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トップ > 心と体 > 心と体 - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2009年1月7日 11時)
時代は 「フルーガリスタ」 と 「トップレス会議」
RNN 時事英語辞典というサイトに 「2008年米流行語」 という、昨年 11月 23日付の記事があるのに、今頃になって気付いた。 ここには "frugalista" "hypermiling""moofer" "topless meeting" "toxic debt" という 5つの言葉が挙げられている。なかなか世相を反映していておもしろい。 5つの言葉の意味は、次のように解説されているので、コピーしておく。 frugalista倹約家だが、おしゃれで健康な生活を送る人 hypermiling 燃費を最大化すること、ハイパーマイリング ■信号で停止中にエンジンを切る、最高速度を守るなどで燃費を最大化させること moofer携帯機器を使いこなし、決まった勤務場所を持たずに働く人 topless meetingパソコンや携帯電話の使用を禁止した会議 toxic debtサブプライムローンなど金融機関にとって相当な負担となる負債 この中で、私は "frugalista" と "topless meeting" というのにとくに興味を覚えた。 "Frugalista" というのは、元々は何語なんだろう。私は日本語以外は英語しかわからないので、当てずっぽでイタリア語っぽいなあと思うほかない。あるいは "frugal" (倹約な、質素な) という英語をイタリア語っぽくこじゃれた言い方にしたのかもしれない。 外来語だとおしゃれっぽく聞こえるのは、日本人がお菓子をスイーツと言ったり、化粧品をコスメティックスと言ったりしていい気になっているのと同じことである。「フルーガリスタ」 ということで、「今は倹約が健康的でお洒落なのよ」 という雰囲気を醸し出している。 "The Frugalista Files" というブログがあって、英語ではあるけれど、雰囲気だけは伝わりそうなので、紹介しておく。サブタイトルに "The frugal side of fabulous" (「ぶっとび系でも実はしっかり者」 とでも訳したらいいのかなあ) とあるのもおもしろい。 ちょっと前だったら、電通系とか博報堂系の情報誌あたりが "ニューヨークでは、今、「フルーガリスタ」 がトレンド!" とか言って、うわついたマーケティングを始めたがるところだったが、今回は鳴りを潜めている。 長らくバブルに浮かれていた米国よりも、日本の方が 「フルーガリスタ精神」 では実質的にずっと先を行っているので、今さら新しがっていうほどのことでもないと判断したのだろうか。それとも、どっと不況になった上に、消費者にますます倹約精神を発揮されたら商売にならないので、とぼけているのだろうか。 "Hypermiling" (ハイパーマイリング) にしたって、ガソリンを節約するチマチマした運転が上手な日本人の目から見たら、「何を今さら感」 があるし。 というわけで、メジャーなメディアが 「フルーガリスタがトレンド!」 と騒がないので、マイナーな ブロガーの私あたりが、せいぜい騒いでおこう。「時代はフルーガリスタ!」 と。 "Topless meeting" というのもおもしろい。米国ではノートパソコンのことを 「ラップトップ」 と言うので、「ラップトップなしの会議」 というわけで 「トップレス・ミーティング」 と言うのだろう。おしゃれな言い方というより親父ギャグっぽいが。 コンピュータにあまりにも頼りすぎると、クリエイティブなアイデアが枯渇してしまうと思われ始めたらしい。それで、頭の中のアナログ回路を全快にするために、電子機器を持ち込み禁止にしたのだろう。 昔だったらそれで当たり前だが、一度電子機器に頼りすぎというプロセスを経過すると、それがものすごく新鮮で、創造性が刺激されてしまうのかもしれない。おもしろいことだと思う。 いずれにしても、米国で流行ったら必ず日本でも流行るから、マークしておいても損はないだろう。 毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ
作者: tak-shonai
更新日:2009年1月7日 16時2分
わけのわからん信号と標識
押しボタン式信号というものがある。念のため説明すると、歩行者が道路を横断するためのもので、押しボタンを押すと歩行者横断用信号が青に変わるというものだ。 なかなか便利なものだが、設計によってはまったく使い物にならないばかりか、かえって危険を増してしまうことになりかねない。 茨城県取手市内に設置された押しボタン式信号というのが、その典型例である。歩行者が横断しようとして押しボタンを押しても、横断用信号が青に変わるまで延々と待たされる。試しに時計で計ったら、3分間待たされた。 押しボタンを押してから 3分間も待てというのは、はっきり言って酷であり、さらに言えば、非現実的である。実際、3分も素直に待つ歩行者は滅多にいない。 そのうちに車の切れ目が来るから、待ちきれずに渡ってしまう。写真のオジサンも、ご多分に漏れず、1分ぐらい待った後にしびれを切らして渡ってしまった。そして、歩行者が渡ってしまってしばらく経ってから、横断用信号は思い出したように青に変わる。 ということは当然、横断歩道と直角に走る道路の信号は赤になるということだ。そんなタイミングでその横断歩道にさしかかった車は気の毒である。横断する歩行者もいないのに赤信号で何の意味もなく停められ、無駄に CO2 を排出する。まったく馬鹿馬鹿しい話である。 せいぜい 30秒以内に横断用信号が青に変わってくれれば、歩行者は安全に道路を横断することができる。ところがそうならないから、歩行者は信号が青に変わる前に危険を押して横断を決行する。そして、その後に車がまったく無駄に停止させられる。 他の地域では、押しボタンを押せばそれほど待たされることもなく信号は青に変わる。ただし、直前に青になっていたりしたら、しばらく待たされることになるが。しかし、取手市内の押しボタン信号は、そんな設計になっているわけでもなく、いつでも一律に 3分間待たされる。馬鹿信号である。 取手市民はそれがわかっているから、初めから押しボタンなんか押さない。横断用信号が赤のまま渡る。押しボタン信号を設置するにはそれなりのコストがかかっているだろうに、それが全く無駄になっている。結果として、信号無視を奨励するために立っているようなものだ。 取手市内には信号の他に、こんなような交通標識もある。左側の左折禁止標識の下に取り付けられた補助標識に注目してもらいたい。 わけがわからないが、なんとか解釈しようとすれば、「自動車は朝の 8時 30分から翌朝の 8時まで左折禁止」 で、要するに、朝の 8時から 30分間だけ左折できるというように読み取るしかなかろう。 ところが、その交差点の左折側の道路は一方通行の出口で、「進入禁止」 の標識が立っている。つまり、元々一日中左折なんかできないのだ。 じゃあ、この 「8:30 - 8」 という補助標識は、一体何なのだ? 朝の 8時から 8時半まで、一方通行が解除になるとでもいうのか? そんなはずはない。そんなことをしたら、その道路は大混乱になるだろう。 つまり、「とことんわけがわからない」 標識なのである。これは少なくとも 10年以上変わっていない。一度取手警察署に行って、その意味を聞いてみようかと思っているのだが、そんな暇がなかなかできなくて実現していない。 茨城県は交通事故多発県と言われているが、信号や標識の管理をもうちょっとまともにしてくれれば、少しは事故を減らすこともできるんじゃないかなあなんて、恐れ多いことではあるが、そんなことまでつい思ってしまうのである。 毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ
作者: tak-shonai
更新日:2009年1月6日 21時52分
年越し派遣村に思う
年越し派遣村の話題が、賛否両論で盛り上がっている。私は単純に、日本が変わる契機の一つになれる可能性を感じている。まだ可能性というほかないのだが。 何しろ、首を切られた派遣は、切羽詰まっているのである。収入がない。収入がなくても、食わなければ死ぬのである。 日比谷公園に集まった 500人ともそれ以上ともいわれる 「村民」 たちは、全国で 8万人以上にも達するという派遣難民のごく一部である。多くはなんとか電車代か夜行バス代を支払って、田舎に帰ったのだろう。帰る田舎もない人たちは、日比谷公園しか行くところがなかったわけだ。 この日比谷公園の派遣村が、主にボランティアによって運営されたというのは、特筆すべき事だと思う。まあ、バックにいろいろな政治勢力の思惑が働いているのは言うまでもないのだが、それでも、これは画期的な出来事だ。 実際に見てきたわけじゃないので、あまり核心的なことは語れないが、さしせまった人の命を救おうというムーブメントが、実際に国や都を動かしている。こんなことは災害時を除いて、絶えてなかったことである。 総務省の坂本哲志政務官は 5日、仕事始めのあいさつで派遣村に集まった 「村民」 について、「本当に真面目に働こうとしている人たちが集まっているのかという気もした」 と述べた。彼としては、バックに見え隠れする政治勢力に何らかの思惑を感じたということもあるのだろう。 その気持ちはわからないでもないが、今、そうした発言をするのは決して利益にならないということに、彼が気付かなかったということが、私は悲しい。状況は彼の想像を超えているのだ。何しろ、多くの人がまともに年を越せないいうところにまで来ていたのだから。 派遣村でタダメシ食ったりテントや役所の講堂でゴロゴロしている暇があったら、さっさと仕事を探せという意見も、散見される。うん、確かに、私がその立場だったら、必死に仕事を探し歩くだろう。 しかし、時は正月である。多くの事業所は、4日までは空っぽだったのだ。仕事を探すよりもまず、正月を飢えずに越すことの方が重要だったかもしれない。それに応える形として、派遣村というものが生まれたのは、大きな意味があった。これは確実なことである。 仕事を選ばなければ、とりあえず食うための収入は得られるという指摘もある。しかし、実際には、コンビニのバイトだって応募すればすぐに採用というわけじゃない。一つの仕事に多くの人が殺到するので、なかなか決まらないのである。 この世に生きている限り、「仕事が全然ない」 なんてことはありえない。しかし、そのマッチングはいつでも不完全であり、不況になればなるほど、その不完全さの度合いは、個人の努力でなんとかなる領域を越えて増す。その不完全さを補う努力をするのは、社会の責任だ。 私は年越し派遣村的なところから、政治に束縛されないムーブメントが生じることを期待する。ただそうなるためには、今の派遣村の雰囲気は暗すぎて元気がなさ過ぎのような気がするし、特定の政治勢力に利用されやすい脆弱さをもっているとも思う。 しかしそれも、底を打てば変わってくるかもしれない。そこから何かが生まれるのでなければ、これは単にある年末年始の一過性のトピックに終わってしまう。 毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ
作者: tak-shonai
更新日:2009年1月6日 10時7分
「定額給付金なんていらねえ!」 と言えるか
定額給付金問題が、まだ 「ぐずぐず」 で、うっとうしい状態になっている。民主党は 「2兆円あればもっと有効な使い方ができる」 と、誰が考えても正論の指摘をしている。 実際、たかだか 1万何千円だか 2万円だかもらっても焼け石に水であり、国民の多くも、これが 「愚策」 であることは認識している。 ところが、「だったらそんなもの、もらわなければいいじゃないか」 と言われても、多くの国民は、愚策であると散々批判しつつ、くれる金ならもらってしまうだろう。「俺は定額給付金に反対だから、意地でももらわん」 という国民は、ごく少数だろうと思う。 小泉内閣時代には 「米百俵」 のエピソードに感動していた日本国民だが、麻生内閣の時代となって、自分の懐に入ってくるものを拒否するまでの節操は、あまり前面には出さないということになる。 かくいう私も恥ずかしながら、くれるというならもらうだろうと思う。なんだか知らないけど、日本中が 「仕方がないからもらってやるよ」 みたいな傲慢な態度に出てしまいそうで、ちょっと嫌な感じなのだが。 年末の政治討論番組で、竹中平三氏が 「そもそも、安倍内閣が郵政造反議員の復党を認めた時点で、小泉チルドレンと言われる議員は、全員離党すべきだったのだ」 と、極めて正論と思われる指摘をして、出演していた佐藤ゆかり議員はほんの一瞬ひるんでいた。 まったくもって、竹中平蔵氏は、「そう言われてしまえば、まったくもってその通りなんだけど、でもさあ、できるわけないじゃん」 と言いたくなるような、甚だ効力のない正論を吐くのがお得意である。 問題は、その 「正論」 で相手の横面をぶん殴っておいて、次にどんな実効的な手を出すかということなのだが、それがなかなか出てこないのである。それがこの人の限界だ。ぶん殴りっぱなしでは困るのである。 定額給付金も、このままで行くとどんな正論もお構いなしに、実際に給付されちゃうことになるのだろう。同じくれるというなら、去年のうちにくれる方がまだしも印象が良かっただろうに、年が明けてまだ 「ぐずぐず」 なので、選挙の票にも結びつかないみたいなことになってきている。 せっかくの膨大な予算を使いながら、ほとんど役に立たないことになってしまいそうなのだ。とか何とか言いながら、私はやっぱりもらっちゃうだろうけど。 毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ
作者: tak-shonai
更新日:2009年1月5日 13時28分
たやすく人を死に追いやらないように
偽メール問題で議員辞職した、あの永田寿康・元民主党衆院議員(39) が、なんと自殺してしまっていた。(参照) 偽メール事件の時には、その追及の仕方のあまりのお粗末さに、私も呆れてしまったが、最後には、呆れすらも通り越して、叩きすぎずに放っておく方がいいと書いた。(参照) 「水に落ちた犬は、放っときゃいいじゃん」 というエントリーで私は、永田批判をする当時のマスコミのはしゃぎすぎに、ずいぶんな違和感を感じてしまったのである。私はこのエントリーでこんなことを書いている。 これ、自戒をも込めて言うのだが、この件に関してのマスコミの論調、「俺らが最初っからわかってた見え見えのガセネタ、こんなに無邪気に信じちゃうなんて、信じられないぜ。民主党って、馬鹿だぜ!」 と言わんばかりのはしゃぎすぎだ。 自分に跳ね返ってくる心配がないからといって、ちょっとエラソーすぎやしないか。いくら滅多にないチャンスだからといって、鬼の首でも取ったように自らの優位を示しすぎである。マスコミってそんなことまで言う立場じゃないんじゃないか。 (中略) もういいじゃん。そりゃあ水に落ちた犬を叩きまくるのは気持ちいいかもしれないけれど、周り中で便乗的に騒ぎ立てるのは、止めにしとこう。マスコミも、「刀の穢れ」 ってことを知ったらよかろうよ。 私がこんなことを書いたのは、当時の民主党のリスクマネジメントのお粗末さに失望してしまったという要素もあるが、なによりも、あの永田氏にちょっとした 「アブナさ」 を感じていたからである。この人、偽メール事件以前にも、かなりエキセントリックな振る舞いをしていた。 松浪健四郎氏に 「党首と何発ヤッたんだ!?」 と野次を飛ばして、コップの水をぶっかけられたり、社民党議員の質疑が始まった途端に、カメラに映っているのを意識した上で、大まじめに折り鶴を折り始めたり、ずいぶん 「ヘン」 なところがあった。だいぶ 「イッタ」 目つきでもあったし。 だから、私はこれ以上叩くのはちょっとヤバイよ、もう止めときなよという気持ちだったのである。まあ、「水に落ちた犬」 というのも、まさか自殺してしまうとまでは思わなかったので、ひどい書き方をしてしまったものだが、とにかく、「これ以上責めるのは、かえってカッコ悪いよ」 ということが、ひしひしと感じられてしまったのだ。 本当に、あれ以上調子に乗っていたら、私自身、今頃夢見の悪いことになるところだった。 似たようなことがもう一度あった。昨年 5月、松岡利勝前農相が自殺した時である。自殺前の松岡氏は、NPO 申請照会口利き、事務所費の不透明な支出、議員会館の光熱水費問題、100万円献金使途不明問題などなど、数々の疑惑まみれで追及されていた。 こんなにも疑惑まみれの松岡氏を、私は意識的に無視していた。同じ頃、柳沢厚労相 (当時) の 「産む機械」 発言に対しては 「東大法学部卒業だからといっても、頭が悪いものは悪い」 とか 「謝ったからといって、馬鹿が治るわけじゃない」 とか、ムチャクチャどぎつい突っ込みを入れているのに。 (参照) その一方で、松岡氏についてどうこう言う気には、なぜかなれなかったのである。で、彼が自殺してしまってから、その理由がわかったような気がした。一昨年 5月、私は 「動物的ヘジテーション感覚」 というエントリーで、次のように書いている。 彼が自殺したというニュースで、なぜツッコむ気になれなかったかが、得心された。下手にツッコんだら、いかにも壊れちゃいそうで、どうしてもためらわれてしまったのだよ。これは何というか、論理的というよりは、ある意味、直感的あるいは生理的なヘジテーション反応である。 (中略) 松岡さんの場合には、なんだかそんなような感じがヒシヒシとしていたのだ。調子に乗ってツッコみ過ぎたら、何だかよくわからないが、きっと後で夢見の悪いことになるぞというような気がしていた。 国会で鬼の首でも取ったように追及質問をする野党議員には、「あ~あ、知ーらないぞ、知らないぞ」 みたいな気にもなっていた。「お前ら、そんなノー天気に攻撃できるなんて、動物的直感が鈍すぎ!」 と。 この記事を私は、「責めるときでも、最後の逃げ道までは塞がないようにという教訓なのかもしれない。戦争じゃあるまいしね」 と結んでいる。 ただ、これはどちらかというと、自分本位の身勝手な発想である。いかにも受け身の下手そうなやつには、危険な角度の投げ技は仕掛けられない。下手すると頸椎骨折で殺してしまうことになる。 実は相手の身を思いやってというより、後で自分が嫌な思いをしなくても済むようにというセルフィッシュな発想というのが、どうにもお恥ずかしいところである。 毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ
作者: tak-shonai
更新日:2009年1月4日 15時35分