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トップ > 源氏物語 > 源氏物語 - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2009年1月9日 9時)
三流の笛方は超一流だった あぜくらの集い・「新春『笛』の音楽会」(国立能楽堂)
昔からくじ運はないものと思っていたのに当たった。
国立劇場・「あぜくら会」が会員を対象に公募した、新春「笛」の音楽会。
無料だぜい!
まず素囃子「神舞(かみまい)」。
笛・栗林祐輔 小鼓・森貴史 大鼓・大倉慶乃助 太鼓・大川典良
正月にふさわしい気品のある、しかも元気なお囃子。

藤田六郎兵衛の登場。
堂々たる押し出し、朗々と快い声で能の笛について話してくれる。
「笛方は吹くのみ、かけ声すらないから舞台では一生喋らないから」と次から次へ話すのがとても面白い。
持参した笛は藤田流・初代家元の使ったもので、それから430年、代々使い続けてきたそうだ。
笛にするまでに、生長して家の中で煤にあぶられ100年近くかかっているから都合500年も前の竹が今に続いている(ストラデヴァリなんてせいぜい300年)。
8枚の部品を裏を表に表を裏にしてつなぎ合わせて中に一本、管を通して作り上げる。
宝物として大事にしまっておくのではなくこの一本をいつも使い続けなくてはうまく吹けないのだって。
雅楽の龍笛やシチリキ、西洋の笛と違い一本ごとに音程はバラバラ、それは能の音楽の「ハーモニーはない」という特徴と裏腹だとか、能管入門、勉強になったなあ。

森田流、松田弘之、一噌流、一噌幸弘を舞台に呼んで三流それぞれの「御調べ」を同時に吹かせる。
次いで「中之舞」と「獅子」の同じ所をまず歌ってみせる。(一噌)ヒャアヒュイタルラ ヒュイタルライト
(森田)ル ライタルラ ルイタルラ ト
(藤田)ヒャ ヒュイタルラ ヒュイタルラ トこんな塩梅、親切に「複製不許」の二枚の資料(唱歌・楽譜)を入り口で貰ってる。
三人とも歌手になれる(クラシックの)かと思うくらいいい声で驚いた。
その後、今度は「中之舞」の一部を笛で別々にやってみせる。
しかも初心者がやる基本通り、味もそっけもない演じ方とテダレがやる“あや”をつけたやり方で。
演者の違いもあるけれど流派の違いがこんなに大きいなんて!
圧巻は小鼓・大倉源次郎、大鼓・大倉慶乃助、太鼓・大川典良を呼んで「獅子」の一部を三人が合奏するのだ。
普段はほとんどお互いに交流もあまりない他流の代表選手が思い切ったことをやればやったもんだ。
しゃれっ気があるなあ。
幸弘なんて真っ赤な顔して頑張って、終わると六郎兵衛が「仕掛け花火の最後みたいですね。必死でした」、半分本音だろう。
三人の格闘技みたいだった。
笛と鼓と謡いとシテと、それぞれが大まかな流れはあるものの流派の違い、その時の気持ち、もっといえば天候の変化などに応じて臨機に演奏の仕方を変えたりする。
それに感応しあってお互いに変化していくのだという。
そうしたきっかけなどの細かい約束事を知らなくてもいいから違いを比べてみて欲しい。
能ばかりではなく西洋音楽との違いも比べて味わって欲しい。藤田六郎兵衛の思いが伝わってきた。
休憩後。
一噌幸弘 「盤渉之音取(ばんしきのねとり)」
能では演奏されず笛の独奏のための曲。
(一噌幸弘・能管の響き)
本来ドレミファの音階は吹けない筈の能管を自在に操る幸弘マジック、途中で笛を取り換えて、蝶が舞い、蜂が襲い、雲雀が揚がり、、超絶技巧を披露してくれた。
現代音楽?フアリャ?それともモダンジャズ?
(ファリャ : 「三角帽子」第2幕 粉屋の踊り~終幕の踊り。ウイーンフイル)
アドリブもやりたい放題?
10分だけじゃ本人がもっとやりたかっただろう。
松田弘之 「乱(みだれ)」
「猩々」が酔って波の上を舞飛ぶ特殊演出の囃子。
幸弘の鋭く切り裂くような笛と違って豊かな抒情が特徴と観じていた人がその朗々たる音に随分と力が入って聴きごたえがあった。
藤田六郎兵衛に大倉源次郎の小鼓が加わり「瀧流延年之舞(たきながしえんねんのまい)」
通常、一調一管は「序之舞」、静かな曲をやる。
若い演者のために六郎兵衛と源次郎が13年前に作曲したという。
気合のこもった演奏、切れ味も素晴らしい。
源次郎がやや風邪気味(かな?)
「三流の会」というとなんか三流演奏家の集まりみたいに思われるから、「笛の音楽会」としたと六郎兵衛。
千載一遇ともいえる楽しい催しに当ててくれた「あぜくら会」さん、ありがとう!
作者:saheizi-inokori
更新日:2009年1月9日 21時24分
消費者庁なんかで食の安全は守れない
寝る前に鍋に昆布を敷いて水を測っておいとく。
盛岡土産の鉄の玉も転がして。
朝は顔を洗う前に洗濯機を回す。
パンパンと顔をたたきながらダイドコにくるとガスをひねって、包丁を簡単研ぎ機をとおして、冷蔵庫を物色、味噌汁の具や魚などを取り出す。
アジの干物とか塩鮭を焼きだす(あったまっているレンジの方が旨く焼けるようだ)。
鍋が沸騰する前に昆布を引き揚げてカツブシを掴みいれる。
さあっと煮立ったらこれも引っ張り挙げて火を弱くしておく。

今はもっと実質主義じゃないとな)
ジャガイモやカボチャなど固いものは先に入れておくが、殆どの野菜はすぐに火が通るからあまり早く入れない。
くたくたになった野菜は”かつて野菜であったもの”に過ぎない。
トマト、ピーマン、レタス、、、野菜を切るだけのサラダ。
玉ネギは味噌汁の具にしないときは水に浸しておいてサラダの中に。
きゅうりとかナスとかキャベツ、ハクサイなんどを塩もみして即席漬物にする。
シソの実とかさっき引き揚げた昆布、茗荷、梅干を刻んで混ぜてもいい。
味醂をひとったれ垂らすと糠漬けに似るよ。
納豆をあけてかき回す。
お膳の用意をしているうちに洗濯機がピイピイ言うかも知れないから取りあえず籠に出しておく。
鮭は焼けたら熱湯をかけると塩分が流れて美味しいようだ。
後は食べるだけとなったら味噌をあわせながらお玉から溶きいれる。
ああ、このなんとも言えないいい香り!
茶碗によそってネギとか三つ葉とか途中で刻んでおいた吸い口を散らす。
いただきま~す!

こう書けば大変なようだがモノの2、30分もかからない。
というよりぐずぐず作ったら”であったもの”を作るようなものだ。
途中で使ったまな板や包丁、笊にボール、レンジなどその都度洗ってあるから後は食器だけ銘々が洗えばいい。
食べ物を残すって?
量を考えて”であったもの”にせずに作ったら残らないでしょうが。
自分の子どもの食べる量くらい把握しておくさ。
お日様がもったいないから洗濯物は出来るだけ早めに干す。
シャツはパンパン叩いて裾や袖をぴっぴと引っ張って形を整えておくことが早く乾くし着るときに気持ちがいい。

こうして始まる毎日、ときにはしんどいと思ったけれど(そういう時はトースト、野菜を切って出すだけの手抜き)、今になってみれば海の底にキラキラ光る玉のように得がたい日々になってしまった。
食育なんて面倒なリクツじゃないと思う。
30分の朝食つくりだと思う。
匂いと音と歯ざわりと、できれば家族の笑顔、それに運がよければ眩い朝の光と小鳥の囀り〈テレビは邪魔者だ)。
食の歓びはそんな単純なことで教えられる。
そうして身についた感覚があれば賞味期限なんて教えてもらわなくても大丈夫。
省益と保身で動く役人が消費者庁とかを作ってみてもますますコンガラガルだけで消費者のためになんかなりっこない。
いくら独立した機関にしても、そこに勤めるのが役人になる以上(民間だともっと悪くなる)事は変わらない。
労働者や病人のことを考えるはずの厚労省の有様をみれば良く分かる。
少なくとも食に関する限り自分の子どもが可愛かったら朝飯くらい手作りにしなきゃね。
作者:saheizi-inokori
更新日:2009年1月8日 23時36分
男はいつまでもかっこいいガキでなくっちゃ 映画「エグザイル/絆」
映画も前(って、能や落語に凝りだす前ってことだけど)ほどではないが、月に一度や二度は見ている。
シリアスなのはあまり気が進まない。
笑えるもの。スリルがあるもの。カッコいいもの。シャレてるもの。
心の底に恐ろしい闇を抱えているからギャングの打ち合い・騙しあいみたいなのは好きだ。
荒唐無稽なスパイ活劇もうまくできていれば面白い。
ほとんどここに書かないから何を見たかも忘れている。
「レッド・クリフ」「ゲット・スマート」、、アア、駄目だ。
マア、思い出せないようなのが今の俺にはいい映画なのかもしれない(全部ソージャンっていうな!)。
今年は寄席より先に映画に行ってしまった。
「エグザイル/絆」。ジョニー・トー監督。

香港と中国の共同制作、カッコいい役者が出た。
マカオのアパートに二人連れの悪党(見るからに殺し屋〉が二組やってくる。
アパートに住む美人とその赤ん坊の父が帰ってくるのを、外で待つ。
一組は帰ってくる男を殺すために。
もう一組はそれを阻止するために。
二階の窓から下をみる妻の不安なまなざしに捉えられた男たちがいい。
帰ってくる男はギャングのボスを撃って逃げていたのだ。
なぜ、帰ってきたのか。
家に帰りたかった、他にいくところがないから。
室内で撃ち合う5人は、実はガキの頃からの仲間、とてもの親友たちなのだ。
壮絶な撃ち合いの後(何故かひとりも傷つかないのだが)揃って部屋を修復してひとりが鍋を振って妻も加わり冗談を言い合うところなんていいよ。
記念写真を撮るのだ。

でもやっぱりボスの命令だから俺はお前を殺す、死ぬ前に何が望みだと言うと「妻子に金を残したい」。
結局、金を作るために、呉越同舟、みんなである新興ギャングのボス殺しを請け負う。
二人のギャング、とくに殺せと命じた方のおっかないギャング、オカシミもあっていい。
5人のそれぞれがカッコいい。
生き方・死に方がカッコいい(実際にはミジメなんだが)。
ハードボイルドだど。
妻と、もう一人娼婦が重要な役を果たす。
男はいつまでも幼稚なガキばっかりと思える。
それがカッコいい。
ハードボイルドだぜ。
音楽、映像もいい。
作者:saheizi-inokori
更新日:2009年1月7日 21時34分
仕事の意味は何か?意地を示せ、経営者よ!
朝日新聞の6日朝刊。

東京タワーの足元にあるネジやさんのこと。
米粒ほどの大きさから、1本1キロを超すものまで在庫7千種類。
そのうち”たぶん一生売れないねじ”が500種類、店にあるそうだ。逆転の発想だよ。都心の一等地で、どんなサイズでもそろうとなれば、商売になるんだ。2代目社長の言葉だ。
米国で1ドルで買えるものでも2千円で売れる。
インチねじは日本にあまりないからだ。
落語の「千両みかん」を連想する人はかなりの落語ファンだ。
冷凍なんてない時代に蜜柑を倉に満杯に保管しておいて真夏にたった一個だけ腐ってなかったのを1000両で売る〈買う〉噺だ。
その一個だって売れないことを覚悟してそれだけの蜜柑を保管しておいた問屋という設定だ。
この記事はその落語を思い出してニヤッとしたのだが、さらに後を読んでみて感じるところがあった。
15年ほど前に、バイクのハーレーダビッドソンのねじをステンレスに取り替えたいという客が来た時に、当時の在庫では3割くらいしかそろえられなかった。
それが「悔しくて悔しくて」ロスアンゼルスの電話帳を買って片っ端から見積もりを取り寄せて、英語も出来ないのに渡米、スーツケース満杯のインチねじを持ち帰ったという。

これだね。
儲けてやろうが先行するんじゃない。
商売人の意地。
それが店の価値を創り客の支持を得る。
今、インチねじの売れ行きは下降気味だ。
でも買い付けを続けている。時代に逆らって在庫をもっと増やす。10年に一度しか売れなくてもいい。欲しいサイズがすぐそろう、それがこの店の価値なんだ。何と気持のいい言葉だろうか。
トヨタやキャノンやゴーンに聴かせたい。
もっとも大事な宝は人材じゃないのですか?
内部留保ばっかり大事にしないで、お金より大事なのは顧客の信用だろうに。
さっきまでべったりだったアメリカの風邪で正規社員と一緒になって非正規社員の首を切っていいんだろうか。
それを支持する組合もなっちゃないな。
団結権てそんなにちっぽけなもんだったのかい?
作者:saheizi-inokori
更新日:2009年1月6日 23時57分
初詣あちこち 九品仏、巣鴨、浅草、深沢、鬼子母神 今年は末吉?
長い休みだと楽しみにしていた割にはあっという間に終わってしまった。
読みたい本もたくさん買ってあったけど最後まで読んだのは「運命の日」上下のみ。
それなのに今日又会社に行って本を買ってしまった。
子どもの頃に本を買うことができなかったトラウマが今に祟っている。
今日までにお参りしたところをあげてみる。
九品仏、淨真寺の本堂、お釈迦様。
ここは本堂に対面して上品、中品、下品と三つのお堂がありそれぞれに三体づつの阿弥陀さまが安置されている。
それで九品仏というのだ。
浄瑠璃寺の九体の仏さまが創っている空間に魂を抜かれる思いをしたのは一昨年の春だ。
ここは小さな窓から覗くようにしないと仏さまが見えないのであの迫力がないのは残念だ。


巣鴨、高岩寺のとげぬき地蔵は秘仏だから外から手を合わせるだけ。
構内に洗い観音があるのだが行列が長いので手を合わせるだけで失礼した。

浅草寺も物凄い行列なので脇から遥拝で許していただく。
直ぐに又行くことがあるだろうし。

雑司が谷、鬼子母神。

実は鬼子母神の近くの蕎麦やで昼食をと思って行ってみたらまだ休み、今年は休みの店ばかり追いかけている。
それで目白まで歩いて「志むら」の幕の内にしようとテクテク。
ところがここも喫茶室は休み。
ついでに「えこる」によって靴の手入れをしてもらって当てもなく歩いていたら何となく良さそうな店構え。

蕎麦を食うつもりだったけれど饂飩か、まあ同じ長いものだし腹も北山だったから入ってみた。
常連らしいオッサンが二人離れて座っていて店のおばさんたちと世間話に興じている。
「ハウマッチ?」とオッサンが言うのに意味が分からないらしく頓珍漢な事を云ってるのがおかしい。
そうたくさんメニューがあるわけではない、そのなかで一番食べ応えがありそうで、カツお正月らしい豪華さに富む「鍋焼き」を頼んだ。
900円だ。

天ぷらが別に出てくる。
直ぐに入れて食べるのだけれど。

手打ちらしいシッカリした饂飩、やったね
味付けは関東風、つまり醤油が勝っている。上州だもんな。
悪くはない。
シイタケの戻し方が足りないのはご愛敬、こんなものを注文する客が少ないからたくさん作っておくわけにはいかないのかもしれない。
どんどん具を食べていって残るは玉子、こいつをいつ崩すかは常に重大問題だ。
残っている汁に混ざる具合が一番いいときに崩すのだ。
あまり置いとくと硬くなりすぎるのも問題だし。
たまに崩さないでパクッとやることもあるが、やはりとろっとするくらいなところで崩して黄身と混ざり合った汁を吸うのは嬉しいものだ。
今年は最初に考えたことがうまくいかないけれど諦めずに前進すると思いがけない良いことにぶつかる年かも知れないなあ。
こういうのは末吉ってのとは違う?末がよくなるって。
おみくじはひかないことにしているけれど。

最後は深沢神社、伊豆の三島神社の分社だ。
ここも昼は長い行列だった。
天照大神(あまてらすおおみかみ)
大山都見尊(おおやまづみのかみ)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
八幡大神(はちまんおおかみ) 、これだけの神様にいっぺんに礼拝できるんだから。
作者:saheizi-inokori
更新日:2009年1月5日 22時13分
こいつァ春から、、巣鴨から浅草へ、市馬師匠に会いに?
満開の桜が咲いてて陽気もよくて、花見の客でざわざわしてる。、、、そんな花見の浮き立つような気分がおかしみのなかから立ち上がってくるようにしたいですね。柳亭市馬が「長屋の花見」について語った中に出てくる。
ホントに市馬の高座はこの噺に限らず”満開の桜を見て喜んでいる俺っち庶民たち”って空気に満たされる。

「落語ファン倶楽部」VOL.6は「大ネタ18番勝負」と題して大ネタを選んで、その噺を得意とする噺家二人づつに芸談を語らせている。
大ネタって?
巻頭の志の輔と談春の対談は(志の輔)ひと言で言うなら、、長い。
(談春)ふふっ。それがすべてですね。
(志の輔)おいおい!(笑)で始まり談春は僕にとって大ネタってなると、うちの師匠の「やかん」に尽きますね。縦横無尽のスケールといい融通無礙の知性と博識といい、あんなもの到底できません。と語り、志の輔も「ほんとだね」と受けている。
この雑誌では「子別れ」「明烏」「大工調べ」「文七元結」「らくだ」「居残り佐平次」(でた~!)「富久」「芝浜」「火焔太鼓」「死神」「長屋の花見」「三軒長屋」「抜け雀」「宿屋の仇討」「牡丹灯籠」「幾代餅」「紺屋高尾」「掛取萬歳」「お見立て」を選んでいる。
ま、いいんでないかい。
「黄金餅」「粗忽長屋」「天災」「付き馬」「二番煎じ」「船徳」「包丁」「妾馬」、、付け加えたいネタに切りがない。
談春が言うように演じる噺家によってつまらない平凡な噺になったり古今の大ネタになったりするんだろうな。
小三治の死神論(もう一人は志の輔)とか小満んの居残り佐平次(もう一人は談春)などを筆頭にどの話も落語の神髄(それぞれの噺家の考える)を語るようで短くても味わい深い。

思い立って友人を誘って巣鴨地蔵通りに行った。
いつもは浅草だがちょっと変わったところにした。
というよりこのところ妙に巣鴨に心が惹かれる。
お年ですなあ。
いつものようにいろんな店を冷やかして「いきなり万十」も立ち食いをした。
我々3人が「うまいうまい」と饅頭をホウバっていると道行人が足を止めて次々に注文してくる。
前の会社でイベントの呼び込みをしたときのことが懐かしく思いだされた。
店のオヤジさんがサクラ代のつもりだろう、注文外の揚げ饅頭と甘酒をくれた。
これもまた「うまいうまい」で又客が増えた。

楽しかったが夜の飯やが3日まで休みってのが困った。
日が陰ると急に寒くなって、こりゃ風邪をひくってンで当初計画していた”巣鴨で銭湯”をやめて、携帯に登録してある店をいくつか当たっていたら、浅草の「鳥せん」という店がやっている。
予約する時に近所の銭湯はやってるかと訊いたら浅草の銭湯はどこも休みだという。
じゃあ、しょうがないと都電で大塚に出て山手線に乗り換え、上野で地下鉄に乗ろうと思ったときに閃いた。
そうだ、上野の銭湯に!
歩いて7分、その名も「寿湯」にめでたく倶梨伽羅紋々のお兄さん共々初銭湯を楽しんでタクシーで浅草へと思ったら友人は歩こうという。
湯冷めしないようにしっかり歩いていたら、バッタリ!マントを羽織った市馬師匠が来るではないか。市馬師匠、どうも!って、なんというおバカなことをいったものだ。
どうも!ってあの朗々たる声で師匠が返してくれた。
笑顔もばっちり。

鳥せんで呑みましたなあ、ヤキトリやら鍋やら、そして釜飯で仕上げ。
好いご機嫌で歩いて地下鉄田原町のホーム、どこかで見覚えのあるオジサン二人、漫才の「ホームラン」だ。やあ、今晩は!大きな声でそう云ったら今晩は!二人声を揃えて笑顔で返してくれた。
今年も寄席とは縁が切れないなあ。
作者:saheizi-inokori
更新日:2009年1月4日 22時6分
どうあっても君たちが世界を創るんだ がんばれ若者!
お正月ってえと晴れている日が多いようだが統計的にはどうなんだか、gakisさんに訊いてみなきゃ。

その晴れた箱根路を若者が疾走している。
何年か前に早川のあたりで偶然箱根駅伝の選手が走ってくるのを間近に見たことがある。
ハッとした。
テレビで見るのとは大違いで、速い!美しい!
まるで若獅子が鬣(たてがみ)をなびかせて荒野を走るようだ。
大仰に言うんじゃなくて涙くみそうになった。

暮れに買った「落語ファン倶楽部」の付録についていた古今亭志ん朝の真打ち披露口上というCDを聴く。
1962年、志ん朝24歳、36人もの先輩(談志、円楽など)をゴボウ抜きで抜擢されたのだ。
前の林家正蔵が司会、口上を名人・桂文楽が明るい厭味のない人に愛される青年です。みんな楽しみにしてます。、、末には一枚看板になれますよう父・志ん生に代わりまして、、その後、実兄・金原亭馬生もひとこと頭を下げる。
上野鈴本での録音で本人の「明烏」の頭のところも収録されている。
こっちも若々しい鬣を感じた。
人並みすぐれた運動神経や血筋に恵まれた若者たちもその後の人生は淡々としてはいない。
むしろ一流を究めようとする人ほど克服すべき壁は常に前に立ちふさがる。
NETで志ん朝のさほど長いとは思えない人生(63歳)をたどってみるとつくづくそう思う。
芸の壁だけではなく業界のさまざまなシガラミもあったようだ。

がんばれ!若者たちよ。
作者:saheizi-inokori
更新日:2009年1月3日 22時36分
いつも”仕掛けられる“罠 デニス・ルヘイン「運命の日」(上下)(早川書房)
1918年のワールドシリーズ、シカゴ・カブスとボストン・レッドソックスのメンバーは第4試合に臨むべく鉄道で移動していた。
途中、オハイオで列車が故障して長時間停車している間にベーブ・ルースが野原を歩いてぶつかった(ベーブが天真らんまんに彼らに声をかけるところがとてもいい)のが黒人たちの野球、ルースと世界最高の白人選手たちは退屈しのぎに彼らと試合をすることになる。
「黒」と呼んでヤジを飛ばしたり猿の鳴きマネをしている(ベーブを除く)だけでは物足りなくなって。
本気でやってもかなわなかった。
インチキをしてやっと勝てるかというときにベーブの打ったフライを取ることを拒否した黒人・ルーサーが主人公の一人だ。
あの時代を知らない俺でもそこにいるかのように鮮やかに時代の空気を伝えてくれるエピソードがプロローグだ。

アイルランドから密航者としてボストンに来て今は市警の実力警部としてエスタブリッシュメントの仲間入りを果たしたトマス・コグリン一家、その長男・ダニーがもう一人の主人公。
前途有望な警察官として過激派組織への潜入捜査を命じられる一方で警察官の待遇のあまりの悪さに反発する警察官たちのリーダーとしてAFL(アメリカ総同盟)への加盟、ストライキの道へつき進まざるを得なくなる。何十もの眼が彼の指をたどり、そこでダニーは、ぞっとすると同時に心躍るあることを実感した。みんなはおれに連れていってもらいたがっている。どこかへ。どこへでも。成り行きでギャングのボスを殺したルーサーは妊娠中の愛妻をおいてボストンに逃げてくる。
厳格そのもののコグリン一家にあって一人自由なものの考え方ができるダニーとルーサーの遭遇、そして友情、覚醒・人間回復の物語。

インフルエンザ(スペイン風邪)の大流行、第一次大戦の終結、郵便爆弾による要人暗殺未遂事件、メーデー騒乱、ロシア革命を背景とする共産主義者やアナーキストの活動、物価高騰、労使間対立の激化、、動乱のボストンを舞台にリアルに描きこまれている。
実名で登場する人たち(史実に基づくフイクションです)
サミュエル・ゴンパーズ、ウッドロー・ウィルソン、カルヴィン・クーリッジ、ジョン・フーヴァー、ミッチェル・パーマー、W・E・B・デュボイス、ジェイムズ・ジャクソン・ストロー、IWW、AFL,NAACP、ボストン中央労働組合。
ベーブはこのところ、人びとの顔にこの表情をよくみるようになった。何か理由があってというのではない。ただみんな、何となくそういう顔をしている。誰もがこの狂った世界を歩いていて、遅れまいとするのに、遅れるのが分かっているかのように、どうしようもなく遅れてしまう。この小説でベーブはあたかもアイ狂言を語るかのように登場する。
世の出来事、ベーブの心では不愉快なさまざまな出来事を目撃または巻き込まれるのだ。
だがほとんどの場合、彼は黙ってそれを感じ、見ているだけだ。
”見者”のように。

ミステリ、ハードボイルドかと思って読んだら歴史小説と云った方がいいだろう。
重厚な筆致とシリアスな内容が年末年始にのんびり気分で読むにはちょっと重かったが、それだけに読み終わるとずっしりした何かが残る。戦争では何百万という人が死んだ。ただ土地のために。
そしていま世界中の通りで同じ闘いが続けられている。
今日はボストンで。明日は別のどこかで。
貧困が貧困と闘う。いつものことだ。
仕向けられるままに。
それはこれからも決して変わらない。ルーサーが暴動のさなかに感じたことだ。
憎しみの構図に追い込まれないように警戒せよ。
仕掛けられた罠にはまって血を流すのは貧困と貧困だ、いつの時代も。

人種差別、一家の相克と愛おそらくあらゆるもののなかで、これこそが家族でいることの真の代償なのだろうー愛する者のもっともつらい苦痛を取り除いてやれないことが。血のなか、心のなか、頭のなかからそれを吸いだしてやれない。ともに暮らし、名前を与え、養い、将来の計画を立ててやるが、隙あらば噛みつこうとしている世界がすぐそこにあることをいつもどこかで忘れている。、真実の愛、組織のダイナミズム、暴動の生理、白人の狂気これか?ルーサーは叫びたかった。これにへいこらしてたのか?こんなやつらに?自分はおまえらとちがう、だからおまえらより劣ると思わされていた。
「イエス、スー」「ノー、スー」と言いつづけてきた。
お前らに?こんなくそったれの…獣に?暴動に狂う白人たちを見ての感想だ。
特にデニー親子の愛と訣別、これは現代にはあまり見られない父親の凄さだと思った。
現代=今との類似を感じたのは思いすごしか。
加賀山卓朗・訳
作者:saheizi-inokori
更新日:2009年1月2日 22時18分
戦争が廊下の奥に立ってゐるのかも 俺は糸瓜で結構毛だらけ
のんびり正月っていいなあ。
紅白を見るのも何年ぶりか(とびとびではあるけれど)。
子どもの頃にラジオで夢中になって聴いて白組を本気で応援したことが懐かしい。
高橋圭三が白組で紅組が宮田輝ってのがあったかな?
灰田勝彦のファンだった。

「世界」一月号を読んでいると寺島実郎が韓国・ウオンに比べて円が高くなっているのは日本の総体的な国力が上回っているからだということ、1ドル360円時代から60年かけて自国通貨の交換価値を4倍に高めてきたことを評価すべきだと書いている。
日本の12年以上に及ぶ超低金利政策が米国の産業の実力以上の過剰消費と過剰軍事力を支えてきたということも。

円高で困る輸出産業の連中が今の財界を牛耳っているから低金利政策にせよと声高に叫ぶ。
自分の企業の雇用すら護らずに放りだした従業員の面倒を税金でみろと叫ぶ人たち。
失業する人に自己責任をいいやりたい放題をして金儲けをしたのならその失敗については君たちが自己責任で償うべきだと思う。
儲けるときだけ自由で損したときは税金でって少し甘ったれだぜ。
日比谷公園の炊きだしに感謝するホームレス、それを支えるボランテイア(高校生も)をみるとトヨタやキャノンの経営者はいったい今どんな正月を迎えているのか!と問い詰めたい。

いつもながらテレビがつまらないからあっちこっち探っていたら俳句番組があって途中からだったが面白かった。
高橋源一郎、富士真奈美、吉行和子、金子兜太、、、それぞれが選んできたちょっと変わった俳句についてみんなで合評みたいなことをするのだ。
俺が気に入ったのは戦争が廊下の奥に立ってゐた
魔がさして糸瓜となりぬどうもどうも上の句は知っていた句で第二次大戦の頃の不気味な空気を詠んでいるらしいが今の句と云っても通る。
次の句は「糸瓜で悪かったですね」と開き直ったような・ユーモアがいい。

殆どの皆さんとは昨日の記事で正月のごあいさつは終わってしまったが、改めて、あけましておめでとうございます。
作者:saheizi-inokori
更新日:2009年1月1日 23時26分
皆さんありがとう
何年ぶりだろう、正月を家で迎えるのは。
読みかけの本をとうとう読み終わらないままに台所でお煮しめつくり。
寸胴に一杯、下ごしらえもちゃんとして、6人分には多すぎるくらい、うまくできた。

風呂に入って一年を振り返る。
5年前からみたら活動量はめっきり減った。
直ぐ疲れるし、今日のお煮しめが3時間もかかった。
でもでも、精一杯の一年だった。
会社ではいまだに人(上の人)に嫌われることを頑張って言い続けてきたし。
能・狂言・落語、3年前にはほとんど行かなかったのに随分観たり聴いたりできた。
好いお仲間がいてなかなか入れない催しの情報や切符まで取って下さった。
何より観た後の“反省会”が楽しい。

昔から続いている旅行会や飲み会もますます愉快になってきた。
ブログもほぼ毎日更新出来た。
新しい友だちがたくさんできた。
自分にない素晴らしいものを持っている方ばかりだ。
世の中はどんどんひどいことになっているのに俺はこんなにしていていいのかと思う。
あと何年生きるか?
感謝しているばかりではなくもっと人のために何かをしなくちゃ。

皆さん、いいお年を!
作者:saheizi-inokori
更新日:2008年12月31日 22時52分
今年読んだ本ベスト20 世の中、神聖喜劇ならざる“真正悲劇”だぜ
今年「 今週の1冊、又は2・3冊」に書いた記事は110件、上下とかもあるから、おおむね三日に一冊強読んだことになる。
このほかに記事に載せなかった本とか、途中で止まっている本も多い。

若い頃はちょっとめんどくさい本は大抵途中でやめてしまった。
前の会社で読み終わった本を寄贈する(引き取ってもらう、というべきでしょうね)ことにして、その紹介がてら社員メール”ホンの戯言”を始めてからきちんと読み終える癖がついた。
いい加減でもいいからと簡単に読後感をまとめるのも、それ以来の習慣になってこのブログに引き継がれている。
社員あてメールのときは400字前後の長さだったが、ブログになってからご覧の通り、牛の涎状態。
これで良くも悪くも俺の人生が幾分か変わったと云ったら大げさか。

掲載順(読んだ順)にベスト20くらいを選ぶつもりでサッと抜いてみる。
檀一雄 「石川五衛門」(上下)(講談社)
ダニエル・T・マックス 「眠れない一族」(紀伊國屋書店)
丁如霞著・和多田進聞き書き 「丁家の人びと」(バジリコ)
◎大西巨人 「神聖喜劇」(5巻)(光文社文庫)
〇神野善久 「日本の食と農危機の本質」(NTT出版)
皆本二三江 「だれが源氏物語を描いたのか」(草思社)
池田清彦・養老孟司 「ほんとうの環境問題」(新潮社)
◎湯浅誠 「反貧困ー『すべり台社会』からの脱出」(岩波新書)
〇W・E・フランクル 「夜と霧」(みすず書房)
平松剛 「磯崎新の『都庁』 戦後最大のコンペ」(文藝春秋)
山口宏・副島隆彦 「新版 裁判の秘密」(宝島社)
〇レドモンド・オハンロン 「コンゴ・ジャーニー」(上下)(新潮社)
保阪正康 「戦争と天皇と三島由紀夫」(朝日文庫)
〇ロバート・B・ライシュ 「暴走する資本主義」(東洋経済新報社)
山本譲司 「累犯犯罪障害者 獄の中の不条理」(新潮社)
辺見庸 「目の探索」(朝日新聞社)
〇観世寿夫 「観世寿夫 世阿弥を読む」(平凡社)
〇平野啓一郎 「決壊」(上下)(新潮社)
ダニエル・ケールマン 「世界の測量 ガウスとフンボルトの物語」(三修社)
〇コリン・P・A・ジョーンズ 「アメリカ人弁護士が見た裁判員制度」(平凡社新書)
〇R・D・ウイングフイールド 「フロスト気質」(上下)(創元社推理文庫)
榊原英資 「間違いだらけの経済政策」(日経プレミア新書)
勘定して見ると22冊、ま、こんなものだろう。
この中でも特に印象に残ったものに丸をつけてみる。
◎が2冊、〇が8冊、どうだ、ベスト10になったぞ。

裁判員制度の本は結構いろいろ読んで、どれも裁判員制度の問題点を教えてくれたが、ここにあげたアメリカ人弁護士の本は他の本に見られない視点で、日本の司法制度・法律(憲法も)と国民の関係について示唆に富む分析が刺激的だった。
それは山口宏・副島隆彦 「新版 裁判の秘密」についても言える。
裁判員制度の導入で日本の法律制度・運用の実態、その情けなさについて目が啓かれた。
ホレミロ!「国民の裁判に対する理解を深め」ることになったじゃないかと立法者たちが言うならば、それは盗人猛々しいということだ。
裁判員制度の導入でより”情けない”裁判になりそうだ。
環境問題、特に一般的に云われている炭酸ガスを減らせば環境は良くなるみたいな話に対する批判の本もいろいろ読んだ。
同じような指摘が多いのでブログにはあげなかった本も何冊かある。
食の問題にも顕著なように官僚たちがどこまで本気で国民の健康のことを考えているのかが心もとない。
保身や利権、省益で行政を行わないで、と思うけれど、それは猫に魚を食うなというようなものか。
ア、最近の猫は魚なんて食わないんだっけ。

前からみると小説を読むことが少なくなった。
若い頃は好きなミステリ作家の新作など見逃さずに読んでいたのに。
いわゆるビジネス書は昔も今も読まないけれどライシュや榊原の本のような経済についての本などは最近読むようになった。
もっと早く読めばよかった。
読んで仕事や生き方に活かせる年頃は目の前の仕事に夢中で本と云えば小説・随筆・面白いノンフイクションの類ばっかりだったのが悔やまれる。

「神聖喜劇」は圧倒的な迫力だ。
上にあげた22冊のそれぞれに内包されるさまざまな問題すべてと全力で戦ったような小説だ。
御用とお急ぎの方はこの本だけを読めば現代の問題が分かります。
って、ちっちゃな字でみっしり書いてある厚い文庫本が5冊だ、御用とお急ぎがあっちゃあ手に取るのも恐ろしいかも。
でも、マジ、他の本を一冊も読まなくともこれを読むことをお勧めします。

湯浅の「反貧困」は今最もホットな本だ。
日本のセイフテイネットなるものが穴だらけなことを指摘した本、読めるかどうかは分からないが総理大臣以下にぜひ読んで欲しい。
夏の軽井沢・緑陰トップセミナーの向こうを張って冬の隅田川・青いテント・トップセミナーでもやってこの本を講義したらどうだい。
パフオーマンスとして受けまっせ!
作者:saheizi-inokori
更新日:2008年12月30日 22時9分
「何をおっしゃいますやら」かくて暮れゆくこの一年
何をおっしゃいますやら関西のどのあたりの方がおっしゃるのか、わからへんけど時々聞く言葉だ。
謙遜したときとか自信のない発言をしたようなときに云われる。
そういう時は気にならないが真面目に話しているときにも云われることがある。
肩すかしというか真剣に受け止めてくれないような感じがする。
標準語でも「何をおっしゃいますか」とか言って言えないことはないけれど、なんとなくニュアンスが違う。

なんでこんなことを書きはじめたのか?
風邪気味の頭でぼけ~っとしていたら、ラジオでそういうセリフが聞えて、それから「何をおっしゃいますやら」が頭ん中に何回も聞えて来る。
なんだかなあ~。
今年も何をおっしゃいますやらの繰り返しだったかも。

作者:saheizi-inokori
更新日:2008年12月29日 22時6分
俺と堀井憲一郎の落語家ベスト・リスト発表 附・アン・タイラー「結婚のアマチュア」について
もう売ってないかな、週刊文春の新年特大号に堀井憲一郎が「2008年江戸方落語家ベスト150」という記事を書いている。
江戸方には450人あまりの落語家がいるそうで、その中から「いま、見ておきたい」「お笑い好きだけど、あまり落語を知らない人に見せたい落語家はこの順番だ」というのを作ったという。

ただうまい、とか面白い、芸が確か、というだけではランクが落ちる。
圓歌(55位)や馬風(57位)などがそれだ。
演者としての気迫、気合いがあって「見たことないものをねだる客」をねじ伏せる力技を持っている順番だそうだ。

俺の趣味とかなり合っていると思うのだが。
刺激されて俺のベスト10を作ってみよう。
好き嫌いが7、評価が3、くらいな感じで(そこが堀井と違う)。
談志は声が出るかどうか分からないから番外というのは真似することにして。
カッコ内の数字は堀井の順位。
1・柳家小三治(1)
堀井も”その空間に一緒にいられるだけで幸せになれるのだ。すごい。”と書いているがまったく同感、ぶっちぎりのトップ。毎日でも聴いていたい。
2・立川談春(6)
3・柳家喜多八(11)
4・柳家権太楼(4)
5・柳亭市馬(10)
6・古今亭志ん輔(16)
7・柳家さん喬(8)
8・春風亭昇太(5)
9・瀧川鯉昇(25)
10・春風亭正朝(38)
11・立川志の輔(2)
12・柳家小満ん(45)
13・五街道雲助(15)
14・桃月庵白酒(33)
15・柳家喬太郎(8)
16・入船亭扇辰(34)
17・入船亭扇橋(65)
18・春風亭小朝(3)
19・橘家圓蔵(56)
20・柳家三三(22)
いやはや、到底10人に絞ることは出来なかった。
20人にしてもまだ林家たい平(12)とか入船亭扇遊(36)、三遊亭小遊三(17)、昔昔亭桃太郎(23)、古今亭寿輔(48)なども捨てがたい。
小朝や志の輔の順位が低いって怒る人もいるかもしれないが、俺の好き嫌いだということだから勘弁してください。
20位に入れた三三(さんざ)、まだそれほど知られていない噺家だが、聴かせる。
33歳、小三治に入門、一昨年真打ちになったばかり。
本格派でフラもあって楽しい。

市馬、談春と三人で始めた「三人集」の二回目に行って来た。
談春が「明烏」と「権助魚」を伸び伸びと楽しげにやり、市馬が「三十石」という上方ネタを朗々と舟歌を歌って聴かせる(楽屋の前座と、きっと談春・三三の合いの手も聴かせどころ)という中でトリで「双蝶々」を上下に分けて(間に談春の「権助魚」をはさんで)堂々とやった。
円朝の作、円生くらいしかやらないたいして面白くもない陰々メツメツたる噺、若者が多いよみうりホール・1100人をしてシンとして聴き入らせた。
意欲が空回りしてないところが大したものだ。
志ん生、文楽でなくっちゃ、なんて言ってたこともあるのだが今落語界は面白い。
この中から本当に名人として後世に名を遺すのは誰だろう。
みんながんばれ、がんばれ、せいぜい俺は楽しませてもらうよ。
週刊文春新年特大号でもう一つ、小林信彦が「冬休みの読書は『結婚のアマチュア』を」という記事を書いている。
前に紹介した本だ。
著者はアン・タイラー、「あのころ、私たちはおとなだった」という本も紹介した。
小林は「結婚のアマチュア」のラストでは、思わず、涙がにじみそうになった。と俺(=「最後にマイケルがポーリーンを偲ぶくだりでは危うく涙が出そうになった。」)と同じことを書いている。
爺泣かせのホンですね。
作者:saheizi-inokori
更新日:2008年12月28日 22時39分
楽しい掛け取り、まるで大晦日演芸大会だ 志ん輔・さん喬「掛取萬歳」
先日書いた喜多八の「睨み返し」によく似た噺が「掛取萬歳」、こちらも暮れの定番だ。
志ん輔(ビクター落語会)とさん喬(落語研究会)の二人を聴くことが出来た(なんと贅沢な年の瀬なんだろう!)。

長屋の八つあん、からっけつ、寄せ来る掛け取りを追い払うのに去年は死んだふりをしたけれど、香典を持ってきた大家さんに女房が固辞するのを早桶から手を出して「貰っとけ」、大家さんはヒエッって逃げ出した。
今年はどうしようって考えたのが掛け取りに来る人の道楽を使って誤魔化そうってェ、、。

まずは狂歌の好きな大家さん。
「びんぼうの棒も次第に長くなり振り回されぬ年の暮れ」
「びんぼうをすれどこの家に風情あり質の流れに借金の山」
立て続けにいくつも即興の狂歌を披露すると大家さん、すっかり感心して
「貸しはやる貸しはとらるる世の中になにとて親のつれなかるらん」帰ってしまう。
「お前さん!凄いねえ、どこでそんなこと覚えたの?」
女房が訊くとなあに、寄席に行きゃア落語家が教えてくれライたしかに寄席じゃあ“学校で教えない”ことォおせえてくれるなあ。

次いで来たのが浪花やの旦那、義太夫が大好き。
八五郎の魂胆を見抜いて義太夫で催促する。出ん、出ん、でんでんでん、、志ん輔の首を振り振り青筋立てて唸る義太夫は実に可笑しい。
さん喬は美声だが可笑しさや迫力でやや劣るかな。
魚屋のカッつアン、幼馴染のせいもあって取りにくそうに催促するのに逆に挑発して喧嘩に持ち込む。
この後は↑に書いた「睨み返し」に出てくる「取らねえうちは一寸たりとも動かねえ」「払わねえうちは五分だって動かさねえ」の話と同じ。
払ってもない金にお釣りを寄こせと悪乗りしてカッつあんを帰したあと金ができたら真っ先に返してやらなきゃなって八つあんのホントの人柄をあらわすセリフを加えるのはさん喬。
この人は乱暴な登場人物もどこかやさしく描く癖があるようだ。
相模やの番頭は芝居好き。お掛けとり様のお入りィ!八は大声で感じを出す。
さん喬の演出では町内のお囃子の稽古に来ている衆に三味線に笛や太鼓で応援してもらうという趣向(志ん輔のは断りなしにお囃子がつく)。
どぶ板を花道と見立てて見栄ェ切りながらの登場、このあたりからの可笑しさはさん喬、志ん輔、甲乙つけ難いな。松にもいろいろありましてえ、えぞまつ、とどまつ、ごようまつ、あなたまつのも松の内捧げ持った扇を読むとて、気取った節回しでだあ~っとなるセリフはさん喬だ。
ワキで見ている女房はお前さ~ん、面白いねえ!わたしゃすっかり楽しくなってきたよ。
毎年これで行こうね!主が汗ェ掻いてんのに、、いい女房だ。

最後に出てくる(魚やと浪花やなどの登場順は噺家によって違う)のは三河屋の旦那、そう三河萬歳だ。まっちゃろうか~まっちゃろうか~一年まとか二年まとか~優しい旦那だ、でも八つあんはしたたかだ。なかなかそんな~ことでは勘定なんかできね~楽しいリズムで、見えない鼓を叩きながら値切っていく。
十年二十年、、、はあ、まだまだ、、そ~れじゃいってェ~いつ~は~らう
ひゃーく万年もォ、過ぎたならァ現実にはありえなかっただろうが、等身大の商い、見て触って使って食える範囲での取引、そこには人情やユーモアが十分に入り込めるような商い、現代が失ったものを感じる、と云ったら笑わせるナイ!って言われるか?

ただ噺が上手というだけでは演れない噺だ。
義太夫、芝居、三河萬歳、、いろんな芸能をマスターした上でそのパロデイーをして見せる。
6代目の円生の十八番を当代の実力者が堪能させてくれた。
さん喬も達者だったが少し真面目に過ぎた。
これは少々大仰に道化のように笑わせてくれなきゃ。
志ん輔の青筋と百面相がぴったりだと思う。
彼の当たり芸になりそうだ。
作者:saheizi-inokori
更新日:2008年12月27日 22時15分
左翼とアメリカはシャム双生児? 佐伯啓思「自由と民主主義をもうやめる」(幻冬舎新書)
第二次大戦と冷戦における自由と民主主義の勝利は、世界を20世紀初めの状態に戻した。冨を実現し、人々の欲望を解放することが、社会の規律を衰弱させる。秩序を維持しようという人間の意志を麻痺させてゆく。市民社会の道徳や正義に確かな根拠を与えられなくなる。人々から本当の意味での使命感、いきいきとした生の意識を奪っていく。
すなわちニヒリズムへの回帰です。「全体主義と自由・民主主義の戦い」という了解によって隠されていた20世紀の基本的な課題が再びわれわれの前に現れた、、それなのに90年代の世界は、そのことに対する自覚が乏しかった。
それどころかかつてないほどに自由や民主主義や市場経済を礼賛し、謳歌し、世界をそれで埋め尽くそうとした。

それがグローバリズムだ。
市場経済だけではなく、政治、思想、あらゆる面で世界に民主主義と自由や人権の観念を植えつけてグローバルな市民社会を実現する。
その中心がアメリカだった。
日本に「年次改革要望書」を突きつけ郵政民営化から司法制度の改革さらには許可すべき医薬品のリストに至るまで細部の実行状況をアメリカ国会に報告した様子は「拒否できない日本」や「国富消尽」を紹介した通りだが、そのことが日本をグローバリズムの中に巻き込んだ。
イラク戦争に際して「日本はアメリカと価値観を共有しているから、真の同盟だ」と云った“保守派”たち(著者は彼らは本来の保守派ではなく親米派に過ぎないという)。
しかし、多幸症とでもいうべきアメリカの心胆を寒からしめたのは9・11テロであり今回の金融危機だ。
世界が決して平和ではないし、命を懸けてまで守ろうとする価値観〈自由と民主主義ではない!)を持った人々がいること。
市場の自由に委ねていれば繁栄は保障されると信じ込み喧伝もしてきた経済が国のありようを激変するような状況になってしまった。
起きてみれば当たり前のことが目の前に突きつけられて、アメリカは確かな価値の喪失を認識せざるを得ない。
ヨーロッパ、とくにイギリスはしたたかだ。
自由とか民主主義について腹の底では信用していない。
人間の理性に信を置き、世界が進歩し続けるというアメリカの思想=進歩主義(左翼思想と根底は同じ)には懐疑的だ。
自らの伝統とか歴史に基づいて考えるのが彼らの流儀=保守主義だ。
それこそ本当の保守派だ。

自分が生きていくことだけが唯一の価値、生命至上主義になるのは一種のニヒリズム。
日本もそうなりつつあるのではないか。
20世紀初頭、ニーチエ、シュペングラー、オルテガたちが文明の没落、価値観の崩壊を予言した世界がいよいよ目の前に到来しているかのようだ。
日本はこのままで良いのか?
戦後のアメリカ的価値観を絶対視した進歩主義・民主主義はこれからも信頼していって力になるのか。
アメリカとの思想的決別なくして日本の再生はないのではないか。
イギリスの保守派に学び、日本古来の独自思想に回帰すべきではないか。

著者の東京裁判見直しとか散華=「滅びの美学」=「無の哲学」などの言葉をみると、いうところの保守反動、いつもの右翼的愛国者かとレッテルを貼って毛嫌いをする人もあるだろう。
俺も”戦後の子”だけに自分の精神的な心棒を壊されるのじゃないかと警戒しながら読んだ。
良く分からない部分もある。
だが、著者の言いたいのは、むしろ親米=保守=愛国とか左翼=反米などというレッテル張りでやってきた日本人にもう一度保守という言葉の意味、自由・民主主義の価値などについて考えてみてくれということのようだ。「自由主義や民主主義をやめる、などとんでもない」と思っている人に読んでもらいたいのです。嗚呼、それにしても憂鬱だなあ。
日本精神かァ。

先日書いた談春の「文七元結」で長兵衛が文七の生命を惜しんで吐くセリフが聴衆の胸を打つってのもニヒリズムの影があるのかもな。
健やかな世界だったらもっとからっと江戸っ子の”いい加減な・その場しのぎの”蛮勇を笑うっていうようなものかもしれねえなあ。
落語にのめりこんで底に流れる価値観を探るなんてあまり健康的じゃないってか。
でも面白いんだもの。
作者:saheizi-inokori
更新日:2008年12月26日 22時37分