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ハム 早大・斎藤佑樹投手徹底マーク
来年のドラフト戦略を見越して、日本ハムが早大・斎藤佑樹投手(20)を徹底マークすることになった。早大の練習始動となる7日から、早稲田OBの担当スカウトを派遣するもの。2010年の目玉右腕に対し最大限の誠意を見せていくことになった。人気と実力を備えたアイドル右腕とあって、すでにヤクルトなど他球団も獲得の意向を示しているが、さらなる投手王国を目指して一歩も引くつもりはない。
人気は抜群、実力も申し分ない。そんな逸材を指をくわえて見過ごすわけにいかない。ハンカチ王子の“視察合戦”に乗り遅れるなと、山田GMは「始動日には担当スカウトを派遣することになるでしょう」と言う。7日、東京・東伏見グラウンドで行われる早大の練習始めに、早大野球部出身の大渕スカウトディレクターを送り込むのだ。同スカウトは新潟県の高校教師から転身した異色の経歴で早大4年秋には三塁手でベストナインにも輝いている。
斎藤は06年夏の甲子園決勝で、田中(楽天)擁する駒大苫小牧を破って全国制覇した早実時代からのアイドル右腕だ。すでにヤクルトは背番号18を用意するなど、10年ドラフトで1位指名する方針を示唆。関係者も「いくならクジしかない」と競合も覚悟の上だ。
それだけの価値がある。人気先行だった高校時代から着実にレベルアップした。東京六大学では2年秋までに32試合に登板し通算18勝5敗、防御率1・15。特に昨秋は自己最多の1シーズン7勝を挙げるなど、文句のつけようもない。国際経験も豊富だ。1年春から日本代表入りし、昨夏世界大学選手権(チェコ)では銀メダルを獲得した。
また、斎藤を迎え入れる環境も整っている。今やアマ球界を代表する右腕の代名詞となった後ろに重心を置いてからリリースする投球フォームを、高校時代にアドバイスしたのが、05年時に早大主将を務めていたハム3年目の宮本だ。他にも藤井、江尻、山本と、チームには早大出身の投手が4人在籍。これも大きなメリットだ。
10年は“斎藤世代”と呼ばれ、久しぶりのドラフト豊作となる。早大には151キロ右腕・大石、1年生から4番を任されてきた原、守備の名人・宇高など逸材の宝庫で、斎藤マークは総合的に見ても大きな意味を持つ。
ちょっと気が早いかもしれないが、獲得できればダルビッシュと人気&実力を備えた最強ツートップとなることだけは間違いない。
作者:
更新日:2009年1月5日 22時56分
ハム 早大・斎藤佑樹投手徹底マーク
来年のドラフト戦略を見越して、日本ハムが早大・斎藤佑樹投手(20)を徹底マークすることになった。早大の練習始動となる7日から、早稲田OBの担当スカウトを派遣するもの。2010年の目玉右腕に対し最大限の誠意を見せていくことになった。人気と実力を備えたアイドル右腕とあって、すでにヤクルトなど他球団も獲得の意向を示しているが、さらなる投手王国を目指して一歩も引くつもりはない。
人気は抜群、実力も申し分ない。そんな逸材を指をくわえて見過ごすわけにいかない。ハンカチ王子の“視察合戦”に乗り遅れるなと、山田GMは「始動日には担当スカウトを派遣することになるでしょう」と言う。7日、東京・東伏見グラウンドで行われる早大の練習始めに、早大野球部出身の大渕スカウトディレクターを送り込むのだ。同スカウトは新潟県の高校教師から転身した異色の経歴で早大4年秋には三塁手でベストナインにも輝いている。
斎藤は06年夏の甲子園決勝で、田中(楽天)擁する駒大苫小牧を破って全国制覇した早実時代からのアイドル右腕だ。すでにヤクルトは背番号18を用意するなど、10年ドラフトで1位指名する方針を示唆。関係者も「いくならクジしかない」と競合も覚悟の上だ。
それだけの価値がある。人気先行だった高校時代から着実にレベルアップした。東京六大学では2年秋までに32試合に登板し通算18勝5敗、防御率1・15。特に昨秋は自己最多の1シーズン7勝を挙げるなど、文句のつけようもない。国際経験も豊富だ。1年春から日本代表入りし、昨夏世界大学選手権(チェコ)では銀メダルを獲得した。
また、斎藤を迎え入れる環境も整っている。今やアマ球界を代表する右腕の代名詞となった後ろに重心を置いてからリリースする投球フォームを、高校時代にアドバイスしたのが、05年時に早大主将を務めていたハム3年目の宮本だ。他にも藤井、江尻、山本と、チームには早大出身の投手が4人在籍。これも大きなメリットだ。
10年は“斎藤世代”と呼ばれ、久しぶりのドラフト豊作となる。早大には151キロ右腕・大石、1年生から4番を任されてきた原、守備の名人・宇高など逸材の宝庫で、斎藤マークは総合的に見ても大きな意味を持つ。
ちょっと気が早いかもしれないが、獲得できればダルビッシュと人気&実力を備えた最強ツートップとなることだけは間違いない。
作者:
更新日:2009年1月5日 22時53分
奈良・郡山の森本監督がナインに今夏勇退報告
高校野球の名門・郡山(奈良)を春夏通算11度甲子園出場に導き、今夏の選手権大会後に勇退する森本達幸監督(74)が4日、大和郡山市内の同校で始動した全部員を集め「今年の夏で僕は引かせてもらう」とあいさつ。47年間の監督生活に終止符を打つことを明かした。
今春のセンバツ出場は絶望的で、2000年以来、9年ぶりとなる夏の甲子園への挑戦は、昨秋の近畿大会を制した天理が最大のライバルになる。大杉正夫遊撃手(2年)は「(森本監督体制での)最後の主将なので、重圧はあります」と気を引き締めた。
「後輩のお前らによって、最後の花を咲かせてもらいたい。今年は初めから鬼になる。(甲子園に)連れてってくれよ!」とげきを飛ばした名物監督。いよいよラストイヤーが始まった。
作者:
更新日:2009年1月5日 22時51分
急がば回れ…甲子園優勝部長の指導者挑戦 今年の初夢、見ましたか?
2009年の私の初夢は、「夢って何だろう?」と必死に考えている自分の姿の夢でした。「40代半ばになって、夢といってもなあ…」1月2日の朝はそんなことを考えながら目覚めました。
年賀のあいさつのつもりの電話は、思わぬ長電話になってしまいました。
「今年は2年目やから、去年よりはいい結果が出せたらなあ、と思っています」そんな今年の目標を話してくれたのは、大阪の履正社医療スポーツ専門学校野球部・森岡正晃GM兼監督(ふだんは「森岡先生」と呼んでいるのですが…)でした。この学校はスポーツや医療の現場のトレーナー、野球やサッカーの指導者、鍼灸師など、医療やスポーツで社会貢献する人材を育成する専門学校で、甲子園経験のある履正社高校と同じ学校法人になります。森岡先生は、昨年からウエルネススポーツ科野球コースで教壇に立つと同時に、硬式野球部を指揮しています。
出会いは18年前の8月でした。入社4年目、27歳の駆け出しアマチュア野球担当の私は連日、甲子園に通っていました。初出場の大阪桐蔭が、のちに阪神にドラフト1位で入団する主砲・萩原誠を中心に、圧倒的な強さで優勝まで一気に駆け上りました。私より2歳年上の森岡先生は当時、このチームの部長でした。毎日のように顔を合わせて色んな話をする中で、今でも忘れられない言葉があります。それは沖縄水産との決勝戦直前、打撃練習の一塁側ベンチでのことでした。
「私は自分の師匠に、『自分の学校へ来てほしいと思う選手には、自分の恋人に話すように接しなさい』と言われたんです。その教えは守っているんです」振り返ればあの時、森岡先生が「一緒に日本一になろう」と声をかけ、その人柄を慕って集まってきた選手ばかりでした。野球に対する思いはもちろん、部長としての選手への愛情、教師としての生徒への情熱に感嘆せずにはいられませんでした。
PL学園時代に主将を務めた森岡先生ですが、甲子園経験はありませんでした。2年上のチームは西田真二投手(現四国九州アイランドリーグ香川監督)と木戸克彦捕手(現阪神ヘッドコーチ)のバッテリーで夏の甲子園で初の日本一に輝きました。1年先輩は小早川毅彦一塁手(現広島1軍打撃コーチ)を4番に、センバツでベスト4に進出しました。1年下は吉村禎章主将(現巨人2軍監督)のもと、センバツで優勝を遂げています。まさに強豪の"谷間の世代"の選手でした。進学した近大時代から「将来は指導者に」と考えていました。PL学園時代の鶴岡泰監督(現姓山本、現マリナーズ・スカウト)が、大産大付、系列の大阪桐蔭の監督を務めた縁で、大阪桐蔭に赴任したのでした。
ところが…。
「いつかは、自分も監督として甲子園に」と、抱いていた熱い夢が実ることはありませんでした。学校内の事情で日本一の翌年には野球部を外れ、ラグビー部の部長になりました。会うたびに、「どっか、高校野球の監督の話ないですか?」とたずねられました。それでも、全く素人のはずのラグビー部では、野球で培った人脈を生かし、メディカル面で花園出場をアシストしました。その情熱の注ぎようは、野球部長時代と何ら変わりはありませんでした。同時に「絶対役に立つ」と、すでに持っている社会の教員免許のほかに、体育の免許を取得しようと、普段の勤務の傍ら、大体大の聴講生として教職課程を学びました。
ある日、大阪桐蔭のサッカー部出身の息子さんを持つお母さんと知り合う機会がありました。ふと、森岡先生の話になり、「本当に先生には、息子がお世話になったんですよ」と聞いて、変わらない人柄に妙に納得したこともありました。
そんなこんなで10年以上過ぎた一昨年の秋、突然の報告が届きました。「大阪桐蔭辞めて、履正社の専門学校でお世話になることになりました」40代半ばで転職する思い切りはもちろん、「野球の指導者に戻りたい」という思いを持ち続けていたことに驚かされました。
現在の野球部は1991年の甲子園Vメンバーの遊撃手だった元谷哲也さんがヘッドコーチを務めています。さらに、森岡先生の人脈で、コーチには、教え子の今中慎二さん(元中日)や高校の大先輩、加藤秀司さん(元オリックス2軍監督)、さらには大石清さん(元阪神コーチ)といった豪華な面々が名を連ね、定期的に指導にあたっているとのことです。専門学校は日本野球連盟に所属しているため、社会人とも対戦するだけに、何とも心強いスタッフです。昨年は7月の全国専門学校硬式野球交流大会で優勝しました。「今年は社会人にも勝たないといけませんね」と私が投げかけると、「楽しみな選手もいるし、それも大事なことやけど、もっとやっていきたいこともあるんですよ」と返ってきました。
昨年11月には、吉田えり投手が合格して話題になった関西独立リーグのトライアウトに、選手たちはボランティアで打撃投手などのアシスタントを務めました。ボーイズリーグの試合に女子マネジャーがウグイス嬢として出かけることもあるそうです。また、2年間の専門学校を終えると、将来のプロを目指して大学や社会人に進む選手ももちろんいます。学んだことを生かしてトレーナーなどの道に進む選手もいれば、野球中継のCGを担当する仕事に就いた選手もいました。今年卒業する女子マネジャーは、独立リーグの運営に携わることになったそうです。「来年度は、審判を養成するカリキュラムも作ろうかなと思ってます」と森岡先生は言います。「野球界を裏から支える人間ももっともっと育てていこう、と思っているんですよ」と続けた言葉には、そう、あの18年前の夏のような"輝き"がありました。
あの頃描いていた夢とは、少しばかり形が違うかもしれません。それでも、森岡先生はひとつの"目的地"にたどり着こうとしているのではないでしょうか。甲子園を目指す高校野球ではないにしろ、選手と一緒に勝利を追い求める「野球の指導者になる」というひとつの夢はかないました。そして私には、盛岡先生のもうひとつの夢が見えたような気がしました。
誰もがいつまでも選手としてプレーし続けられるわけではありません。「いつまでも野球にかかわっていたい」という思いを持った選手の居場所をつくることこそが、野球の底辺拡大につながる、という考えは、長く野球を離れ、他のスポーツに携わっていたからこそ、気づいたことなのかもしれません。回り道があったからこそ見えてきたその場所へ、今年は13日から練習を始めるということです。
ちなみに…。
「急がば回れ」とは江戸時代の東海道に由来しているようです。東海道の宿場町、現在の滋賀県草津市にひとつの道しるべがありました。江戸から京都へ向かう時に出会うその道しるべは、左は東海道の正規のルートを、右は琵琶湖の湖畔へと続く近道を示していました。正規の東海道を通れば、琵琶湖の南東部をぐるりと迂回しなければならないのに対し、琵琶湖を帆掛け舟で渡れば対岸の大津までたった3キロ。しかし、先を急ぐ人には人気がなかったということでした。琵琶湖の西の比叡山から吹き降ろす強い風で、船がなかなか進まなかったということから、「目的に早く到達するには危険をはらんだ"近道"より、少々"遠回り"しても安全確実な手段を選んだ方が結果的に早い」という意味で使われるようになったと言われています。
スポーツ報知 関西コラム
作者:
更新日:2009年1月5日 22時49分
利府、センバツ出場信じて新年炎の初練習!
吉報を待つ。第81回選抜高校野球大会(3月21日から12日間、甲子園)の、東北地区の21世紀枠候補校に選ばれた利府(宮城)が4日、宮城郡利府町の同校グラウンドで新年初練習を行った。春夏通じて初の甲子園出場へ、部員たちは熱のこもった自主練習を実施。23日の出場校発表を、指折り数えて待っている。
選抜出場を信じる部員たちが、引き締まった表情でバットを振り、ボールを追った。21世紀枠候補校に選ばれた利府が、09年初始動だ。
「初めてこういう状況で迎える練習だし、例年と心構えは違うと思う」
小原仁史監督が語った。公立校ながら昨秋の宮城県大会で初優勝。初めて出場した東北大会も4強に進出した。好成績に加え、通学路の清掃活動などが他校の模範と判断されて21世紀枠候補校に選出。甲子園出場が近くまで迫ってきた。
「みんな早く野球がしたい、という顔をしていた。ここから競い合っていきたい」
遠藤聖拓主将が部員たちの変化を感じ取った。練習前には毎年恒例である、学校から約5キロ離れた青麻神社へ往復10キロのランニングを敢行。部員全員でお参りし、選抜出場を祈願した。
これまで年末年始は年賀状配達のアルバイトを行っていたが、昨年末は21世紀枠候補校に選ばれた関係で“免除”。「バイトがなかったから、毎日野球のことを考えていた」と遠藤主将が振り返るように、全体練習が休みの12月29日から3日の間も、部員たちは自主的にグラウンドへきて体を動かした。すでに気合は十分だ。
選抜出場が決まれば、2月中にも温暖な地域で合宿を予定。チーム一丸となり、万全の状態で甲子園へと向かっていく。
「(全国出場した他の部から)行きたい、と思っていたところに一回行くと、もう一回行きたいと思えてくると聞いた。次につながる、いろいろな経験ができるはず」
小原監督が選抜への思いを語れば、遠藤主将も「(23日の発表が)待ち遠しいです」と笑顔をみせた。甲子園出場という朗報を心待ちにしながら、利府の09年がスタートした。
21世紀枠
秋季都道府県大会8強以上(参加校の多い地域は16強)で、部員不足や過疎などの困難な条件を克服したり、他校の模範となるなど戦力以外の特色を加味して選出する。第73回大会(01年)から設けられ、これまでは2校(昨年は記念大会のため3校)だったが、希望枠の撤廃に合わせて今春の選抜大会から1校増の3校となる。都道府県連盟ごとに推薦された候補校を地区別9校に絞った後、東西両地区に分類。はじめに東西から1校ずつ選び、残り1校を選考で決める。
利府(りふ)
1984(昭和59)年創立。普通科、スポーツ科学科からなる公立共学校で、生徒数は833人(うち女子462人)。野球部も学校と同じ84年創部で、甲子園出場は春夏ともになし。所在地は宮城郡利府町青葉台1の1の1。菊地茂樹校長。
作者:
更新日:2009年1月5日 22時47分
利府「センバツ出場」神頼み…21世紀枠つかみます
今春のセンバツ高校野球21世紀枠の、東北地区候補校に選ばれた利府(宮城)が4日、練習をスタートさせた。部員54人はまず、往復の距離を走って、学校近くの青麻(あおそ)神社に初詣で。「センバツ出場」を祈願した後、今年の“打ち初め”に励んだ。
「甲子園に行けることを神様にお願いしました。甲子園で、まず1勝。そして、優勝まで。個人的にはチームに貢献できるように」と主将の遠藤聖拓(2年)。準備万端だ。例年、年明けは6日までオフだが、センバツ出場が懸かる今年は2日早く始動。昨年12月29日~1月3日までのオフ期間も、連日10人以上の部員が自主的にグラウンドで汗を流してきた。
始動となった、この日、外野ノックやトス打撃などで約5時間、みっちり練習したナイン。小原仁史監督(45)も「皆、例年と心構えが違う。準備はしておきたい」ときっぱり。あとは全国9校の候補校から、21世紀枠3校が選ばれる23日の選考委員会を待つだけだ。
作者:
更新日:2009年1月5日 22時45分
陸上部の勢いに乗るぞ!東洋大V5へ始動
東都大学野球リーグで4連覇中の東洋大が4日、埼玉・川越市内の同大グラウンドで始動した。高橋昭雄監督(60)は、箱根駅伝を初制覇した同大陸上部の勢いに乗り、前人未到のリーグ戦5連覇を目指す決意を明かした。
午後3時。練習前の全体ミーティングは約1時間に及んだ。自らも大学のボランティアとして沿道で駅伝ランナーに声援を送った指揮官は、「(陸上部は)不祥事で大変かと思ったが、それをバネにして素晴らしい成績を残した。ウチもそれに負けないようにしたい」と意気込んだ。
今年は日本ハムにドラフト1位で入団した捕手・大野が抜け、新しい“チームの要”が必要になる。高橋監督は「抜けた穴はオレが埋めるという選手が出てきてくれると思う」と陸上部の活躍と同じように1、2年生の台頭を期待していた。
作者:
更新日:2009年1月5日 22時44分
亜大の安打製造機、中田は115キロのイチロー…09年ドラフト候補
昨年のドラフトは4年ぶりに高校生と大学・社会人が一括開催され、各球団は即戦力か将来性重視かの判断に迫られた。今年は「目玉選手が少ない」といわれる中、スポーツ報知は上位候補にいち早く注目。野手では171センチ、115キロの「東都のおかわり君」こと亜大・中田亮二内野手(21)に迫る。
171センチ、115キロ。中田には高1から呼ばれている「ブーちゃん」という愛称がピタリとはまる。「これがベスト体重なんです」朝からどんぶり飯2杯をたいらげるのは当たり前。だが、50メートルを走れば6秒3。食べて、鍛えて、パワーある打撃にスピードも兼ね備えた好選手だ。
中田が目指す理想の打者像は「おかわり君」こと西武・中村ではなく、体形が対極にあるマリナーズ・イチローだ。「勝負強い打撃が目標です。ホームランはヒットの延長線上なんです」2年秋には東都リーグ3位の打率3割6分8厘をマーク。安打製造機を目指して、1日1000球の打撃練習でスイングに磨きをかけている。
昨秋のシーズンでは野球人生初の大スランプに陥った。「大振りしすぎていたり、タイミングが合わなかったり。全然、ダメでした」打率1割2厘―クリーンアップとして情けない思いを味わった。主将として望む09年を、リベンジを果たす覚悟で迎えた。
先輩の岩本貴裕がドラフト1位で広島入りしたことで、プロに進みたいという気持ちがいっそう、強くなった。「一日一日を無駄にしないようにやっていくだけです」夢を現実にするために、中田は練習に汗を流している。
◆中田 亮二(なかた・りょうじ)1987年11月3日、大阪・八尾市生まれ。21歳。小学4年から野球を始め、龍華中時代は準硬式野球部に所属。明徳義塾2年夏の甲子園で横浜高の涌井(現西武)から特大アーチを放つなど、高校通算40発。亜大入学直後からクリーンアップを任され、昨年7月の世界大学選手権(チェコ)では日本代表の4番を打ち、銀メダル獲得に貢献。171センチ、115キロ。右投左打。家族は父と兄。
作者:
更新日:2009年1月5日 22時42分
立命大・藤原 146キロ左腕は金刃2世…09年ドラフト候補
昨年のドラフトは4年ぶりに高校生と大学・社会人が一括開催され、各球団は即戦力か将来性重視かの判断に迫られた。今年は「目玉選手が少ない」といわれる中、スポーツ報知は上位候補にいち早く注目。立命大・藤原正典(20)に迫る。
昨秋の活躍で、立命大の藤原は一気に全国区へ躍り出た。「プロは夢にまで見たあこがれの舞台。冬場に鍛えて、どれぐらい成長できるか。春の成績で評価が変わってくる」ドラフト上位候補と騒がれ始めても、MAX146キロ左腕は気を緩めていない。
秋のリーグ戦で最優秀選手、最優秀投手、ベストナインの3冠を受賞。明治神宮大会2回戦の常磐大戦では、バント安打1本に抑え、11奪三振で完封した。準決勝で優勝した東洋大に1―3で敗れたが、視察した巨人・大森スカウトに「右打者の内角へのボールの角度がいい。うちの金刃によく似ている」と言わしめた。
藤原も3学年上の金刃を目標にしてきた。投球数を増やす練習方法を参考にし、今でも先輩の大学時代のビデオを見て、自分との違いを研究している。
「藤原」と書いて「ふじはら」と読む。「ふじはらと呼ぶ人はほとんどいない」と苦笑するが、今年で定着させる意気込みだ。「いい投手。同学年で左腕なので意識する」とライバル視する慶大・中林とともに、今年の大学野球界をリードする。
◆藤原 正典(ふじはら・まさのり)1988年1月14日、岐阜・揖斐郡生まれ。20歳。小学4年の時に捕手、一塁手として野球を始める。小6で投手に転向。揖斐川中では「西濃ボーイズ」に所属。県岐阜商2年夏、控え投手で甲子園出場。立命大では2年秋からベンチ入り。通算10勝3敗。181センチ、77キロ。左投左打。家族は両親と姉2人、兄、祖母。
作者:
更新日:2009年1月5日 22時41分
慶大・中林 佑ちゃん倒して優勝だ…09年ドラフト候補
昨年のドラフトは4年ぶりに高校生と大学・社会人が一括開催され、各球団は即戦力か将来性重視かの判断に迫られた。今年は「目玉選手が少ない」といわれる中、スポーツ報知は上位候補にいち早く注目。慶大・中林伸陽(21)、立命大・藤原正典(20)の東西左腕投手、野手では171センチ、115キロの「東都のおかわり君」こと亜大・中田亮二内野手(21)に迫る。
大学最終年を控えた昨年12月、中林は1日も休むことなく横浜・日吉の慶大グラウンドでブルペンに入った。エースとしての自覚が左腕をレベルアップに駆り立てる。179センチの長身で甘いマスク。今年の東京六大学リーグを席巻し、その上でドラフトの話題もさらう意気込みだ。
東京六大学、といえば佑ちゃん―早大・斎藤佑樹投手(2年)が絶大な人気を誇る。中林にとっては早慶戦のライバルだ。早慶戦に限れば、左腕は2年春のリーグ戦デビュー以来、6戦5敗と勝てなかった。勝ったのは通算7試合目、昨秋の第2戦だった。
中林は「佑ちゃんフィーバー」を歓迎している。「斎藤がいなければ、こんなに盛り上がらなかった。盛り上げてくれたおかげで、リーグに注目が集まりましたよね」あやかるのではない。注目される今だからこそ、自分の力を見せつける。そう誓った。
慶応高から慶大に進み、その後、プロ入りした選手は2000年ドラフトで西武入り(4位)した佐藤友亮がいるくらい。もちろん、中林自身はプロ入りを究極の目標に掲げる。だが、昨年、大学日本代表候補合宿やハーレム国際野球大会などに参加し、全国のトップレベルを目の当たりにして考えた。
「周りの選手たちを見て『自分はまだまだ』と感じたんです。もっとレベルを上げないと」同じ左腕の立命大・藤原とは仲良くなったが、それ以上にライバルにもなった。「よく話をするようになりましたけど、近くで見るとやっぱり刺激になりますよ」空振りを奪える球の切れを良くするため、秋のリーグ戦後、毎日150球の投げ込み。走り込み中心の昨オフとはメニューが一変した。
現在、リーグ通算12勝7敗。今年は斎藤に勝ち、リーグ戦でも優勝し、そしてプロ入りを勝ち取る。相場勤監督(44)からは「シーズン10勝」とチームの全勝ち星を挙げることをノルマとされた。「自分もそのぐらいのつもりです。でも、まずは優勝したい」エリートコースを歩んできた左腕が、自らの力投で輝ける未来を拓(ひら)く。
◆中林 伸陽(なかばやし・のぶあき)1987年9月23日、東京都生まれ。21歳。小学2年から野球を始め、中学時代は「世田谷西シニア」でプレー。慶応高に進み、05年には同校45年ぶりのセンバツ出場を果たし、エースとして8強進出に導いた。同年夏は神奈川大会決勝で桐光学園に敗退。慶大では2年春にリーグ戦デビュー。179センチ、78キロ。左投左打。家族は両親と兄。
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更新日:2009年1月5日 22時39分