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トップ > 日記・コラム・つぶやき > 日記・コラム・つぶやき - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2009年1月10日 12時)
明日はわが身か
定額給付金を各閣僚が受け取るかどうかなんて、どうでも良いんじゃないのか? 大事なのは、2兆円もの財源を定額給付金以外に有効に使おうとする意志がいまの政府にあるかどうかであって、それはどうやら「ない」らしいということだ。挙句に、年度内に給付できるかどうか、それすらも判らないらしいということだ。国会での論点がズレていることも腹立たしいが、それ以上に、こんないい加減な政策があってよいものかと思う。 年末にテレビのワイドショーで麻生総理のことを「2KY、MW」だと言ったコメンテーターがいた。「空気読めない 漢字読めない まったくわかってない」の意味だそうだ。さらに「溺れている人を船で釣りをしながら『頑張れよ』と眺めているようなもの」と評した人もいた。座布団3枚進呈! 最初は、この年末に路頭に迷う人を出してはいけないと、昨年末までに給付するというような話だったと記憶している。たかだか1万2千円でどうなるものではないかもしれないけれど、実際に住むところも失くして日比谷公園の「年越し派遣村」にやってきた人たちは数百人にも及ぶ。全国でははたしてどれくらいの失業者が途方に暮れていることだろう。この「派遣村」にしても、決して政府主導ではない。NPO法人や労働団体などでつくる実行委員会が開設し、実際に現場で働いたのは1700人ものボランティアだ。政府は「宿泊場所を提供しろ」と働きかけられるまで何もしていない。 そんな暗い話題ばかりの中で、この正月三が日の初詣での人数が9939万人と、統計の残る1974年以降で最多だったというニュースがあった。いや、これさえも不景気ゆえの神頼みが増えたということらしいのだが。お賽銭を1人当たり100円としても100億円ほどのお金が集まったはず。宗教法人は、この集まったお賽銭を少しは世の中に還元してもよいのではないかと思う。お寺の本堂を「派遣村」住民の宿泊場所として提供するとか。時代劇なんかを観ていると、よく火事で焼け出された人などをお寺に収容しているではないか。八百屋お七なんか、そうだ。世の中の困っている人たちを救済することが宗教の本分。既に精神的な拠り所としての宗教の存在感は希薄だが、ならば実質的な拠り所になっても決して罰は当たらないと思うが、どうか。
作者: わかば
更新日:2009年1月10日 0時0分
あれから20年
「Yahoo! ニュース」に「天皇一代の間で元号を改められる?」というクイズがあった。2009年1月現在、答は「×」。1868年9月8日、天皇一代に元号を一つとする「一世一元」の制が定められたからである。 ところで、当時の内閣官房長官だった小渕恵三氏が「平成」と書かれた額を持って記者会見したのが1989年1月7日。そして20年前のきょう、平成の御世が始まった。このとき「平成」のほかに「修文」「正化」の候補があったが、「元号に関する懇談会」がローマ字表記の頭文字が「昭和」と同じ「S」になってしまうことに配慮して「平成」と決定したとか。ちなみに「平成」を考案したのは陽明学者の安岡正篤であるとされている。 元号の話になると思い出すのが、猪瀬直樹の『天皇の影法師』である。「昭和」が決定されるときには、東京日日新聞が「光文」という世紀の大誤報を流した。そのあたりの事情や、森鴎外、吉田増蔵らの元号に対する思い等、これは私が今まで読んできたすべての本の中で10本の指に入るほど面白い本である(いま、どうしても見つからないのだが……orz)。 森鴎外が元号制定にタッチしていたとは、この本を読むまで知らなかった。わが島根県が生んだ大文豪だが、小説家としての名声は夏目漱石に及ばないのかな。素晴らしく怜悧な文章を書く人だと思うけれども。医者とか研究者としての素質のほうが勝っていたのかもしれない。『天皇の影法師』、もう一度読みたい。明日見つからなければ、もう一冊買ってこよう。
作者: わかば
更新日:2009年1月9日 1時30分
七草粥
芹なづな 御形はこべら 仏の座 すずなすずしろ これぞ七草 (詠み人知らず) 今朝は「七草粥」をいただいた。これまではスーパーで七草がパックになっているのを買っていたが、今年は乾燥させたものを売っていたので使ってみた。完成したお粥に混ぜるだけというお手軽なものだけれど、こっちのほうが香りが高い。うん。来年からはこっちだ。 冒頭の作者不明の歌は「七草」を覚えるのに便利な歌で、一説には左大臣四辻善成の作とも言う。南北朝~室町の頃の人で、『源氏物語』の注釈書『河海抄』を著した人物として有名である。『源氏』研究では欠かすことのできない大学者だ。案外、春の七草はコレだ!と決めたのはこの人なのかもしれない。 ところで「七草粥」の由来は……「正月7日の朝に粥(かゆ)に入れて食べる7種の野草、もしくはそれを食べて祝う行事。この日、羹(あつもの)にした7種の菜を食べて邪気を避けようとする風は古く中国にあり、おそらくその影響を受けて、わが国でも、少なくとも平安時代初期には、無病長寿を願って若菜をとって食べることが、貴族や女房たちの間で行われていた。ただ、七草粥にするようになったのは、室町時代以降だといわれる」(Yahoo! 百科事典より)ということらしい。とすると、百人一首にある光孝天皇の御製「君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ」の若菜はお粥にして食したわけではなく、お吸い物に入れたのだね。 江戸時代になると、七草粥は武家から庶民にまで広く浸透したらしい。現代では、邪気を払い万病を除く占いとしての「行事」という意味合いは薄れたかもしれないけれども、お正月休みの飽食を爽やかに終わらせる節目という役割を担っているような気がする。ハレからケへの移り変わりをシャンと身体にわからせてくれる、素朴で若々しい香りの食べ物である。
作者: わかば
更新日:2009年1月8日 0時36分
『銭ゲバ』
テレビから突然ローリング・ストーンズの“Paint It Black”が流れてきたので何事かと思ったら、新ドラマ『銭ゲバ』のCMだった。松山ケンイチが主演らしい。原作よりはるかに男前じゃん! ということで『銭ゲバ』(ジョージ秋山著)読了。 1970年「少年サンデー」で連載開始されたマンガで、私は当時はほとんど読んでいない。『銭ゲバ』と「マガジン」掲載の『アシュラ』だけは避けて通っていたフシがある。絵もストーリーも気持ち悪いというのが正直な感想だった。いやそれにしても、今から考えるとよくこんなマンガを少年誌に載せたものだと驚く。Wikipediaの解説を借りれば「極度の貧困から、殺人を繰り返しながら金銭と名誉を掴む1人の青年・蒲郡風太郎の波瀾万丈ストーリー」ということになる。 蒲郡風太郎の母は貧困のため病死し、父は外に女を作って出て行ってしまう。金の力だけを信じて生きていく主人公……というようなところは、どことなくブラック・ジャックにも通じるところがある。その頃の少女マンガではヒロインが必ず継母に苛められていたが、少年マンガにおいては家庭崩壊と金儲けが流行だったのかもしれない(笑)。恩も情けも親切も、風太郎は信用しない。刑事にマークされながらも次々と殺人を犯し、人を欺き、札びらで人の顔を張りながら、とある会社の運転手から、社長の娘婿になり、ついには社長になり、最後は県知事にまで登りつめる。富と名声と権力とを手に入れたとき、彼は……(以下ネタバレになるので割愛)。 彼が本当に求めてやまぬものは何だったのか。それまで憎たらしさしか覚えなかった彼に、最後は同情と憐憫の情を覚えた。このマンガの最後の言葉はすごい。「そうだ てめえたちゃみんな銭ゲバと同じだ もっとくさってるかもしれねえな それを証拠にゃ いけしゃあしゃあと生きてられるじゃねえか」。この言葉に真っ向から反論できる人間がはたして何人いるだろうか。 ドラマではどんな脚色がなされるかわからないが、いま一番観たいと思う新ドラマである。しかしまぁこのご時世に『銭ゲバ』とは。いや、こんな時代だからこそ、このチョイスなのかもしれない。
作者: わかば
更新日:2009年1月7日 0時10分
「この坂は苦しいぞ」
さて、新年一発目の『BJ』語り。 BJ先生は医学書以外にどんな本を読んでいるのか。『ハムレット』や『シラノ・ド・ベルジュラック』などは知っているようだし、俳句だってすぐに思い出しているから、理科系の人間とはいえ一通りの古典等は読んできているようだ。自宅の書棚はきちんと整理されているようで、少なくともめぐみさんの写真が貼ってあるアルバムの位置は把握できている様子だ。その他にどんな本が並んでいるのか見てみたいものだが、確実にこれだけは所蔵していると思われる本が『ある身障者の記録』(本間丈太郎著)である。きょうは「アリの足」について。 この年末に私はテレビアニメ版の「アリの足」を横目で観ながら大掃除をしていた。「挫けるもんか!」と思いながら(笑)。読むたびに、自分も頑張らなくてはと思うストーリーなのだが、おおよそのあらすじは次のとおり。 ポリオによって足が不自由になった光男少年は、この病気の患者がどんなに努力しているかを伝えようと、広島から大阪までを歩く旅に出る。そのルートの参考になったのが『ある身障者の記録』である。そこに書かれた患者が、過去に同じルートを歩き通しているのだ。山火事に巻き込まれそうになったり不良少年に財布を奪われたりしながら、光男の苦難の旅は続く。そんなとき陰になり日向になって彼を助けるのがBJである。しかし高額な報酬を取る医者であるという認識から、光男はBJを軽蔑しており「自分をつけまわすな」と怒る。ルートの最後の難所で再び現れたBJは彼に最後の助言をし、『ある身障者の記録』に書かれている患者は幼い頃の自分であることを明かす。ある事故で身体がバラバラになり、それをつないで治してくれたのが本間先生。そしてリハビリに励む自分のことを記録してくださったのだ、と。BJと話をしたがる光男だったが、BJはそのまま去っていく。そして、光男は無事大阪までを道のりを踏破するのだった。 ストーリーの良さもさることながら、『BJ』ファンにとってはBJの過去が明かされる一編として欠かすことのできないエピソードである。アニメでは、旅を終えた光男と自宅でそのニュースを見るBJが画面越しに微笑み合うラストがなかなか良かった。黒男少年が昔同じルートを歩いたときには、光男少年のようにマスコミに騒がれることもなく、おそらくひっそりとした孤独な旅だったろうと思う。人の助けは借りない、自分一人でなんとかするんだ、という気概だけで歩いたんじゃないだろうか。つきまとわれて苛立つ光男の気持ちを、BJほどよくわかる人間は居まい。きっと危ない目にも遭ったことだろう。しかし反面、黒男少年だって行きずりの人から数知れぬ親切を受けたのではないのかな。でなければ、光男少年にあれだけ親切にはせずに放っとくんじゃないかと思う。あるいは、自分の他に誰か親切にする人がいたら、BJは手を貸さなかったのではないかと思う。自分があのとき人から受けたと同じくらいの親切を、BJは光男に返したのではないのかな。 ところでここでちょっと整理しておくが、この54話「アリの足」以前には、29話「ときには真珠のように」で、大怪我をした黒男少年を手術で治したのが本間先生であることがわかっている。このときに描かれた黒男は車椅子に乗っていてなんらかの事故に遭っている。さらにその前の28話「指」では間久部との会話に「おぼえてる……中学のときだ…(中略)…わたしは身体障害者 きみは不具者だったんだ」とあり、車椅子に乗った黒男が間久部と仲良くしている。このときの黒男は顔に傷もないし髪も全部黒いので、まだ事故に遭う前だということがわかる。つまりシリーズのこの時点での設定は、黒男はもともと何かの事情で歩くことができず、間久部と出会った中学時代までは車椅子で生活しており、その後に身体がバラバラになるほどの事故に遭い、本間先生の手術と過酷なリハビリによって歩けるようになった、ということになる。よって、黒男少年が広島~大阪の旅をしたのは中学高学年~高校生の頃と考えられるのだが、後に、この「身体がバラバラになるほどの事故」が「不発弾の爆発事故」になり、更には事故に遭った年齢も「8歳」と前倒しされ、幼少の頃から脚が不自由だったという設定が曖昧になっていくので、「アリの足」までとそれ以降では、BJの生い立ちの設定が違うことは頭に入れておかなくてはなるまい。 さて次に、広島~大阪というルートなのだが……。広島のどこが出発点なのかは絵を見ても判然としない。広島在住の方ならお判りになるだろうか? 終着点は判る。JR大阪駅前の、阪急百貨店と新阪急ビルと曽根崎署に囲まれた三角形の部分だ。地下街の「通風塔」が何本も地上に突き出しているところで、これは私が10数年前に実際に見て確認した。「Yahoo! 地図」の航空写真で調べたら今もあるようだ。ところで謎なのは、どうして広島~大阪なのかということだ。身体の不自由な少年が、縁もゆかりもない土地を起点や終点に選ぶだろうか。そこまでの移動だって大変だろうに。というわけで、このとき黒男少年は広島に住んでいたと考えてみる。ここからは一気に想像の世界に突入するのだが、黒男がそもそも歩けなかった理由を原爆だと考えるのは無理があるだろうか。まだ彼がほんの子どもだった1945(昭和20)年8月6日、爆風によって倒壊した家屋に押しつぶされて怪我をしたという可能性は考えられないだろうか(胎内被爆ということも考えたが、生後脚に障害が出たという例を見つけることはできなかった)。 広島だから原爆、というのでは短絡的に過ぎるかもしれない。しかしその後「身体がバラバラになるほどの事故」が「アメリカ軍の不発弾の爆発」に設定されたことを見ても、BJの生い立ちと戦争を結びつけることはそれほど不自然なこととは思わない。シリーズ全体からも戦争の匂いは色濃く感じられるし、手塚治虫が『BJ』で描きたかったテーマの一つは「戦争」であると信じる。よって、BJは戦争の被害者であるという設定が手塚の頭の中にはあったのではないかと想像するのである。そうするとBJの年齢は、ぎりぎり1945年生まれとして、シリーズ開始の1973年には28歳。うん、それくらいなんじゃないのかな。ということで、今まで私はBJ1948年誕生説をとってきたのを訂正して(…というか、どうして1948年という計算になったのかもはや覚えていない)、誕生日を1944年11月3日に勝手に決めることにする。手塚先生と同じ誕生日という妄想だけは捨てられない(笑)。 黒男少年は当時広島に住んでいた……となると、不発弾が埋まっていた場所も広島近辺で探さなくてはならないことになるのだが、それはまたの機会に。 「アリの足」に話を戻す。旅を終えた黒男は何を思ったのだろう。想像するしかないが、いちだんと逞しく成長した少年像が眼に浮かぶ。やきもきして待っていた本間先生に「よく頑張ったな」と暖かく迎えられて、はにかみながらも旅の思い出を夢中で語る黒男少年……(激しく妄想中)……は、後に先公をダーツの的にする不良少年になり、さらには法外な手術代を請求する闇の無免許外科医になるのであった。あらあら。だからBJって男はおもしろいよ。
作者: わかば
更新日:2009年1月6日 0時4分
(備忘録090104)
手作りの年賀状
今年の年賀状は版画で作成した。初めての試みである。2版刷りだったので、彫るのに1日、刷るのに1日を要し、90枚ばかり宛名を手書きするのに更に1日を費やした。これまでは2日で仕上げていたのが1日余計に掛かってしまい、おかげで年末の大掃除が手抜きになってしまったが、これでだいたいのタイムスケジュールがわかったので今年の年末には参考にできるだろう。 これまでのわが家の年賀状の歴史を振り返ると、4年前の酉年まではプリントゴッコ、戌~亥はプリンタで印刷、昨年の子年は喪中欠礼、そして今年の丑年が版画ということになる。プリントゴッコは私が独身の頃から実に22年の長きにわたって使ってきたが、絵の具等の消耗品が文房具店から姿を消したことからパソコンでの制作に切り替えた。絵柄は毎年自分で考えるが、しかしパソコンで作った出来がどうもいまひとつ気に入らない。綺麗すぎる。絵柄ではなくて、つまり100枚が100枚すべて同じように出来上がるというのが面白くない。それで、版画に替えた。 1枚1枚の出来が、それはもう見事に全部違う。濃いのや薄いのやズレたのや、いろんなのができる。バレンで擦ってめくってみるまで、どんなふうになっているのか自分でも判らないのが面白い。ひゃ~、とか、うわッ、とか、奇声を上げながらの作成であった。楽しかった。今回は初めての試みということで、簡単で多少ズレてもわからない図柄にしたが、次回はもうちょっと凝ったものにしたいな、などと思っている。これを無謀といふ。 今年これまでにいただいた年賀状のほぼ9割はパソコン印刷のようだ。みな華やかで美しい。どんなデザインを選ぶかに、その人のセンスが窺える……のかな。さすがにこの年齢になると家族写真を使ったものは少なくなる。そうなると却って見たくなる心理も不思議なものではあるが(笑)。家族全員の動向を細かく書いてこられる方もあってそれはそれで面白いけれども、私自身はあまり近況などを書くのは好きではない。良いことであってもあまり良くないことであっても、読む人にはそれなりの思いが生まれるだろうから。一筆入れるときはただ「お元気ですか」とか「ご多幸をお祈りします」とか書くことが多い。共に新年を賀することさえできたら、と思う。 残りの1割ほどが手作りの年賀状だ。水茎の跡も麗しい達筆の賀状はいくら見ても見飽きない。いや、たとえ金釘流でも、この賀状1枚に籠められたエネルギーを思うと、ただ嬉しい。一人ひとり相手のことを思い浮かべながら、今年も無事に新年を迎えられる喜びを伝えようとする年賀状というのは、やっぱり重みが違うのだ。そういう年賀状をいただける喜びは何物にも替え難いから、せめて私も手間暇だけはかけて手作りの年賀状を作り続けたいと思う。
作者: わかば
更新日:2009年1月5日 1時7分