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トップ > 平家物語 > 平家物語 - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2009年1月8日 2時)

朝の散歩・・・アオサギ

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお付き合い願います。

今日の散歩は久しぶりにカメラを持って出かけたので、これも久しぶりにブログにUPした。昨日アオサギを見かけたので撮影するためだった。

その池へ行く途中に桜が咲いていた、確かに桜の木なので緋寒桜と思われる。




その先の「御所が池」のほとりにアオサギがいた。今日は小屋の屋根にとまって水面を見ていた。色が白いが冬用か。


カルガモが番いで仲良く泳いで、時々もぐっていた。

作者:yumeoijyuku

更新日:2009年1月4日 14時42分

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奈良の古墳めぐり・・その2-8

奈良市北部の佐紀古墳群②

近鉄「平城駅」から佐紀古墳群西群へ

今日は前月に引き続いて佐紀古墳群の西部を中心とした古墳をめぐった。佐紀古墳群は古墳時代前期~中期の古墳群で、200m以上の全長をもつ7基の大型前方後円墳とこれらの陪塚、6基の中小型の前方後円墳からなる県下有数の古墳群を形成している。
近鉄平城駅の北側神功皇后陵からスタート。神功皇后は第14代仲哀天皇の皇后で仲哀天皇は景行天皇の子の日本武尊の第2子とされている。この古墳では今年2008年2月22日に考古学者らが墳丘に登って踏査している。宮内庁がやっと重い腰を上げて、墳丘の1段目までの立ち入りを認めたもので。考古学界にとっては画期的なことである。墳丘の東側で円筒埴輪の列が見つかったりして、観察だけでも貴重な所見が得られたとされている。加えて、11月29日には大阪府堺市が調査中の御廟山古墳の見学会を行っている。(このブログ次のページ「陵墓参考地の発掘調査現地説明会」参照)。

古八塾長の解説



次に駅の反対側に行き成務天皇陵の後円部にでる。後円部の外側には松の木が生えて草むらになっているが陪塚がある。このあたりには成務天皇、垂仁天皇皇后日葉酢媛陵、孝謙(称徳)天皇陵と3つの大型古墳とその陪塚が集まっている。成務天皇は天理市の南に御陵が有る景行天皇の子で、男児が無く神功皇后の夫・仲哀天皇を皇太子とした。ここの南が孝謙天皇陵になる。第48代孝謙天皇は父の聖武天皇が造営した東大寺の大仏開眼の主催者となった女性天皇で、譲位して上皇となったが、譲位した淳仁天皇を謀反のかどで廃帝(淡路廃帝)として、重祚し称徳天皇となった。古墳は4世紀後半~5世紀前半のものとされ時代が合わない。

 日葉酢媛陵は1915年に盗掘にあい翌年調査の上、銅鏡、石製腕飾り他の出土品を竪穴式石室内へ埋め戻されたと言う。石室直上から高さ1.5m、横幅2mもある翳(えい=鳥の羽で覆った車の屋根)型埴輪はじめ盾型埴輪、家型埴輪が出土している。竪穴式石室は縄掛け突起のある巨大な天井石5枚で覆われていたという。
このあと瓢箪山古墳、塩塚古墳を訪ねたあと、南へ引き返して平城天皇陵に向かう。この古墳は平城宮築造のとき前方部を削平されていて円墳になってしまっている。こから南一帯が特別史跡平城宮跡となる。ちょうどこの陵の真南に第二次大極殿の基壇が復元されている。
昼食後は平城宮遺構展示館でボランティアの方の説明で平城宮の概要を勉強した後、



 復元された酒造司の井戸、東院庭園、朱雀門に寄って解散となった、最寄駅は近鉄「新大宮駅」。



ここの平城宮跡の施設への入場はすべて無料、その上ボランティアの方に解説をお願いできる。

作者:yumeoijyuku

更新日:2008年12月18日 22時5分

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陵墓参考地の発掘調査現地説明会 

 堺市北区の「御廟山古墳」(陵墓参考地)で墳丘裾護岸改修工事に先立つ発掘調査の現地説明会に行ってきた。昨日28日に新聞で知って翌日の見学であった。JR百舌鳥駅近くの大仙公園広場に集まって整理券をもらって説明時刻を割り当てられての見学だった。1日5,000人までということであったが、整理が手際よく混乱は無かった。

最初の9時15分の組に入って15分の説明を聞いてから出発。
左:説明の堺市文化財課十河さん、中:説明風景



百舌鳥駅すぐ南にある前方の踏切を渡って現地へ。


御廟山古墳:全長186m、後円部径約96m、後円部高さ約18.3m、前方部幅約119m、高さ約17.8。これは大正15年測量の地形図によるので、今回の調査で墳丘裾がかなり浸食されていることが分かり(このことが今回の護岸整備工事の発端となっている)、全長200m、後円部径110mにせまると分かった。

今回調査による実測図:見学は周濠の水を抜いたあとに仮橋と見学デッキを作ってあって、前方部北西から墳丘裾に取り付いて、→前方部→前方部南→造り出し→後円部東中央部まで裾をまわって仮橋を渡って終わるルートであった。



 調査結果では、
① 墳丘裾が周濠の貯水量を多くするために、後世(江戸時代前半)に削られて1段目テラス上に積み上げられていたことが分かり墳丘がもっと広かったことが分かった。
② 各所で1段目テラス上に円筒埴輪や2段目斜面の下端が検出された。
③ 埴輪には円筒埴輪が大部分で直径40㎝程度のものが主体である。
④ 象形埴輪には蓋形、家形、冑形埴輪などがあって造り出し部に集中していた。
⑤ 埴輪の制作技法から5世紀中頃のものと考えられる。
などが分かったという。
今後宮内庁と堺市の詳細報告を楽しみにしてください。

造り出し部前方部寄り。左:1段目斜面、中:円筒埴輪残存部、右:葺石や象形埴輪は裾部に落ち込んでいる


造り出し部後円部寄り。左:1段目斜面、右:円筒埴輪残存部


後円部東から


陵墓参考地の見学会ということで、中に入って見学できるだけ儲けものという気持ちで行ったが、どうして、発掘現場の現説そのものであった。見学デッキも本格的なもので周濠部は堺市の管轄であるが、墳丘は宮内庁のものである。市が主役であったがかなり有意義であった。

<写真はクリックすると拡大します>

作者:yumeoijyuku

更新日:2008年11月29日 22時43分

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奈良の古墳めぐり・・その2-7

近鉄文化サロン現地学習 H20.11.20

奈良市北部の佐紀古墳群1

近鉄「西大寺駅」から佐紀古墳群東群へ

 今日は佐紀古墳群の東部の大型古墳をたずねるが、その前に西大寺駅すぐ北の奈良ファミリー内にある西隆寺跡を訪ねた。奈良ファミリーは近鉄百貨店とジャスコが入った西大寺駅前の大商業施設である。西隆寺は称徳天皇が僧寺の西大寺と対に建立した尼寺で、当時の国営十大寺の一つであったが廃絶した。百貨店の中に遺跡があるのも珍しい。

左:店内にある説明板を見る、右:フロアに柱の跡が明示されている。



次は順路にある平城宮跡資料館を訪ねる。近鉄西大寺北口から東へ行くと平城宮跡の北の通りを行くことになる。秋篠川を過ぎてそのまま東へ行くと、右手に奈良文化財研究所平城宮跡資料館への道がある。平城宮について系統だてて展示・説明されているのでよく分かる。

ボランティアの方に説明を受けた


平城宮跡を東へ、正面に若草山。左は大極殿復原工事中。



平城宮について勉強した後は小奈辺古墳の西の道を周濠沿いに北へ向かう。後円部の曲がる辺りに左へ抜ける道がある、これを行くと磐之媛命陵(ヒシアゲ古墳)の拝所に出られる。

拝所前で昼食。


磐之媛命は第16代仁徳天皇の皇后で天皇が八田皇女を妃にしたいといったので反対したが、大宮に召されたので、怒って山城に住んで死ぬまで天皇に会わなかった。天皇は磐之媛皇后に遠慮していたが皇后の死後八田皇女を皇后とした。仁徳天皇は民家に炊飯の煙が立たないのを見て3年間租税を免じた話は有名。磐之媛命陵から引き返して小奈辺古墳の後円部を左(東)に取って、自衛隊を挟んで東にある宇和奈辺古墳の南を通って広い国道24号を東へ渡ってから南へ不退寺の裏山を通って東の聖武天皇陵へ向かう。
聖武天皇の時期は律令国家が完成して、政権は絶頂期に達した。仏教が高まり天平文化が絢爛と花開いた時代で。全国に国分寺と国分尼寺を創設し、東大寺を建て大仏を造った。
聖武天皇、光明皇后陵入口


帰りは奈良女子大前を通って近鉄奈良駅に向かう。奈良県には国立大学が2つある、奈良女子大学と奈良教育大学である。奈良女は「お茶の水」と並ぶ唯2つの国立女子大学(国立大学法人)である。

近鉄「奈良駅」で解散後一人でお茶をしていると、奈良大近くにお住まいの学友Nさんに出会いました。先月の古墳めぐり案内の時は天理駅で学友の「なぎ」さんに出会いました。先日橿考研「友史会」の見学会で会った横浜の女性は友達に奈良大通信生を知っているとのことでした。奈良大の学友がいっぱい・・・。 

<写真はクリックすると拡大します>

作者:yumeoijyuku

更新日:2008年11月20日 21時39分

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嵐山紅葉

秋の名残に嵐山へ紅葉狩りに行った。
先ずは『平家物語』の一節から、
平清盛の娘徳子が入内した高倉天皇に愛された小督が、清盛を恐れて身を隠してしまう。天皇は嵯峨野あたりに住むと知ると北面の武士に使いを命ずる。その使いが嵐山の亀山で聞き覚えのある「想夫憐」の琴の音を聞きつける、平家物語では「峰の嵐か松風か、たずぬる人の琴の音か、おぼつかなくは思えども、駒を早めて行くほどに、片折戸したる内に琴をぞひき澄まされける・・・」とある。その場所がこの渡月橋のあたりということで、「琴きゝ橋」があったという。

渡月橋北詰すぐ左(東)にある「琴きゝ橋」跡の碑。近くに「琴ひき茶屋」がある



左:渡月橋北詰、右:山中は法輪寺


ここを右へ川を上ると「やましろや」の隣に、平家物語にちなんでか「小督庵」がある。「やましろや」の奥には「小督塚」もある


紅葉点描。下の右は落柿舎



トロッコ列車が通り過ぎた


左:天竜寺前の通り、電柱があるが電線が無い・・地中化されている。中と右:この通りに面した「美空ひばり座」、入場料は1,700円

作者:yumeoijyuku

更新日:2008年11月18日 21時35分

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有史会11月例会

杣之内から布留の遺跡

 16日(日)は橿考研友史会11月例会「杣之内から布留の遺跡」に参加した。JR桜井線「長柄駅」に集合して竹之内環濠集落から杣之内の古墳、石上神宮、布留遺跡、天理駅まで約11kmの予定。天候は午前中雨の予想で出発から昼前まではシトシト雨の中の見学であった。案内は橿考研副所長で付属博物館の松田真一館長。

松田館長。右は長柄駅頭、傘に囲まれての行程説明



竹之内環濠の名残


西乗鞍古墳、左:墳丘へ。右:説明板が汚れている、カメラのせいでは無いので念のため。


天理教施設内にある西山古墳、手前は天理大学の馬場。




西山古墳のすぐ北西にある塚穴山古墳、周濠が西山古墳の周濠にかぶさっている。石室と規模は石舞台にほぼ同じで時期的には後になる。


布留遺跡の説明を受けた後解散。後方は天理教の本殿


<写真はクリックすると拡大します>

作者:yumeoijyuku

更新日:2008年11月16日 23時11分

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鳴門で休養

10月30日から11月2日にかけて鳴門を拠点に古墳めぐりと上さん孝行をしてきた。
鳴門市内の拠点から。朝6時5分、内海の海岸は徳島県立公園になっている(中央の道路から左の部分)。



阿波市土成丸山古墳は直径40mの円墳、高さ6.5mで徳島県最大の規模を持つ。最近発掘調査がされていたと聞いたが、昨年訪問した時と変化は見られなかった。

中:墳丘、右:周濠跡がよくわかる


阿波市穴薬師古墳、封土は無く、横穴式石室だけ残っている。玄室長約7m、幅1.75m、羨道幅1.5m。古くから開口しており、玄室は改造されているらしい。
説明板と羨門


玄室と羨道部


11月1日は徳島市街から30分程度の道のりで行ける、県立神山森林公園に出かけた。
案内図


さすが森林公園、タヌキも散歩している。岩肌は阿波の古墳の石室にも多用されている緑泥片岩が露出している。大和の吉野川沿いにも沢山産出する。明日香村のカズマヤマ古墳にも使用されていた。


2日の朝、公園に出てみると凧を持った人たちが集まってきていた。


帰りは坂出で讃岐うどんの昼食。瀬戸大橋経由で倉敷市の義兄宅に寄って、土産を沢山もらって帰った。

(写真はクリックすると拡大します)

作者:yumeoijyuku

更新日:2008年11月3日 23時12分

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飛鳥を歩く

今日は橿考研の友史会の遺跡見学会「飛鳥を歩く」に参加した。その前に奈良教育大学構内で発掘された新薬師寺の金堂跡とされる遺跡の現地に行った。説明は10時からなので、明日香に行けなくなるので現地確認だけしに行って飛鳥にまわった。

遺構の位置:構内図の左上、北西角で附属小学校の裏になる、外にはもちろん新薬師寺がある。



現地を垣間見た



「飛鳥を歩く」は近鉄橿原神宮前に集合して、一路甘樫丘を目指した。
ご案内は、橿考研附属博物館学芸員山田隆文先生


甘樫丘山頂展望台から南東、明日香村中心部


降りて水落遺跡で昼食。石神遺跡で発掘調査が行われていた。ここらではどこかで発掘が行われている。後は甘樫丘。


飛鳥寺を経由して飛鳥京跡へ、ただし今日は板葺宮跡の復元地では韓流ドラマのロケ中ということで近寄れなかった。休日ぐらい撮影を休めないものか!

飛鳥京跡の説明


上の写真のすぐ後ろの場所の2006年3月第155次調査の現地説明、同じ民家が写っている。



エビノコ大殿を経て川原寺へ。

橘寺前の歌碑


天武・持統天皇陵から鬼の俎板・雪隠へ
鬼の雪隠付近の歌碑、いずれも故・犬養孝先生の筆


梅山古墳で解散、飛鳥駅から帰った。

作者:yumeoijyuku

更新日:2008年10月25日 23時43分

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奥伊勢フォレストピア

母親の実家、お姉さん夫婦が住んでいる三重県大台町へ2泊3日で行って「宮川山荘」に宿泊した。三重県伊勢市で伊勢湾に流れ込む宮川の上流にあって、宮川村のときにできた。村は今は大台町と合併している。
 森林に囲まれた静かな環境の中にある宿泊施設である。料金も格安で、気の利いたホテル並みの部屋で、ここの売りは夕食で
 「採れたての香草を籠いっぱいにたずさえて、天使がテーブルに舞い降りる。地元で育った特産品や香草が 素朴だけどお洒落な料理に変身。ワインを片手に、でもきどらないディナーをどうぞ」とある。
 自然の中に、コテージ、テニスコート、わんぱく広場、陶芸工房、せせらぎ遊泳場、温泉がある「奥伊勢フォレストピア」の一角にあるメイン施設。料金は格安で一泊2食で一人12,600円ポッキリ。

宮川山荘



右:宮川産鮎といろいろな野菜のサラダ仕立て。箸もチャンと付いている


左:ジャガイモトポワローのスープ、右:三重県産白身魚のポワレ ソース カフェドパリ


左:和牛ロースと伊勢赤鶏のポワレ ヴィネグレット風味 ワサビのソース添え、季節のサラダ、右:本日の自家製デザート盛り合わせ



コーヒーまたは紅茶 フレーバーテイ・・省略

献立は訳がわからないので、メニュー通り記載した。

<写真はクリックすると拡大します>



作者:yumeoijyuku

更新日:2008年10月21日 21時13分

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松阪市宝塚古墳

 母親の実家、お姉さん夫婦が住んでいる三重県大台町へ2泊3日で行ってきた、88歳と86歳の姉妹である。その帰りに松阪市にある「史跡宝塚古墳」に寄ってきた。

 この古墳は00年4月に「最大の船形埴輪出土」と発表されている。五世紀初頭の前方後円墳のくびれ部にある祭祀場の方形壇にあったもので、船は全長140㎝、幅25㎝で
ほぼ完全な形に復元され古墳時代の祭祀の形態を知るための第一級の資料と言われた。
今はその方形壇全体を復元し船の埴輪も複製が置かれている。

1号墳説明板



方形壇と船形埴輪(方形壇の左手前にある),後方は松阪市内


方形壇:後円部より、右方が前方部、後方は松阪市内


2号墳
  

<写真はクリックすると拡大します>

作者:yumeoijyuku

更新日:2008年10月20日 23時10分

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奈良の古墳めぐり・・その2-6

近鉄文化サロン現地学習 H20.10.16

天理市北部の古墳古代豪族物部氏の古墳

 天理よろづ相談所病院の前の道を北へ突当たり、右手の細い道を入る。
その先の小学校の裏手を右手(東)に入り左、左と進み池の間を行くと突き当りが今日最初の「別所大塚(べっしょおおつか)古墳」である、全長125m。丘陵部の最西端に位置する。後円部に廻ると周濠部が畑として残っており良く観察できる。ここの後円部を回り込んだところと中学校との間の道を右(北東)へ登ってゆく。登り切ったあたりで広い道につきあたる。

 広い道を横切って右手の林に入って山道を行くと左手にブドウ畑があって、その先が「ウワナリ塚古墳」の前方部になる。左手の山道への入口に柵があってすぐに横穴式石室の羨道部が破壊開口していて中に入れる、丘陵部を利用して成形した後期古墳では大型に属する前方後円墳で、全長110m、後円部径68m、高さ16m、前方部巾80m、高さ16m。玄室は奥行き6.8m、幅3.1m、高さ4mの大きなもので、県下でも有数の大石室を持つ。羨道は3mを残して大部分は破壊しているが9mは有ったと想定されている。前方部はぶどう畑になっている。ウワナリとは後妻のことで先妻はコナミ、奈良市北方の佐紀古墳群のウワナベ古墳、コナベ古墳と同意。

 天理市の市街地からこの付近にかけては当時の大和政権の武器庫であった石上神社を支配した「物部氏」の影響が大きく、これらの大型古墳も物部氏とその一族の奥津城と推定されている。

和爾氏の故郷、檪本・和爾地区へ 
 ウワナリ塚古墳を東へ抜けて小道を左(北)へ行き、西名阪道路をくぐって、側道を左(西)へ行くと右にシャ-プ総合開発センタ-への進入道路があるのでそこを入る。この区域には28基の古墳が有ったが工場建設に伴って調査の後、2基の前方後円墳を残して破壊されてしまった。破壊された26基の古墳はそのほとんどが横穴式石室をもつ後期古墳で、径20mの大型円墳から墳丘がほとんど判らないくらい小さく1m内外の石室を持つ古墳までさまざまであるが、このうち5基の石室が総合開発センタ-入口門の手前に復元されている。

左:左手が開発センター入口」、右:移築された石室



 先ほどの人材開発センタ-の西にある社宅の裏手に前期の前方後円墳「赤土山古墳」がある。3年前に行った時は墳丘に樹木が無く形状がよく判ったが、今回は草茫々で墳丘へは一歩も入れなかった。平成12年~13年にかけて発掘調査があり天理市教育委員会から13年12月に現地説明会があった。今まで測量図から前方後方墳と見られていたが括れ部の形状から全長110mの前方後円墳に変更された。また後円部先端に方形の造りだしが認められ、双方中円形的な要素がある。古墳時代前期末~中期初頃の特徴をもつ。 

 和爾下神社の参道左手にゲ-トボ-ル場が有りその先にこんもり木が繁った区画に「歌塚」と書かれた碑が建っている。説明板によると柿本氏の氏寺が有った所で、歌聖柿本人麿(かきのもとひとまろ)の遺骨を葬ったとある。これが本当なら6月に「山の辺の道」の歌碑を紹介した人麿は、妻を龍王山に葬ったが本人はここに眠っていることになる。

歌塚


 和爾下神社の本殿は古墳の後円部頂いあって全長約120mの前方後円墳で前方部は両側へ撥形に開く特異な形態をしていたらしいが破壊されてしまっている。

和邇下神社の北にある天理教城法大教会の裏山に東大寺山古墳(北高塚(きたたかつか)古墳)がある。本殿の裏に案内板があって山に登る階段が有る。この奥は道が無いが「史跡東大寺山古墳」の目印に添って左手に昇ると後円部墳頂で、これより奥(北)が前方部になる。後円部から割竹型木棺を持つ粘土槨の埋葬施設が検出されている。豪華な副葬品が多数出土しているが、中に2世紀末に中国後漢末の年号が記された金象嵌(きんぞうがん)の銘文を持った花形環頭太刀(はながたかんとうたち)を含む鉄刀20、鉄剣9が検出されている。

 この古墳と赤土山古墳、シャ-プ総合開発センタ-内に散在する古墳群、和邇下神社古墳を合わせて東大寺山古墳群を構成している。天理市の北部和爾町から檪本町(いちのもとちょう)にかけては古代大和政権の一翼を担った和爾(和珥)氏の本拠地とされ、奈良市北部の佐紀古墳群と同様和爾氏一族の奥津城の可能性が高い。柿本氏も和爾氏から出た同族である。
天理教教会を出て東大寺山古墳の北へ回り込んだところ、和爾の集落への入口にあたる所に「櫟本(いちのもと)高塚公園」があって展望台から奈良平野を一望できる。

左:展望台からの眺め、右:左写真のほぼ中央に見える白い建物の向こうに、平城宮跡に建設中の大極殿の覆いが見える、その先には奈良大方面。


 高塚公園から戻って県道の西の新池とその南のAコープとの間を入ると墓山がある、これが「櫟本(いちのもと)大塚古墳」で、墳丘全体が墓地になっており県道側を除いてあまり建物が無いのでよく目立つ。ここから南西に抜けると車の通る道に出るので左(西)へ行くとJR桜井線檪本駅にでる。

作者:yumeoijyuku

更新日:2008年10月20日 21時51分

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万葉文化館コンサート

 今日12日奈良県立万葉文化館の屋外広場「万葉のひろば」の催に行った。プログラムによると、歌、ハーモニカ演奏、ダンス等見たり聞いたり楽しそうな催しで12日,13日と2日間開催される。

 9月14日に「あすか風舞台(石舞台古墳横)」であった「万葉の歌音楽祭」で主催者の犬養万葉記念館賞を受賞した「とこおとめ 風香&裕香」さんの組が出演された。風香さんは奈良大通信生でブログ「奈良大学 スタデイ日記」で知って、今日はじめてリアル風香さんにお目にかかった。

 『天上の虹に見る愛のかたち』と題して万葉集を取り込んだ古都奈良にふさわしい歌で作詞・作曲・ヴォーカルが風香さん、編曲・ピアノが裕香さん。歌の類はコメントできる能力がありませんが、まろやかな風香さんの歌声は素直に耳に入ってきました。会場の広場には百人以上の人達が、思い思いに聞いておられた。

 内容については風香さんのブログ「とこおとめ 風香&裕香」を見ていただくことにして、会場の風景を掲載します。

最初に9月14日に大賞受賞した「花音・・cannon」さんとのコラボがあってその前の談笑
左:花音・・cannon 夏葉さん、中:風香さん、右:佑香さん



熱唱2題





作者:yumeoijyuku

更新日:2008年10月12日 21時42分

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机の組立

昨日、「ニトリ高槻」で机と椅子を買ってきた。展示品のカードを持ってレジへ行くと、「持ち帰りですか」と聞かれた。「エッ、乗用車ですが・・・」と答えたが、組立キットで販売していると初めて知った。一瞬戸惑ったが乗りかかった舟なのでキットを買ってきた。
 今日3日朝から机の設置場所を片づけて、昼から組み立てた。出来上がるまで約4時間、涼しくなってきていてよかった。

左:引出ユニット部品、中:ラックユニット部品、右:ユニット組立完了



左:引出部品、右:ユニットを天板に取り付け


左:椅子部品、右:ビス、接続タボほか


完成,机の総重量は50Kg


高校生の時バイトで買った机は長男が使い、卒業後は廃棄。その後机はなし、今までは夏も冬も電気こたつが机になっていた。勉強に力が入るように今になって机を買った。ガンバラなくっちゃ~~。

作者:yumeoijyuku

更新日:2008年10月3日 23時13分

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檜前遺跡群

9月26日毎日新聞
 「明日香村の檜隈寺跡近くに渡来人の「東漢氏」の住居跡とみられる7世紀中~8世紀前半頃の建物跡が見つかったと明日香村教委が発表。土地の名前から「檜前遺跡群」と命名された。東漢氏は蘇我氏と結びついていたという。」
 27日現地見学会だが、山歩きがあるので急きょ行ってきた。
 
 国営飛鳥歴史公園の「キトラ古墳周辺地区」整備のための調査として明日香村、奈文研が広範囲に調査を行っている。
調査現地、全景:一番右の森(民家の屋根の右)が檜隈寺跡の森



南東より


北西より


柱穴:数棟分の柱跡が見つかった。色分けされている


現地よりの展望:中央の森は文武天皇陵その左手が高松塚地区


檜隈寺跡の於美阿志神社


檜隈寺跡の森付近の調査現地

作者:yumeoijyuku

更新日:2008年9月26日 21時56分

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平城宮大極殿

第一次大極殿正殿復原整備特別公開(最終回)

9月22日、休みの谷間を狙って見学に行った。昼過ぎに入ったが、すいていた。

完成予想CG・・・工事をするので完成予定の間違いではないかと思ってしまう



初重屋根の瓦


二重屋根(大屋根)の鬼瓦と小口金具


二重屋根の飾り金具、左:鴟尾、右中央飾り



二重屋根


会場、左:覆い屋根、右:南線上に朱雀門

作者:yumeoijyuku

更新日:2008年9月22日 18時0分

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朝の散歩・・・アオサギ

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奈良の古墳めぐり・・その2-8

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陵墓参考地の発掘調査現地説明会 

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奈良の古墳めぐり・・その2-7

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嵐山紅葉

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有史会11月例会

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鳴門で休養

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飛鳥を歩く

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奥伊勢フォレストピア

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松阪市宝塚古墳

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奈良の古墳めぐり・・その2-6

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万葉文化館コンサート

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机の組立

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檜前遺跡群

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平城宮大極殿

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