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トップ > 平家物語 > 平家物語 - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2009年1月8日 2時)
世界史に疎い
それは直截、人生をつまらないものにする。世界史を体系的に勉強しておけばよかったと悔やむ。読書生活に重大に禍根を残す結果となり、今、些か、困惑している。
作者: 中也
更新日:2009年1月7日 19時53分
キリスト教と裁判員制度
「人を裁くな」とイエスキリストは言っておられることから、裁判員制度は思想・信仰の自由を保障する憲法に抵触する可能性が絶無であると断言できるのだろうか。また、日常的に人を裁いている裁判官のなかにはキリスト者は存在しないと考えてもよいのだろうか・・・。
作者: 中也
更新日:2009年1月7日 19時38分
生の目的は長生きすることではないが長寿は慶祝の価値がある
長生きを一義とした考え方は馬鹿馬鹿しい人生観である。人生において長生きという要素は一つの現象にしかすぎない。人生は主観に基づいた密度の濃淡で価値が決定する。しかし、長命は寿ぐことであることに変更はない。
作者: 中也
更新日:2009年1月6日 20時3分
システムとして仕事
そういう労働の様態は存在しうるのであろうか。因みに、曾て、日本エアー・システムという会社が存立していた。
作者: 中也
更新日:2009年1月6日 10時34分
養老孟司さんの脳の形
【うちのまる 副題 養老孟司先生と猫の営業部長 有限会社養老研究所編 ソニーマガジンズ刊】という本のなかに養老氏の書斎の様子が収載されていることから、これが碩学 養老氏の頭の中身・又は、脳味噌の形なのだと思った。 「うちのまる」とは養老先生がご家庭で飼養している猫(スコテッシュ・フォールド種)のことであり、有限会社養老研究所というのは令嬢の養老暁花さんが遊び心から命名した会社で実在していないようである。猫と養老先生のツーショットの図はよく似合う。猫にむかう養老さんの顔は天真爛漫で子供のようで微笑ましい。しかし、自分と人には厳しいかたでもある。
作者: 中也
更新日:2009年1月5日 20時16分
仕事始め二句
お正月のイリュージョン
楽しみにしていた長期休暇も本日で終わる。それも、また、仏教でいう無常迅速の一つである。正月休みなど始めから無かったと思えば休暇の丸儲けである。三六五日が正月休という人は存在しないので、休暇明けの憂鬱から一人自分だけが逃れることは不可能である。
それにしても、月を正して、又は、正しい月を平成二十一年の御代の劈頭に年神様によってもたらされるのは慶祝の至極である。
作者: 中也
更新日:2009年1月4日 8時30分
体育系単科大学の意地をみせて欲しいと願っていた
箱根駅伝などの大学生に依るスポーツ大会を観戦する度に感じることなのだが、体育系単科大学には更なる気焔を吐いてもらい来年は捲土重来を期してもらいたい。「きみたちは体育学の学士予備軍でしょ」と要らぬお節介と知りつつも繰り言を言いたくなる。それは、僕は単科大学に親愛の情を感じる所以でもある。
作者: 中也
更新日:2009年1月3日 22時16分
新年の劈頭に寺社に参詣することを初詣という
大抵は、普段、行かないような大きな寺社に初詣に行くのが日本人一般の民俗的行動であり、初めて当該寺社に詣でるからこそ初詣。一年のあいだに二度も三度も参詣しないことから初詣は初詣として機能していない(複数性があってこそ一回性も存在する)点において初詣は純粋に宗教的行事として成立せず、寧ろ、正月に付帯する民俗学営為として認識されるべきである。しかし、一回性を科目として掲げながらも神仏に幸多かれと祈るその心性は尊いものがある。本来、近くの寺社や菩提所に詣でることが初詣の要諦であると思えるのだが・・・。
作者: 中也
更新日:2009年1月3日 21時20分
人間は悩む葦でもある
【[悩む人間]、[苦悩する人間]はただ、運の悪い不幸な人間なのだろうか】という姜尚中氏の問いかけは人生の核心を射抜いてるように感じられるのである。
作者: 中也
更新日:2009年1月3日 20時35分
瞑想する場所としての書斎
宗教的な意味ではなく、単純に思惟の試行を固めるなら書斎にはパソコンを設置しないほうがよい。
作者: 中也
更新日:2009年1月3日 9時22分
対本宗訓は医師免許を取得して僧医として胎動を開始した
【僧医として生きる 対本宗訓著 春秋社刊】を読了した。前著の「禅僧が医師をめざす理由」では宗門を去り医学を志す理由の説明責任を果たし、掲げた本では、医師になったことの経過説明とその報告をしている。前著を読んでおかないと対本宗訓の言わんとすることを充分に理解できないかもしれない。掲げた本と前著は書籍における上巻と下巻の関係に相当する。
京大哲学をでるほどの智慧者は四十歳を超えてからも帝京大医学部に入り医師になれる可能性を秘めていることを証明した。おそるべし。京大哲学科ともいえる。尤も、哲学科は、学問の成立において曾ては数学科のなかに位置づけをされていた経緯もある。
作者: 中也
更新日:2009年1月3日 7時30分
公務員の位置-お正月には憲法を読む-
「国のために国民がある」という思弁から「国民のために国がある」という国家的・国民的発想の転換によって公務員は国民の下僕的な存在になってしまったことは淋寂の情感を感じる。〈←姜尚中氏の言葉を一部参考〉
公務員は、国民に奉仕する存在である点に就いては一抹の疑義を呈したい。【奉仕】とは、宗教的慣用句としての意を別としても、その本態は祈りでありそれは無償でおこなわれる営為であることから、公務員は国民への奉仕者ではなく国民とのあいだで交わされた労働契約の履行者であると理解されるべきである。会社員が会社や国民のニーズや負託に応じる義務があるという程度において公務員も同様である。
労働は須く誠実な態度で倫理に応答して行われなくてはならない性格を保持しているため【公務員倫理】という言葉の突出は時代のニーズを背景として正義を実践してゆく姿勢の明確を示している点において、それが逆に公務員の優越性を示しているとも感じられなくもない。また、奉仕とはいえ公務員のおこなう執務は法の執行であることからそこに情感的な奉仕という崇高な理念は馴染みにくいと考えられる。
尤も、憲法の条文において【奉仕者】という言葉は明確に使用されているが、それは【全体の奉仕者】の意として理解され【労働奉仕】の意とは解し難い。そも、【奉仕】とは無償でおこなうが故の奉仕であり、有償の奉仕など存在しない。有償の奉仕を前提とするならば、公務員の雇用賃金は限りなく低減化されなくてはならないが、絶えず、人事院勧告等で官民格差の均衡性の確保についての配慮が為されている。
昨今の風潮において国民が過剰に公務員を敵性視する心理は、官民の賃金格差もその一員として考えられ、それは、他人の財布のなかを忖度するようなさもしくさがあり幼稚な感情的思弁として一蹴されるべき性質を帯びているが、働かない公務員は契約の不履行に該当しその弾劾は国家公務員法などの法的な根拠を擁している点において公務員という職業の特殊性が発見されるのである。
作者: 中也
更新日:2009年1月3日 0時50分
禅機が熟したわけではない
【新装版 図説 禅のすべて 鈴木大拙監修 木耳社刊】を読了した。初版が一九六三年の本であることから、挿絵・写真・文体が古い。しかし、それも魅力の一つになっている。茶道・禅画についての記述もあり禅をさらっとながめてとおるには好適な一冊であると思えた。初学の僕にも興味深く読むことができた。
作者: 中也
更新日:2009年1月2日 20時0分
何を食べても甘く感じる病気は存在するのであろうか
とりあえず味覚異常ではある。糖尿病との因果関係に就いては謎。兎に角、負荷血糖値などの測定は不可避だな。口渇感も気になっている。
作者: 中也
更新日:2009年1月2日 9時49分
男の子は秘密基地が大好きである
書斎とは、男の隠れ家(そういう雑誌があったが現在は廃刊)であり秘密基地に似ている。好きな本や鉄道グッズなどに囲まれて大層の満足感に浸ることができる。この歳になっても秘密基地を造ろうとしている自分がいる。 書架は自分の読書傾向を示しており、例えば、招き入れた人に対して自分の【知の歴程】を指し示す指標として機能するが読書は個人的な体験であることから誇示するものではない。寧ろ、自分の蒐集癖などから書架を彩る小物たちの多岐性に我ながら驚いている。やはり、僕にはパラノイア的傾向があるようだ。
作者: 中也
更新日:2009年1月2日 4時9分
大奥は何処に存在していたのか
一体、大奥とは如何なる場所なのだろうかと思い立ち【江戸城・大奥の秘密 安藤優一郎著 文春新書】を買い求めて読了した。大奥を含む本丸御殿の跡地は、現在、皇居東御苑の一部になっており、本丸御殿の半分以上の面積を専有していた。
大奥と幕格との遣り取りもおもしろい。老中の松平定信と大奥との遣り取りの場合、大奥が、「これは上意である」と言うと松平は「それは将軍の使う言葉であり、大奥の話は御話であろう」と切り返して大奥が政治に容喙することを断固拒否したという。
作者: 中也
更新日:2009年1月1日 23時14分
JR東日本の職員のお正月
普段、休日勤務が当然の車掌や運転士さんもお正月だけは休みたいと思うそうです。職業特性から勤態は仕方のないことなのでしょうけど・・・。鉄道が好きだけでは務まらない仕事であると、つくづくと感じます。
作者: 中也
更新日:2009年1月1日 6時10分
健康は能動的な努力によって勝ち取らなくてはならない
待っていたのでは健康を維持できない。努力に拠って肥満体質を超克することが喫緊の課題として認識する。最近、口渇感が気になっている。
作者: 中也
更新日:2009年1月1日 6時2分
生きることは嬉しくも楽しいことなのである
あけましておめでとうございます。今年は、標記のとおり「生きることは楽しい」を目標に掲げて精進してゆこうかと思っています。 昨日に既に年末年始のご挨拶は済ませてあるので年頭の所感など特には綴りませんが、また、暦が一月に戻りました。それを一二月まで積み重ねてゆくと再び暦は一月に戻ります。例え、暦という時間の指標軸が無いとしても季節が時間の経過を知らせてくれます。 それこそが、絶え間ない時間の運航のうねりとも表現できるのでしょう。また、それは久遠に連続的で回帰的であり、そして波状的であり、潮の満ち引きに似ています。時間に載って季節が巡るのか、季節に乗って時間が巡るのか定かではありませんが・・・。 のっぺりと師走も知らず今朝の春[良寛]
作者: 中也
更新日:2009年1月1日 3時25分
もう人生の意義などは考えないことにする-2008年に悟ったこと-
2008年は幸せで充実した一年であった。家族の関係などに就いてはノイローゼになる程に思い患ったが円満に解決した。今後、家庭内で父・妹を基軸とした家庭争議は起こり得ない。精神科医の指示に従って、父とは一定期間を別居したのが奏功した。尤も、受診させる迄の過程が大変であった。
また、父の容体に就いて一定の診断名が賦与されたことに拠り、父は病気であるという事実認識を妻に印象づけることにも成功した。妻の気性は穏やかだが不正は看過できないタイプなので父との衝突は不可避であったが病気を原因とした言動であるという点で理解を得た。
妹が嫁いだ。青天の霹靂とも言ってもよい奇跡的で電撃的な出来事であった。妹の何が劣っているというわけではないが、兄としては結婚するタイプの女ではないと勝手に信じ込んでいた。その確信はおそらく家族全員が共有している認識なので皆が驚いた。
妹が嫁いだ結果、妻に長男の嫁としての意識の萌芽した。今後、老父母を能く助け円満な家庭として和を築くことが出来るものと確信した。つまり、各個が【つがい】として独立したのだ。父と母・妻と僕・妹と義弟。それが相互扶助の関係を緊密にもつことに拠り家族として一層の飛躍をみた。
父は疾病のため書斎を別に設けたため、これまで使用していた書斎を与えてくれたので、僕の生活の質も一層向上した。そのためのリフォームも行った。やはり本に囲まれている生活は快適なのだ。従来は、自在にコンポーネントステレオで音楽を聴くこともままならなかったが音楽との関わりも濃密になった。
仕事の面でも収穫が多い年であった。よき同僚・上司に恵まれただけに留まらず、単調になりがちな仕事のなかにも、それは、実は単調ではなく細部を仔細な注意力を恃むことに覚明し正にこの仕事こそ天職、又は、担当している職場を今後は中心になって守ってゆくべき使命を感じるに至った。毎朝、課業開始一時間前には職場に到着しているのも僕が出来る最大の危機管理なのだ。
上司の推薦により感謝状を頂戴した。推薦基準から外れていることを理解しているために、それをも慮って戴いた心根が心底嬉しかった。副賞は明治座での演歌歌手の公演観賞であったが、副賞の内容の如何に拘わらず、兎に角、嬉しかった。この人の負託に応答しないといけないなと痛切に感じた。また、組織は個人を守ってくれる存在であることにも覚明した。家庭の問題に就いても真摯に心配し相談に乗って戴いた。有能な上司とは、多分、おのずからと父性を具備しているものだと思えた。
精神生活も充実していた。たくさんの本を読んだ。使命としての読書を意識したのは青春時代以来の出来事である。「この本は読んでおかなくてはならない」という意識の発生は読書人なら判ると思うが嬉しい悲鳴なのである。それは、とりもなおさず、主体的に読書にかかわってゆく能動的な態度であるとも言える。
そんなになかで「生きることの意味」を考えることの不毛を悟った。あえて言うなら、生きる意味もなければ死ぬ意味もないと思っている。人生は苦しくもあり楽しくもある。宗教的な話は抜きにして、死なないから生きているのであり、生かされているから生きているのである。それは多分、まだ、必要だがら生かされている。なにかの役に立っているから生かされている。
では、夭折した人はどうなんだという疑問も発生してくるが、その時に与えられたその死が本人にとって一番よい時期での死であると思うより他はない。生が与えられるものであるように死も与えられるものなのだ。要は自然の摂理ということに尽きる。その摂理に就いて思い悩んだところで答などない。
幸福すぎる人は死を受容しにくいだろう。全ての局面に於いて満足している秦の始皇帝のような人は死を極度に恐れた。それはそれで哀れである。人生は適度に苦しいから苦抜としての死がある。人は適度に幸福で適度に不幸な方がよい。
永平寺の貫主の故宮崎奕保が自然について次のように述べている。「自然は立派である。決まった時に決まったはからいをして決まった時に去ってゆく」。人とて同じことなのである。左を以て年末年始の挨拶とする。
補遺 自己管理を徹底し乍らも医療の恩恵には浴していく点に就いては従来どおりである。
作者: 中也
更新日:2008年12月30日 21時30分
歌謡曲は私小説である
アイドルと呼ばれる一群の若者が存在していた。松田聖子さんとか、石野真子さんとかキャンディーズとか。田原俊彦さんとか近藤真彦さんとか。歌謡曲の歌詞は私小説的である。「そんなことは訊いてませんよ 」と言っても一方的に気持ちを披瀝してくるお節介さが歌謡曲の特徴であるが、僕も時折、「ザ・ベストテン」などを観ていたものである。
近著でザ・ベストテンという本がでた。懐かしくなり購入してしまった。
補遺・・・
演歌は、自分がどれだけ人生や恋愛の局面で苦労したかの叙述である。
作者: 中也
更新日:2008年12月30日 21時10分
詩と死の近縁性-谷川俊太郎とホスピス
標記の二つの連関において類縁性があることは間違いないのであるが、ぢゃ、詩人とホスピス医とのあいだで往復書簡の遣り取りをさせたらどういう結果になるのかという試考を為したのが【詩と死を結ぶもの-詩人と医師の往復書簡 谷川俊太郎 徳永 進 朝日新書】という本である。 谷川俊太郎に関しては今更、いうまでもなく現代において第一級の詩人でありその作風は「素直で分かり易い」のが特徴であり、所謂、現代詩を標榜する詩人の一群とは一線を劃している感がある。 一方、徳永医師は島根県においてホスピス医療を中心とした「野の花診療所」を開設し乍ら全人的な医療を実践しておられる。この往復書簡の遣り取りは大概において失敗しており話のすれ違いが随所に見られた。 谷川さんは詩人であることから徳永氏の繰り出す言葉を手懸かりとしてそこに詩境を発見しようと努めているのだが、徳永氏の話は臨床に終始していることから谷川さんの苛立ちのようなものが伝わって来る。 谷川さんの話やエッセイ(詩は好きである)の類をこれまで読んだ経験がないことから谷川さんは実に好々爺然とした雰囲気を感じていたが、気難しい面も垣間見られそれは詩人谷川俊太郎の詩人としての宿業であるとも理解できた。良心的な詩を能くする谷川俊太郎をしてもなおなのである。【詩境】とか【詩心】という言葉があることから、詩は【気】の所産であるとも言えなくはない。 余談たが、【詩境】に対句する言葉として【死境】。【詩心】に対置する語彙として【死心】の言葉を敷衍してゆくことで死の受容が穏やかなものになるとも考察できた。今、たくさんの文人が死に方に就いて考えている状況にある。五木寛之を筆頭格に老齢期を迎えた作家たちは死に就いて様々な発信をしており、その思考の途中で一旦は、緩和医療に足を止めている。あれほど綺麗で美しく死を生物学的必然として容認してみせた谷川俊太郎もまた、老齢期に入って【実感としての死】の具体的検討に入ったものとも解された。谷川氏も詩をとおして死を強烈に意識する齢になったのである。
作者: 中也
更新日:2008年12月30日 21時0分
アンジェラ・アキという人が謳う聡明な唄に感動した
過日、深夜に目が醒めたのでテレビをつけたらNHK合唱コンクール中学生の部が再放送されていた。課題曲はアンジェラ・アキさんの【手紙 ~拝啓 十五の君へ~】という唄であり大変に共感を覚えた。今、何度も何度も繰り返して聴いている。今後のアンジェラさんの活躍に期待したい。彼女の感性は瑞々しくそれは本物であると思え感性の横溢は無尽であると断言出来る。
今年は紅白歌合戦にも出場するらしい。民放においては視聴に値する番組は少ないので、ついつい紅白歌合戦を観るが、NHKは何故にこうも畸形な迄に紅白歌合戦に意を傾注するのか謎である。【紅白】とか【歌合戦】という対立軸の構築の方法も時代遅れの感が否めない。伝統の所産なのであろうか。
作者: 中也
更新日:2008年12月29日 9時34分
日常の様態は労働のなかに伏在している
それは潜在という形を為すこともある。仕事なくして人生はありえないのだから年末年始の休暇と雖も必ずにも仕事が始まることを念慮しておくこと。一月五日には間違えなく仕事が始まり、また、今日的状況において仕事があるということは欣喜すへきものであると見切ること。そんな意味から年末年始の休暇は既に終わっているものと了知すること。
作者: 中也
更新日:2008年12月29日 6時43分