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トップ > 心と体 > 心と体 - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2009年1月8日 12時)
年初から無職となりました!
年初から無職になってしまった。 もともと何処の会社の正社員というわけではなかったのだが、それでも、アルバイト先はあった。 そのバイト先を年初になって失ったのである。 → 七日朝、近所の畑にて。 別に首になったわけではない。 仕事や会社の社長との折り合いというか相性が悪く、自分から辞めることを申し出たのである。 帰郷して間もない三月初めから昨年末まで約十ヶ月間、働かせてもらったのだ。夜の仕事で、その日は、夕方から仕事に向かうと思うだけで憂鬱でたまらなかった。 仕事がプレッシャーになっていた。 昨年二月末に帰郷したのだが、七月にたまには銭湯もいいだろうと、草むしりに数ヶ月間頑張った自分への褒美の意味もあって、近くの古馴染みの銭湯へ(温泉はさすがに無理)。 何年ぶりの銭湯…いや、そもそも入浴自体、数年ぶり! その銭湯で体重を測ったら、70㌔を若干、超えている程度だった。 帰郷した当時は…、少なくとも帰郷する直前までは体重は80㌔を超えていたのだから、10㌔減ったことになる。 これは驚きだった。ダイエットの類は何もしていないのに、病気になったわけでもないのに(自覚症状がない病気という可能性も皆無というわけではないが)、たった五ヶ月で10㌔も体重が減るなんて! ← ねえ、こっち向いて! …もしかして、こっちを見てる? 表向きは、そしてこのブログでも、体重が減ったのは、春先からのほぼ毎日の雑草との格闘や木々の剪定、買物、家事、そして、生活は規則正しいとは到底、言えないとしても、少なくとも三度の食事は毎日、決まった時間に摂るし、食事の内容だって父母と同じなので、ほとんど精進料理に近い。 要するに、東京での一人暮らしと比べて健康的な暮らしに近いのは歴然で、体重が減ったのは、そのせいだと言うことにしていた(上述したように病気の可能性も脳裏にはちらつきつつも)。 が、内心は全く別のことを思っていた。 仕事が小生にはとんでもなく重苦しいものなのだった。 仕事が夜に待っていると思うだけで、神経が磨り減るような沈鬱な気分になり、滅入ってしまうのだった。 誤解されないように書いておくと、仕事は、車関係(運転代行業)で、世間的な評価はともかく、自分では社会的意義のある立派な仕事だと思っていたし、辞める事にした今もそう思っている。 ただ、自分には合わないだけのことである。 特に人間関係が。 …思った以上に小生って、人間が苦手なんだと思い知らされた! → こっちは向いてくれないけど、背中だから羽などの模様や色が分かる。 東京で12年間余り、タクシードライバーとして頑張ってきた。 アルバイトもその経験が生きるはずだった。 でも、全く通用しなかった。小生の経験など生きなかったし通用しなかった。 (帰郷してタクシードライバーという仕事を選ばなかったのは、家庭の事情でフルタイムの仕事が現実的に難しいからである。) どう合わないかは、どんな理由で通用しなかったのかについては、稿を改めて書く(かもしれない)。 当日の夜、その仕事があると思うだけで一日中、神経が苛立っていた。 食事をしていても、食べ物が消化されるように思えなかった。 食べ物が胃を腸を素通りするような感覚が常にあった。 内臓が食事内容を拒否するような感覚に悩まされていたのだった。 要は、栄養も何も体が受け付けない、そんな風に感じていたのである。 正直、その仕事で働くのが辛かった。 毎日が憂鬱で憂鬱でならかなった。 アルバイトは週に三日か四日で、毎日ではないのだが、当日どころか、明日はバイトがあると思うだけで神経が磨り減るようなほどに惨めな気分だった。 そのことを誰に打ち明けることもできなかった。 なので、(多少なりともダイエットや運動をしているのならともかく)体重の予想外の激痩せは、自分では仕事のせいだと感じていたのである。 ← 今度は、真正面を! って願ってたら、飛び去っちゃった! 但し、客観的なデータがあるわけじゃなし、自分でそう感じていたというだけである。 実際はどうなのか。体重が五ヶ月で十キロも減るメカニズムや真の原因は何処にあるのか、真相は分かっていないと言うべきだろう。 御陰で食事をしていても何をしてても(いや、そもそも何もやる気が怒らなかったのだが)気が気でないという情けない状態からは脱することができた。 …でも、無職となった。 なけなしのアルバイトさえ失ってしまった。 これからどうしたものか。 とにかく職探しである! (09/01/06 夜半過ぎ作)
作者: やいっち
更新日:2009年1月7日 1時38分
懐かしき(?)ゼンマ明けの朝
局部麻酔での手術や治療は、わりと多くの方が経験があるのではなかろうか。 歯の治療でも局部麻酔をされるのだから、わりと多くの方というより、相当多くの方かもしれない(麻酔をされての治療経験の有無の統計なんて、あるんだろうか)。 でも、全身麻酔での手術となると、そう多くはないのでは。 ← 五日の夜、「世界まる見え!テレビ特捜部」を団欒のテレビで見ていたら、「歌え!踊れ!熱狂70万人、リオのカーニバル」ということで、「サンバチームの奇跡のパフォーマンスをご紹介」していた。いつもながら、圧倒される狂熱ぶりとスケール! これはテレビの画像を撮影したもの。機会があったら、他の画像も紹介したいが、さて。 (註)、医者用語なのか、ただの通称なのか、分からないが、40歳の時の全身麻酔による手術の際(そのどんな場面で聞いたのか忘れた)、「全身麻酔」を「ぜんま」と呼ぶことも知ったっけ(以下、時々、全身麻酔と表記せず、「ゼンマ」と略記する場合があることを断っておく。ついでながら、「局部麻酔」の略称は「きょくま」である)。 小生はゼンマでの手術を何度か経験している。 ただ、子供の頃(十歳)のゼンマの体験はあまり覚えてない。 足の踵(かかと)付近へ注射され、顔(口)にマスクされ、なかなか麻酔が掛からず、神経質云々というお医者さんか看護婦さん(当時は看護婦さん!)の話があったような、なかったような。 最後に全身麻酔を施されての手術を受けたのは、40歳直前の頃だった。 手術の内容・目的は、この際、省略する。 印象に残った点が幾つかあって、この以前、子供の頃の全身麻酔での経験…感覚とは随分、違うと、麻酔に掛かる直前、感じていたこと。 どう違うかと問われると、返答に窮する。 紙に水が染み通るように、感覚が徐々に失われていくような、気が遠くなるような、そんな印象が残っていたが、40歳の時の全身麻酔では、まるで違うのだった。 話を先に進める前に、そもそも全身麻酔とは。 「全身麻酔 - Wikipedia」によると: 全身麻酔(ぜんしんますい、英General anesthesia)とは麻酔方法の一つ。中枢神経に薬物を作用させ、無痛、意識の喪失・健忘、筋弛緩、有害反射の予防、の4つを満たす状態にすることで患者の肉体的・精神的苦痛を取り除く。局所麻酔との大きな違いは意識消失の有無である。 「術前訪問」があって、「患者を訪問し、診察や問診、実際に行う予定である麻酔方法の説明などを行う。手術前の患者はいろいろな疑問、不安を抱えている。これらに真摯に耳を傾け、的確な説明をし不安を取り除く。術前訪問は患者の状態を自分の目で確認し情報を得ることのみならず良好な医師-患者関係を築く第一歩となる」という。 実際、手術の何日か前に(多分)麻酔医によるそんな訪問と説明を受けた。 → 五日の朝、近所の家の塀や柿の木にそれぞれ野鳥が止まっていた。 また、「前投薬」ということで、「術前の不安を取り除いたり、術中の有害な自律神経反射を抑制する目的で行われる投薬」を受けたことも覚えている。 但し、病室では、ただの精神安定剤を呑んだだけで、実際には「前投与と呼ばれる薬剤投与」は、手術室で手術直前に投与されていたのかもしれない。 この点は、記憶が曖昧である。 言うまでもないことだが、話の順番が違ったが、手術前には、いろんな種類の検査を受けた。 「一般の採血、採尿はもちろん、肝機能検査のための試薬を用いた採血、腎機能検査のための試薬を用いた採尿、胸部レントゲン、心電図、その他、病気に応じての検査など。こういった検査で問題がないとなれば、全身麻酔下で手術という事になる」ようである。 こうした検査で結果が手術に耐えるとなれば、次の段階として全身麻酔のための準備作業に入るわけである。 なので、麻酔の話をお医者さんからされる頃は、手術の日も間近なのである。 ドキドキしている。 なるようにしかならない、開き直るしかない。 でも、やっぱり怖い。いろんな心理や妄想が駆け巡る。 ← 同じく、日本テレビの「世界まる見え!テレビ特捜部」から。ステージ自体が凄い! 「全身麻酔」(ホームページ:「東麻酔研究所」)によると、冒頭に、「点滴から眠る薬(静脈麻酔薬、じょうみゃくますいやく)を入れ、患者さんに眠って頂きます」とあるが、情けないことに、点滴を受けたかどうか、覚えていない。 術後は何日間、点滴を受けたのは覚えているのだが。 また、「呼吸も止まりますので、人工呼吸しながら、口の中へ管(気管内挿管チューブ)をいれ、のどの奥の気管(きかん)の中まで入れます」というのだが、口の中へそんな管を入れられたかなんて、まるで覚えていない。 ただ、覚えていないのは尤もな話で、「目が覚めている状態では、気管に管をいれるなんてとても苦しくて、大変ですが、眠られた状態で行いますので、全くわかりません」なのである! 当然ながら、ゼンマをされるに当たって、手術室で口にマスクをされる。 ガスの麻酔薬を嗅がされるわけである。 このときの昏睡状態に陥るまでの感覚が実に印象的だった。 この点は、あとでまた触れる。 手術が終わって麻酔も覚め、気が付いたらチンチンに管が通されていた。 まあ、ゼンマの効いている間もオシッコは膀胱に溜まるわけで、量が一定限度を超えたら出てくる。 でも、自力ではトイレでオシッコできないから、その間は、管を通して尿をボトルに溜めておくわけである。 最初はそんなことがされていると気づかず、看護婦さん(当時はまだ看護婦さんだったはず)が病室にやってきて、管を抜いていって初めて気づいたような。 そうか、寝ている間にチンチンが……だったのか、と軽いショック(?)を受けた…ような。 もっと違う機会に違う形で触れてもらえたら、なんて思ったような思わないことはなかったような。 さて、肝心の全身麻酔をされての体験のこと。 ゼンマをされるのは初めてじゃないのに、麻酔が効いてくる感じがまるで予想と反していた。 予想といっても、子供の頃の麻酔体験しかないから、その時の状態とは麻酔の効き方が違う! と感じていたのである。 徐々に意識が遠退いていくとか、そんな感じではなかった。 体の遠い部分から、体が泥か鉛か、とにかく肉体とは異質な何かへ完全に変質していくのである。 体が重いようであり、しかもさらに重くなっていくようであった。 ああ、もしかして肺も含めた内臓が死んでいってしまう、後戻りできない闇の世界へ落ち込んでいってしまう。 肺もゴムのように、それも弾むことを忘れた死んだ固いゴムのように変貌し、息もできなくなってしまう。 麻酔は脳にも効くのだろうか。意識が遠退いていくような、それでいて、最後まで明晰(といっても、小生の頭脳がそんなに明晰なはずはないのだが、その時だけは醒め切っているように自分では感じられて)、肺が心臓が麻酔でどうにかなる、その前に意識が遠退いてしまうと思っていたのに、そうではなかった(ように感じられた)のである。 → 同じく、「世界まる見え!テレビ特捜部」から。昨年は、日本人ブラジル移住100周年記ということだからだろう、日本をテーマにしたチームも。寿司屋に招き猫に金閣寺に大仏に金太郎(相撲取り?)に、とそれぞれ趣向を凝らしていた。クイーンダンサーの中には(アンジェラ・ビスマルクさん)、日本風を演出しようと顔を整形した人もいた! 意識だけははっきりしている、その一方で体がドンドン真っ黒な物体に沈下していく。自分の体が何か得体の知れないモノに浸食され死の領分へと捥ぎ取られていくのを無力にも、ただ見守っているだけ。 まあ、実際のゼンマによる手術だと、「手術が終わりに近づくと徐々に、麻酔ガスの濃度を下げてい」くとかで、「この時期がもっとも不安定で、着陸が難しいように、麻酔から患者さんを無事覚ますのが大変」なのだとか。 意識より、ただ肉体のほうが凝り固まったゴムになるのを手を拱いて<眺めて>いながら、自分の体は賦活するんだろうか、このまま事故か何かの異変でこの世に戻って来れないのではと、そんな心配でオチオチ意識を失えない! そんな気分だったっけ。 「手術終了時に麻酔ガスを止め、人工呼吸を続けながら、患者さんが自分で呼吸をし、呼びかけに反応するまで待ちます。患者さんが、自分で十分呼吸でき、呼びかけに反応するようになってはじめて、口の管を抜きます」というが、これまた情けないことに、小生は口から管を抜かれたのかどうか、まるで覚えていない。 覚えていないことばかりだ! 最後に、これまた余談になるが、小生自身にとっては極めて印象的な事実があったことをメモっておきたい。 ← 当然ながら(?)、「世界まる見え!テレビ特捜部」では、スタジオでもサンバ! 三人の素敵なダンサーは、確か、「サンバノバ「SambaNova」」からの出演だったはず。日本人ダンサーも見たかったなー。 それは、ほとんど生まれて初めて熟睡を経験したということである。 小生は、十歳の時の手術で鼻呼吸ができなくなった。 当然ながら、睡眠時無呼吸なわけである。 睡眠時無呼吸症候群というのがあるらしいが、小生は端的に睡眠時は口呼吸だけ。 なので、目覚めの時は疲れ果てている。疲労困憊なのだ。 試しに、息を止めて一分でも二分でも頑張る、そんな遊び(?)を試みたことがあるかもしれない。 それが結構、きつい体験だということは実感で分かるだろう。 小生の場合、睡眠時にはずっと何回もそれを繰返すわけだ。 40歳での全身麻酔での手術で、手術が無事、完了して、病室で意識が戻った時、とっても爽やかだった。 最初は、点滴で体の血が綺麗になったからかな、なんて暢気に思っていた。手術が無事だとも聞いたから安心したこともあって。 でも、そうじゃなかった。 全身麻酔で人工呼吸したので、普段の一晩中の睡眠時無呼吸による体(や脳味噌)へのとんでもない負担が、その夜に限って、人工呼吸での呼吸をちゃんと出来ていたから、だから、体が疲れ切ることはなかったのだ! 熟睡って、こんなことだったのかと(ほとんど)生まれて初めて知った。 ほとんど、というのは、十歳の手術の時までは鼻呼吸ができていたから、熟睡も出来ていたはずだからだ。 でも、小生には十歳以降の、眠る前より起きた時こそが一番、体が疲れきり体力を消耗しきった状態となるという睡眠をずっと経験してきたので、十歳以前のことはもうわすれちまったのだ。 朝の目覚めの時、そして起き上がるとき、小生は体力を使いきってしまう。精力の大半を起きるために使い果たす。 ようやく起きた時は、もう、昼行灯である。ボーとしている。精も根も尽き果てているのだから当然なのだが。 それだけに、グッスリ眠れたゼンマによる手術の日の夜が、朝の目覚めが自分には驚異だった。みんな、こんなふうに眠れているんだと、しみじみ羨ましいと思った。 かといって、毎晩、ゼンマというわけにもいかない。 あのゼンマ手術明けの朝が実に懐かしいのは、そんなわけがあるのである。 → 六日の朝、母をデイケアセンターに送り出したあと、ふと見たら庭の隅にある梅の木に小さな蕾らしきものが。まだ本格的な寒波は来ていないのだが…。 参考: 「全身麻酔 - Wikipedia」 「初めての手術で、全身麻酔みたいですが、不安でいっぱいです - 教えて!goo」 「全身麻酔」(ホームページ:「東麻酔研究所」) 「睡眠時無呼吸症候群と私」 「1プラス1の間には」
作者: やいっち
更新日:2009年1月6日 8時37分
灯油(?)ストーブが頼みです
小生は東京で一人暮らししている間は、灯油のストーブは使わなかった。 それには個人的な事情があるし、前段の話もある。 仙台で学生生活を送っていた頃は、灯油のストーブだった。 無論、仙台ではそれだけでは足りず、炬燵も併用していた。 → 二日は、精米や買い出しなどなど、三日は年始。雪の正月じゃないと富山らしくない。雪がないことはありがたいけど、寂しくもある…し、この先、ちょっと不安。 上京して、最初の三年はあるバイト生活だったが、最初のうちはガスストーブだった。 これが拙かった。失敗だった。小生には合わなかった。 上京して二年目、幸運にもバストイレ付きのアパートを安く借りることが出来た。 それが間違いのもとで、アパート(の風呂場)の隣に警察犬の訓練所があり、匂いがきつい。 風呂場にはガス給湯設備がある。 なので、いつもは訓練所に面する窓を閉めて、部屋に通じるドアを少し開けて、入浴する。 が、或る時、ついドアを開け忘れ、風呂場が密室状態になった。 …ということは、当然ながら予想されるように、間もなく酸欠状態になり、まさに死の寸前まで行った。 ただ倒れる間際、ドアに体を預けるようにした。 なので、ドアが開き、命拾いしたというわけである。 この件については、「ガス中毒事故余聞」などでやや詳しく書いている。 中毒未遂事件には、「石油ストーブ不完全燃焼事件」といった前歴がある。 仙台郊外のアパートで暮らしていた頃、灯油ストーブが不完全燃焼していることに気づかずに、部屋で暢気に読書などしていた。 そのままずっとボンヤリしていたら、(多分)間違いなく中毒症状で苦しむことになったはずである。 たまたま、来客があって助かったのだが。 以来、灯油ストーブは懲りたのである。 だから、上京してからは、灯油ストーブではなく、ガスストーブに切り替えた。 そのガスストーブも、要は部屋の中でガスを燃やすわけで、冬、締め切った状態の部屋で燻っていることの多い小生、いろんな経緯から遅かれ早かれガス中毒の危険性があるとヒシヒシと感じたわけである。 よって80年代の早期から、小生は暖房は(エアコンか)電気ストーブのみに頼るようになった。 幸い、81年からは、ワンルームタイプながらマンションの一室に住めるようになった。 部屋にはエアコンが予め設置されている。 けれど、夏場などの除湿はともかく、冬、暖房のためにエアコンを使う必要性は感じなかった。 部屋の気密性が高いし、そもそも仙台に比べたら東京は格段に暖かい。 それに嗅覚が人に比べ極端に弱いという事情もある。 もう、ガスストーブも灯油ストーブも、購入(使用)の際の選択の対象からは全く除外となった。 小生が買った電気ストーブは、安価なもので、暖かさも「強・弱」の切り替えだけ。 でも、大概は「弱」で済んだ。 真冬のほんの一時期だけ「強」に切り替えれば十分だった。 しかも、就寝前にはストーブはオフにする。 それでも、部屋の密閉性・気密性のゆえなのか、朝になっても余熱を感じられるのだった。 さて、昨年の二月末に帰郷した。 まだ冬の終わりの頃。 寒かった。 田舎の家は、築五十年以上の木造家屋。 風通しがいいというべきか、天井裏も床下も風が吹き抜ける。 部屋同士の区切りは障子戸か襖。欄間で、天井付近は風とは言わないが、空気が自由に行き来できる。 しかも、建て付けが年代のゆえに悪くなっている。窓の桟が傾いているらしく、窓がしっかり締まらない、そんな箇所が一杯ある。 玄関もあるし廊下も短いとは言えない。縁側の廊下もある。要は、とにかく風通しがいいのである。 それでも、すぐに三月になり、暖かみが徐々に増していった。 東京から持ち帰った電気ストーブで何とか持ちこたえられた。 寒ければ毛布に包まるし、厚着で凌ぐ。 季節はめぐり、春が梅雨に、梅雨が夏へ、そして秋。 まあ、秋は電気ストーブで十分であった。 この分なら、真冬も電気ストーブで乗り切れるのでは、そんな思い(期待)も湧いたことも。 が、認識が甘かった。 その前兆はあった。我が家で長年、使っていた石油ファンヒーターが故障したのだ。 一時は、仕舞ってあった古い灯油ストーブで代替えできるかと思った。 でも、ススが出て堪らない! ← 四日の夕刻、年賀状の返しを投函に近くの郵便ポストへ。寒気が緩んでいて、ジャケットを羽織る必要を感じさせない。 この辺りのことは、「灯油を巡ってあたふたと」で大よそのことは書いた。 古い灯油ストーブでは、ススが出て、体に悪い。 なので、新しい石油ファンヒーターを買うことにした、というわけである。 つまり、寒さに我慢しきれずということよりも、結局は、先代の石油ファンヒーターを新しいのに切り替えた、というに過ぎない。 それは師走の半ば近く頃の話。 さて、師走も押し迫った(押し詰まった?)頃のこと。 小生はまだ、自分の部屋では、電気ストーブと厚着で寒さに耐えていた。 どうしようもなくなったら、毛布を被って我慢していた。 けれど、寒波がやってくる。雪が降る。家の中でも吐く息が白い。 とにかく、寒い。 確かに毛布に包まれば、寒さは凌げるかもしれない。 でも、それじゃ、読書ができない。毛布から手先を出すと、顔もだが、すぐに冷たくなる。 冷え性とはこんなにも辛いものかと、つくづく感じさせられた。 電気ストーブは、断固、「強」のままなのだが、寒い。 師走も切羽詰った27日、小生はとうとう我慢がならなくなった。 堪忍袋の緒が切れた。 なんだってこんなに我慢していなきゃいけないのだ? ってなわけである。 茶の間用の石油ファンヒーターを買ったその同じ店へゴー。 買うと決めたら早い。 前に買ったのと同じメーカーでほぼ同じ製品。但し、小生専用ということで、若干、グレードの落ちる商品を選んだ。 早速、その日の夜から使い始めたが、やはり、暖かさが違う。 知り合いの方が、電気ストーブは電気代が嵩む、それに暖かさが違う、そんな話をされていたが、全くその通りだった。 長年、電気ストーブで冬を乗り切ってきた意地もあって、真冬になるまではやせ我慢してきたが、やはり、富山の冬は(特に年季の入った木造家屋とあっては)、周りのみんなと同じように、灯油に頼るのが一番と、今更ながら神妙に感じている次第である。 それにしても、灯油を使うのに、どうして石油ファンヒーターという呼称なのだろう。 灯油ファンヒーターという名称ではいけないのだろうか。 確かに灯油は石油製品だが、でも、石油とイコールではないはず! うむ。「現代日本の日常生活では単に「石油」と呼び表す場合は「灯油」を意味する場合が多い」からという慣習のゆえなのか。 ま、どうでもいいや。 暖かければ、それでいいのだ! → この道の先に我が家があります。画像の右下の黒い部分は、小生の影かも。…年初になって完全無職となった小生の行く末を暗示する? 参考: 「我がガス中毒死未遂事件」 「灯油を巡ってあたふたと」 「炬燵について」 「炬燵と美女と猫の浮世絵」 「電気炬燵と歩めなかった半世紀?」 「凄いぞ 湯たんぽ!」 「湯たんぽじゃなく電気ミニマット!」 「葉桜日記 「押し迫る」と「押し詰まる」」 (09/01/04夜半過ぎ作 01/05画像追加)
作者: やいっち
更新日:2009年1月5日 1時23分
「フュースリの「夢魔」…人間の魔」アップ
「フュースリの「夢魔」…人間の魔」を「壺中水明庵」にアップしました。 年の初めから「夢魔」は縁起でもない? まあ、厄落としということです ? ! 夢を見ましょう! ← 今日四日は(午前だけ?)晴れ。富山の海辺の光景はこんな風だろうか(この写真は、数年前に撮影)。 昨日、「雪の轍(わだち)」を「壺中方丈庵」にアップしたので、これで、「壺中山紫庵(こちゅうさんしあん)」を含めニフティのブログ(ココログ)で運営している三つのブログそれぞれについて、年初の更新を終えたことになる。 ちょっとホッとしている。 改めて三つのブログの大よその性格を説明しておく: 「壺中山紫庵」は、総合サイト。何でも日記であり、当該ブログでの更新はもとより、他のブログでの更新も本ブログにて案内する。 「2004/09/09」に創始。アクセス数は、四日の正午現在で「775,700」ほど。 「壺中水明庵」は、「ネットで、あるいはリアルでの美と快と楽めぐりのエッセイやレポートをボチボチと」というわけである。 当初は昔日、配信していたメルマガでの記事(主に書評)を収納するブログだったが、「壺中山紫庵」から、サンバエッセイ・レポートを独立させ、このブログはサンバの館のようだった。 が、サンバチームを帰郷を契機に脱会したため、今は絵画やコンサート、ライブの日記やレポートをメインに配信している。 「2004/09/09」に創始。アクセス数は、四日の正午現在で「397,600」ほど。 「壺中方丈庵」は、「創作の館……小品、俳句、川柳」である。 ある意味、小生の基地であり本願の場である。 「2004/09/09」にやはり、メルマガにて発表していた創作を収納するため立ち上げた。 アクセス数は、四日の正午現在で「48,950」ほど。アクセスの少なさに困惑している! なお小生には他にもサイトがある。 一部だけ挙げておく。 「ようこそ! 国見弥一の部屋へ」 言うまでもなく小生のホームページ。 これがネット上のホームベースである。 「2001.02.05」に開設。 アクセス数は、四日の正午現在で「104,500」ほど。 少ない。でも、このサイトのアクセスカウンターは、表紙へアクセスした数だけを数えるので、実際はこの十倍のアクセスがあるものと思う(← 希望的推測)。 ホームページやメルマガの立ち上げの経緯については下記を参照: 「メルマガ発行半年を迎えて」 ただ…、このホームページの更新は(マイナーチェンジを除いて)04年秋口で止まっている! 「壺中庵明月記」 本来は別の趣旨で立ち上げたブログサイトなのだが、いまや「目次」のサイトに特化。 残念ながら過去一年ほどの目次しか作成できていないが、それでも参考になるものと期待している。 「無精庵徒然草」 本ブログのミラーサイト(姉妹サイト)。 このブログの(前身の)立ち上げは、本ブログより十日ほど早く、「2004/08/30」頃。
作者: やいっち
更新日:2009年1月4日 13時31分
「雪の轍(わだち)」アップ
「雪の轍(わだち)」をアップしました。 日記と創作の境界ギリギリ、やや虚構にシフトしたもの。 → 箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)往路を激走する山梨学院大学の岩田真澄選手(富山商業高校)。以下、画像はテレビ映像(日本テレビ)から。 シリアスのような、でも、実はギャグのような。 こんなふうに頭の中で物語りめいたものが生まれては消えていくのをやり過ごしつつ、自転車を駆って近所の買物へと向かっているわけである。 ← 襷を渡す岩田真澄選手。 箱根駅伝の復路7区では、富山県の関係者も頑張ってくれていた。 7区個人記録では、4位だった。 → 役割を立派に果たした岩田真澄選手。 正月早々、頑張っている人も居れば、喰っちゃ寝の人も居る。 世の中、いろんな人が居る。 これでいいんだよね! 尚、旧稿だが「箱根駅伝…観戦記?」には、小生自身の秘蔵画像も。 正月特別大公開 ? !
作者: やいっち
更新日:2009年1月4日 13時38分
初詣で初お酒……何かへの胎動
目次: 「初詣で初お酒……何かへの胎動」 「姫始め…余談ですが」 → 元旦の朝、茶の間のカーテンを開いたら、冬のスズメたちが柿の木に屯(たむろ)しているのが眼に留まった。 「初詣で初お酒……何かへの胎動」(元旦の真夜中過ぎに記す) 普段、お酒を飲む習慣のない小生(お酒を飲むと本を読めなくなるから)、呑む機会があるとしたら、初詣くらいかなって思ってたら、ホントにそうだった。 元旦の日の午後、ちょっと一区切り付いたので、そうだ、初詣に行こうと思い立った。 以前は帰省した折、車で母と二人、初詣に雄山神社へ参拝しに行ったものだったが、その慣習(?)も数年前、途切れてしまった。 父は長年、地元の神社の世話人をやっていた。総代のような役目も担ったことも。 年末年始は、神社に詰めっきり。徹夜で受付や準備・片付けに。 今年はお役御免で、何年ぶり…というより何十年ぶりに紅白を自宅のテレビで観たとか。 あまりに久しぶりなので、普段は九時過ぎには寝室に引っ込むのに、今回は日中、眠っておいて、夜、紅白の終わるまで茶の間に居座ったままだった。 長い間、お勤め、ご苦労様でした。 ← 近所の畑にもスズメたち。餌は何なの? さすがにスズメたちに炊き出しする人は居ない。 母は勿論だが、父も初詣に行かない…その上、小生までが腰が重いでは、先が思いやられるので、小生が一念発起(← 大袈裟)したわけである。 ちょうど、昨夜来の雨(時折、雪)が午後の三時過ぎ、降りやんだことも後押しした。 一瞬だが、かすかに青い空も垣間見えた。 あとで振り返ってみると、小生の重い腰を後押しする理由が他にあった。 親戚の夫妻が年始に来たのだが、二人は昨年の四月に結婚したこともあってか、初詣してきたという話が四方山話の中にあった。 (そういえば、昨年、一度だけ、お酒を口にしたが、それは護国神社での神前結婚という彼らの結婚式の際に、車で来ていたのに、ついお猪口で少し飲んだ…。あれが昨年唯一の飲酒だったかもしれない。) → 初詣の帰り、何処かの造成中の公園にて。ワーイ、遊園地だ、思いっきり遊んじゃうぞーって、我輩はそんな年じゃないなー。それにしても、地元の神社の初詣風景を写真に収めるの、忘れてた! 天候の変わりやすい今の時期の富山の空模様なので、いつ急変するやも知れず、自転車を引っ張り出して急いで神社へ。 思えば、初詣は大概、雄山神社なので、地元の神社での初詣は久しぶりかも(昨年、帰郷して間もない頃、神社へは参拝に行った)。 賽銭箱には、奮発して(?)300円。 100円じゃなく。 そう、父母の分も、ということで300円なのである。 お参りを終えたら、本殿のすぐ脇にいた方にお猪口(?)で少々のお神酒を振舞われた。 自転車で来ているんだからと、やんわり断ればいいのに、つい断りきれなくて。 なので、帰りは酒酔い運転! ← 束の間の晴れ間も、雲行きが怪しい。天気が変わりやすい北陸の冬の空。初詣の帰り道、買物に向かったら、その途次、案の定、霙混じりの雨が降り出した。破魔矢など縁起物を買わなかったからか ? ! 初尽くしというと、大晦日、紅白の最中に我が家の風呂で入浴した。 我が家の風呂に入ったのは初めてってわけはないが、二十年前後は入ったことがない。 そもそも、入浴の習慣は35歳(お肌の曲がり角だった)になった頃に止めた。 風呂場ではシャワーだけに切り替えたのだ。 でも、帰郷して、少しずつ一人暮らしの頃の習慣が崩れてきて、七月頃だったか、銭湯へ。 銭湯でシャワーだけってのも(サウナには入ったが)変! これで味を占めたが、それでも、その後も、一月に一度程度の銭湯通いだけで、自宅の風呂ではシャワーだけだった。 が、師走になり寒さを(家の中で)強烈に感じるようになり、銭湯通いが、月に一度が二度になり、週に一度、ついには二度になった。 貧乏を絵に書いた生活を送っている小生、経済的な負担が重過ぎる! でも、お風呂には入りたい! → 正月二日は恒例の箱根駅伝。テレビ観戦。これはテレビの画像をデジカメで撮影したもの。 なので、とうとう年末になって自宅の風呂場を掃除。バスもタワシで洗ってピカピカに。 そして、クリスマスイブ、大晦日と、年末になって二度も自宅の風呂で入浴。 郷里で暮らすって、父母との生活ってこともあるからだろうか、いろんなものが変わらざるを得ないのかもしれない。 生活習慣が根底から変わっているから当然なのか。 一人暮らしの垢が自宅での入浴で落ちる? 自分で思っている以上に、自分の中で何かが変化しているのかもしれない。 人間性がよくなることはないと思うが、愚か者なりに何かへの胎動があるのかもしれない(← 年初なので言わせてね)! ← 箱根駅伝の沿道風景は(昨年までの東京国際女子マラソンと同様)、小生には何処も懐かしい。どの風景もなじみのものばかり。東京の港区に、ついで大田区に合計で27年、居住し働いていたのだ。 「姫始め…余談ですが」(元旦の夜記す) 毎年のことだが、小生のブログ、年末から年初でのアクセス回数が多いのは、「姫始め」関係の記事。 毎日、せっせと新しい日記を書いているのに、何年か前に書いた、その手(?)の記事にアクセスが集中する。 みんなあくせくしてる…じゃない、これらの記事にアクセスしてくるんだね。 (アクセスって言葉の文字の順序を置き換えると、ア、セ○スになる!) クソ! 羨ましいぞっ! → 増上寺近辺。この近くにタクシープールがある。芝公園という大きな公園もあって、この周辺はタクシードライバーにとっての休憩・仮眠の場でもある。この辺りから東京タワーを撮影したこともしばしば。なお、小生には「箱根駅伝…観戦記?」がある。そう、昨年は東京の自宅近くの沿道で観戦したのだ! …て、考えてみたら、アクセスする奴って(男か女か分からんが)、その最中じゃない奴だってことか。 そうか、それなら許す?! ということで、アクセスが年末年始に急増する記事は下記です(読んでもためになりません。害にもならないはずだけど): 「兄ちゃんの姫始め」(← ややシリアス系) 「姫始め」(← ギャグ系…もしかしてシリアス系) ← 八ッ山橋付近の踏切には渋滞で悩まされたものだった。交差するこの道を何千回、通り過ぎただろう! (都合により「姫始め」画像は略します。各自で用意してください!)
作者: やいっち
更新日:2009年1月2日 11時34分
謹賀新年!
明けましておめでとうございます。 旧年中はお世話になりました。 本年もよろしくお願いいたします。 神様を迎える準備もできたし、瑞兆ならぬ瑞鳥も来たことだし、小生にとっても、皆さんにとってもいい年でありますように! 玄関の脇の棚にあれこれ置いて、賑やかしております。 いただいたチューリップの花も早々と咲いちゃって! 気の早いこと! 願いが大輪の華とならんことを! ……と言いつつ、昨夜半、新年早々何か、いいこと書こうと思って、沈思黙考していたら、居眠りしちゃって、気が付いたら年を越していた! 除夜の鐘、聴きそびれた! ただ、父母と暮らしているので、例年のように朝寝坊はできない。 八時半前に(いつもどおりの時間)ちゃんと朝食をとった。 アルバイトが夜だし、毎日、あるわけじゃなく、生活が規則正しいわけじゃないけど、三度の食事だけは、きっちり、時間的に規則的だし、栄養的に過不足ない。 これだけのことでも、結構、大変なことだなって、つくづく思っている。 お節料理、小生が作れるわけもなく、スーパーで買ってきたものを並べるだけ。 その代わり、お雑煮は出来合いのものじゃない…んだけど、実は戴いた物ばかり。 お雑煮の汁や具は、ある近親者から、お雑煮に入れる御餅も、別の近親者から戴いた物。 付け合せはスーパーで買ってきたもの。 漬物は、近親者の自家製のもの。 …ワシャ、ただのセッティング係りだ! でも、いろんな方に支えられての新年を迎えられ、幸せに思っとります!
作者: やいっち
更新日:2009年1月4日 13時41分
正月を迎える準備は万端 ? !
注連飾りなどは父に準備してもらったし、晦日の晩に食べる年越しソバも買い置きしてある。
正月を迎える準備は万端! …と言い切るのは、ちと良心が痛むが、まあ、言ったほうが勝ちって話もあるから、いいよね?!
昨年の師走からの一年は、小生にとって激動の一年だった。
実りがあったかどうかは覚束ないけど、学ぶものが多かったのは確か。
→ 裏庭のミカンの木から、29日、ミカンを収穫。1本の木からこんなに採れるなんて、びっくり。でも、酸っぱくて食べられない。あくまで縁起物として玄関などに鎮座するだけかも。
…失ったものも多い。
東京在住時代の友人知人とは多くが音信不通だし。
引越しの際に蔵書や日記、ノート類を始末したら、誤って住所録も廃棄したのか行方不明に。
結局、転居のお知らせも出してない!
おーい、オイラ、ここに居るよって、叫んでもダメだよね。
飛ぶ鳥、跡を濁さずって、言うけど、小生の場合、何も残さず、だった。
そうはいっても、もうすぐ郷里での暮らしも十ヶ月となる。
富山市民として36年ぶりに正月を迎える!
少しはこちらでの生活にも馴れたことだし(そう言っておく)、来年は地に足の着いた生活をしたいもの。
あれこれあっての来年、小生にとっても、どなた様にとっても、佳き年でありますように!!
← 29日夕方。日中の炊事や買物などの用事を終え、ちょっと一服。夕方からはまたあれこれと。
[閑話休題……本文へ!]:
さて、年内最後の日記は小生らしく(?)、やはり読書拾遺にする。
といっても、充実した読書生活を今年、送れたというわけではないのだが。
→ 『遠近の回想 【増補新版】』(著者 クロード・レヴィ=ストロース / ディディエ・エリボン 訳者 竹内信夫 みすず書房) 「20世紀という時代を深く生き抜いた思想家レヴィ=ストロースは、自分について語ることが少なかった。旧版では、文化人類学者としての生涯と精神の軌跡とを、45歳年下の鋭敏な聞き手を得て、のびのびと楽しく語っている。今回の増補新版は、その2年後に、旧版への反応を踏まえて行なわれた対談「二年後に」を併せて収める」といった本(以下は、「遠近の回想【増補新版】:みすず書房」を参照)。ヤーコブソンやラカンやメルロ=ポンティとの交流などは意外でもないが、ブルトンやエルンストなど、ええっ、こんな人物とも交流があったのかと驚くことも。絵画や音楽などの話も面白い。小生が一番、驚いたのは、クロード・レヴィ=ストロースが未だ存命だということ。『悲しき熱帯』(中央公論社)を読んだのは30年以上も昔のことで、とっくに歴史上の人物だと思っていた。不明を恥じるばかりである。
最近読了した本は以下:
『遠近の回想 【増補新版】』(著者 クロード・レヴィ=ストロース / ディディエ・エリボン 訳者 竹内信夫 みすず書房)
モーム【作】『アシェンデン―英国情報部員のファイル』(中島 賢二/岡田 久雄【訳】 岩波文庫)
田中 聡著『 妖怪と怨霊の日本史 』(集英社新書)

← モーム【作】『アシェンデン―英国情報部員のファイル』(中島 賢二/岡田 久雄【訳】 岩波文庫) モームが(既に現役の作家だった頃から)英国情報部員として活躍していたことは知っていたが、迂闊にも今日に至るまで本書を読み逃していた。過日、図書館に立ち寄ったら、新入荷本のコーナーに本書があって、奪うように(他の誰かに先を越されないように)本書を手に取ったっけ。「モームの実体験に基づくスパイ小説の古典」だというが、とにかく、連作小説スタイルの本書は、モームの語り口の上手さの際立つ、モームファンならずとも必読の書だと思う。

→ 田中 聡著『 妖怪と怨霊の日本史 』(集英社新書) 「真の歴史は「妖怪」抜きには語れない ! !」というテーマの上での興味もさることながら、田中 聡 (たなか さとし) が富山出身者だとは、図書館の新入荷本コーナーで本書を手に取るまで知らなかった。しかも、「八八年に荒俣宏氏を団長に結成された「日本妖怪巡礼団」に、調査・案内役として参加。それを機に自らも執筆活動を開始」だって! 富山は前田(加賀藩)との絡みで、天神様信仰が篤く、正月の床の間飾りにも、掛け軸は天神様である。天神様…菅原道真というと、怨霊の歴史に不可欠の人物。少なくとも明治維新に至るまで(崇徳上皇の)怨念の歴史は続いていたことは有名である(「醍醐天皇陵」参照)。
途中で読むのを放棄した本:
『リアルのゆくえ』(大塚英志+東浩紀 講談社現代新書)
← 『リアルのゆくえ』(大塚英志+東浩紀 講談社現代新書) 「サブカルチャーの諸問題から国家論、表現論まで、わかりあうつもりのない2人による8年間の世代間闘争」といった本のようだが、本当に議論は終始(といっても、中途で放棄したのだが)、議論は噛みあわないままだった。そもそも、何を語り合っているのか、さっぱり分からず、小生にしては異例ながら、我慢して百頁ほど読んだところで放棄してしまった。感性の古臭い小生には、サブカルチャーは寒いカルチャーなのかもしれない ? ! これでは身も蓋もないので、「東浩紀の渦状言論 新著:リアルのゆくえ」での東浩紀の宣伝を読んでみる?
現在、読んでいる最中の本:
『ボードレール全集 2』 (シャルル・ボードレール 著 , 阿部 良雄 翻訳 筑摩書房)
池内紀著『ひとつとなりの山』(光文社新書)
→ 池内紀著『ひとつとなりの山』(光文社新書) 「山好きで知られる池内紀が、のんびりと出かけたひとり登山の二〇の山々。ひと味もふた味もちがう山の味わい方」だって。これまた新入荷本のコーナーにあって、「ひとつとなりがいい。人気のある山、よく知られた山のひとつとなり。『日本百名山』などに入っていないお山。人があまり訪れない。週日だと、めったにこない。だから山も山道も静かである。」「山高きが故に尊からず、足速きが故にエライのではない。途中のどこかを自分の山頂にして、そこで切り上げてもいいのである。」(「はじめに」より抜粋)という謳い文句にコロッと来て、即、借りることに決めた。就寝前に気軽に読めるのがいい。
『ボードレール全集 2』 (シャルル・ボードレール 著 , 阿部 良雄 翻訳 筑摩書房)は、ただただボードレールの手になるポーの伝記や批評を読みたくて、図書館にてパソコン検索してもらい、県立図書館から借り出してもらったもの。
さすがにポーに傾倒したボードレールの評は面白い。
彼の批評文を読むと、いろんな評論家が真似しているなって分かる。でも、真似ようがないってのがもっと分かる!
改めてボードレールを、ポーを読みたくなった。

← 『明治日本の面影 小泉八雲名作選集』(小泉 八雲 (著), 平川 祐弘 (編集) 講談社学術文庫) 「一度愛し棄て去った土地をふたたび訪ね、無傷でいることはできない。なにかが失なわれていた。その不在こそが私の胸中の漠たる悲哀の源なのだ。―出雲をはじめ横浜、京都など日本各地を旅した八雲。そこで出会った様々な人々と風土に、八雲は来日当初とは異なる新たな印象を抱いた。激しい近代化の波の中で失なわれゆく明治日本の気骨と抒情を、深い愛惜の念で綴った感性あふれる名作品集」といった本。高校時代から八雲(ハーン)のファンだったが、学生時代、さらにはサラリーマン時代になって、一層、好きになった書き手。ハーンは、古き佳き日本への思い入れが相当なものだったようだが(かなり一方的な、片想い的な思い入れのようだが)、明治が遠くなった今日の我々も、明治の日本をつい美化しようとする気味が強まっているように感じる。遠くから見たら美人、でも、近くから見たら、そこには一人の生々しい人間がいる…、そのように過去も遠くから見たら、ちょっと見には美しく見えるし、美しく見たいってのは人情なのかもしれない。そんな一定の留保を弁えた上で、正月には本書をじっくり読みたいと思っている。
読みかけの本を読了したら、次に読む予定の本:
『明治日本の面影 小泉八雲名作選集』(小泉 八雲 (著), 平川 祐弘 (編集) 講談社学術文庫)
借りたはいいけど、読めそうにない本:
エルンスト・ブロッホ著『ナチズム 地獄と神々の黄昏』(池田 浩士/藤原 辰史/本庄 史明訳 水声社)
作者: やいっち
更新日:2008年12月31日 1時53分
年越しの銭(?)はありません!
江戸っ子は宵越しの銭は持たないそうだ…が、今は世の多くの人が宵越しならずとも年越しの銭に窮しているんだろう。 もうすぐ正月だというのに、世知辛い話はさておき、小生、年越しの記事は持ちたくなくて、年内に書いた記事は、たとえ半端な段階のものでもアップさせておく。 → 正月の準備は万端…とは程遠いが、まあ、父がせっせとやってくれている。掛け軸は天神様(富山と天神様信仰については、拙稿「於保多神社…富山に天満宮 ? !」など参照のこと)。 一応なりとも完成させてのアップをと考えていると、いつになるか分からない。 日々、妙に慌しい。 あるいは単に気忙しいだけなのか。 記事は何かのネタ(題材)を見つけると、とりあえずキーワードをメモだけしておく。 記事の題名か対象の名称か、キーとなるサイトなどをメモしておくわけである。 あとは、時間が取れたときに少しずつ書き加えていく。 なので、着手してから一応の完成まで妙に時間(月日)を費やしていることが多い。 画像のない記事の場合(エッセイや掌編など)は、一時間も要さずに一気に書けるのだが、資料的なサイト(や画像)をネット検索などで探し出すのは、手間ばかりが掛かって、正味でも二時間を超えているやもしれない。 そのわりには読まれない…なんて愚痴は吐かない。 とりあえず、好奇心の趣くままの営為だし、心の透き間を埋める営為でもあるし、まあ、ここまで続けてきたら、意地みたいなものもあるような気がする。 というわけで(?)、生煮えの記事だが、下記をアップさせた: 「小山哲生…耽醜の美は牙を研いで夜を待つ」 ← ずっと東京で一人暮らしだった小生は、正月の準備などしたことがない。正月休みを使って帰省したら、父母がいつもちゃんとやってくれていた。お膳立てされた家で喰っちゃ寝だった。それも、もう、過去の話だ。これからは小生がやらないといけない! ついでだが、旧稿を暖めるというわけではないが、6年近く前に作った、「冬のスズメ」という作品をブログにアップさせた。過日、「寒雀身を寄せ合って春待つか」なる記事を書いたのだが、そういえば、小生、何年か前、「冬のスズメ」と題した掌編を書いたはず…と思い出したのである。ホームページには掲載済みなのだが、多少なりとも日の目を見させるため、年内のうちにとブログにアップしたのである。 …まあ、画像を使いたいという思いもあったのは事実。 これで、単なるメモ書き(キーワードとなる言葉を羅列しただけ)の草稿を別にして、アップしそびれている記事はないはず。 これで、年越しの銭…ならぬ記事はありません、というわけである! 蛇足: 過去の記事一覧は(但し、過去一年分だけだが)、下記に纏めてある: 「壺中庵記事一覧」
作者: やいっち
更新日:2009年1月4日 15時36分
町の灯り
郷里での夜は始まりも早いし長い。 今が冬で暮れるのも早ければ、明けるのも未だ遅いから、ということだけではない。 父母が寝室から茶の間に出てきて、その部屋で過ごす時間が短いのである。 → 町の灯り。 母は来客がない限り、朝食時、昼食時、夕食時のそれぞれにそれぞれ一時間余り、茶の間(居間)で過ごす。 まずは小生が用意した熱いお茶で一服、テレビを見るともなしに観つつ食事。その後、お茶を啜ってその日の体調次第で短く、あるいは長く、茶の間で過ごし、その内、椅子に座っているのが「疲れた」と言って寝室に引っ込む。 その部屋には特製のベッドなどがあり、あとは横になって過ごすのである。テレビはないと味気ないというので、ほぼ点けっ放し。 見ているというより、音がないと寂しいということのようだ。 父は、茶の間での用事があるときはやや長く過ごすが、やはり来客がない限り、寝室に引っ込む。 フローリングの床に布団を敷き、寝そべって本を読んだり、タバコを燻らせたりして過ごす。 母の傍に居て、見守ってやる必要があるからでもある。 小生にしても父母がいない茶の間では長くは過ごさない。 庭仕事などやアルバイト、買物などの外出の所用など、あるいは火の元のチェックなどの雑用がない限り、自分の部屋に引っ込んで、音楽を聴いたり、ネットしたり、読書したり、あるいは夜の仕事に備えて仮眠を取ったりする。 なので、茶の間は父母も含め誰も居ない時間が長い。 日によっては、茶の間(食事の間)に誰かしら人がいる時間が一日、合計しても4時間ほどだったりする。 茶の間は出窓で外と接している。 余程の快晴でないと、外の光は部屋の中へはあまり漏れこまない。 窓は北向きで、一日を通して直射日光が差し込むことは全くない。 要するに、終日、薄暗いのである。 よって誰か居る時は、蛍光灯を灯す。 そうでないと、薄暗くて、目のいい人でも新聞は読めないほどなのである。 それでも、人気がなくとも、日中は外の光に多少は恵まれる。 問題は夜である。 今は主に父母にとっての食事の間となっている茶の間なので、母が食事を終え、食後の一服も済ませて、疲れた~とばかりに部屋に引っ込むのが夜というか、まだ夕方と呼べそうな七時過ぎである。 父もテレビを見てやや長く茶の間で過ごすこともあるが、日中、何かの用事があって体を使ったりすると、疲れてしまい、母の面倒を見る必要もあって、母が引っ込むとほとんど相前後して寝室へ篭ってしまう。 となると、部屋には小生が一人、取り残される。 あるいは、場合によっては夜のアルバイトで小生のほうが早く茶の間を離れるし、アルバイトがなくても、昼間、外出の用事や、畑や庭仕事などの雑事で疲れてしまった時は、父母より小生のほうが、茶の間から自分の部屋へ移動してしまうこともあったりする。 後を追うように、ではないが、父母も寝室へ。 ← 町の灯り…といっても、冒頭の画像は、かなり拡大したもの。茶の間の出窓からの眺望は実際はこうなのである。 夜の八時前、それどころか時に、七時過ぎには茶の間は誰も居なくなってしまうわけである。 父母の寝所や小生の部屋はそれぞれ離れた位置にあり、玄関からは灯りは(灯っていても)見えない。 家の門から我が家を窺うと、玄関に弱気な感じの灯りが申し訳程度に灯っているだけである。 その玄関の灯りも、夜の九時前後には消してしまう。 あとは、寝所と小生の部屋の灯りがそれぞれポツンとあるだけ。 夜のアルバイトがないと、小生は、夜の九時か十時に茶の間へ、そして茶の間と隣り合っている台所へ行く。 まあ、火の元の確認とか、茶の間のテーブルの上の湯呑み茶碗などを片付けたり、ゴミを始末したり、時に翌日のためにご飯を電気釜にセットしたり、味噌汁を作ったりもする。 (火の元などの最終チェックは夜半過ぎにする。) 朝、早めに起きて味噌汁を作るのは面倒なので、夜のうちに作っておくわけである。 冷蔵庫を覗いて、朝食のためのオカズが何かあるか、チェックしておく。 そんな雑事が夜にはある。 時にはお八つが食べたくて、夜の九時過ぎ十時過ぎに茶の間へのこのこ出て行くこともある。 すると、当然ながら、茶の間は真っ暗である。 茶の間の出窓からは昼間なら我が家の裏庭や、隣近所の畑や庭や田圃が見えるはずである。尤も、出窓の外の視界は、裏庭と隣家の畑との際(きわ)にある納屋で大半が遮られている。 …ということは、外は真っ暗だということである。 近隣の家の明かりは、さすがに夜半近くまでは灯っているのだろうが、厚いカーテンで外には余り光は漏れない、あるいは、茶の間の出窓からは隣家の明かりの灯る部屋は角度的に見えない。 納屋の向こう側には畑や田圃があり、造成中の公園があったりするが、その向こう側には隣の町の家々が通り沿いに並んでいるのだが、そんなに深更に及んでいるわけではないのに、田舎のこととて夜が早いからか、我が家のようにお年寄りの方だけの住まう家が多いからか、あまり明かりの灯っている家は見受けられない。 そんな中、僅かに煌々と…無神経なくらいに光を垂れ流している構造物がある。 何処かの宝飾店の大きな看板であり、もう一つはマンションの駐車場の隅っこ、道路沿いに鎮座している自動販売機である。 遠くには電信柱があるし、あるいは街灯もあるようなのだが、街灯が灯っているのかどうか、分からないほどのもの(冒頭の画像で左側のボンヤリした灯りが街灯である!)。 そんなこんなで、茶の間の出窓からの光景は、茶の間の中は勿論、真っ暗なら、カーテンを開けて伺ってみる外も、宝飾店のアクリルプレートを蛍光灯で内側から照らし出す立派な看板の灯りと、自動販売機の蛍光灯の灯りを覗いては、真っ暗。 その看板の賑やかな灯りも、土日は消されている。 となると、自動販売機の仰々しい、そして白々しい蛍光灯の灯りしか、夜の海に浮かんではいないことになる。 → 茶の間にしても、真っ暗闇と言いつつ、ポットやテレビなどの表示灯(パイロットランプ?)などが闇の海を泳ぐ深海魚の眼のように光っている。 晴れた夜の空なら、お月さん次第だが、多少は真っ暗闇ではなく、藍色の世界が広がっていることもありえるが、冬の北陸富山は、夜は大概曇っている。 月や星が拝めるような夜は、少ないのである。 そんな曇天の日の夜となると、父母の居ない茶の間に足を踏み入れた瞬間から、真っ暗闇の海の黒い水が茶の間にまで浸透しているように思えたりする。 そうそう、小生の居住する部屋から茶の間へ向かうには、まずは隣の仏間へ、その隣の(昔は父母の寝所だった、今は物置や洗濯物を干す空間になっている)部屋へ、そしてその隣の茶の間へ、という間取りになっている。 小生の居住する部屋は(小生が居る限りはさすがに)灯りが灯っていて、隣の仏間も、夜は豆電球を終夜ともしてあるのだが、仏間と茶の間の間にある部屋は、灯りはほとんど終日、灯りは灯さない(灯す意味があまりない)。 なので、茶の間の手前の部屋に一歩、足を踏み入れた瞬間から、茶の間のはずの部屋の闇が小生に圧し掛かってくるように感じられる。 冬の夜は団欒の時の温みも呆気なく冷ましてしまう。 吐く息が白くなるほど寒くなっている。 そんな冷たい闇が小生を威圧するかのように、呑み込むかのように立ちはだかっているのである。 それでも、一日の最後の雑事を果たすためには闇の世界へ乗り出して行かないとならない。 すぐにも茶の間の灯りを灯せば、何も問題はないはずだが、シーンと静まり返った茶の間の、奇妙な負の存在感が、手を灯りのスイッチに向かわせないのである。 いっそのこと、茶の間の出窓の外の闇を覗き込んでやれ、なんて思ってしまうのである。 あるいは、闇の海の中に何か希望の光のようなものがチラッとでも明滅しないかと期待しているのだろうか。 でも、見えてくるのは白々しいばかりの自動販売機の水銀灯の灯りだけ。 街灯からさえも見放された田舎の一角では、自動販売機の白けた灯りであってさえも、人の手の(温もりとは程遠いはずなのだが)名残りの印しなのである! (08/12/29未明作)
作者: やいっち
更新日:2009年1月4日 15時39分




