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産経新聞社の経済記者が小説「炎の森へ」出版
産経新聞社で経済記者をしていた砂原和雄さんが、11月25日にプレスセンターの10階のレストラン「アラスカ」で「炎の森へ」という小説の出版記念パーティーを開いた。このパーティーを開く前に、プレスセンターの私の事務所にきて、会場として「アラスカ」はどうか、という相談があった。100人前後だったら良いのではないか、と勧めた。
砂原さんとは、日銀の記者クラブでは一緒ではなかったが、建設・不動産で付き合いが始まった。当時はバブルの時代の始まりであり、内幸町のNHK跡地が、坪1千万円で三菱地所が買って評判を落とした。砂原さんはその取材をして、不動産業界では名前を挙げていた。その後で不動産業界の広報部の人たちとマスコミがゴルフを年2回する会に出てきてよくあった。ゴルフはそれほど熱心ではなかったが、酒は仲間と飲んでいた。
砂原さんは日銀の時代に三重野康・総務部長と親しくなり、三重野さんを囲む会を主宰していた。朝日新聞社からは私に声が掛かり、出ていた。夫婦ずれの時もあり、女房は今でもその会のことを覚えている。三重野さんはそのあとに日銀総裁になり、お祝いの会も都内のホテルでした。
この日の会は三重野さんが中心になり日銀関係者と不動産・建設業界のおえら方が呼びかけ人になった。その中には三菱地所の高木丈太郎・相談役や今村治輔・清水建設相談役などの懐かしい人がいた。
最初に三重野さんが挨拶して「砂原さんが来て本を出すという報告があった。今までの経済の難しい本でなく柔らかい本だという。それでは仲間内でお祝いをしようと話したところ、こんな盛大な会になった。この本は私はすでに読んだが爽やかで後味が良いです」と話し、乾杯をした。司会は日OBの松嶋さんが行った。
本の内容は破たんした日本長期信用銀行のエリート行員が、陶芸家になる、という筋である。長銀のOBも佐藤孝靖・元常務などが来た。佐藤さんとはよく会合で会うので「この本はどうですか。良い出来ですか?」と聞いた。「モデルを知っていますが上手に書いてありますね」とほめていた。70歳に近い砂原さんがこれからこうした小説を書いてゆくのは楽しみである。
作者:阿部和義
更新日:2008年12月26日 15時11分
トヨタ自動車に比べて元気の良い三井不動産
日本で一番の稼ぎ頭であるトヨタ自動車が、09年3月期では08年3月期に比べて減収減益になる見通しである。00年3月期以来の9年ぶりの減収減益である。営業利益は7割以上の減益であり、初めて下方修正をした。世界一のメーカーになり、日本のモノづくり象徴であるトヨタの凋落はショックである。米国の金融・経済情勢が悪化したことが日本のトップメーカーにも影響した。
こうした中で、三井不動産は10月30日に発表した08年第2四半期決算では、売上げ、営業利益、経常利益ともに増収増益になった。09年3月期の見通しでも売上げ1兆5千億円、営業利益1900億円、経常利益は1650億円と過去最高の収益になる。
トヨタは米国で利益の7割を稼いでいるので米国の経済・金融の混乱が響いている。さらに円高も足を引っ張った。それに比べて三井は賃貸やオフィスビル、分譲ともに過去最高の業績を上げている。マンション不況がささやかれており、来期については見通しは減収減益になるのではないかと見られている。
不動産業界は米国の金融不安で、日本から資金を引き上げる動きが出て不動産会社のアーバンコーポレーション、スルガコーポレーション、ゼファーなどが倒産した。好調であった不動産の証券化もここに来てかげりが出始めている。不動産投資信託(REIT)のニューシティ・レジデンスが初めて破綻した。REITの価格も下がっている。
こうした中で三井不動産は将来を展望して不動産証券化を研究内容とする寄附講座を東京大学公共政策大学院に解説することを決めた。米国の金融不安から日本の不動産の証券化は一時的に足踏みするとしても、長期的に見ればこの流れは変わらないという岩沙弘道社長の考えである。岩沙社長は不動産不況の時代から証券化については、先頭になって実践してきた。
今回の寄附講座は「不動産証券化の明日を拓く」と題して21年4月から3年間の予定で行う。現在の不動産の証券化市場は国土交通省の推計によると41・2兆円に上る。これからの少子高齢化社会、低酸素社会に対応した都市構造を維持してゆくためにはPFI(民間の資金を活用した公共事業)PPP(官民一体になった公共事業)など官民連携した不動産の証券化の手法はますます必要になってくる、という考えである。
岩沙社長も現在の不況は来年一杯は続くと予測しながらも、将来を見据えた証券化の研究をしようという狙いである。こうした長期的な視点に立った資金の使い方は三井不動産らしい。
作者:阿部和義
更新日:2008年12月24日 9時21分
初代の本保芳明観光庁長官
初代の本保芳明観光庁長官(ほんぽ・よしあき)
〔プロフィール〕
北海道・小樽市出身。東京工業大学大学院社会工学科卒。74年4月に運輸省入省。83年4月国際観光振興機構(JNTO)ジュネーブ事務所出向。88年5月経済協力開発機構(OECD)政府代表部一等書記官。97年7月運輸政策局・観光企画課長。06年4月日本郵政公社理事・専務執行役員。07年7月総合政策局・観光政策審議官。08年10月に現職。59歳。
−初代の観光庁の長官に選ばれましたが、感想はいかがですか。
非常に名誉なことであり、身がします思いです。私は観光に昔から携わってきました。若い時にJNTOのジュネーブに出向して、勉強しました。その後に観光部の観光企画課長を務めました。このポストは観光庁の総務課長に当たり、組織や人事などについていろいろなことをしました。10年たって観光部長に当る観光政策審議官に戻りましたが、御幣がありますが、様変わりになってました。企画課長時代は運輸省でも隅のほうにひっそりといました。鉄道や航空が花形でした。それが小泉首相の観光立国宣言で変わりました。人も増え、活気が出るようになってました。
−長官として何をしていきますか?
観光は一言で言うと「住んでよし、訪れてよしの国作り」です。二つの目標を立ててます。少子高齢化で地域が活力を失ってます。地域の活性化を図ることです。後一つはアジアの国の力を観光で導入して日本に活力を取り戻すと言うことです。こうした抽象的な目標では駄目なので、課題として2020年に外国人観光客を2000万人にする目標を立てました。小泉内閣で2003年(521万人)の時に2010年に1000万人という目標を作り、これは07年に835万人ですから大丈夫でしょう。この目標を倍にするということは数字以上に大変なのです。
−世界の観光客は03年は7億人で10年に10億人、20年に16億人になるという推計が出ています。世界の観光客は6割しか増えないのに日本だけは倍にするということです。この目標を達成するためにはお隣の中国からの観光客を07年の95万人を20年には600万人にしなくてはいけません。そのためには入国管理やビザをどうするか、などを大幅に変えなくてはなりません。それ以上に日本人に中国の観光客を温かく迎えるという、気持ちができるかも課題です。
−観光振興のため予算はどうなってますか? 10年前は観光部の予算が25億円の時に宣伝費は5億円しかありませんでした。観光などは何十倍のカネをばら撒いていて、竹やりで戦っていました。それがいまや国費で35億円の金が使えるようになり、地方の予算絵を入れると50億円ぐらいになります。竹やりで勝負する時代ではなくなりました。それでもフランスやスペインなどにはまだまだ金の面ではかないません。少しでも増やしていき、効率的に使って効果を早く出したいですね。
作者:阿部和義
更新日:2008年12月8日 9時11分
人懐こいウズベキスタンの学生
今回のウズベキスタンへの旅で良かったことは、現地の人と交流ができたことである。普通の観光旅行ではできないことである。日本ウズベキスタン協会の10周年の記念の旅だからである。9月22日にサマルカンドで学生と交流会をした。サマルカンド大学に行った。この大学では9月に初めて日本語学科ができた。それまではアラビア語、ペルシャ語、日本語、韓国語、トルコ語を第二外国語の選択科目で教えていた。日本大使館などの応援もあって、独立した学科ができた。最初にこの日本語学科の責任者の人が挨拶をした。
「現在、日本語を学んでいる学生は10人以上いる。筑波大学など日本の3大学と協定を結んで先生に来てもらっている。日本人は熱心な民族であり、これからも日本語を学ぶ学生は増えると思います」と述べた。
その後、現地の楽器である72弦のチャンゲなどラップ人の楽器で現地の唄を歌い、踊ってくれた。日本側は松原真夫団長が挨拶をしたあと、日本人が壇上に上り「上を向いて歩こう」(すき焼きソング)「ふるさと」「幸せなら手をたたこう」などの唄を披露した。
学生は私たちの席に来て手帳を出して「住所と名前とメールの番号を書いてください」と言う。男の学生は「シュヒラット」と私の手帳に書いてくれた。観光学科の別な学生は「シャロファット」と書いてくれた。
日本に対する関心の高さを感じた。
タシケントに着いた23日は日本人が作った「ナボイ劇場」に現地の人たちを呼んで日本ウズベキスタン協会設立10周年の記念の交流パーティーを行った。嶌信彦会長が司会をして最初に日本の初代大使であったサイコフ大使が「日本への思い出はたくさんあります。ここに来られている人も顔なじみの人がいます.良く来られました」と挨拶した。サイコフ大使は現在、ウズベキスタンの外務省に勤務している。
続いて平岡日本大使が「日本とはシルクロードを通して文物が結びついた。正倉院の宝物殿にあるものもシルクロードを通して行った。日本とウズベキスタンとは良好な関係であり、2年前に小泉首相、昨年は額賀・財務大臣が来ました」と日本との関係を述べた。今回の旅で同行した82歳の大塚武さんは「60年前にこの劇場の建設にかかわった。懐かしいです」と述べた。
この地には戦後の抑留者の中で79人が死に日本人墓地に葬られている。われわれは墓の前で冥福を祈った。
作者:阿部和義
更新日:2008年12月6日 8時20分
日本自動車殿堂入りした美安達子さん
電脳という会社を経営している美安達子(みやす・みちこ)さんが、08年度の日本自動車殿堂に選ばれた。米国自動車殿堂をならって日本で01年から表彰を行っている。芝浦工業大学の名誉学長の小口泰平さんが特定非営利活動法人「日本自動車殿堂」の会長である。こうした制度があるのは知っていたが、美安さんが表彰されるというので11月10日に国立科学博物館に行った。この日は月曜日で科学博物館は休館であり、古めかしい本館会議室で行われた。
美安さんは交通安全のための「OD式安全テスト」の開発と普及、情報技術を用いた心理学の実践的活用による安全教育の推進が、選ばれた理由である。今回の受賞者は美安さんのほかは、元米国日産社長の片山豊さん、スズキ自動車の稲川誠一・元副社長、田中次郎・日産自動車元専務、景山克三・日本大学名誉教授(故人)の4人である。この殿堂には01年にトヨタ自動車の創業者の豊田喜一郎氏、ホンダの創業者の本田宗一郎氏などが選ばれている。こうした人たちに混じって美安さんが選ばれたことについて小口会長は「ハードの人たちばかりでは、おかしいと言う声が出てきたので安全というソフト面で活躍している美安さんを初めて選んだ」と話していた。
5人の人が壇上に並んで表彰を受けたが08年9月に故人になった景山氏の変わりに長男が来た。片山さんは既に98年秋に米国自動車殿堂に選ばれている。片山さんは99歳で白寿の祝いをしたばかりである。車椅子に乗って壇上に上り「自動車産業が危機に見舞われている中で、日産自動車も低迷している。1980年代に日産自動車は自らの手で消えてしまった。ダットサンブランドを復活させようと努力してきたが、成功していない。この表彰を受けるには忸怩たる思いがある」と挨拶した。
美安さんは「今まで一緒に仕事を続けてきた西島正人副社長と来た。半世紀の間、自動車の安心、安全に努力してきたことが認められたことを感謝します。その間に多胡輝・千葉大名誉教授、詫摩武俊・学習院大名誉教授にお世話になったことをありがたく思っています。これからもこの分野で力を入れていきます」と挨拶した。会場には美安さんを知っている茂木・常務理事など東京商工会議所の関係者がたくさん来ていた。
作者:阿部和義
更新日:2008年12月4日 8時25分
相次ぐ商社の不祥事
商社はいろいろな商品を扱っており、縦割りの組織なので不祥事が隠されやすい。その事業本部内で処理してしまい、外に漏らさないようにしてきた。ところが丸紅のロッキード事件や三菱商事のカズノコの事件、三井物産のソ連の国後島発電事件を巡る不正入札事件などが起きて、社長が辞任したりすることがあって不正事件については社内でオープンにするようになってきた。ところが最近、相次いで商社を巡る不祥事がマスコミに報じられている。「のどもと過ぎれば熱さ忘れる」ではこれからのことが心配である。
三菱商事は豚肉の輸入を巡り、関税を免れるために子会社を使って高く仕入れて、関税を免れたとして東京税関に摘発された。08年8月に約50億円の追徴課税を納めた。国産の豚肉を保護するために豚肉の輸入価格が1kg524円を下回った場合は差額分を輸入業者から徴収する。三菱商事はこれを免れるために食肉輸入会社を使ってデンマーク産の冷凍豚肉を520円前後で輸入したとして差額分を支払っていた。しかし、その後、この輸入業者からは300円〜400円で購入していた。こうした豚肉の輸入は三菱商事が42億円の関税を免れるためにダミーを使った、と認定された。三菱商事は米国の豚肉加工会社から直接輸入した際も輸入価格を実際よりも高く偽って2億数千万円関税を免れたとして、追徴された。
こうした仕組みを悪用して関税を免れる食肉卸会社は多くこうして、輸入された豚肉を「裏ポーク」と言われてハムなどの原料になっている。三菱商事のような大手の商社が摘発されたのは初めてである。三菱商事は80年に北海道でカズノコを買い占めて批判され在庫で大損をしたこともある。当時の槙原稔・社長はこの処理で苦労した。
三井物産は九州支社で元嘱託社員らが取引先との間で循環取引にかかわって、不正取引は総額83億円に上った。約9割は架空取引であった。不正取引は00年9月から約7年半に亘り続けられた。三井物産は関係者を福岡県警に告発した。
また、伊藤忠商事も10月10日にモンゴルへの融資が商品取引として処理されて00年以降に売上高が537億円ほど過大計上された、と発表した。取引を担当した建機・海外プロジェクト部元課長を8日付で懲戒免職処分にした。モンゴルの資源開発会社グループにロシアから輸入した建設機械の販売を99年に開始した。00年に同グループの資金繰りが悪化したために売買契約と偽って融資を始めた。現時点で利息分を含めて103億円が未払いになっている。
丸紅も元ライフケアビジネス部の担当課長と会社社長、医療コンサルタントなど4人が病院再生事業で巨額の出資金を集めて、事業が行われなかった詐欺事件で逮捕された。この事業については丸紅が保証するということで出資金を集めている。丸紅の社内で説明会や会議などを開いており、出資者は丸紅が責任を持ってやると理解した人も多い。出資者の米国リーマン・ブラザーズ証券は350億円の支払いを求めて東京地裁に訴えている。
日本アスペン研究所が10周年記念シンポジウム
小林陽太郎・富士ゼロックス相談役最高顧問が会長を務めている日本アスペン研究所の10周年の記念シンポジウムが08年10月16日に都内のホテルオークラ東京で開かれた。開会挨拶で小林会長は「米国のアスペンの活動を日本でも行いたいと作った。経営者は利益を上げるだけではなく教養(リベラル・アーツ)が必要だということで、夫婦連れで5泊6日の合宿で哲学書や古典を読んで勉強するシステムを作り上げた。おかげさまで今道友信・哲学美学比較研究国際センター所長や本間長世・東大名誉教授の指導でセミナーも成功してきました。これから末永くこのシステムを続けて行きたい」と述べた。
ついで「リーダーシップと創造性」というテーマでウォルター・アイザクソン米国アスペン研究所理事長、「経営の哲学的側面」というテーマで西田厚聡・東芝社長が基調講演をした。
その後、パネルディスカッションに入り「リーダシップと哲学」という題で今道氏、アイザクソン氏、小林氏、内永ゆか子・ベネッセコーポレーション副会長、原丈人デフタ・パートナーズ・グループ会長の5人がが意見を述べ合った。その中で原氏は「現在、米国、英国、イスラエルで事業をしているが、日本人としてのよさを何とか世界に広めたいと思っている。米国の株主優先の会社運営にはついてゆけない。現在、新しい資本主義の形として公益資本主義というものが成立しないかどうか3人のグループで研究してもらっている。3年ぐらいして結論を出したい」と発言した。モデレーターは村上陽一郎・東大名誉教授が勤めた。約300人がこの会に出席した。
作者:阿部和義
更新日:2008年12月2日 8時18分
ひどかったホテルのサービス ( ウズベキスタン)
ウズベキスタンで最初に泊まったのはイチャン・カラ遺跡のあるヒワの街である。どんなホテルかと心配したが、新しく改造した木造の「マリカ・ホレズム」である。木の香りが漂うようなしゃれたホテルであった。昼にチェックインして、飛行機からの疲れを癒そうとシャワーを浴びた。お湯も出て良い施設だと思った。ところが、夜になってもう一度シャワーを浴びようとしたところ、お湯は出ずに水しか出なかった。みんなが使っているので「仕方ないのか」とあきらめて水を浴びて寝た。いらない書類を捨てようと思ってゴミ箱を探したところ、部屋には無い。シャワー室にゴミ箱があるだけである。
海外旅行には日本茶と梅干を持ってゆく。ところがお湯のポットが無い。そのためにフロントに行って朝、お湯を持ってきてもらうことにした。朝、お湯を持ってきてくれたので梅干は食べられた。
停電が2回ほどあった。日本ではないことだがウズベキスタンでは珍しいことではないらしい。しばらくすると回復した。夜、食事の時に停電がありみんなで「どうしたの?」と顔を見合わせた。ガイドさんによるとこうした停電はよくある、とのことである。
翌日はヒワからバスでブハラに向かった。ブハラにはアルク(内城)、ボロ・ハウズモスク(礼拝場)、カリヤン・ミナレット(塔)、ナディール・ディバンベキのメドレッセ(神学校)の観光施設がある。バスはアム・ダリア川を渡り、ギジル・クム砂漠を走る。行けども行けども砂の世界である。そうした砂の中に電柱が立って送電しているのを見た。道は整備されていないので中国製のバスは大揺れである。後ろに乗っていた人は気分が悪くなった人も出た。
ウズベキスタンの宗教はイスラム教スンニー派である。この時期はラマダン(断食)の時期だったので、学生との交流会では水も飲まない生徒もいた。
ブハラのホテルは「セグルム」で街のはずれにありホテルという感じではなく木賃宿である。古いホテルを改造した、という。ホテルで風呂に入りお湯を出したところ、赤い水が出てきた。温泉に入った気分で入ったが、湯船の側には砂がたまっていた。お湯まで砂入りであり、「砂漠の国」と思った。
作者:阿部和義
更新日:2008年11月10日 8時41分
自分の城は自分で守れ
今まで米国の景気に支えられてトヨタは空前の売り上げと利益を上げてきた。ところが昨年夏からサブプライムローン(低所得者への高い金利の住宅ローン)の問題が起きて、米国の金融・経済情勢が悪化して、それが世界中に広がってトヨタにとっても自動車の売り上げが急激に減ってきた。
中国についてみるとまず北京オリッピックが終わってから不動産価格が下がり始めた。国家発展改革委員会が10月22日に発表した9月の主要70都市の不動産販売価格は前月に比べて0・1%下がり、2カ月連続のマイナスになった。昨年春ごろから全国で不動産の価格が急騰してバブルのような様相を見せてきた。ところが中国人民銀行総量規制など実施して金融引き締めを強化したことから不動産価格が下がり始めた。
不動産不況が深刻化してマンションなどは1千万円値引きしても売れない状態になっている。こうした不動産不況が中国経済の足を引っ張って7−9月期の国内総生産(GDP)は前年に比べて9・0%増加した。成長率が1ケタ台に落ち込んだのは05年10−12期以来のことである。2ケタ台での成長してきた中国経済もここに来て足踏み状態になったといえる。
不動産の売れ行きと自動車の販売はかなり似ている。中国の自動車の販売も9月の自動車の販売台数は前年同月比で2・7%減の約75万台で2カ月連続で前年実績を割った。(中国汽車工業会)内訳を見ると乗用車は1・4%減の約55万台、商用車は6・2%減の約20万台であった。不動産などの資産の目減りが消費者の心理を冷やしているのは米国と似ている。
トヨタもこうした米国や中国の経済状況のために08年の世界の販売台数は単体で830万台程度に落ち込み前年実績(843万台)を下回っている。前年割れは98年以来10年ぶりのことである。7月末に下方修正した販売計画(850万台)と比べても20万台も減った。ダイハツ工業と日野自動車を含むトヨタグループの世界での販売台数も前年実績を約7万台下回る930万台程度になり01年に3社合計の販売台数を公表してから初めての前年割れになる。
暗い話が多い中でトヨタは10月27日に吉林省長春市で新工場を建設すると正式に発表した。現地政府の関係者を招いて起工式を行った。中国第一汽車集団との合弁でトヨタとしては中国では7番目の工場になる。投資額は約550億円で年産能力は10万台になる。「四川一機トヨタ自動車」は既に長春市内に「プリウス」など生産する年産1万台の工場を持っている。新工場は別の敷地に作る。生産する車種は「カローラ」の予定である。稼動時期については現在の経済情勢などを見ながら決定する。
トヨタにも逆風が吹いてきたが、倒産寸前の時に社長になった石田退三は「自分の城は自分で守れ」と言って来た。今こそこの言葉をトヨタの社員がかみ締めなければ成らないだろう。
作者:阿部和義
更新日:2008年11月6日 8時37分
エコツーリズム推進法ができてこれから市町村で条例作り
観光立国を支える人たち
黒田大三郎(くろだ・だいざぶろう)
環境省自然環境局長
『プロフィール』東京都出身。千葉大園芸学部卒。1975年環境省入省。自然環境局野生動物課長、自然環境計画課長などを経て、大臣官房審議官。08年7月から現職。56歳。
エコツーリズム推進法ができてこれから市町村で条例作り。各市町村の知恵比べ
−環境省が行っているエコツーリズムについいては、この欄でも05年7月号で小野寺浩自然観光局長、06年8月号で小池百合子環境相に登場してもらいました。黒田さんで3人目です。
ここに来ての新しい動きについてお話をお願いいたします。
エコツーリズムについては、08年6月に「エコツーリズム推進基本方針」が閣議決定しまました。この閣議決定で07年6月にできた「エコツーリズム推進法」に具体的な方策ができたということです。この推進法は環境省、国土交通省、農林水産省、文部省の4省の共管になっていますが、環境省が中心になって勧めていくことになってます。この基本方針ができて9月に東京で開かれた旅行博で、エコツーリズムについて出展したところすごく人が集まっていました。エコツーリズムについて一般の人に芽生えが出てきたとホッとしました。
−この法律について説明していただけますか?
この法律は兵庫一区選出の盛山正仁議員(自民党)が中心になって作ったものです。エコツーリズムについては観光旅行者が自然観光資源について知識がある人から案内や助言を受け、資源の保護に配慮しながら、触れ合い、知識や理解を深める活動、と定義しています。この背景には環境問題への高まりと観光による踏み荒らしやごみ散乱などの悪影響が出ていることがあります。基本理念として4つのことを上げてます。まず?自然環境への配慮?観光振興への寄与?地域振興への寄与?観光教育への活用、です。この中で観光を重視しています。環境省が管理している国立公園は29あり、そのほか国定公園もあり、こうした自然を観光というビジネスに活用してもらうということです。
−観光から自然をどう守っていくかが大きな問題ですね。
このために地域で協議会を作ってもらいます。市町村が観光事業者、NPO、専門家、土地使用者、行政機関で構成されます。ここで条例を作ります。マナーとルールを作って資源を保護してもらうことになります。例えば水芭蕉の柵が壊れれば直せばよいが、海がめなどは光を当てると上陸してきません。こうしたことをルールにしてゆくのです。こうした手順はめんどくさいのですが、やらなくてはいけないことです。
−この法律ができたことで環境省としてどの程度の職員を増やしますか?
行政改革の時代だけに人はそれほど増やせません。エコツーリズム推進のために専門官と係長の二人を増員しました。環境省全員で1200人ですから少ないものです。環境を守ろうという意識が出てくれば人も増えてゆくものと期待しています。
作者:阿部和義
更新日:2008年11月4日 9時32分
21世紀企業経営者懇話会(81回)10月例会
「環境問題とビジネス」のレジメ
? 今までの企業の環境への取り組み
昭和30年代から昭和40年代 経済成長を優先させて公害は必要悪の考えが当たり前であった。 相次ぐ公害問題 水俣病、イタイイタイ病、新潟水俣病、四日市ゼンソク。
公害列島の汚名。73年(昭和48年)熊本地裁の判決。チッソ敗れる。過酷な代償。対策に全力。
70年11月の国会。公害国会で公害対策基本法が改正される。 71年7月に環境庁が発足。01年1月に環境省に。
? その一例
1993年5月号「地球環境問題に対するわが国の対応」(日本開発銀行、現日本政策投資銀行)
非製造業の一部の業種、30%を越す。「緊急に対策を要する地球環境問題は無い」。自ら生産に従事しない産業や企業であ。っても、流通面、消費者としての立場などから地球環境問題の解決に寄与できることを充分認識することを期待したい。
企業の約3分の2が地球環境問題が何らかの負担になると答えている。地球温暖化、廃棄物処理、リサイクル、フロンなどの問題を中心に自主的な行動計画を策定することが望ましい、と結論付けている。
? 97年12月京都議定書ができる。
90年に比べ6%削減
08年4月から京都議定書の約束期間に入る。国は排出量取引(排出権取引と同じ意味)を試行錯誤で実施しようとしている。(福田首相発言)。排出枠の決め方。
キャップ&トレード方式。05年1月から欧州連合(EU)で実施している。工場や事業所に温室効果ガスの排出枠の上限(キャップ)を決める。過不足分を売買する(トレード)。
ベースライン・アンド・クレジット方式。排出削減プロジェクトを実施して出来た削減分を、何もしなかった場合に予想される排出量(ベースライン)に比べて排出枠(クレジット)として売買を認める。排出枠が不足した企業がエネルギー効率の悪い途上国で省エネ設備を導入して削減を行い排出枠を得るCDM(栗―開発メカニズム)もこの方式になる。日本経団連はキャップ&トレード方式に反対している。排出量取引そのものも認めていない。
電力、鉄鋼、化学業界は正念場に立たされてきている。
? 東京都の環境確保条例の改正案
東京都は08年6月25日に条例の改正案を成立させた。10年度から実施する。原油換算で年1500kl燃料熱や電力を使う約1300の大規模事業所が対象。1000は大企業の本社やオフィスで300が工場。05年〜07年度の平均排出量を20年度までに15〜20%削減させる。自前の努力で目標に達しない場合は目標以上に減らした事業所から買い取って穴埋する排出量取引を導入する。
? 具体的な地球温暖化対策
イ、 住宅、不動産で商品化
熱心な三井不動産 マンションでのエコロジーの取り組み。二酸化炭素の排出量を家庭用ガス給湯リモコンで表示。柏の葉キャンパスで一般家庭を対象に二酸化炭素の排出量のモニタリング。環境省のエコ・アクション・ポイント事業のモデル事業。
積水ハウスは太陽光、パナホームは燃料電池付き住宅を販売。大和ハウス工業は中小ビル向けの省エネ支援事業開始。
新日本石油も二酸化炭素半減のエコ住宅。
ロ、 サッポロビールが缶に二酸化炭素の排出量の表示(6月19日発表)
ハ、 カーボンオフセットが広がる。
日本郵便の暑中見舞いはがき。ローソンが日用品28品目に導入。三菱電機はエアコン。日産自動車は小型車で導入。京急百貨店は08年の中元ギフトで導入。
ニ、 松下電器産業が環境共存のプレスセミナー
6月24日に環境本部のグループマネジャーが環境配慮商品、リサイクル、環境配慮工場、物流、環境ガバナンスなどについて記者会見。
作者:阿部和義
更新日:2008年10月21日 8時18分
ウズベキスタンは中央アジアの中心
ウズベキスタンは中央アジア5カ国の一つである。中央アジアはロシア、中国、インド、トルコに囲まれた軍事的にも政治的にも重要な地点である。大蔵省のOBで財務官の後、アジア開発銀行総裁を務めた千野忠男さん(08年7月17日に死去)は中央アジアの重要性に注目していた。千野さんはアジア開銀の創設などをしているうちにウズベキスタンに親しみを感じていたようである。財務官室にウズベキスタンから持ち帰った白い綿の実を花瓶に入れて飾っていた。
中央アジアの5カ国について、ある勉強会の長老が「阿部さん、中央アジアについては『加藤たき』と覚えると良いですよ」と教えてくれた。加藤たきさんは政治家の娘であり有名な評論家である。カはカザフスタン(人口1500万人)トはトゥルクメニスタン(同490万人)ウはウズベキスタン(同2600万人)タはタジキスタン(同690万人)キルギス(同530万人)である。人口から見てもウズベキスタンが中央アジアの中心国であるのは間違いないであろう。
ウズベキスタンの最大の産業は綿花の栽培と綿の生産である。ソ連の時代に小麦栽培は中止させられて綿花の栽培を強制された。9月と5月は綿花の収穫時期であり、畑に出て収穫していた。白い綿のみを手で取ってかごに入れる。大学はこの収穫期には授業をやめてこの収穫を手伝う。1キロで65スム(日本円で0・65円)の金が入ると、いう。
ウズベキスタンには鉱物資源がたくさんある。原油と天然ガスは採掘している。どのくらい出ているかはわからなかったが、これから本格的に開発するようである。帰国してから東芝がウラン鉱石の開発で協定を結んだ、というニュースが出ていた。中央アジアにはこうした資源がたくさんあることが予測されているが、ソ連から独立して17年ということもあり、これからこうした仕事に取り掛かるのだろう。
ウズベキスタンの大使には拉致問題担当相の中山恭子さんが勤めており、日本ウズベキスタン協会の集まりにはこまめに顔を見せる。中山さんの後の大使であった河東哲夫・早稲田大学大学院客員教授は「まだソ連の統治下にいたような仕事ぶりが見られる。あらゆる面でインフラの整備ができていない。これからの国です」は話している。
作者:阿部和義
更新日:2008年10月20日 8時19分
世界恐慌といわれる中で環境に配慮した住宅作り
米国の第四位の証券会社であるリーマン・ブラザーズの倒産をきっかけに、ニューヨーク証券取引所のダウが4年ぶりに1万ドルを割り日本の日経平均株価も1万円を割るなど世界恐慌が来るのではないかという心配する声まで出ている。日本の不動産会社もスルガコーポレーションやアーバンコーポレーション、ゼファーなどの倒産が続出している。こうした厳しい経済情勢の下で三井不動産、三井不動産レジデンシャルをはじめ積水ハウス、パナホームなどは環境に配慮した住宅作りを進めている。
三井不動産はつくばエクスプレスの柏の葉キャンパスにあるパークシティ柏の葉キャンパス一番街の100世帯を対象にこの秋から1年半かけて二酸化炭素の排出量のモニタリングの調査を始めた。このモニタリングを進めるために電気、ガスのエネルギー消費量や二酸化炭素の排出量を表示する家庭用のナビゲーションシステムを開発した。このモニタリングは環境省の「エコ・アクション・ポイント事業」のモデル事業にも選ばれている。モニタリングが終わった後にエコ・アクション・ポイントを二酸化炭素の排出量に応じて各家庭に与える。カード会社の「ジェーシービー」と提携して希望の商品やサービスを受けられるようになっている。
このナビゲーションシステムは10分ごとのガス、電気、水道の消費量をモニターで表示される。1日、1カ月の総消費量も表示できる。専用のサーバーにアクセスすることでパソコン画面で二酸化炭素の排出量やモニタリング参加世帯の二酸化炭素の排出量のランキングも確認できる。
ガス、電気などの消費量を見えるようにすることで5−15%の省エネ効果があると「新エネルギー・産業技術総合開発機構」(NEDO)の
実証実験で確認されている。
消費量の見える化を進めるために三井不動産レジデンシャルは東京ガスと共同で家庭用のガス給湯器のリモコン「セーブアースディスプレイ」に二酸化炭素の排出量を表示する装置を開発した。08年7月に販売開始したパークホームズ目黒中町に設置した。この装置をつけたことで地球環境に配慮した住まいを提供したということで10月に2008年度グッドデザイン賞を受賞した。
こうした環境への取り組みは積水ハウスが太陽光による発電装置をつけた建売住宅を売り出したり、パナホームが燃料電池付きの住宅の販売を始めた。新日本石油は二酸化炭素の削減を目指す「住宅用総合エネルギーシステム」を開発して、08年度中に横浜市に150?のモデル住宅を作り10年度から70万から200万円程度で発売する。
三井不動産の国兼洋一・広報グループ長は「環境への取り組みは景気が悪くても消費者の要望でもあり前向きにやってゆく」と話している。
作者:阿部和義
更新日:2008年10月17日 8時59分
観光立国を支える 元ウズベキスタン大使 河東哲夫
元ウズベキスタン大使 河東哲夫(かわとう・あきお)
東京都生まれ。70年東京大学教養学部卒。外務省に入省。西ドイツ、スウェーデンなどに勤務の後、ボストン総領事、ロシア公使など歴任。02年ウズベキスタン大使。04年9月辞任。早稲田大学大学院客員教授。60歳。
−ウズベキスタン大使を2年やりました。中央アジアの観光について現状をお聞きします。
中央アジアはウズベキスタンのほか、カザフスタン、トゥルクメニスタン、タジキスタン、キルギスの5カ国があります。私はウズベキスタンとタジキスタンの大使をかねていました。その中でウズベキスタンが日本にとって親しみがあります。観光資源はシルクロードの起点ということでもわかるように豊富にあります。飛行機ではシルクロードの真下を通っています。晴れている時は面白いですよ。ウズベキスタン、タジキスタンはペルシャ文明の中心です。しかし、観光に対する政府の組織やインフラが十分ではありませんね。
−中央アジアの観光の魅力は何でしょうか?
長い歴史の中で現代に引き継がれていることを調べないと面白さはわからないでしょうね。例えばサマルカンドの遺跡は泥の中にあります。石作りで日干し煉瓦を積み上げただけでできています。ペルシャの統一は中国の秦の統一より早いのです。ここにはトルコ人やモンゴル人が入ってきていろいろな文明ができたのです。サマルカンドは「青の都」と言われています。イスラム教のモスク(礼拝所)やミナレット(塔)、マサドラ(高等教育施設)などがいたるところで見られます。中国の元に破壊された後も残っています。サマルカンドだけでなくブハラ、ヒワ、シャフリサーブスなどにはティムール王国の時代にできたモスクなどが見られます。
−日本との関係はどのようになっていますか?
大使館の調べによると観光客は年間4千人でビジネス客は2千人ということです。観光資源があるのにもったいないです。その原因は日本との航空機の便が少ないことやホテルの施設が良くないと言うことがあります。こうした中で日本の円借款でサマルカンド、ブハラ、ヒワにあるウルゲンチの3空港を近代化しました。国際線が入るようになり観光促進にはなりました。ホテルも西欧の資本がサマルカンドなどに出ましたが、シェラトンやメリリアンなどは撤退しました。冬は寒くて観光客が来ないということです。
−インフラ(観光の基盤整備)が十分ではないということですね。
交通網を見ても観光バスは首都のタシケントとサマルカンドとのルートは2つあるが、一つのルートはカザフスタンを通れないので迂回するので1時間も余分に掛かる。ホテルの食堂は昼しか開かずに、観光客のためには不便です。さらに日本のツアー客を募集するための母体が無い。こちらのエージェントが日本と約束ができないことも多いのです。こうしたことを徐々に改善してゆくしかないでしょうね。
作者:阿部和義
更新日:2008年10月13日 11時26分
面白かったウズベキスタンの旅
中央アジアのウズベキスタンについて知っている人は少ない。私が教えている聖徳大学短大の2年生に聞いても知っている生徒は誰もいなかった。勿論、行ったことなどは無い。このウズベキスタンに9月14日から24日まで約1週間旅をしてきた。その報告を4回に亘り話していきたい。
私がウズベキスタンとの付き合いを始めたのは朝日新聞の先輩の野田皓一さんから「日本ウズベキスタン協会」の会員にならないか、と勧められたことからである。野田さんは戦争中にソ連(現ロシア)に抑留されて、ウズベキスタンに行かされ強制労働をさせられた。そこでナボイ劇場などを建設した。そのナボイ劇場はその後の地震でも壊れずに日本の技術の声価が高まった。
この協会に日比谷高校の同級生である嶌信彦君も入会していた。嶌君は取材でウズベキスタンに行って気に入ったので、野田さんなどと会を作った。野田さんは初代の会長だったが高齢ということもあり、嶌君に会長を譲った。この協会も今年で結成10周年になるので、ウズベキスタンに行こうという企画ができた。たまたま住友銀行の出身の塚谷さんがJICA(国際協力事業団)からウズベキスタンに経理などの指導で行っており、塚谷さんに会うということも一つの狙いで行くことになった。塚谷さんの大学時代の友達の蕪木寿君も行くことになり、さらに中学校の友人の関光雄君を誘ったらOKになった。このほか日比谷時代の西川寿子さん、朝日新聞で同期の村田歓吾君など知っている人がたくさんいる旅になった。今回の旅行はウズベキスタンコースとキルギスコースに分かれた。私たちはウズベキスタンコースで嶌君や西川さんらはキルギスコースだった。
17日午後6時30分に成田空港に集合してウズベキスタン航空で関空経由でウズベキスタンの首都タシケントに向かった。関空では乗り継ぎだけなのに1時間も待たされて、空腹だっただけにいらいらした。
飛行時間は8時間で時差が4時間である。関空を23時45分に出て、タシケントには18日の朝の4時25分に着いた。時差の関係で儲かった気分である。乗り継いでウルゲンチ空港に行き、その日はイチャン・カラの遺跡のあるヒワを観光した。
作者:阿部和義
更新日:2008年10月12日 8時15分
朝日新聞元社長の中江さんの写真展
朝日新聞社で社長を7年間務めた中江利忠さんが、9月9日から14日まで有楽町のマリオンのそばの「朝日アートギャラリー」で「一記者のカメラ回想―中江利忠展」を開いた。中江さんは経済部の先輩でもあり、敬愛する人である。社長を務めた人にありがちな傲慢なところは無い。私が記者時代はデスクであり、原稿を見てくれた。適切な朱の入れ方であった。筆頭デスクで人望もあった。
名古屋本社と東京本社で経済部長を務めたあと、東京の編集局長をやり常務で総務・労務担当、編集担当の後、専務で国際担当をして89年6月に社長になった。その忙しい中でカメラはいつも持っていて写真を撮っていた。
今回の写真展には65点の作品が飾られていた。「学業・記者時代」「海外の旅」「国内・家族」と分かれていた。「国内・家族」の写真の中には新潟県・長岡での花火の写真もあった。私も今年の8月に行ったので懐かしかった。「一高最後の日」という門札を外す麻生校長と安倍前校長の写真は珍しい。
初日の9日午後3時過ぎに行った。会場には経済部の先輩の沼口好雄さんや戸引和夫さんなどが写真を見ていた。
中江さんは05年6月に顧問から社友になったときに「75Declics カメラで綴る回想」という85ページの本を配った。その本の巻頭に「学業生活18年、朝日新聞社の生活52年3カ月を振り返って75歳余のわが身を静かに振り返ってみる。私の年齢と同じ75点の写真を原則として1ページ1点の形で掲載する」と書かれている。
中江さんは「長い間公私ともお世話になり感謝に堪えません。ささやかなお礼のしるしに、小冊子をお届けしますので、ご照覧ください」という紙が着いていた。。
この本では「学生時代」「地方支局時代」「経済部時代」「マネジメントの合間に」という構成になっている。経済部の時代の写真はソ連取材、都市問題取材、中国取材などがある。この本の写真と今回の写真展はダブっているものも多いが、78歳の中江さんがこうした写真展をするのは素晴らしいことである。
Declicsというのはフランス語でカメラのシャッターという意味である。中江さんの学識に遠く及ばないことを感じる。
作者:阿部和義
更新日:2008年10月9日 11時44分