室の「しつらい」
http://sumai365.exblog.jp/7891193/

無いものはつくる
http://sumai365.exblog.jp/7486770/

二つの建具
http://sumai365.exblog.jp/8339923/

作者:bio

更新日:2008年12月22日 15時19分

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興味津々・No.032

七輪季刊誌『住む』冬(28号)が〈ごみ〉を小特集している。小特集というものの、どうして内容は濃く、ごみにちなむ話が総合されていて、読み応え満点である▼この小特集の中で紹介されている、全国解体工事団体連合会の調査結果「木造住宅の解体ゴミの内訳(重量)」を、建築関係者は注目すべきである。解体された建物から出るゴミの47.45%はがれき類が占めている。その大半はコンクリート塊であろう。コンクリート塊と共に多いのは木屑で、20.48%である▼木屑は、燃料チップや木質ボード、段ボールなどの原料になる。コンクリート塊も、道路舗装材やリサイクルコンクリートに再利用可能だが、採算が合わないため、大半が廃棄されている。同誌は「捨てなければ、ごみじゃない」と言うが、ゴミとして捨てられる代表がコンクリート塊である▼これまでは、その年のコンクリート使用量の10分の1程度しか発生していなかったが、将来的にはこれが飛躍的に増大することが予想されている。たとえば、関東大震災級の地震が起こった場合、膨大なコンクリート塊が発生する。そうした事態が起こらない場合であっても、日本開発銀行の試算によれば、2010年には2002年の3倍、2億tを超えるだろうと予測されており、将来、その10倍の20億tに達するという恐ろしい試算が出ている▼最近の住宅は、基礎工事に力を入れ、ベタ基礎など、コンクリート使用量が増えており、百年コンクリートなど技術も進化している。建物を解体すると、この(良質な)コンクリート塊が発生するのである。耐震・耐久性を高めれば高めるほど、それを解体した場合のゴミの量は増えるのである▼住まいは、暮らしの用に応えられなくなると朽ちるわけで、いくら丈夫な家であっても、設計の見通しが悪いと、家は使いものにならなくなる。性能評価はいいけれど、そこが伴わないと200年住宅も何もあったものではない▼ゴミは、中世までは問題にならなかった。発生したゴミは、堆肥、埋め隠し、焼却、家畜への飼料とかによって消し去ることが出来たからである。ところが、資本主義が勃興し、鉄やコンクリートが大量に利用されるようになって、このリサイクルは寸断されるようになった▼近世時代に入ると、日本の江戸期の特殊なあり方を除いては、ゴミと糞便が都市を覆い尽くすようになる。つい200年前まで、ゴミは通りに直接捨てられていた。疑う人は、『ガリヴァー旅行記』や、フリードリッヒ・エンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』を読むがいい▼19世紀に入って、衛生学者たちがゴミと垂れ流される糞便に関心を寄せるようになり、フランスセーヌ県知事のプベルがゴミを入れるバケツ(フランス語でゴミ箱はプベルという)を、街のそこここに置くようになった。つまり、プベルは行政当局がゴミの収集を引き受けることを思い立ったのである▼近代に入って工業化が進み、消費時代に突入して「生産→消費→廃棄」のサイクルに目が向けられるようになり、現代に入って、ゴミ処理によってリサイクル可能なことが分かり、新たな産業として登場することになる▼それは核廃棄物というような、どうしょうもないゴミにも言えていて、その廃棄のための汚染除去費用と人員は、核の正否は別にして、現実問題、それを生む費用よりも増大することになった。ゴミ分別によるリサイクル材料、汚染浄化や廃棄物処理費用、環境関連技術の開発は、雇用面からも大きな比重を占めるようになったのである▼日本の建築に占める新築の比率は先進国の中で異例とされるほど高く、維持補修の比率が低い(約15%)のが特徴である。イギリスでは維持補修工事が50%に達する。既存住宅についてはイギリス並を目指すこと、新築については200年住宅にすることが、歴史的に必要不可欠な要件とされよう▼膨大に存在する不適格な既存住宅の行方と、これから建築されるものの寿命が、大きな意味を持ってくるのである。短サイクルで、それらが建設廃棄物に回ると、おそらくこの列島はパンクしてしまうことだろう。既存住宅をいかに使いまわすか、新築のものをいかに長寿命の建物にするかが問われている。

作者:bio

更新日:2008年12月22日 14時51分

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乃東生・なつかれくさしょうず

乃東生

乃東とは、「夏枯草(かこそう)」のことで、「夏枯草」は、漢方薬に使われる紫蘇科の「靫草(うつぼくさ)」の漢名です。冬至の頃に芽を出して、夏至の頃に枯れることからこの名前が付けられました。
この枯れて茶色くなった花穂は、漢方薬に用いられます。この生薬には利尿、消炎作用があり、腫物、浮腫、腎臓炎、膀胱炎などに用いられます。和名の「靫草(うつぼくさ)」は、花序の形が、矢を入れる靫に似ていることから付けられました。
乃東生は、冬至(とうじ)の初侯です。
冬至の日は「死に一番近い日」と言われ、その厄(やく)を払うためにからだを温める慣わしとして、「とうじ」にかけて「湯治」として生まれたのが柚子湯であり、野菜の少ない季節の食べ物として、冬至粥(小豆粥)や南瓜(かぼちゃ)を食べるように習慣づけられました。これらは、太陽の恵みが最も少ない時期の健康維持の秘訣のようです。
かぼちゃは保存が利き、昔は夏に収穫したものを冬至まで大切に保存していましたが、最近では南半球で生産された輸入かぼちゃを食べるようになりました。

この時期は、湯豆腐のおいしい時期でもあります。
湯豆腐(ゆどうふ)は、豆腐を使った料理の一つ。冬の代表的な鍋料理のひとつです。鍋に昆布を敷きます。塩を吹いた利尻昆布なら最高です。昆布がゆらゆらしたところで、一口大に切った豆腐を入れます。温まったところで引き揚げて、醤油、酒、みりん、出汁を合わせて作ったつけダレに、ネギ、ユズ、大根おろし、削った鰹節などを薬味にして食べます。ハクサイや鱈の切り身を煮る場合もあります。淡味が身上の湯豆腐なので、あまり味の濃いものを入れたくありません。
池波正太郎に『梅雨の湯豆腐』という小説があります。梅雨時は冷える日もあります。食通の池波は、焼き干しの鮎を出汁に使って食べたといいます。それだけで贅沢な感じがしますね。
けれども、湯豆腐は基本的には、豆腐、水、昆布だけが材料の料理です。淡白で単純で、微妙な味わいとこまやかな舌ざわりを楽しむ冬の料理です。
知り合いの京都の料理人は、湯豆腐のポイントは水だといいます。京都の地下水は良質で、その良質な水を用いて豆腐がつくられ、水にひたした昆布をゆらゆらさせて豆腐を入れるのです。その料理人は、ふぐ鍋も水だといいます。そういえば、ふぐ鍋には湯豆腐がつきものでした。
湯豆腐を詠んだ名句はたくさんあります。

湯豆腐の 一つ崩れず をはりまで
水原秋櫻子

湯豆腐や 男の嘆き きくことも
鈴木真砂女

混沌として 湯豆腐も 終りけり
佐々木有風

湯豆腐に 箸定まらず 酔ひにけり
片山鶏頭子

なかでも久保田万太郎の

湯豆腐や いのちのはての うすあかり

という句は、よく知られています。
万太郎の句は、練達の玄人を思わせますが、技芸を感じさせず、その句風は高く澄んでいます。この句は、万太郎最晩年の句です。「いのちのはて」には、様々な曲折のあった長い人生を、「うすあかり」には、晩年をむかえた万太郎の淋しさが感じられます。それはまるで「湯豆腐」のようではないかという人生の滋味が、そこにあります。若い人には詠めない句です。万太郎には、湯豆腐を詠んだ句がほかにもあります。

湯豆腐の まだ煮えてこぬ はなしかな

身の冬の とどのつまりは 湯豆腐の あはれ 火加減 浮きかげん
しょせん この世は しょせん この世は 一人なり

これらには、湯豆腐というものの性格を、そのときに置かれた情景と重ね、洒脱がそこにあります。

鮟鱇もわが身の業も煮ゆるかな
ばか、はしら、かき、はまぐりや春の雪
鶏頭に秋の日のいろきまりけり
枯野はも縁の下までつづきをり
死んでゆくものうらやまし冬ごもり
叱られて目をつぶる猫春隣

万太郎の句は、いつも、しかと人生の深淵を覘き込んでいます。名人というのは、こういう人をいうのだろうと思います。
万太郎は、多くの顔を持っています。俳人というだけではありません。小説家であり、劇作家、演出家でもあります。筆者にとっては、俳人としてより、文学座の劇作家という記憶の方が濃く、『大寺學校』『蛍』『雨空』等、東京下町を舞台に市井の人々の情愛を描いた作品群は独得の世界を感じさせてくれました。日本語の美しさ、台詞を大切に芝居をつくることの意味を、万太郎ほど大切にした人はいません。
文学座は、岩田豊雄(獅子文六)・岸田國士・久保田万太郎という、文字通り文学者(文人)によって、戦時中に設立された劇団でした。文学座は、一時期、杉村春子の劇団という観があり、それはそれでよかったのですが、文人の劇団という幸せな一時期があったことを、覚えておいてほしいと思います。
万太郎の劇作は、装飾をとことん削ぎ落としたセリフで構成されていました。日常のさりげない台詞のやりとりの中から浮かびあがるのは、市井(しせい)の人が持つところの心象風景の美しさでした。これは名人芸といっていいものでした。

 どこもかも、あかるく、しんとして。
 ……何だか、かう、むかァし、小さかった時分に、
こんな日があったやうな氣がします。
(『久保田万太郎全集』第7巻 中央公論社)

このセリフは、自由律の俳句といっていいものがあって、音楽的な調べがあります。
宇野重吉が、晩年、岸田国士の『驟雨』と、真船豊の『鼬(いたち)』を演出したことがあります。いわゆる「劇作派」の戯曲を、リアリズム演劇でやってきた宇野重吉が取り上げたのは、新劇史にあっては大きな事件でした。わたしは宇野重吉の見識をそこに感じて、つよい興奮を覚えました。残念ながら、宇野重吉による久保田作品の演出は実現されませんでしたが、あの独得の「・・・・。」を、宇野重吉がどう読み取って上演したのか、興味がつきません。
これは、宇野重吉さんから直接聞いた話です。
「近頃の芝居は音楽がやたら多くって耳障りだね。何も音楽を用いなくても、セリフだけで音楽になるんだよ。舞台にいい雪を降らせれば、それで音楽になるんだよ。」
耳の痛い舞台人は多いはずです。

万太郎は、「自分の人生は逸話の連続」と自らを語っています。その人生は複雑で、こと女性関係は奇怪はちゃめちゃなものでした。いちいち書きませんが、その果ての68歳に、吉原の芸者時代の顔馴染み、三隅一子と再々婚します。一子は54歳。この一子は、よく出来た女性だったようです。
晩年に訪れた落ち着きも束の間、一子が急死します。その半年後に、万太郎は後を追うようにして亡くなります。奇禍というしかない死因でした。果たして万太郎は、赤貝を食べて喉を詰まらせて亡くなったのでした。
人は異物が入ると会厭反射が本能的に作用して吐き出すものです。その場で、あたりをはばからず吐き出せば亡くなることはありませんでしたが、この反射を、故意に抑圧する力が働いて死に至ったといわれます。万太郎のダンディズムがそうさせたようです。いかにも万太郎を思わせる逸話ですが、そうしてみると、

湯豆腐やいのちのはてのうすあかり

という句は、万太郎の「白鳥の歌」のように思われてなりません。(文/小池一三)

俳句

作者:bio

更新日:2008年12月22日 14時33分

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実はよく知らなかった大掃除のこと

画:高田光美

画:高田光美

みなさん、もう大掃除はすみましたか?
会社などでは、年末の最終日に行なわれることが多い「大掃除」。
この大掃除、かつては12月13日に行なわれていました。
12月13日は、正月事始め。新年を迎える準備を始める日です。

本当は掃除に向かない日本の年末

さて、由来は少し後にして、掃除がしやすいのって、どんなときでしょうか?
欧米では、「Spring Cleaning」という習慣があるそうです。気候のいい春に大掛かりな掃除をする、ということでしょうか。

春に行なう方が合理的だけど…

春に行なう方が合理的だけど…

掃除をすると埃が出ますから、窓を開けたいけど開ければ寒いし、水が冷たくて水仕事がつらいし、汚れだって一般的には温度が高い方が落ちやすい。
INAXが東京、マドリッド、ニューヨーク、ベルリンの主婦を対象に行なった調査http://www.inax.co.jp/company/news/2008/080_newsletter_0326_214.htmlによると、上位にはいった時期は、日本の12月を除いては、暖かいシーズンばかりです。この調査からも、実は日本の「大掃除」は、「Cleaning」だけを目的としたものではないことが読み取れます。

東京(n87) マドリッド(n77) ニューヨーク(n65) ベルリン(n78)
1 12月 67.8 決まっていない 67.5 4月 24.6 決まっていない 50.0
2 決まっていない 26.4 6月 7.8 3月 21.5 3月 15.4
3 5月 3.4 7月、8月、9月 各3.9 5月 18.5 4月 12.8

「掃除=Cleaning」だけではない、という視点に立って、家と掃除を考えてみましょう。

大掃除、もとをただせば宗教行事

大掃除の元になったのは、「すす払い」といって、新年の安泰と五穀豊穣を祈願し、年神を迎えるために家の中を掃き清める、というものでした。

大掃除は、新年に年神を迎えるための宗教的行事だった。

大掃除は、新年に年神を迎えるための宗教的行事だった。

掃除の「掃」の字のもとになっている「箒(ほうき)」は、古くは「ははき」といい、古事記(712年)中にも「玉箒」「箒持」という言葉が登場します。「玉」は人間の魂を指し、「箒持」は箒を持って葬列に加わる役割です。

また、近代の大掃除でも、神棚のお札の埃をはらい、新しいものに取り替える準備という要素が多分に残っています。

現代の大掃除では、宗教的要素は減ってはいるものの、単に汚れを落とす、片付けるといった物理的行為だけが目的なのではなく、新たな年を迎えるにあたっての精神的な要素を多分に含んだ行事と言えるでしょう。

掃除はメンテナンスの入口です

大掃除が、清掃目的だけではなかった、と聞くと、何だかちゃんと掃除をするのが嫌になってしまう人もいるかもしれません。

でも、せっかく家のいろいろなところを掃除するんですから、この機会に、家が健康かどうか、チェックしてみませんか。

住宅金融支援機構(旧住宅金融公庫)が配布している「マイホーム維持管理ガイドライン」http ://www.jhf.go.jp/customer/hensai/hosyu/kanri.htmlでは、では、多くの箇所がだいたい10〜15年程度で取替えや全面補修となっています。
現在の日本の住宅の耐用年数は二十数年程度と言われており、このメンテナンスを一度やるかやらないかで、その寿命を終えてしまうことになります。

点検部位 主な点検項目 点検時期の目安 取替えの目安
アルミサッシ すき間、開閉不良、
腐食、付属金物の異常
2〜3年ごと 15〜30年位で取替えを
検討
たたみ床 凸凹、ダニ、変色、汚れ 年1〜2度たたみ干し
2〜3年裏返し
裏返してから更に2〜3年
ユニットバス ジョイント部の割れ・すき間、
汚れ、カビ、排水口のつまり
1年ごと 10〜15年位で全面取替え
を検討

住宅金融支援機構「マイホーム維持管理ガイドライン」より抜粋

たたみは2〜3年に一度裏返しましょう。

たたみは2〜3年に一度裏返しましょう。

いいものをつくって、きちんと手入れして長く大切に使うという機運が、世の中で強まっています。国も長期優良住宅に税制優遇措置をとる等、後押しをする姿勢です。これから家を建てる方は、メンテナンスがどのぐらいのタイミングで訪れるのかは是非頭に入れておいていただきたいことです。賃貸住宅や、集合住宅で管理組合がある場合等は、こういうことを自分で気にすることは少ないかもしれませんが、いずれにしても自分の命を預ける大切な家ですから、大掃除の機会に各所を点検して、建物の声に耳を傾けてみてください。

掃除のしやすい家って?

収納

住宅新築のときによくある要望が「掃除がしやすい家」と「収納がたくさんある家」です。
収納(片付け)と掃除は厳密には別物ですが、ものが散らかっていると掃除がしにくいため、生活の度合いに応じた収納があることは、掃除のしやすい家の条件の一つだと言えます。

バリアフリー

掃除機を使う場合には、家の段差が結構気になります。バリアフリーデザインは、掃除機をかけるという前提なら、掃除がしやすいといえるでしょう。

建材

水の表面張力を壊して排水を促すお風呂の床や、酸化チタンの光触媒効果によるセルフクリーニング機能を持つ建材などが登場しています。

設備

トイレやエアコンなど、セルフクリーニング機能付きのものが登場しています。

さあ、これらを全部つけたら素敵な家!…??
か、どうかは、わかりませんね。要素技術と設計は、また別のお話。

人が生活すれば、どうしたって汚れが出ます。ある程度の清掃は、どうしても行なわなければなりません。表面に汚れが堆積しにくい建材などは出てきていますが、空気を含め、見えない埃は部屋中に散乱しているのです。
「掃除のしやすい家」を考えるときには、家の空気のことも、よく考えましょう。

環境負荷の少ない掃除を

掃除といえば「化学薬品」になってしまっていませんか?

掃除といえば「化学薬品」になってしまっていませんか?

多くの合成洗剤の主要成分は合成界面活性剤です。
界面活性剤自体の種類は2000とも3000ともいわれており、食用に利用出来るものから、催奇性を持つといわれるものもあります。このように、全てを一口に括るのは早計ですが、大量に排出された合成界面活性剤は、河川での微生物の活動に影響を与えることがあるとされています。

軽い汚れなら、重曹とクエン酸でかなりきれいに。

軽い汚れなら、重曹とクエン酸でかなりきれいに。

最近では、重曹やクエン酸を使った掃除方法がだいぶ定着してきたようです。
家の汚れの多くを占める油(酸性)は重曹(アルカリ性)で、トイレなどの汚れ(アルカリ性)はクエン酸(酸性)で掃除をすると、おもしろいぐらいに汚れが落ちます。あまりにも蓄積された汚れは合成洗剤を使わないと厳しいかもしれませんが、日頃から掃除をしていれば、重曹とクエン酸で、大抵の汚れは落ちてしまうのではないでしょうか。
とはいえ、どちらも化学反応を利用するため、使用する場所によっては適さないこともあります。重曹で木や畳を掃除するのは御法度です。クエン酸も、鉄素材に残留したままだと錆を誘います。こうしたことに注意して、安全に楽しくお掃除しましょう!

作者:bio

更新日:2008年12月22日 12時41分

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興味津々・No.031

ゆたんぽ今年7月、日本政府は、太陽光発電を普及させるために「低炭素社会づくり行動計画」を発表し、太陽光発電の導入量を2020年に現状の10倍、30年に40倍にするとしている。家庭用太陽光発電に対する補助金、1キロワット当たり7万円も復活させた。200万円以上掛かる設備だと20~30万円割安になる▼日本の太陽光発電は、全発電量の0.1~0.2%でしかない。政府は、太陽光発電を取り付ける費用の一部を所得税から控除したり、太陽光発電付の新築住宅を住宅ローン減税で優遇することを決めており、積極的に普及に乗り出したのはいいことである▼しかし、設置の際の補助金だけで、ほんとうに普及するのだろうか。ヨーロッパで太陽光発電が爆発的と言っていいほどに普及したのは、自然エネルギーからつくられた電気を、電力会社に高く買わせたからである。自然エネルギー普及の世界の流れは補助金ではなく、長期間固定された優遇価格で買い取る「固定価格買取制度(フィードイン・タリフ=FIT)」によるのである▼町の工務店ネットが発行した『住まいを予防医学する本』でも、本欄でも指摘してきた、固定価格制度がものを言っているのである。補助金は、一種の固定枠制とみるべきで、予算枠がそのまま数量を決定する。「価格」制と「枠」制とそんなに違うのか、と疑問を持つ人がいるかも知れないが、天と地ほど違うといっても過言ではない▼ドイツの電力買取り価格は、08年でみると1キロワット当たり日本円換算で42~62円である。この価格は、ドイツでは20年間保証される。投資としても成り立つため、多くの人が発電システムを導入し、出資したりする。これは風力発電やバイオマス・エネルギー利用についても同じことである▼電力会社の意向を汲むなら、政府が電力会社に差額を補填するやり方もある。補助金を充てれば、ほぼ同予算でやれる筈である。にもかかわらず、政府はこの問題になると二の足を踏んでしまう。「構造改革」されないのである▼結局、日本は電力会社や一部政治家、官僚の原発志向に固まっていて、ヨーロッパの先導的な普及から学べず、「枠」を取っ払えないでいるのである。今回は太陽光発電について言及したが、もっと実際的なエネルギーに太陽熱がある。光だけでなく、熱を省エネの対象にすると、やれることはたくさん残されている。

作者:bio

更新日:2008年12月16日 15時5分

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稲を干す。

天日干し中の稲。太陽の光を浴びながら、風に当たりながら、時間をかけて少しずつ、ゆっくり乾燥していきます。

天日干し中の稲。太陽の光を浴びながら、風に当たりながら、時間をかけて少しずつ、ゆっくり乾燥していきます。

この秋、東北へ行く機会があり、記者は東北新幹線に乗っていました。車窓を眺めていると、あることに目を奪われました。「お米の干し方が違う!」

東北新幹線の車窓から。見たことがない稲の干し方に目を奪われました。

東北新幹線の車窓から。見たことがない稲の干し方に目を奪われました。

それは、東海地方で育った記者にとっては、見たことがない稲の干し方でした。みのむしのような形。田んぼに1本の棒を立て、その棒に交互に稲を掛けて、積み重ねてあります。

「ほんにょ」「はざ」「はさぎ」…見たことありますか?

調べてみたところ、この干し方は「ほにょ」「ほんにょ」というようです。漢字で書くと「穂仁王」。「ほにょ」「ほんにょ」という何だかかわいらしい音の響きと、漢字の持つイメージのギャップが面白いです。その他、次のような言い方もあるようです。

  • ほにお(穂鳰、穂仁王)
  • くいがけ(杭がけ)
  • 稲杭掛け
  • 棒掛け
  • 棒はさがけ
みのむしのような形のほんにょ。

みのむしのような形のほんにょ。

東北・秋田新幹線で宮城を経由して秋田へ、そして秋田から青森を回りましたが、その道すがら、この「ほんにょ」を多く見かけました。これまで見たことがなかったこともあり、東北の田園風景として大変印象に残りました。

【参考】

「奥のず~っと細道」より
稲架(ノスタルジア)

http://3rd.geocities.jp/old_man1641/inaka.html

「石ころの夢」より
ぽにょ でなくて ほにょ

http://hananae-katuyama.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-ff6a.html

これに対して、記者が見慣れていたのは、木を組み立てて足を作り、それに横木を渡し、横木に束ねた稲を二股にして掛けていく干し方です。代表的な呼び方では「はざ」(稲架)と言いますが、記者の住んでいる辺りでは「はず」と言います。これにはかなり多くの呼び方があるようです。調べて