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トップ > 心と体 > 心と体 - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2009年1月7日 6時)

子どもに帰る

《リード》 正月は父母を連れて小旅行に行った。母は数年前から認知症である。旅行先では夜に特に異常な言動が目立った。 服を整えたり髪を手入れしたりはキチンとはやり切れていないから、ややだらしない感じになってはいるが、昼間はいたって善良なのだ。感謝を忘れない。愛想を振りまく。甲高い声で丁寧に挨拶をする。にこやかである。人一倍上品に振る舞う。話す内容も無難で、それほどの違和感はない。  だが、夜が問題だ。  床に就いてからが大変だ。  独りごとをブツブツ言う。最近あったイヤなことにからんだ言い訳やそのときの自分の思いの回想や発言の繰り返しなどである。そのうち今の気持ちが混じって来る。家族に対する不満である。「コソコソ内緒話をして…」「私は〜と思ってやっているのに…」「テレビを見ててもしようがないの!」――孤立感が透けて見える。  さんざんブツクサ言った後静かになったかと思うと突然起き上がる。お手洗いなのか、それとも何か別のことを思いついたのか、はっきりしない。  「トイレはそっちじゃないよ」と声を掛ける。「えっ」という感じで立ち止まる。「あっちだったよね」と指差しながら話しかけ、近寄って行く。それでも動かない。トイレでは実はなかったのかも知れない。だが、何かやりたいことを聞き出したとしてもそれは多分より困った状態を招くだけだから、トイレで押して行く。そうすると当人もそんな気になって来る。脇に立ってトイレの方を手で示すと「ああそうだった」というようにそちらに向かう。  すると今度はトイレの入り口が分からないと言って戻りかけるから、「その隣の引き戸でしょ」と言ってやる。そうすると分かったらしく入って行く。やはり大して行きたくなかったと見えて、すぐに出てくる。水はちゃんと流している。  今度は自分の布団が分からない。考えてトイレの一番近くにしたのは無意味だったか。一番奥までやってくる。私の近くに来たいのかも知れない。「あっちだよ」と教えると「ああそうだったか」という感じでようやくそちらに向かう。  そうしてまたブツクサひとくさりやってから静かになり、こちらも漸く三時間ほど眠れた、と思うと又起き出して来る。今度は押し入れを開けている。「そこは押し入れだよ」と声を掛けても、隣りのふすまも開けて見る。「どうしたの。そこには何もないよ。コートならもっと左のハンガーのところでしょ。」と言うと、「ないのよ。お鍋が!」と困った様子。「ここは旅館だから、おばあちゃん、ご飯は作らなくていいんだよ。」と言っても「どうしたんだろう。お鍋がないと困っちゃう」と大きな声で言う。「いいんだよ。宿の人が作ってくれるから。今日は作らなくていいんだよ。ここは家じゃないからお鍋も置いてないよ」と言うと、少しは分かったのか、探すのを止めた。普段から食事の用意は出来なくなっている。段取りがうまく付けられないから無理なのだ。でも作らなくちゃいけないとは思っている。だから何かしらやろうとするのだろう。  それから暫くゴソゴソしてから何度めかの床に就く。  布団に入ってからも「ご飯の用意はちゃんと出来てるから」と大きな独り言。いやこれは配偶者への当てつけかもしれない。事実としては配偶者が大体作っているのだ。それをちょっと手伝うくらいしか最近のご当人には出来てない。配偶者の方もそれほど料理が得意なわけでもないからもっぱら「中食」やうどん、そばなどササっとできる物で済ませている。外食も多い。それでも自分が作らなくてはならないという意識があるから、こういう言葉が出て来るのだろう。    昼間も観光の類いは意味をなさない。富士山を見てもきれいな川を見ても珍しい建物を見ても感動はないようだ。美しい景色への関心というのは高度な精神活動のようだ。「観賞」はもうできない。「鑑賞」はなおさら無理だ。食べ物や持ち物にはまだ関心を示す。いつも自分の持ち物をチェックしている。車で移動中は絶えず何かを探しているみたいだ。それに、お土産については考えている。誰と誰と誰には買って行かなくてはならない、というように。だが、自分で土産物を選ぶことはできない。土産物を見てはいるが、買うのはもっぱら配偶者の方だ。    食欲は旺盛だ。料理の美しさは分かる様子だ。「器も料理もきれいだから食欲をそそられる」と私が言うとその通りだという顔をしている。そして前に並べられたお年寄りにはやや多めと思われる量の料理を次々に平らげている。  確かに見た目もお味も上等だ。いい材料を使ってきちんとした手間を掛けて丁寧に作られた日本料理である。しかも珍しい料理がいくつもある。味付けは薄めで上品。あくどさや嫌みはない。  食べ方には勢いさえ感じる。「そんなに食べて大丈夫か」と心配になるほどだ。  旅行に来る前には緊張して体調を崩した。食欲もなくなって一時はほとんど食べなかった。お腹が下ったりもした。     母は認知症である。症状は「記憶障害」「見当識障害」「認知障害」「思考障害」「夜間せん妄」。私の推測では「レビー小体型認知症」。「抑肝散が効果ある」とあったから主治医に相談してみよう。  息子を自分の弟の名で呼んでいる。弟をよく可愛がった姉だった。

作者: シードン

更新日:2009年1月6日 15時29分

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腰痛対策の決定打

 腰痛には一年間苦しんだ。もう完全には快復しないのではないかと思った。だが、何とか克服できた。  決定打は散歩。その散歩を始めて5ヶ月になる。 5km弱を45分ほどで歩いている。金曜日と雨の日以外は毎晩である。  最近気づくのは、散歩をしている人が増えているということだ。会う人が増えたわけではない。私の散歩のスタートは相当遅いので、そんな時間に歩き回っている人は多くない。誰にも会わないのが普通だ。そうではなく、昼間普通に近所で見かける人の歩き方を見て気づいたことなのだ。一目見れば散歩で鍛えられた人かどうか分かる。背筋が伸びている、胸が張っている、腕が振れている、足運びのピッチが早い、リズムが一定である、下半身のバネが感じられる…といった特徴から、慣れた人かどうかが簡単に分かるのだ。  仲間が増えるのはうれしいことだ。    腰痛になったのは昨年の夏だった。  わが家に「海の家」風スダレ作戦を実行中だった。ベランダの手すりの間から腕を出してステンレスパイプ(スダレを下げるための自家製)に通してあるリングにスダレを掛けようとしている時だった。その瞬間ちょっと違和感があったくらいで「痛めた」とまで思わなかったのだが、その日のうちにどんどんおかしくなって、座ったり立ったりという簡単なはずの姿勢の変更がキツくなった。スローモーションのようにしか動けなくて家族から笑われた。自分でもおかしいが笑うと腰が痛むので笑うに笑えない。じっと座っているのも辛い状態だった。  整形外科では「椎間板ヘルニア」との診断。電気マッサージと牽引、ウォーターベッド(これは極楽! 笑)の三点セットで治療が始まった。そのうち電気マッサージは合わない気がして止めたが、他の二つは継続してやって来た。牽引は22kgからスタートして、最高は28kgまで。今は間遠になったし、24kgまで落としている。牽引の受け方も上達(?)した。ただ引っ張られるのに任せてじっと耐えるのではなく、引っ張りに合わせて少しずつ腹筋や腰の周りの筋肉を動かして(緊張を解いて)、腰の周辺のストレッチに牽引を積極的に利用するという感じで受けている。これがよいように思う。    最初のうちはしばらく牽引をしないと、足が突っ張ってきて(特に太もものウラ)、動きがつっかえ棒で邪魔されるような感じになっていた。牽引をすると少しよくなる。でもまただんだんおかしくなる。その繰り返しで、「これでは一生牽引生活か」と溜め息が出たこともあった。だが、よくなった。劇的に快復したのは、やはり散歩を始めてからである。  散歩は大方の痛みが取れてから始めた(今回の腰痛発作からほぼ一年後)が、始めたときにはまだ足が突っ張る感じは残っていた。もう少し悪くなれば歩くこと自体が出来なくなるかもしれないという不安を抱えながら始めた。それでも私はせっかちなせいかのんびり歩くことに耐えられない。一生懸命歩いた。気が付くとほとんど小走りになっていることもあった。幸い痛みは出ず、三ヶ月くらいでツッパリ感は分からなくなった。最後までおかしかったのは膝だ。相当慣れてからもコースの途中にある階段を上るときには膝が痛んだ。特に一歩一歩ゆっくり筋肉を使ってカラダを上げて行こうとすると痛んだ。だが、最近はそれもなくなってきた。  それでも腰の違和感が完全に消えたわけではない。月に一、二度というスローペースだが、整形外科との縁も切れてはいない。だが、もうかつてのように定期的に行きたくなるのはなくなってきた。カラダは訴えないがアタマで判断して「そろそろ行っておいた方がいいかな」と訪ねている。不安は残っているからだ。  きちんと歩くには履物が重要だ。散歩用には専用の靴を買った。安物だが、何足も試し履きして慎重に選んだ。紐で絞めるごく普通の運動靴だが、チャックもついていて紐をキツメに絞めても履いたり脱いだりし易いタイプだ。軽めで足にしっかりフィットし、靴底は固めで溝がしっかり刻んである。  歩いていると路面の状態が気になる。最初は歩道を歩いていたが、歩道より車道の方が歩き易いことに気づいた。自転車の場合と同じだ。平坦さの度合いが違う。車のためにはトコトン滑らかに仕上げてあるのだが、人間様の方はいい加減である。さらにはアスファルトと地面の違いである。アスファルトは固いが、地面はやさしい。地面ばかりなら裸足で歩くのが気持ちいいに違いない。靴であっても地面のやわらかさにはホッとする。きめ細かいパウダー状の土煙がかすかに上がるくらいの公園の細道は散歩コースの中の最上級路である。マラソンの高橋尚子もアスファルトではなく地面を走るのだったら記録はともかく今も第一線で走り続けることができたのではないか。地面を歩くとそのことがいつも浮かぶ。  腰痛は難敵である。痛むときは寝ても起きても座ってもダメだった。精神も萎える。何とかしようと、腰痛体操をやったり温泉に浸かったりといろいろ試して来た。整形外科の世話にもなった。だが、快復の決定打は散歩だった。やはり筋力を付けて足腰をガードしないとダメなのだと思う。おかげで少しお腹もへっ込んだかも知れない。まだとても人様に見せられるカラダではないが(笑)。

作者: シードン

更新日:2008年12月29日 12時17分

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「捨て子」たちの民俗学

 ラフカディオ・ハーンの「Kwaidan」は高校英語のサイドリーダーで読んだ。面白かった。日本語で読んだのはずっと後だ。英語の物語が長らく私にとっての主要な日本の伝承譚だったというのは皮肉だが、加藤周一氏の語るように私たちの文化は常に「雑種」である他ないのだから、それも決して不自然なことではない。  友人に誘われて国文の講義を覗きに行って、「悪場所の発想」(広末保)を読んだり、「安珍・清姫伝説」を材料にした熱気を帯びた語りを聞いたりしたことを思い出す。  要するに一般教養としてあるいは趣味としてしか民俗学と関わりのない私が、この「民俗学批判」の力作(大塚英志著 角川選書06)にコメントするのは向こう見ずでしかないのだが、チャレンジしたいと思う。 大塚氏が三人の民俗学者(柳田國男・ハーン・折口信夫)の「捨て子」的側面に着目しているのは面白い。「捨て子」である(と思い込む)ことによって「ファミリーロマンス」への「偏差」がアタマをもたげて来るという理屈も分かる。民俗学にはその種の「甘美さ」への誘いが確かにあるし、それは危険な香りであると私も思う。  そして柳田が母子心中の増加の原因を正しく「近代化によって母子が孤立」したことに求め、ファシズム体制下「母性」が称揚される中、「子」を「母」ではなく「社会」が引き受けよと説いたことを指摘して本書を結んでいるのはさすがだ。捨て子・柳田はあらゆる「捨て子」(すなわち捨て子になりうるすべての子)を救済しようとした。ハーンが孤児の矛盾を母性によって解決しようとしたことと対比して、「柳田民俗学の着地点」と押さえているのは慧眼と言うべきだろう。  人はなぜ民俗学者になるのだろうか?  民俗学は自らのルーツを問う学問である。どうしてもロマンが忍び込む。どの民俗学者も自分の中の騒ぐ血に誘われて「近代以前」の物語に迷い込んで行ったのだろうから、動機が不純なのが民俗学者の常なのだ。  あるいはもう一つの隣接領域である歴史学の、E.H.カーの「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である。」(「歴史とは何か」岩波新書)ということば同様、民俗学も「純客観」というよりも「相対的」なものだと思い直してみるのもよいかもしれない。  だから、大塚氏のようにその種の「不純さ」を次々に発見して、「だから歪んでしまったのだ」と言挙げされても「そうだそうだ」と言う気にはなれない。そういう歪みは人間に付き物だ。どんな学問でも、学問的誠実さと人間的情熱が両輪だから「ロボットのようなニュートラルな人間」が民俗学をやればよかったという夢想は無効である。  若き柳田には、「どうしても(詩を)書かざるを得ないのならお書きなさい」とリルケのようにアドバイスした人はいなかったのかもしれないが、どうしても向かわざるを得ずしてのめり込んで行ったのだと思う。そしてそれは確かに彼の「自分は捨て子である」という意識と関係があったかもしれない。だが、それは決して不純なことではない。  例えば、「世間」というものにかくも縛られ、突出を恐れ、過度なまでに「同調」に気を配る習俗を私たちが世代を隔てて維持し続けているのはなぜか。その種の問いに対して柳田は「同じ仲間の者ならば何の造作も無く、親から子に孫に相続して行くもので、異種の外人なるが為に努力しても知り難い点が幾らでも残るのである。」と述べている。大塚氏はその「『心』の伝承」がなされる領域を柳田が「無意識」「遺伝」という概念で捉えようとしていたことを批判的に取り上げている。だが、それが氏の言うように「彼らの民俗学的思考を作り上げていく中で一つの凡庸さの証しとして『近代』の思考をかくも抱え込むのである。」というまとめに相当する事態なのかというとどうだろうか。(「彼ら」とは柳田とハーン)  「『心』の伝承」の機序という問題は私たちにとっても未解決の本質的な問いであり、今のところ手持ち概念による類比で語るしかない難問だからである。(但し大塚氏は柳田の「遺伝」概念は比喩ではないと主張している)    その問いに、例えば西欧においてもミシェル・フーコーやアルフレッド・シュッツといった傑出した才能も挑んできたと思う。歴史学のアナール派、マルクス主義(アンリ・ルフェーブル)や構造主義(レヴィ=ストロース)もそれぞれの側面からその解明に力を注いで来た。  そこではもちろんフロイトの術語が登場することもあるし、現象学の用語が出てくることもある。  柳田が「遺伝」を持ち出したとしても、誰もが負う「時代の刻印」というべきだろう。時代の下った私たちも同じ概念で思考したり表現したりすることはある。だからといって「進化論に汚染されている」とは言えないだろう。(キリスト教原理主義者は例外か)  大塚氏も察知しているように、精神的な孤児であることは近代の文学者の条件かもしれない。民俗学も文学の隣接領域であるのだから、孤児たちがそこに群がっても不思議ではない。だが「おばあちゃん子は三文安い」という諺のように民俗学を値踏みするよりも、孤児たちに導かれて私たちに見えていなかったものが見えてきた、そのことを大切に思うべきだろう。  甘えることのできる心地よい場を、孤児であればこそ捨てて見知らぬ海に船出して行けるのかもしれない。

作者: シードン

更新日:2009年1月6日 15時37分

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たいやカエたいや

 車にとってタイヤの性能の差は決定的だと思う。  ミニバンに乗っているが、最近タイヤを換えた。乗り心地は劇的に変わった。 ちょっと高い買い物だったが、満足だ。前々回も今回のタイヤの前のバージョンのタイヤを履いた時、違う車のように感じたのだが、今回はさらに滑らかで静かでしかも安定している印象だ。素晴らしい。残る問題は、雨でどの程度の性能か、それに、この乗り味がいつまで持つかということだ。まだ確かめていない。  値段は全て入れて一本当たり17000円だった。(4本で68000円) いつも世話になっている自動車修理屋にも問い合わせたが、これより随分高かったので、「安いところあるんで、それに近づかないなら今回は縁がなかったということで」と断った。一本当たりにして1000円以上の差があったのだ。大手の自動車用品店ではさらに高かったはずだ。  一番安い店かどうかはわからない。ネットでの通販を見ると最安値(送料込み)は一本当たり11000円くらい。ピッタリのサイズの値段がはっきり示されているケースは稀だし、取り付けやタイヤ廃棄まで含めての値段は素人には分かりにくい。「持ち込みタイヤを取り付けます」という工場もネット上では見つけられ、それによると「215/65/R15」のタイヤだと4本換えて12000円前後のようだ。だから、ネットで買って取り付けだけやってくれる工場に持ち込めば4本で56000円の計算だ。しかし普通はそこまでやる人はなかなかおるまい。  タイヤ最大手のB社の正規代理店や大手自動社用品店やガソリンスタンドでやってもらうケースが大半だろう。B社のライバルタイヤは代理店では高くて話しにならなかった。やはりネットより一本当たり5000円位高かった。ネット価格もT社の第四世代タイヤよりそれ位高いから2ランクくらい上のタイヤということになるが、私の場合は今回のT社タイヤの満足度が高いので、これより2ランク上を想像できない。雲の上の世界になってしまいそうだ(笑)。しかもネット上での消費者の満足度はT社のものの方が他界、いや高いので、おそらく同じレベルかそれ以下なのだと想像できる。  私が買ったのはT社のミニバン専用タイヤ(07年1月発売。同じシリーズの第4世代)である。  買ったのはネットで探したT社の代理店だ。幸い比較的近くにあった。そこに電話して在庫と値段を確認した上で行って取り付けてもらった。  最初の話しに戻るが、タイヤの性能は車にとって決定的なはずなのだが、自動車メーカーの思惑が絡んでか、あるいはタイヤの種類があまりに多いせいか、性能の差を第三者がきちんと実験・計測してそのデータを提供するということはなされていない。残念なことだ。性能ではなく、宣伝力や販売力だけで市場の動向が左右されているとすればお寒い話しだ。    私の買ったタイヤも実際履いて走ってみるまでどの程度満足できるか、期待はあったが、実際のところは全く不明であった。幸い「当たり」でよかったが、高い買い物だけにもっと頼りがいのある情報が欲しい。 宣伝が主旨ではないので、今まで名指しはしなかったが、ここで取り上げたのは「Toyo TRANPATH MP4」「Bridgestone REGNO GRV」である。

作者: シードン

更新日:2008年12月30日 5時59分

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いいニュース悪いニュース

 さきほど読んだ「毎日jp」では対照的なニュースを報じていた。 ノーベル物理学賞を受けることになった益川敏英・京都産業大教授がスウェーデンのストックホルム大学で、授賞式前の恒例の行事である記念講演を行ったが、その講演の冒頭で益川氏は「私は英語は話せません」と英語で断り、聴衆を和ませた後、日本語で講演を行った。英語の字幕付きである。「学校の宿題をほとんどしなかった」など少年時代を紹介して笑いを誘い、受賞理由となった素粒子クォークの数の見直しが浮かんだ場所が自宅風呂場だったエピソードを紹介した、という。何とも微笑ましい、誇るべき日本人である。小学校入学前の第二次世界大戦での体験にも触れ、「悲惨で無謀ですべてを無に帰すものだ」と平和の大切さを訴えることも忘れなかった。  すべての日本人がこういう風であって欲しい。英語が多少話せたとしても、日本語で堂々と講演をする。それが当然なのだ。奴隷や太鼓持ちではないのだから。世界から認められ表彰されることになったのだから、母語で語る権利があるし、それが自然なのだ。しかもそれは彼の話しを一番聞きたいはずの人の願いの沿ったやり方でもある。実に人間的だ。  素敵なニュースだった。    それと同時に勘違いの卑屈な日本人も紹介されていた。  22日に公表された高校の新「学習指導要領案」である。「英語の授業は英語で行うことを基本とする」としたのだという。文法中心だった教育内容を見直し、英会話力などのアップを目指すのが狙いなのだとか。文部科学省は「まず教員が自ら積極的に用いる態度を見せるべきだ」と説明している、なのだと。  なんともまあ力んだ内容である。しかも愚かだ。日本を植民地のようにしたいのだ。卑屈な精神というべきだ。  何といったって日本語できちんと考えて語れるようにすることが大事だろう。英語に入れ込み過ぎるとその基本がボロボロ崩れていく。高校での英語会話重視は太鼓持ち根性を根付かせて、尻尾振って外人に「Give me 〜」と叫ぶ図が浮かんで来る。英語教育は日本語教育に従属したものであるべきだ。母語での思考や表現をまず鍛える。外語はその次という位置づけが基本である。「バイリンガル」に憧れるミーハーの発想をそのまま持ってきた愚策である。(「NOVA」の回し者だろうか…)「バイリンガルは不幸な歴史の証」という世界史の常識を「誤読」した「錯覚男」(こういうことを考えるのは「男」に決まっている! 笑)に高校生が振り回されるとなると日本の将来はますます暗い。高校生よ、おちょくられてるぞ、君たちは!  ダグラス・ラミス氏の「イデオロギーとしての英会話」(晶文社91刊 現在入手不可!)を思い出した。文部科学省の役人諸君! まずこれを読みたまえ。  なんとも非人間的で愚かな施策である。  ―ー念のため言っておきますが、私、男です。(笑)

作者: シードン

更新日:2008年12月23日 5時34分

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乱読

 こんな言い方は慎みに欠けるのだろうが、私は読書家である。私の買う本、借りる本の数は相当なものだ。最近はインターネットを通じて買うことも増えた。それは主に古本である。  よく聞かれる。「最近何が面白かったのか」と。しかし大概答えられない。自分でも理由がはっきりしないのだが、そう問われたときに浮かぶ本というものがないのである。  「今まで読んだ本の中で」と拡張し、しかもテーマが限定されれば、一つか二つは上げられるのかもしれない。でも「最近の本でどれが一番」と言われても「そういう関心では読んでないからな」と思ってしまう。新しい本を読むことは確かに多いが、必ずしも最新刊というわけではない。人に紹介するためではなく、あくまでも私の関心に沿った本である。「少数派にも〈やさしい〉」のがこの媒体の特徴だ。  つまり誰かが気に入った本が他人にもピッタリくる確率は極めて低いと思っているので、そのせいもあるかもしれない。 ブログに取り上げる本はわずかだが、紹介できるような「入れ込み」に誘われたのは読んだうちのごくわずか。しかも腹が立って「入れ込み」に至ったケースの方が多い。参考までに私の乱読ぶりを紹介しておいてもいいだろう。ここ何ヶ月かに読んだ本である。  ★ 印はよかった本。順番は手当たり次第。このブログで取り上げた本は原則としては除いてある。(一部紛れ込んでる! そのうち取り上げる本もあるかもしれない 笑) 「貧乏するにも程がある」(長山靖生 光文社新書08) 「日本人の〈わたし〉を求めて―—比較文化論のすすめ」(新形信和 新曜社07) 「そうかもしれない」(耕治人 晶文社07)★ 「漱石・子規 往復書簡集」(和田茂樹編 岩波文庫02) 「男女論」(山崎浩一 紀伊国屋書店93) 「境界の『言語』」(荒このみ・谷川道子編 新曜社00) 「きらい」(大田美和 河出書房新社91)★ 「日本人の脳に主語はいらない」(月本洋 講談社選書メチエ08) 「昔日」(ロバート・B・パーカー 加賀山卓朗訳 早川書房08) 「交流する身体」(西村ユミ NHKブックス07) 「不許可写真」(草森紳一 文春新書08) 「プレカリアート」(雨宮処凛 新書y07) 「漱石 母に愛されなかった子」(三浦雅士 岩波新書08) 「自由に生きるとはどういうことか―—戦後日本社会論」(橋本努 ちくま新書07) 「ハイスクール1968」(四方田犬彦 新潮文庫08) 「昼下がりの主役 エッセイ篇」(唐十郎 右文書院07) 「悩む力」(姜尚中 集英社新書08) 「空腹について」(雑賀恵子 青土社08) 「『捨て子』たちの民俗学 小泉八雲と柳田國男」(大塚英志 角川選書06)★ 「父親——100の生き方」(深谷昌志 中公新書08) 「昔話の旅 語りの旅」(野村純 アーツアンドクラフツ08) 「終末の予感 われわれの時代の診断書」(若田恭二 せりか書房97) 「ウェブは菩薩である」(深見嘉明 NTT出版08) 「貴人論 思想の現在あるいは源氏物語」(宮原浩二郎 新曜社92) 「〈少女〉像の誕生」(渡部周子 新泉社07) 「NAKATA 中田英寿イタリア戦記」(ステーファノ・ボルドリーニ 片野道郎訳 朝日文庫03) 「仕事と日本人」(武田晴人 ちくま新書08) 「都市と日本人——「カミサマ」を旅する」(上田篤 岩波新書03) 「海上の道」(柳田國男 岩波文庫78) 「性愛文学」(谷沢永一 KKロングセラーズ07) 「『わざ』から知る」(生田久美子 東京大学出版会87) 「細胞の意志 〈自発性の源〉を見つめる」(団まりな NHKブックス08) 「正義で地球は救えない」(池田清彦・養老孟司 新潮社08) 「現代小説のレッスン」(石川忠司 講談社現代新書05) 「おれちん 現代的唯我独尊のかたち」(小倉紀蔵 朝日新書06) 「土門拳 腕白小僧がいた」(土門拳 小学館文庫02)★ 「母は娘の人生を支配する」(斎藤環 NHKブックス08) 「ゲロゲロプースカ」(しりあがり寿 エンターブレイン07)…マンガ 「子どもと家庭」(D・W・ウィニコット 誠心書房84) 「やさしさの共和国 格差のない社会にむけて」(鎌田慧 花伝社06)★ 「ヒズミ」(古谷実 講談社)…マンガ  まだまだある気がする。もうコンテナにしまってしまったのもあるだろう。借りて来た本は覚えていないので書けない。これからは「写メ」するようにしよう(笑)。  自分で打っていて驚いた。今年と去年のが大多数だ。「新しもの好き」だ。やっぱり!(笑) そして、予想通り(!?笑)古典は読んでない。  寂しいことに今年出版のでいいのはない。——いや、(上には入れてないが)あった。4月にこのブログ(『新しい社会』の敵)で紹介した「不安な経済/漂流する個人」(リチャード・セネット 森田典正訳 大月書店 08)だ。それに「臨床瑣談」(中井久夫 みすず書房 08)もだ。セネットのは職人的価値についての論考が魅力だった。中井氏の本はいつも心を澄ませてくれる。心から尊敬させてくる人物はそういるものではない。本の魅力というより人間の魅力だと思う。彼の本はどれもこれも素晴らしい。  だが、一番よかったのは十数年も前の本だ。そしてこの本の存在を教えてくれたのも本(見田宗介氏「社会学入門」岩波新書)である。古本をネットで入手。読めてよかった。    かえりみれば君は確かにわが裡の歌の火種をかきたてる風  二つめの角あたりに君がいて迷路描けるわが青春図                       (大田美和「きらい」より)

作者: シードン

更新日:2008年12月23日 5時31分

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隠れた欲望

 当たり前のことだからその通りルール化できる、と考えるのは自由だが、世の中が今までどう動いて来て、今まさにどう動いているのかを無視して、つまりは私たちのカラダの向きやそこにかかっている加速度を考慮せず、アタマの中の操作だけで現実が動かせると妄想するとすれば、それはちょっと病的かもしれない。    国レベル、自治体レベルでの「携帯電話の学校内持ち込み禁止令」を歓迎している人は、日本でかつて一世を風靡した「学校的価値観」が没落してきたのはなぜだったか、少し考えてみた方がいい。 学校が「学習第一主義」に徹するなら禁止した方がよさそうなものは枚挙にいとまがない。茶髪、バイト、iPod、化粧品、「埴輪」スタイル、マンガ、ポケモンカード、ゲームボーイ、麻雀、トランプ、酒瓶のフタ、メンコ、ビー玉、お金、ブランドものの財布、キャッシュカード、男女交際……言うまでもないが、常に学校はこれら子どもたちを誘惑するものと戦ってきた(と思う)。そして大体の場合、苦戦して来た。ねじ伏せることができたケースは稀で、誘惑が嵐のように子どもたちの心を通り過ぎた後に、台風一過のごとき一瞬の平穏を得ただけだった。そしてそのときにはもう次の嵐が近づいていた。現に今も多くの学校ではこれらを禁じているはずだ。例えば「勉強に関係ないものを持って来てはいけません」というような「校則」(あるいは「心得」)によって。  ところが相変わらず今も「好ましからざる」嵐のような流行に学校は悩まされている。  日本は新しい商品の流通に寛容な社会である。「新らしもの好き」——欠点に聞こえようが、多くの欠点がウラを返せば長所でもあるのと同様、日本の長所でもある。この長所がどれだけ日本を救って来たか、考えてみる価値はある。    そう。いまさら携帯電話に限って学校的価値観への援護射撃を行うポーズをとるのには何か魂胆があると思った方がいい。  まずはそれが「カッコよく」見えるからだ。安易に子どもに妥協しない強い大人……そう、「妥協を許さない強い信念」への誘惑は繰り返し私たちを捉えてきた。しかし(!)……である。  そんな風に「カッコよく」ぶち上げるお方は、後で背筋の寒くなるような現実を引き寄せて来はしなかったか。  現実を冷静に見れば、「学習第一主義」を実現するために学校がしなければならないことは膨大である。まずは子どもたちを来させなくてはならない。来た子どもたちを並ばせなくてはならない。座らせなくてはならない。座らせたとして無闇に立ち歩くことを禁じなくてはならない。そして余計なおしゃべりをやめさせなくてはならない。さらには先生の話しを聞かせなくてはならない。ノートの取り方を教え、取らせなければならない。必要なときには意見や感想を発表させなくてならない。家ではやってない掃除をさせなければならない。ゴミ捨てのルールを教えてそれを守らせなくてはならない……その合間に服装や持ち物や言葉遣いやちょっとした整理の仕方や部屋の出入りに際してのエチケットなど「学校的価値観」(それはかつての日本では「常識」とされてきたマナーにほぼ等しい)を理解させ同調させ(もしくは強制し)「規範」として内面化させるように繰り返し働きかけなければならない。そしてそれらとは矛盾することだと思われるのだが、子どもたちとある程度良好な関係を保って、彼らの心を開かせなくてはならない……  学校は常にこれらを実現すべく戦ってきたと思う。むろん優秀な成果が残せたとは見なしにくい場合も多かっただろうが、アメリカなどと比べても日本の教師は優秀な部類だろうと思う。  家庭で「手伝い」ひとつさせるのも大変である。わが家ではそのために怒鳴り合いになったことが何度かある。(実はつかみ合いにも……笑)  日本は伝統的に子どもに甘い。時代の変化が激しくならないうちはそのマイナス面は目立たなかった。ところが時代が激変するようになってからは、みんな子どもたちに苛つくようになっているのだ。  子どもたちは「飼いならす」べき存在ではない。子どもは家畜とは違う。忘れてはならないのは子どもは未来を生きる存在だということだ。縄と鞭で昔流を叩き込めば済むわけではない。彼らは常に未来を先取りしていかなければならない。先取の気風は新しい時代を切り開くために必要な素養でもある。でも大人は彼らの欠けている面(つまりは自分たちと違う面)ばかりが気になってしまう。そして自分たちより優れた面は過小評価しがちである。    「携帯電話禁止」と声高に叫び出したのも、だれかの「もっと携帯電話を!」という声に対抗しようとしたからではない。唐突な言上げは、存在を誇示したい目立ちたがりの思いつきで、それは常日頃子どもたちに苛立たされている私たちにピタッと貼り付いた。だからといってだれもが賛成というわけではない。冷ややかな視線を送っている私のような人間もいる。「あんた、アタマ、大丈夫?」と。自分で気づかない(言い出しっぺはもしかすると計算づく?)別の願望に動かされているだけじゃないの、と。  かつてI都知事やK首相が人気を博したのはそういう手法だったのではないか? 繰り返し同じ穴にハマりたがっている私たち。むしろそういう私たちの性向を分析してみた方がいい。E.H.フロムが「自由からの逃走」と抽出してみせた性向と似てはいないだろうか。  一気に苛立ちを解消するファシズム(熱狂)を待ちわびる性向である。

作者: シードン

更新日:2008年12月20日 0時38分

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漏れ切れライン

 刑務所を見学した際、高い塀の上に細い電線のようなものが張り巡られているのに気づいた。聞いてみると、その線には確かに電気が通っているのだが、映画のように脱走犯を感電させるような高電圧の電流が流れているわけではなく(そんなことをしたら電気のムダだし危険すぎる 笑)、ごく微弱な電流を流していて、しかも細く弱い線なのでちょっと触れると切れてしまうのだそうだ。そしてその切れた箇所がどこかを監視室で瞬時に把握できるようになっている。つまり塀を乗り越えることを防ぐというより、乗り越えたヤツを素早く捕まえるためのモニターになっている。 それで思い出したのだが、我が家のインターネットのラインのことだ。これも頼りなくて、電話(IP電話)も共用しているのだが、線をちょっと動かすとつながらなくなる。  PCシステム、特に「ネットワーク」というのは実は基盤が脆弱で、会社の膨大なPCがぶら下がっているネットワークにしたところで、ラインが切れてしまえばたちまち「スタンドアローン」に成り下がってしまう。  電子機器は多かれ少なかれそうなのだが、PCは特に電流の変化には弱い。雷は要注意だ。わが家のLSI内蔵の機器は、近所で雷が鳴っただけで壊れた。修理に来た業者が言うには「雷が鳴ったら、すぐにコンセントを抜いてください。直接落ちなくとも壊れます」と言い残して行った。……なるほどソイツは気がつかなかった。  そういう現代の電子機器依存環境につけ込むテロを考えることもできる。  電子機器の作動を妨害する手段はアメリカでも以前から研究されていたようで、一説によると「対イラク戦争」ではその手の爆弾(電磁波爆弾)が使用されたのだという。私が冗談のつもりで「電子爆弾」と呼んできたものが現実的だというのはチョット驚いた。  しかし、考えてみれば、ネット社会を懲らしめるにはこの種の攻撃は実に効果的だ。「電磁波爆弾」のようなハイテクでなくとも、ライン一本で痺れてしまうケースはザラにある。  先日は神奈川県で授業料徴収システムの維持管理を請け負っているIBMの契約社員が持ち出したデータが「ファイル交換ソフト」(を利用したウィルス?)を通じて漏れてしまったという事故があった。これなどラインの本来ないところにラインが引かれために生じた事故だが、切れても繋がっても「事故」になるのだから、厄介である。  このケースでは、自治体や国が一私企業に重要な情報を管理させるやり方自体が疑問だ。被害者の立場から言えば「神奈川県には情報を委ねたが、IBMに渡した覚えはない。背信行為だ」と訴えることも可能だ。神奈川県はもっぱらIBMに責任をなすりつけてかわそうとしているように見えるが、そもそもIBM依存のやり方を選択したのは誰なのか。「住基ネット反対」が公約だった知事のやることとは思えない。分裂している。    イントラネットは企業のみならず自治体や学校でも当たり前になってきているようだが、個人情報の保護の点から言って疑問がある。漏洩の危険性は飛躍的に高まるからだ。今回の事故でも、銀行口座番号や授業料の納入状況が漏れたとすれば、ことは重大である。  ましてや学生の成績や出席状況が漏れたら委託業者のせいにして済むだろうか。知事が謝罪したとしても納得いくまい。私だったら、学業成績や重要な個人情報をイントラネット・システムに流すこと自体に不承知だ。本人の請求に基づく書類(「調査書」など)以外学校から出すな、と言いたい。    かつては自分のテストの成績などがPCデータにされていると想像するだけで不愉快に感じたものだ。今はもう随分馴らされたせいか、プライバシーに関わる情報でも「デジタル化」自体は仕方ないという気分になってきた。(それさえまだ許さんという人もいるだろうが……)  2006年11月大阪高等裁判所で「住基ネットは個人情報保護対策に欠陥があり、拒否する人への運用はプライバシー権を著しく侵害し憲法13条に違反する」といういたって健全な発想の判決が下った際の裁判長だった竹中省吾判事が12月に自殺をしたという事件があった。巨大システム導入の背後には巨大な権益が蠢いているようで不気味だ。  身の丈を超えたシステムに依存しないやり方が、「エコ」だしこれからの時代に合っていると思う。  会社でPCシステムの責任者を務めている友人の名台詞を思い出した  「アナログデータは劣化はしても完全にはなくならないが、デジタルデータというのは一瞬でゼロになる危険性があるから怖い。いくら用心しても完璧ということはない。」    そうなのだ。テロ(電磁波爆弾など)に強いのは「アナログ」の方だ。第一「アナログ」の方が暖かい。(大事なことだ!) ラインにかけがえのない情報を流すのは塀の電線に大電流を流すのと同じようにムダで危険なことだ。切れたり余計な繋がり方をしたりするのがラインの宿命だからだ。しかも元締めのサーバーの記憶自体ゼロになるかもしれない……(オー、こわッ!)  巨大システム(ラスタファリアンに倣って「シッステム」と呼ぶ)は私たちをそれに隷属させる。私たちは「シッステム」の維持のために余計な神経を擦り減らし夜も寝られなくなる……(笑)。  私たちの自立を脅かし私たちを奴隷化する「シッステム」には「NON」と言いたい。

作者: シードン

更新日:2008年12月15日 13時9分

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不意打ち

 2004年10月26日付け朝日新聞/朝刊  この日付の新聞を探す必要があって、その記事のついでに他のページを繰っていると、ペラペラの紙片が凄い厚みで迫って来た。  まず1面は23日に起きた新潟中越地震の続報である。トップ見出しは「続く避難『疲労死』4人」。その左にはスペースこそ小さいが同じく最上段から「イラク派遣延長63%反対」と世論調査の結果がある。 一枚めくって社説は「政治資金—ざる法の穴が埋まらぬ」と「東京映画祭—変化の芽を生かしたい」——さらにめくっていくと6面には「ジャポニスム フランス再燃」。「それって『ゼン』だね」と飾り気のないスタイルの褒め言葉として使われているとか。この「ゼン」はもちろん「禅」(禅宗)である。  「声」ページの「私の視点」には山田悟氏(ALS患者)の「介護保険—家族愛が生きる制度改革を」という投稿がある。傾聴に値する正論だ。  ホーキング博士(イギリスの理論物理学者)と同じ「筋萎縮性側索硬化症」にかかって7年目になる患者の意見である。  「介護を必要とする弱い立場の人たちが『商品』になっている現実がある。…今こそ置き去りにしてきた人間にとっての本質的な問いに向き合うときではないか。」(山田)  その左は「新潟中越地震 識者に聞く」で、三つの側面からそれぞれの専門家が語っている。  次のページは連載特集「核を追う」の「アメリカ編」。  核テロの脅威に備えて国を挙げて「自衛」に走る姿が、9・11後際立ってきたことを紹介している。  さらにめくると今度は「グローバリズムの進行の中でいかに文化の多様性を守っていくべきか」という視点でのシンポジウム(国連開発計画・朝日新聞社共催)の紹介記事である。  その数ページ先は「文化欄」。梅原猛の論「なぜ、縄文文化か」と「心の叫びに従って書く」という衛慧(ウェイ・ホェイ:中国の新世代女性作家)のインタビュー記事が並んでいる。  梅原氏は、アイヌの風習を手がかりに「縄文の土偶は…死んだ妊婦の像」という氏の着想を紹介し、「縄文時代の世界観は、人間と動物は本来おなじものであり、すべての生き物の霊はこの世とあの世の間で循環を続けるという思想であった」と述べている。そして「このような共存の思想こそ二十一世紀以後の人類が帰るべき思想である」と結んでいる。  宮沢賢治の世界や中沢新一の論考と連なるものがある。「ヒューマニズム(人間中心主義)」の隘路から抜ける消えかかった獣道を指し示された気がした。  「たこがどんなに高くあがっても糸は地上の一点にあるように、世界中で本が読まれるようになっても、上海に根ざしている作家であり続けます」という衛慧氏のことばと梅原氏の論はその軽重の幅はあるものの、共振していると思った。  少し先には「痴呆を生きる」と題した「国際アルツハイマー病協会国際会議」(京都・10.15〜17)の話題を伝えるページがあり、地域の取り組みの紹介とともに、予防法、そして河合隼雄氏(文化庁長官:当時)の基調講演の紹介が掲載されている。  「人は皆違う」と書き出された河合氏の講演は、「みんな一緒」を押し付けない配慮、「老人の知恵」の尊重、そしてここでもアイヌの人々の考え方が紹介されていた。老人の意味不明な言葉を「神用語」と尊び、「うちのおじいちゃんは、神に近づいてきた」と考える、というのだ。  そして「この人はどんな物語を生きようとしているのか」と問うて、物語を基礎にしたケアの必要性を促している。彼の持論だが、他の記事との意図せぬ呼応が光っている。  もう少し先の「生活」欄では「保育園」が取り上げられ、小泉首相の「待機児童ゼロ作戦」最終年度の現状を追っている。規模を拡大したところでは「過密」が生まれ、民営化が進んだところでは保育士が定着せず……それぞれの悩みが紹介された中で、民営化後も信頼される園を目指すには経験ある保育士が継続して勤めてくれることが大事だと将来像を示している。  民営化の進行によって保育士は労働条件が一層厳しくなっていると聞く。朝早くから夜遅くまで(「シフト」はあるものの)働く厳しさを愚痴られたこともある。高校では保育士への志望者が減ってきているとも聞く。  安心して働くことができる専門性をもった職業として育てていく必要があるはずだが、「子守り」の域を出ない認識が特に行政レベル、経営レベルでは残っているように思う。「安く使い捨てる」発想では困る。保育士が「ワーキングプア」の別名になる事態は誰も望んでいない。高齢化のますます進行する中では「子育て」の外部化はどうしても避けて通れない。保育園が安心でき信頼できる場にならないと、預けて働く方も「人間らしい働き方」にはならない。  単に枠を広げればいいという発想ではダメで、情熱ある優秀な人材が意欲をもって一生働ける職場にしていく工夫が必要なのだ。  そして最後に社会面では、新潟中越地震の続報。病院の一階フロアにギッシリと横になる入院患者の写真の上に「大揺れ 眠れぬ夜」という大見出し。山古志村の被害を伝える「家、雪でつぶれる」という悲鳴の見出しにも胸がつぶれる。    地震のために載せられなかった記事が玉突きで移動し、この日の紙面は計算外の充実ぶりになったのだろう。  だが、忘れていた新聞の醍醐味を味わって、また新聞を取りたくなった。

作者: シードン

更新日:2008年12月14日 8時1分

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羊たちの九条

 加藤周一氏が亡くなった。  直接教えを乞うたわけでも、私淑していたわけでもないのだが、氏を思うと出来の悪い生徒であったかのように何やら恥ずかしさが浮かんで来てしまう。  氏が「日本文学史序説」を書いていた頃、「朝日ジャーナル」(59〜92年)をまだ惰性で読んでいた。その週刊誌の中程に加藤氏の連載はあって、いつもそこは飛ばして一度も読まなかった。  当時私にとって加藤周一は「羊の歌」(岩波新書)の著者であり、それ以上ではなかった。その「羊の歌」も拾い読みした程度でうっちゃってあった。 加藤周一氏の訃報に接してネット上のニュースサイトを見て思った。  幅広い活動をした氏をどういう「肩書き」で呼ぶか、どの角度から特徴を捉えるかのバラエティの中に日本の現実が浮かんでいる、と。あるサイトは「反戦平和活動家」として紹介していた。(中央日報) 中日新聞では「護憲派文化人らによる『九条の会』を結成した」という記述が冒頭近くにあった。一方、逆の側では、もっぱら学者肌の氏だけを紹介し「九条の会」や思想的側面は黙殺されていた。(読売新聞)  加藤氏はきっと「戦後を代表する知識人」(共同通信)や「国際的な知識人」(毎日jp)と言われるより、「反戦活動家」という呼び方にニヤッとしたと思う。  「夕陽妄語」の熱い歯切れよさに触れると、活動家としての風格も十分だった。「YouTube」にアップされている講演を見ても、堂々と理路整然と、発音も明瞭、頭もスッキリの熱い男として語っている。  私が彼の著作を初めてきちんと読んだのは木下順二や丸山真男との共著「日本文化のかくれた形」(84 岩波書店)だったと思う。ここから「雑種文化」(56)に遡って行った。    その博学と緻密な思考は、「出たとこ勝負」のオッチョコチョイには呆然と見上げるしかない圧倒的な存在感だった。私の机の上や枕許の雑然とした風景がまるでゴミ溜めなら、加藤氏はちょうど富士山のように見上げる美しい山であった。  読みかじった氏の業績の欠片を、ちょっと紹介したりして無闇に感心されて照れくさい思いをしたこともある。それは「引用」に過ぎないというのに、まるで自分のことのように話したりしてしまった気がする。    これもそれだったかもしれない。加藤氏は「日本文学史序説」で次のように、ファシズム時代の軍部の体質を喝破していた。  ……その国家の指導者が彼らの決定について責任をとらぬという、単に個人の道義的な傾向ではなくて、体制そのものに内在する仕組がある。…東京裁判の被告の態度の特徴は、「既成事実への屈服」と「権限への逃避」の二点に要約されるという(「軍国支配者の精神形態」)。前者は、「みんなが望んだから私も」主義である。みんなが望んだことは、「成りゆき」であり、事の「勢い」であり、「作りだされてしまったこと。いな、さらにはっきりいえばどこからか起って来たもの」(同上)である。東京裁判の被告の言い分によれば、日本軍国主義の指導者たちは、誰一人として太平洋戦争を望んでいなかったにも拘わらず、太平洋戦争を始めたということになる。特徴の後者は、指導者のなかの誰にも、特定の決定について、権限がなかったという主張である。…要するに集団の行動の基準は、成員個人の意識的な決断ではなく、同質的な集団全体がおのずから特定方面へ向かう「勢い」であり、したがってその責任は、いかなる個人にも属せず、集団全体に分散される。  集団が勢いついて行く時の様子は日本では今でもまさにこの通りだ。誰も望まないのに進行し、そのために問題が生じても、推進(していたように見える)者の誰もきちんと責任を取らない。そういう例は今も枚挙に暇ない。それはまるで「風の谷のナウシカ」のオームの行進のようだ。  加藤氏が現在の日本について抱いていた危機感もまさにここにあったと言えよう。「九条の会」は次のように呼びかけていた。   二〇世紀の教訓をふまえ、二一世紀の進路が問われているいま、あらためて憲法九条を外交の基本にすえることの大切さがはっきりしてきています。相手国が歓迎しない自衛隊の派兵を「国際貢献」などと言うのは、思い上がりでしかありません。  憲法九条に基づき、アジアをはじめとする諸国民との友好と協力関係を発展させ、アメリカとの軍事同盟だけを優先する外交を転換し、世界の歴史の流れに、自主性を発揮して現実的にかかわっていくことが求められています。憲法九条をもつこの国だからこそ、相手国の立場を尊重した、平和的外交と、経済、文化、科学技術などの面からの協力ができるのです。…そのためには、この国の主権者である国民一人ひとりが、九条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していくことが必要です。それは、国の未来の在り方に対する、主権者の責任です。…(2004.6「九条の会」アピールより)  ここには加藤氏に大きな影響を与えた丸山正男氏の持論も響いている。  丸山真男氏は「九条の改正」に強く反対して、アメリカ憲法では「一切の市民の平等、人種・体色による差別の禁止」を宣言しているにもかかわらず、現実には依然として人種差別が横行していることを指摘していた。そして、だったらその現実に合わせて「人種不平等」を公認するよう憲法を改正すべきなのか、と。  「九条を守れ」は加藤周一の遺言である。 ※次の論文を参照した。 「丸山眞男の「古層論」と加藤周一の「土着世界観」」(田口富久治)  http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/taguchikosou.htm 「丸山真男さんが語り継ぐこと」(松本 昌次) 「9条連」HP http://www.9joren.net/

作者: シードン

更新日:2008年12月13日 9時17分

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生への復讐

 映画「復讐するは我にあり」(今村昌平:監督、緒方拳:主演 松竹79)について  ずっと気になっていたのに観るチャンスがなかった。緒方拳が亡くなって、その追悼ということで、倉庫に眠っていたDVDが近くのレンタル店にも並んだので、漸く観ることができた。  気になっていたというのは、古くからの友人が「この映画が一番」と言っていたからである。私の尊敬するその人は、ずっと仕事をしていたのだが、早々に退職して、以来、仏教文化の勉強や仏像を観る旅にエネルギーを投じている。 その人と共に来年で30年になろうという勉強会が始まった。言い出しっぺの彼女は最初こそ参加したのだが、間もなく出なくなってしまった。無理して他人に合わせたりはしない。素敵な意味でマイペースな人なので、仕方ないことだった。私たちの方が若かったし、興味はバタ臭い、新しい学問の方面に偏っていたから、東洋や宗教に興味がある人からすれば軽薄で危なっかしくて付き合っていられなかったのであろう。しかしそんなことはひと言も言わず、「私は勉強が苦手だから」と笑っていた。いつまでも艶やかな肌の美人だった。    だからいつか必ず観なくてはならないと思っていた。やっと約束を果たした気分である。宿題が出来てホッとした。  「愛する者よ、自ら復讐するな、ただ神の怒りに任せまつれ。録(しる)して『主言い給う。復讐するは我にあり、我これを報いん』」(新約聖書)――最後の散骨の場面で投げた骨が空に張り付いてしまうのはその謂いであろうか。神が主人公・榎田巌(えのきだ・いわお)の罪を許していない証左なのだろうか。  主人公は父(三国連太郎)と嫁(倍賞美津子)も併せて三人と言うべきかもしれない。  二人の巌との確執が深いところから描かれていた。  キリスト教徒である父の日本軍への屈服が巌(いわお)の犯罪の伏線として描かれていた。存在の根っこのところで不信を抱かされてしまった人間は不幸である。何をよすがに生きていけばいいか分からなくなる。巌は詐欺を重ねて服役し、出所後今度は殺人を何件も犯すことになる。  彼がだましたり殺したりしたのは、いずれも彼が恨みを抱いた相手ではない。むしろ彼を信頼した人間である。金のためということもあろうが、何かをあざ笑うかのようだ。信頼や愛着を逆手にとって冷酷に油断につけ込んで行く。貶めたい相手は父親だろうか。いや彼がとことん貶めたかったのは「神」かもしれない。  ウラを見ることしか出来なくなったのだ。看板や虚飾の陰にあるものを。彼が人々から尊敬される大学教授や弁護士になりすますのには理由がある。強いものに跪かざるをえない人間の弱い性を見下したかったのだ。彼は強いものに憧れながら強い者を憎んでいた。    唯一彼の感情で理解できるのは女への執着であろう。次々と女をモノにしていくワザは大したものだ。それは体面を気にしないウラしか見ない、つまりは彼が人間的欲望に忠実な動物だからであろう。  考えるとはふつう言語的なレベルでのことを指すのだが、必ずそうだとは限らない。時には言語以外の論理が顔を出すことがある。今村昌平は根っからの映画人である。  彼がこの映画でやって見せたのは「言語的論理」とは別次元の「映画的接続」であろう。  視線の描写が秀逸である。  話題になった、義父(三国連太郎)との入浴シーンで嫁・加津子(倍賞美津子)の視線はよかった。二人の視線はほとんど交錯しない。見つめ合ったのは、「替わろう」と背中を流してもらっていた義父が振り返った一瞬だけである。あとは加津子の視線が実に雄弁に語っていた。義父への思いをである。それに比べると三国連太郎の視線は控えめで躊躇そのものであった。  浅野ハル(小川真由美)が榎田に心惹かれて行き、迫って来るパトロンの出池(北村和夫)を拒もうともがいている時、台所に隠れていた榎田が流しに向かってしゃがみ、その時見えた包丁の刃を睨みつけた時の視線も見事だった。  そして忘れられないのは、浅野ハルを絞め殺す直前、榎田が飲ませたビールを飲み下すハルの喉の動きであった。榎田がコップをウンと傾けて飲ませるのでハルの口からビールは溢れて流れてくる、その下でやわらかい蠢きを見せる喉が榎田を誘ったのだ。榎田には「殺して」とささやいているかのように見えたのだろう。その時の榎田の視線の描写も完璧だった。  映画的接続を考える時、視線は譲れない。日本語で言えば助詞・助動詞にあたる。これがなければ脈絡がつかめない。その絵になった視線を観る客の視線を意識した映像作りだ。観ることの名人だけがその映像を極められるはずだから今村はその名人に違いない。名人肌にとことん絞られる役者たちも大変だ。何度やり直しを命じられたことだろう。  どんなに醜くともそれが人間の情念を正確に描いていれば美しいに違いない。目を背けたくなるとしても限りなく美しい。    エンディング近く、警察に連行される榎田に向かって「親の仇だ」とモノを投げつける青年が群衆にいた。その言葉は榎田の鋭い視線と交わっていない。存在の重さからかけ離れた上ずりだった。恨みつらみの薄っぺらさを感じさせた。榎田巌の方がはるかに深いところを這うように太い線をたどって生きて来た。彼を裁けるのは神をおいてはあるまい。神をもたじろがせる生への復讐劇が彼によって演じられたのだから。

作者: シードン

更新日:2008年12月15日 13時49分

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ひと夜の共和国

コンサート会場に同席することになった人たちは連帯感で結ばれている。 ずっとむかしそれを正面切って掲げた企画があった。 「中津川フォークジャンボリー」―ーあの時は列車が満員で貨物車に乗せられた。郵便車だった。家畜車ではシャレにならないからまあよかったが、そこにスシ詰め状態だった。アウシュビッツを思わせた(笑えない)。「違法行為」なので今ならそんな粋な計らいはできなかろう。「法令遵守(コンプライアンス)」というのは寂しい主義だ。人間の世界をやせ細らせる。――まあ当時はのどかなもので、1970年。ボンボンマークのメダルを入り口でもらって「これが共和国の住民の証明書」みたいなことを言われて、池もある原っぱに作られたいくつかのステージに向かって座ったり寝そべったりと思い思いの格好で一泊二日を過ごした。   遠藤賢司や加川良には声援を送っても、吉田拓郎には「帰れ!帰れ!」のシュプレッヒコールを浴びせた。時代は既に「拓郎ブーム」だったのだが、私たちはそれを認めたくなかったのだ。私たちがフォークソングに求めたものは岡林信康や五つの赤い風船に代表される「プロテスト」だったから。恋の歌を響かせる拓郎は「腑抜け」に見えたのだ。自分自身のことはさておいてだったのだが。 はてさて早速脱線してしまった。本題に戻るとしよう。 ここに集う仲間たちよ! 今日は盛り上がろうぜっ! クラシックの会場じゃアーティストもこんなことは言わないが、皆の気持ちはジュディマリのコンサートと同じはずだ。ただちょっと気取ってる分、信用しにくいところがあるけれど。…ずっと咳してるヤツがいる。風邪引いたらチケット誰かに譲れよな。(これ、分別!…「ブンベツ」ではなく「フンベツ」!) 行儀のなってないことにペットボトルを転がすヤツがいたりする。派手な音が遠慮なく響く。もちろんワザとじゃないのだろうが、気をつけろよな。(これは「ブンベツ」も関係するよな 笑) 携帯ピーピー鳴らしたらキース・ジャレットじゃなくても怒るぜ。(彼は切れて、コンサートを打ち切った) 観客の集中力が大事なのは、芝居の場合も同じだ。始まるときに十分集中しているのが望ましい。固定客の多い中小劇団にそれを感じることが多い。例えば「キャラメルボックス」とか「阿佐ヶ谷スパイダース」とかである。始まる直前の期待感、緊張感が凄いのだ。すっと舞台に集中していく。吸い込まれる感じだ。まだ始まってないのに、だ。大劇団の観客とはそこが違うのだ。大劇団の場合(といっても実際の「大きさ」は知らないので、そうではなく「メジャーの風格の劇団」といった程度の意味だ)は、客層も様々なので始まるまでは散漫な場合が多い。そこで客を一気に引きつける仕掛けを最初にもってくる手法がよく使われるのだろう。 小さめの劇団の固定ファンの醸し出すピッと一瞬で張りつめる雰囲気はなかなか心地よくて、たとい自分は初めてでも「この劇団は凄いんだ」と予感させてくれるし期待も膨らむというものだ。これ教育効果。いい舞台は作っておくものだ。 さてなかなか本題にたどり着かないが、コンサートで同じ会場に居合わせた者同士が、最も連帯を感じるのは何と言っても最後のアンコールを求める拍手のところである。スタンディング・オベーションも日本ではあまり流行らないが、それでも以前に比べれば増えてきた。 いつかのキース・ジャレットのように5回も6回もということは稀(というか「ナイ!」)だが、 一回や二回のアンコールは珍しくない。 今日も結局アンコールに二回応えた。 今晩行ったのは「ゲヴァントハウス弦楽四重奏団」。 何といっても、会場がよくて(紀尾井ホール)、演奏者が良ければ、まず外れようがない。 いいコンサートだった。 ベートーヴェンを三曲やったのだが、最後の「ラズモフスキー第1番」は凄かった。懐かしい響きの第1楽章、うねるような繰り返しの第2楽章、悲しいまでに美しい第3楽章、軽快に走り急速に閉じる第4楽章と一気に引っ張って行ってくれた。特に第一バイオリンのフランク=ミヒャエル・エルベンとチェロのユルンヤーコブ・ティムの弦の響きはツヤがあって感情豊かで素晴らしかった。 紀尾井ホールは、立地といい、雰囲気といい、音の響き(ややデッドな感じだが)といい、座席の落ち着き具合といい、日本で最高ランクのコンサート会場であろう。 ただ奏者の椅子だろうか、時折キイキイ鳴いていたのは気になった。激しく動き過ぎるからかもしれないが、あの音はいただけなかった。 そして最後の拍手だが、いい演奏の後はやはり自然に盛り上がる。共同体の成立である。思わず手を取り合って喜びを分ち合いたくなる。誰もそうしないのが不思議な感じさえする。(笑) ところが問題は残る。今回のコンサート、チケットが安売りされていたから取ったのだが、空席が目立った。しかも客層が高齢だ。これではクラシックでの営業の未来は暗い。この年齢層の将来、それほど長くは望めまい。彼らが来なくなったら、誰がこのホールを支えるのか。母体の新日鉄ともども(?)不安である。 拍手の共和国でも高齢化が深刻だ。それでもこの共和国に幸あれと祈りたい。心と体をマッサージしてくれる元気の素だから。

作者: シードン

更新日:2008年12月13日 9時27分

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アジアの純真

北京 ベルリン ダブリン リベリア 束になって 輪になって イラン アフガン 聴かせて バラライカ 井上陽水(天才詩人!)作詞のこの歌は「Puffy」の歌の中でも最高の出来だろう。奥田民生(彼の曲は事件以前から好みとはいえなかったが…)の曲もこれはよかった。 「puffy」の大貫亜美さんは向こうは覚えてないだろうが、彼女が若い頃(今でも若いか… 笑) まだデビュー前、ちょっとした縁があった人なので、最初から彼女たちの歌には親しみを感じていた。 ……と、こんなことを書き出したのも、今日このブログが累計で「1万アクセス」を達成したからだ。 月に「1万」というブログサイトだって珍しくないのだから、そのこと自体大したことではない。だが、個人的にはちょっとした感慨はあるので、せっかくだから今日考えたいくつかのことをメモしておこうと思ったのだ。 長らく新聞をとっていないので、時々職場に誰かが持って来て置いてあるのを眺めていると、不思議な感覚になる。今日がまさにそうだった。「私たちの世界観は新聞によって作られているのではないか」――いや、これは正確な表現ではない。「世界は新聞の紙面に似た形で構造化されている」――この方がまだいい。 私たちの現実感覚、世界観というヤツはもちろん原理的にはフレキシブルなもののはずだ。だが、現実にはさまざまな枠がはめられ、刻印(スティグマも含めて)が刻まれているので、全くの自由というわけにはいかない。朝な夕な新聞とにらめっこしている人の頭はどうしても新聞臭くなってくる。一番新聞をよく読むのはたぶん新聞編集に携わっている人々だろう。彼らが私たちの頭の整理棚の少なくとも一部をレイアウトしてきたと言える。 ところがそれは少し前までの話しで、今や新聞は死にかけている。(私はせっかちなせいか、かすかな「傾き」が感じられるともう殺しにかかる 笑) 「新聞化」した「現実」は過去のものとなりつつある。それがいつごろからはっきりし出しかというと、「アジアの純真」の頃だったのだと思う。1996年春。 私がコンピュータを初めて買ったのが、1988年だろうか。それから数年後。 この歌は世界との接続の仕方が変わったことを宣言していたように思える。新聞的な世界感(!)からパソコン通信(〜インターネット)的な世界観。「windows95」の(私のキライなMSの… 笑)世界だ。私にとってはpowerbook(mac)との付き合いが始まったときだ。 そしてさらに話しは飛ぶが、ドーキンスの「利己的遺伝子」論が一世を風靡したのがその少し前だった。 彼の論は動物行動学的人間論で、人間の行動の一面を見事に説明してみせてくれると同時に、私たちにあるニヒリズムを振りまいた面があった。ところが、人間の文化というヤツは元々動物からはみ出したところで始まっているので、いわばスタートは虚点(「拠点」の掛詞 笑)なのである。実数に対する複素数のような領域に人間の文化は展開しているわけで、今更、「DNAが主人公」とか言われても、「そんなの知ってるわい」「だからどうなの」というもともとから噛み合わない話しなのだ。虚点から出発してしまった文化はどこまでも虚数として膨張していく……ところが、人間の作り出した虚数は肥大化を通り越して今や実数の領域を脅かす状態になってしまっているというのが切実な問題(のように語られているだけか?)なのだろう。 つまりドーキンスが出したように思った問題(ドーキンス当人は松岡正剛氏がいみじくも指摘するようにもともと別のポジションに立っていたのかもしれないが 笑)は、もはや大した問題ではない、というところに足早に来てしまったのが私たちの世界の「現実」のようだ。 中沢新一氏の中央大学における講義の再現的連続出版はずっと後になるが、動物行動学的視点より、神話的、物語的視点の方が、当然のことながら私たちの文化に、つまり世界観(感)に直結していることを示してくれている。内山節氏はグローバリゼーションに警鐘を鳴らす立場から「日本人はいつからキツネにだまされなくなったのか」と問うていたが、神話学、あるいは民俗学的には「キツネ」(の仲間)は以前としてしぶとく生き残っており、例えば「振り込め詐欺」がこんなに流行るのもそういう心性を抜きには説明しがたいところがある。 つまり、私がPuffyのデビュー曲から受け取ったのは、私たちの世界観(感)が新聞紙面の形をしたリジッドなサナギのようなレイアウトを脱いで、アメーバーのように流れ出した感覚で、その様子を「アジアの純真」は軽やかに歌ってくれていたよなあ、という平凡な感慨を改めて記しておきたかった、ということだ。 今日はこれで終わり! 追伸:この文章、ジャンルは「日記」かもしれないが、「アジアの純真」に敬意を表して「音楽」にしておく(笑)。

作者: シードン

更新日:2008年12月7日 13時46分

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日本の弓術

 来日して5年間、弓道の阿波研造範士について修行した新カント学派の哲学者オイゲン・ヘリゲル氏のドイツ帰国後の講演を訳した「日本の弓術」(岩波文庫)は、実に興味深い。  思い出したのはカルロス・カスタネダ(「呪術師と私」)である。メキシコのヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファンに、近代文明の力をもってしては到達できないような境域の「知恵」について、カスタネダ(ブラジル生まれのアメリカの作家)が教えを乞うという形をとっている書物である。  教える方も教わる方も異文化のせいかカスタネダの本は胡散臭い感じが残るが、「日本の弓術」は、弓道の話しだから私たちには理解しやすい。 まずは弓を引くこと。「……弓を腕の力で引いてはいけない。心で引くこと、つまり筋肉をすっかり弛めて力を抜いて引くことを学ばなければならない」という師の教えをマスターするのに1年かかったことをヘリゲルは告白している。  そして次のステップは「離れ」である。阿波範士は「矢がひとりでに離れるまで待っていることを学ばなければならない」と言った。さらに「待たなければならないと言ったのは、なるほど誤解を招く言い方であった。……あなたがまったく無になる、ということが、ひとりでに起これば、その時あなたは正しい射方ができるようになる」と補足した。  その課題が達成されるまでにさらに三年を要した。ヘリゲルは振り返って、「どのようにして正しい射方をするかと問われれば、私は知らないとしか答えることができない。自分は少しも手を加えず、またそれがどうなるのか見守ることもできないが、矢はすでに放たれているのであった。」と記している。  この「上達」の説明は正確である。私たちの知っている上達とは確かにそういうことだ。いつの間にかできるようになり、どうしてそれができるようになったか分からない。「無心」にひとりでになったのだ。  最後の課題は「中て気(あてけ)」或は「中て矢」の克服、つまりは「正射」(「正射必中」)の感得であった。ヘリゲルは超人的な努力でこの課題も乗り越え、弓道五段の免状を与えられ帰国した。    ヘリゲルは「離れ」の壁に当たったとき、師の語る精神的境位にはとても到達できそうもないと思い、技巧的技術的に同じレベルに達しようとして自己流テクニックを開発し、師の前でそれを披露した。それを見た師は何も語らなかった。ヘリゲルは訳の分からないままその日は帰宅した。あとで先輩弟子から先生の落胆を聞かされた。そしてようやく、教えに背いた自分が師を深く傷つけたことを知ったのであった。ヘリゲルは「破門」のピンチに陥ったのだ。だが、通訳も務めていたその先輩弟子の仲立ちもあって破門を免れた。    その時のヘリゲルの思考法はまさに西欧的合理主義であった。理論的に突き詰めて「こうすればうまくいくはずだ」という彼なりのやり方を開発したのだった。その方法で射った後、先生から誉めてもらえるに違いないとヘリゲルは得意でさえあったのだ。ところが、師は黙然として語らなかった。    このエピソードが上達というものの本質を語っている。「道」を歩む者は前を行く者の位置や見方が分からないのである。ただわずかに分かるのは前を行く者が自分よりいくらかは上手いということだけである。近代的な手段で近道を探ってもムダである。  剣道を長くやっている人から聞いた話しだが、80歳を越えた名人がいるが、その人に向かうと打ち込むことが全くできないのだそうだ。その話してくれた人は私と同じ年くらいだからもう40年もやっている。その相当の腕前にしてそうなのである。  年齢は関係ない。先達は下の者に決して負けないのだ。いやこの表現は正確ではない。道の先を行く人は後から来る人の境域を見通せるが、後から行く者は先達の境域が見えない。だから主観的には後から行く者が「アイツなんて大したことない」と見くびることも可能である。自分の一番いい状態を想定して、それと大差ないと高を括るのである。  だが、そんな虚栄は先達の前に立った瞬間にいとも簡単に崩れ去る。  このような近代以前の伝統は、私たちにとってムダなものであろうか。  そんなはずはない。  だが現代では、スランプのヘリゲルのように分析的に捉えて、合理的に解決して行こうとするやり方が幅を利かせている。  道を歩むのはその人なので、その人がその人なりに前へと歩みを進めて行く以外にないという達観が許されない。待つことができない。  優れた師はじっと待つことを知っている人であろう。静かに心を澄まして待つことを。    教えるとはどういうことであろうか。パソコンの使い方ならマニュアル通り教えることができるだろう。だが、「道」の場合そうはいかない。  「修行」「稽古」が必要になる。どこをどうすればどうなるか見えないところでひたすら稽古に励むしかない。ところが今やそれを「不合理だ」「理不尽だ」とする感性が伸してきている。「技術至上主義」信奉が幅を利かせている。  「木を見て森を見ない」という言葉がある。「木」を見るにはわずかだが手がある。名前や特徴を知ることだ。だがそれは「木」のほんの一部に過ぎない。まして「森を見る」にはどうすればいいのか。  森を見る名人は言うだろう。 「いつの間にかできるようになった。どうしてできるようになったか分からない。」と。

作者: シードン

更新日:2008年11月29日 16時28分

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禁色について

 「紫衣事件」という江戸時代の出来事をご存知だろうか。  三代将軍家光の頃、紫衣(しえ)を着用する際には幕府の許可が必要だとしていたのに、それを無視して大徳寺が独自に紫衣を認めたことに怒った幕府が沢庵(たくあん)和尚らを流罪にした。寺側を後押ししていた後水尾天皇はこれをきっかけに退位することになった、というものだ。  「紫」は高貴な色で、聖徳太子も「冠位十二階」で最高ランクに位置づけたのだが、その色を誰にどのように許可するかが「法度」で規定されていたということがこの事件の背景にはある。 紫が高貴な色として位置づけられたのには世界史レベルの背景があった。中国で武帝が「禁色」に定めたのが紀元前200年頃。その約300年前には「紫の朱を奪うを悪(にく)む」と伝統的に「正色」とされてきた「朱」を外来の流行色である「紫」が押しのけていくのを好ましくないと孔子が考えていたという記述がある。(『論語』) さらには、ローマ人を魅了した貝紫をフェニキア人が発見したのは紀元前1600年頃と言われている。  どこかの有名な神社だったと思う。朱を塗り直したという直後に見に行ったとき、その派手さ加減に驚いたことがあった。これでは周囲の雰囲気を壊すと感じたのだ。むしろ剥げかかってくすんで冴えない色合いだった以前の方が風格も品位もあったのにと思った。  だが、それは近代人の偏見というべきだろう。  禁色であった鮮やかな朱色で周囲に異彩を放ってこそ信仰を集める権威を示すことになったのであり、朱は「神の場」としてぜひ必要な色であったからだ。  剥げかかってくすんでいるのはむしろ私の宗教観の方だということになろう。  強い色を意図的に遣うというのは周囲へのアピールであり威圧である。それを好ましくないと思う政治権力があった。自分(たち)だけがそういう威圧感(権威)をもつ存在であるために。  菊池寛の「形」という短編がある。槍の名手であった中村新兵衛という侍は、戦場では猩猩緋(しょうじょうひ)の服と唐兜で知られていた。ある時主君の子息が初陣に臨んで戦装束を貸して欲しいと頼んできたので新兵衛は快諾する。借り装束の若者は敵を圧倒し、新兵衛も満足だった。ところがその日いつもと違った装束の新兵衛の方は勝手が違った。思うように敵をねじ伏せられず苦戦した。……  実質よりも形に惑わされる人間の性を描いた名作だ。  商品の世界、スポーツの世界、政治家の世界などでも、「看板」というのは非常に大事で、例えば「商標」自体が高い値段で売り買いされたりする。「看板」だけで勝てることを知っているからである。  家光は、現代で言えば「コンプライアンス」を大事にした。政治としては大切な視点であろう。しかも、当時は幕府の基礎固めができつつあった時代であり、幕府の権威は上り調子であった。だから強気が功を奏した。しかし、これがもし幕末の出来事だったらどうであろうか。    「禁色」は権力者が定めたものだが、その地盤には民衆の間に、際立った色に対する畏れの感情があったことを忘れてはなるまい。原色を避け、あえてクスんだ色を好んで用いるような、そして美しい花を手折ることを自制するような奥ゆかしい精神が生きている世界であればこそ、権力はあえて「禁色」を定めることができた。(見田宗介「社会学入門」参照)  猩猩緋は「黒みを帯びた鮮やかな赤」であった。こういう派手な色を戦場で身につけた者は少ない―—つまりその衣装は目立った―—からこそそれが「看板」として機能したのである。  欲望の箍(たが)が外されて禁色はどうなったか。  「いくら ブタ箱の 臭いまずいメシが/うまくなったところで/それで自由になったのかい/それで自由になれたのかよ」(岡林信康)  「我々は、組み込まれてしまうのか この幻想のモラルの中に/お前は気が付かないのか それとも逆らわないのか このモラルの檻に入れられてしまうことを」(尾崎豊)  今や欲望の箍は外されている。しかし禁制はソフトに、真綿のように私たちを締め付けている。そこに見て取れるのは「支配者に抑圧された無力な民衆」という図式ではない。  「管理社会」と呼ばれる私たちの時代の閉塞感を生み出す仕掛けは、M・フーコーの言う「牧人権力」のレベルを超えているのではないか。「見えない檻」「メシのましなブタ箱」という比喩を越えたサファリパークのような「1984年」(オーウェル)的世界が出現している。(尾崎豊/岡林信康/フーコーについては「自由に生きるとはどういうことか」(橋本努 ちくま新書)を参照)  元の厚生事務次官を殺傷した小泉容疑者は、ある意味正確に彼の「敵」を捉えていたと言えないか。  「きちんと仕事をこなす」——それはもちろん「美徳」である。「規則に従って処理する」—「役人」ならそうあらねばならない。だが……  私たち自身が私たちの敵になるような社会に私たちは生きている。  私たちはもう一つのアンビバレンスを生きなければなるまい。私たち自身が私たちを生かす回路を作り出す道である。  「コンプライアンス(法令遵守)」という命題が私たちに何をもたらそうとしているか。一筋縄ではいかないものがある。このモラルにここで従うことが誰を生かし誰を苦しめることになるのか、それを問うことなしに盲目的にそれを「主義」としてしまうことは、この時代にはもう無効だ。  たとえ禁じられようとあえて「紫衣」を選ぶべきときがある。それが生きるということだ。

作者: シードン

更新日:2008年12月13日 8時59分

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